進撃のアルカディア:白の世界

 時代は廻る。戦乱の世は何処までも凄惨に時代を塗り替えた。滅ぶ国、生まれる国、生まれてすぐに滅び、また新たに生まれ変わる。天頂に輝く二つ星を落とさんと多くの新星が挑戦し、返り討ちにあった。国境線は一日で変動し、拠点の取った取られたは日常茶飯事。都市でさえ週代わりでの奪い合いなどざらである。

 時代は加速し続ける。世界は間違いなく激動の只中であった。しかし――

「ようやく雪解けか。今年も長かったな」

「はい、そろそろ衣替えしないと。新しく作りましょうか?」

「俺のは必要ないよ。去年のと同じでいい。ただ――」

 景色と同化してしまいそうな長い白き髪を持つ男はちらりと後ろを見る。

「ちちうえー! ははうえー!」

 てくてくと駆けて来る小さな生き物。さらさらの金の髪、まんまるの青い眼、ぷにぷにのほっぺにぷよんとした小さな手足。それが雪に足を取られぱたんと倒れたところを見て苦笑する。いつものこと、何と代わり映えのしない平穏な光景であろうか。

「アルフレッドの分は作ってやろう。相変わらずの甘えん坊だが、体は成長している」

「ふふ。そうですね。すぐに作り始めます」

「ぢぢうえー、たずげてー」

「……俺にしつけの才能は無かったな。マリアンネで練習しておくんだった」

 そう言いながらも白の男は自分を父と呼ぶ子供の元に足を向けた。雪から引っ張り出して抱き上げてやると途端に満面の笑みを浮かべる。雪を払い、隣で笑い続ける女性に渡すとさらに笑顔を深めるアルフレッド。

「ウィリアム、アルフレッド、お昼ご飯にしましょう」

「ああ」「うん!」

 ウィリアム・フォン・リウィウス子爵。このラトルキア地方を治める貴族であり、貴族であること以外を奪われた男は一人の父となっていた。ウィリアム、ルトガルド、アルフレッド、この三人だけの閉じられた世界。白銀の包むこの地にとって世界の喧騒など遥か彼方の出来事。

 あれから七年、英雄白騎士の名は少しずつ世界から消え去りつつあった。


     ○


 穏やかな生活、緩やかに流れる時、併合される前の国名をそのまま使用したこの土地に、争いも競争も火種そのものが無かった。ラトルキアは今日も穏やかな朝を迎える。雪が溶け、晴れ渡る空から降り注ぐ陽光が肌に染み渡る。

「黒パンを所望する」

「しょもうする!」

 この地方では普通の小麦とライ麦が栽培されており、これより以北ではライ麦の比率が跳ね上がっていく境界線でもあった。来た当初はどうにもなじめなかった味であったが、今となっては癖になってしまっていた。

「はいどうぞ。これがお父さんの分、こっちがアルフレッドの分」

「「いただきます」」

 ウィリアムの方はほぼライ麦のみで作られたパン、硬く酸味がありまさに黒パンと言った味わいである。対するアルフレッドのものはライ麦入りのパンといった風で、八割以上が小麦であり風味だけがプラスされた癖の無いものになっていた。ちなみにルトガルドの分は五割である。

「さて、今日は何をしようかな」

 黒パンを齧りながらウィリアムはポツリとつぶやく。すかさずアルフレッドが眼を輝かせて父の方に向いた。

「狩りにいきたい!」

「おとつい行ったばかりだろう? それにずっと背中じゃ暇じゃないか?」

「ひまじゃないもん。ちちうえがぴゅって射った矢がばすんって当たるところとかすごい格好いいもん。ぜんぜんあきないよ」

「ふーむ、とはいえおとついやったことを繰り返すのも芸が無いな」

「えー、いきたい、いきたい!」

 駄々をこねるアルフレッドを見て(まあ狩りでも良いか、暇だし)と考えを変えるウィリアム。『日課』をするのは早朝と深夜、『各所』を回るのも昨日やったばかり。持ってきた大量の本は全て周回済みで、今は新書が届くのを待っている状況。

「アルフレッドに弓を教えては如何でしょうか」

 ルトガルドが珍しく提案をしてきた。ウィリアムもアルフレッドもその行為に驚く。そして――

「ぼくやりたい!」

 眼をキラキラと輝かせたアルフレッドが我が父を落とそうと見つめてきた。甘える才能は伯父譲りか、まるでカールと接するような気分にさせられる。そもそも髪色から目鼻立ちまで伯父そっくりであり、性格までカールと似ているとあってはテイラーの血が強い。それをルトガルドに言うといつも苦笑して「そうでもないですよ」と返されていた。

「教えるのは構わんがたぶん引けんぞ。アルフレッドに引けるような小さな弓も無い」

 圧倒的現実を前に打ちひしがれるアルフレッド。

「作れば良いじゃありませんか。作り方も一緒に教えて差し上げれば」

 一瞬で立ち直るアルフレッド。そして話が綺麗に、面倒なほうにまとまる気配を感じてウィリアムは内心げんなりしていた。こんなことなら狩りを受け入れていた方が面倒が無かったと思う。口にも顔にも出さないが。

「ちちうえー」

 アルフレッドダメ押しのひとゴネ。ウィリアムは心の中で天を仰いだ。最近、甘え慣れしてきたのか押し込まれてばかりである。まあ、暇な自分が悪いのだが。

「わかった、そうしよう。それじゃあ『工房』の方に行くか。さて、工房に行くにあたって約束事があったのは覚えているかな? 賢いアルフレッド君。覚えてなければ弓作りは無し、だ」

「そんな!? えーと、うーんと」

 頭を必死に回転させるアルフレッド。それを見てウィリアムは微笑む。何でも考える癖というのは大事である。些細なことでも良い、幼少期から考えさせることで頭の体力がつく。それは身体の体力同様に生きていく上では必須の力。仮に答えられなくてもそれはそれでよし。ついでに弓作りも無くなり一石二鳥である。

「あ、しょくにんの邪魔をしない。ものにさわらない。あと、エッカルトに近づかない!」

「……よく覚えていたな。偉いぞアルフレッド」

 頭を撫でながら内心では複雑な感情が渦巻く。それを見てルトガルドはくすくすと笑っていた。押し付けた張本人の様子から、初めからこの流れを見越していたのだと知る。この妻が正体を現してからというもの、こうやって小さな敗北を重ね続けてきた。

「あとでお昼ごはんを持っていきますね」

「よーし、がんばるぞー」

「「おー!」」

 ウィリアムを他所に盛り上がる二人を見て、世の父の悲哀を知る。まあ、そもそも此処まで家庭で権力を振りかざさない父親のほうが珍しいだろうが。家庭での父を知らぬウィリアムにとって世にはびこる正解はわからない。ただ、リウィウス家の日常はこんなものである。思うところはあれど、しっくり来ていることも否定できなかった。


     ○


 ウィリアムが秘密裏に作った『工房』ではさまざまな武器の改良、研究が行われていた。工房の長であるエッカルトは工房から程近い離れに収容し、本人も其処からめったに出てこないほどである。時折、謎の音が発生し不気味がられている。

 そんな場所ゆえに弓の材料には事欠かなかった。各国読み方はさまざまなれど弓の木として知られるイチイをはじめ、多様な木材(明らかに弓として適さないものまで)が取り揃えられている。複合弓の製作も研究しており、動物の腱、骨、角、各種金属もある。

「アル坊ちゃんはお父様用に丸木弓を作っておくれ。ウィリアム様は……言われるまでも無く複合弓をこしらえて、あれ、あっしらより手際が」

 丸木弓はさまざまな素材を用いられる複合弓と対照的に一種の木材のみを用いる。単弓とも呼ばれるそれは単純ゆえ頑丈だが用いるのに習熟を、平たく言えば力が必要になってしまう。短く作るとはいえ大人でも難儀する代物を子供が使いこなせるわけが無い。よしんば使えたとしても力み過ぎたよくないフォームが染み付いてしまう。

 ゆえにウィリアムはアルフレッド用に複合弓を、アルフレッドはウィリアム用に丸木弓を作成していたのだ。もちろん子供が作る代物、まともに射れる弓になるとは端から期待していない。あくまで作成を楽しむのが目的である。

「ほぉ、こりゃあ」

 何事にも予想外というものがある。悪い方にも、良い方にも。

(手先が器用なのかねえ。あとは良く見てる。父君の動きを、あっしらの動きも、見て、真似してやがる。可愛くても白騎士の息子、か。末恐ろしいやらなんやら)

 アルフレッドは物事を測る上で重要な観察眼を持っていた。天然で、しかも子供がこの手際ときたら褒めるしかない。ウィリアムも目の端で息子を観察している。自分はともかくルトガルドもといローランの血を引くのだ。これくらいの才は見せてくれるだろうとウィリアムは驚くこともなかった。そういう風に育ててもいる。

 そのまま作業は続き、休憩(工房内に散らばるアルフレッドの疑問に答えてやる)を挟みながらあっという間に昼近くまで時は進んだ。そろそろルトガルドが来る時間である。

「ウィリアム様、客人が」

 噂をすれば何とやらである。

「ルトガルドだろう。中へ――」

「いえ、クロードの坊主が――」

 それは瞬時の攻防であった。風のように乱雑な工房内を駆けぬけウィリアムに肉薄。最速最短にて突貫し、その勢いのまま速度を乗せた拳を放つ。ウィリアムはそれを首の動きだけで回避、そのまま頭で拳を捉え、そこから一気に組み伏せた。

「工夫が足りない。奇襲だからこそ単調になるな」

「うす、勉強になります」

 組み伏せられたことが嬉しいのかクロードと思しき青年はにやける。

「あ、クロードにいだ! おみやげちょうだい!」

 それを見てひょこひょこと近づくアルフレッド。その姿にクロードは目を見張る。

「んおっ!? でかくなったなアル坊。あとウィリアムさん腕痛いっす。いやマジで、何でそっから強めるんだよおいはなしてぇぇえええ!」

 しっかりと関節を極められて絶叫するのはクロード・リウィウス。ウィリアムがガリアスで拾った孤児で、名義上はウィリアムの養子である。ウィリアムが王都を去り、自らが作成した学校も手を離れた際、クロードを除く全員がリウィウス姓を捨て、テイラーを選び取った。ウィリアムがそう選ぶよう命じた。

 そんな中、ただ一人リウィウス姓を捨てなかった愚か者が、青年と呼ぶにはまだまだ子供っぽさが残るこのクロードである。

「くっそー加減無しだもんなあ」

「どうにかして一本取ろうという気概だけ認めてやる。それで、何の用だ?」

「……暇が出来たんで世間話でも」

「……アルフレッド、クロードお兄ちゃんが遊んでくれるそうだぞ」

「やたー!」

「え、ちょ、折角来たんすから稽古の一つや二つ」

「クロードにい、こっちで弓つくろ。はい、木」

「あ、ちょっと面白そう。しゃーなしだぞアル坊。このクロード様が手伝ってやろう」

 そんなこんなで精神年齢が近いのかクロードとアルフレッドの仲は良かった。

(……本当に用が無かったのか。こいつとマリアンネくらいだぞ、こんな遠方まで用も無しに来る馬鹿は)

 まあクロードの用件のほとんどは先ほども言っていたように稽古なのであろう。イグナーツの指導もあってこの世代は年の割に図抜けた腕を持つ。特に三人、そのうちの一人は別格として残る二人のうち一人がこのクロードであった。更なる高みを目指すなら戦場で経験を積むか、師事を仰ぐしかない。他の二人は師事する相手に事欠かないが、クロードだけはそんな相手もおらず成長の差を感じているようであった。

(馬鹿に免じてあとで稽古でもつけてやるか)

 熱心に弓を作るまだあどけなさの残る青年をウィリアムは見つめていた。


     ○


「年はいくつになった?」

 ウィリアムは汗一つかくことなく君臨していた。大地に伏せるのは挑戦者であるクロード。すでに戦場にも出てそれなりの功を上げていたが、眼前の壁はあまりにも高過ぎた。わかっていたが、わかっているからこそ、その高さに眩暈がする。

「十七、十八、十九のどれかです」

「……公称は?」

「十八ですね。つーかまた強くなってませんか?」

「そう思えたなら成長の証だ。見える範囲が広がったということだからな」

 稽古のたびに思うのは格の違い。己との差などあって当たり前、比べているのは今の軍を指揮する有象無象たちであった。彼らとて軍略を修め、経験を積み、功を上げて今の地位についた。無論、この戦乱の世においては小さな戦など何処にでもあり、功を上げる機会は年々増え続けている。最近は、上の『席』も空いてきた。

「まだこんなとこで燻っている気ですか?」

 クロードの眼には期待があった。なるほど、最近厳しいと聞いていた状況は確かなようである。それなりの窮地ならクロードほどの野心と情熱を持った青年であれば、自分ないし自分たちの世代でどうにかしようとするだろう。しかし、彼の眼にはそういう無謀なほどの熱情は無い。抱けない状況、ということであろうか。

「王命だ。俺は動けんよ」

「王命破って干された人の台詞っすか?」

「ふ、今日は良く噛み付くな。だからこそ、だ。一度は許せても二度は許せぬだろう。俺だって命は惜しい。家庭もある。無茶は出来んさ」

「らしくねえ。じゃあ何であんたは毎日修行を続けてるんだよ! もう一度戦場に立つためじゃねえのかよ! 俺たちの英雄は何処に消えたんだよ!?」

 クロードの言葉は牙が抜け落ち、家庭人と堕したウィリアムを咎めるものであった。その真っ直ぐさは彼の良いところでもあり悪い部分でもある。

「まあそう吼えるな。必要なら呼べばいい。呼ばぬということはまだ必要じゃないってことだ。俺に言えるのは唯一つ――」

 クロードが身震いする。寒気のようなものが全身を駆け巡る。

「準備は出来ている。いつでも、な」

 その発生源は見るまでもない。視線を合わせることすら躊躇われる怪物、それなりの技術を得て差を知ったはずのクロードでさえ、この寒気には耐えられない。彼は学校の年長者が語っていた話を思い出す。

『騎士女王、今は戦女神、か。かの英雄王を仕留めた怪物と向き合った、ただ向き合っただけだ。俺は陣の後衛、相手は数キロ先にいるだけ。それだけなのに、悪寒が止まらなかった。怖くてさ、ちびっちまったんだ。恥ずかしいと思うだろ? でもな、周りを見りゃ同じような奴はいくらでもいた。恐怖でおかしく成っちまったんだ。触れることなく、俺たちの心は折れていたよ。未だに、思い出すだけで震えちまう。笑うか? クロード』

 その時は笑いこそしなかったが、理解は出来なかった。あの時よりも強くなって、戦場を知って、だからこそ理解できる。先輩も同じ悪寒を感じたのだろう。ただ、これはあくまで話の中、戦場ではない。もし戦場であれば、おそらくこの比ではない絶望を感じるだろう。軍すらを、多数すらを圧倒する個の圧力。

(ああ、やべえ。頼むぜ、まだ若いんだからこんなとこで漏らしてくれるなよ)

 クロードの様子を見てウィリアムは笑みを深めた。順調に育っている養子の姿に頬が緩んでしまうのだ。思ったとおりであった。あの日感じた通り――使える駒になりそうである。ウィリアム好みの駒に育ちつつあった。

「よし、折角来たんだ。日が暮れるまでみっちり稽古をつけてやる。アルフレッドも疲れて寝たようだからな。まだまだ二人っきりだ」

「そろそろおっさんなんすからあんま張り切り過ぎなくても」

 ウィリアムの額に青筋が浮かぶ。

「おう、早く構えろや。俺は優しいからな。さっきまでの丁寧接待コースじゃなくて、生き延びたら絶対強くなれるコースで鍛えてやる。礼はいらねえぞ」

(し、しまった。やっぱ年齢気にしてたのか。これちょっとやべえんじゃ)

「嗚呼、何て義息想いなんだろうか」

 ウィリアムは長い髪をかき上げてひとまとめにして紐でくくった。雰囲気が一変する。笑顔の下にある貌が怖すぎて直視できないほどであった。鬼か悪魔か、神話の魔王と対峙する気持ちをクロードは味わっていた。

 数時間後、アルフレッドが汲んできた水をかけられて目覚めると、全身の鈍痛と切り傷まみれの身体、そして濡れているから誤魔化せているが、

(あ、ちびってたわ俺)

 クロード・リウィウス、御年十八歳。若くして本能に敗北する。


     ○


 北に向けて走る馬車の中には三人の家族がいた。

「僕一人でよかったのに……」

「私はルトガルドと遊ぶために行くの」

「わたしはウィリアムさまとおあいするために」

「イーリス! あの男に近づいちゃ駄目って言ってるでしょ! あれは悪魔を具現化したような男なの。賢しく、狡猾で、意地の悪い最悪の存在」

「言い過ぎだよヒルダ。僕の親友なんだから」

「つまりあんたが悪いのよ! カールッ!」

 騒がしい車中。何度目かわからないほど頻発する喧騒に、御者は大きなため息をついた。カール、ヒルダ、イーリスのテイラー家当主一行はゆるりと一路、北方の入り口ラトルキアを目指す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る