裏・巨星対新星:偽の巨星

「私に剣を捨てて何が残ると言う!」

「残るとも。君が持つ最大の才能、父君と母君から受け継ぎし、カリスマ性だ」

 ウェルキンゲトリクスの言葉が理解できない。彼の言っているモノは武器ではないのだ。少なくともアポロニアはそう認識したことは無い。カリスマでは人を殺せないから。

「今、世界には二つの頂がある。一つは、私やエル・シド、ストラクレスが立っていた山巓、武の高みだ。そして其処にはヴォルフ君が収まった。私の知る限りでは、今を生きている者の中でその座を脅かす者はいないだろう。少なくとも、君では無理だ」

「白騎士がいる。奴は独力にてストラクレスを打破した。あの男もまた武の高みに到達したのだろう!? ならば、私とて、私にも可能性が――」

 ウェルキンゲトリクスは静かに首を振る。

「真の大将軍であるストラクレスを、彼が正攻法で倒すことは不可能だ。そもそも、あの身体で、あの才で、そこに辿り着いたこと自体、驚嘆に、称賛に値するだろう。彼のポテンシャルでは、精々三歩手前が関の山。不可能を可能としたのは、武ではない。智だ」

「一騎打ちを策にて勝利したと、英雄王はのたまうと言うのか! それは、侮辱だ!」

「智とは戦場のみにあらず。王会議での彼を見ただろう? ほんのひと時とて無駄な行動をしなかった。全てを血肉として帰った。あの時点で、君に手も足も出なかった男が、次に会った時君を下した。全ては智、それによって己が器を一時的に肥大化させ、武の山巓に挑む資格を得ただけ。凄まじい努力と綿密な計画、それらを徹底し、ヴォルフ君とは別のやり方で、天を掴んだ。彼は智の英雄だ。私たちの知らない、ガイウスとも似ているが、それとも違う。二つの頂の一つだが、その『先』は未知数。末恐ろしいよ」

 アポロニアはあの男の急速な成長を知っている。知っている気になっていた。あの男が飛躍したならばきっと私にもまだ伸びしろは残されている。そう願ったのがそもそもの過ち。あの男は願わない。あの男は祈らない。思考し、計画を組み上げ、実行するだけ。

 彼が今まで積み上げてきたモノを彼女は知らない。結果だけしか、知らないのだ。

「彼とて本当であればヴォルフ君のように王道を、英雄の道を歩みたかっただろう。鮮烈に、輝かしく、戦場に君臨したかったはずだ。誰もがそれを求め、されど頂点は一つ。私たちもそうだ。厳密には差がある。目指すべき方向性が違ったから、並び立つを良しとしただけ。『黒金』は柱、私は愛、本来の頂点はエル・シドだ。武においては、ね。ただ、彼は寂しがり屋だから、孤独を前に最後の一線、私たちと足並みを揃えていた。頂点は辛いものだ。一人で立つには、あまりに冷た過ぎる。ゆえに誰もが分かち合う『例外』を求めるのだ。私に聖女がいたように」

 ゆえにヴォルフが喰った。次の頂点が旧き頂点を喰らう。いつの世も、そう出来ていた。

「ウィリアム君は早々に登る山を変えて、目指す先すら違えた。彼は捨てたのだ。届かぬ望みを捨て、自分に最適な、最善なる道を選んだ。ゆえの頂点。ゆえに矛盾なく二つは並び立つ。そして、どちらにも君は成れない。其処まで世界は甘くない」

 ウェルキンゲトリクスはあくまでも諭すような口調でアポロニアに語り掛けていた。

「望む己を捨て、最善を手に取れ。君の最適解は剣ではなく旗を持つことだ。騎士たち『の』女王として彼らを鼓舞し、高め、そして天を掴む。ウィリアム君は実績と智略にて、ヴォルフ君は実績と力にて、彼らはカリスマ性を得たが、君は生まれ持ったもので渡り合える。実績を積んだ今、巨星を墜とした彼らでさえ、その一点では届かない」

 その道はあまりにもアポロニアの望む道とはかけ離れていた。

「旗を掲げ勇士を集え。世界中に散らばる騎士、これから君の騎士となる者、今、君の騎士である者たちを集め、競わせ、高め合い、君を中心とした最強の群れと成せ。それが君の、そして騎士王の、戦乙女の最善だ。彼らは間違えた、生き急いだ、君は、どうする?」

 選択するには、握り続けてきた剣はあまりにも重過ぎる。王として強く在るために積み上げてきたものすべてを捨て、要は強き者たちに媚び諂えと彼は言っているのだ。皆を愛し、皆から愛される、象徴、偶像として在れ、と。

 誇りを捨て、剣を捨て、残るは女の己だけ。

「黙って聞いていれば! 姫様! 耳を貸す必要はありません!」

 アポロニアの前に立ったのは忠義の騎士、ベイリンであった。獣の如し咆哮と共に英雄王に突貫する。裂ぱくの気合、凄まじい憎悪を騎士は英雄王に向けていた。対する英雄王は何一つ、ベイリンに対して興味を向けていない。

 漫然と、打ち合う。それで小動もしない。

「く、そ! 我らが、アポロニア・オブ・アークランドは負けない! 気高く、美しく、彼女の道は勝利で彩られているべきだ! その道に泥を塗るかのごとき愚行! 他の誰が許そうと、この私が、この俺が許さない!」

「それで彼女が全てを失うとしても? 戦乙女の、騎士王のように」

「そうはならない! 彼らはアポロニア様ではなく、アポロニア様はこの世で一つ! 成るのだ、それは決まっている。彼女が天を掴むことなど、始めから――」

「話に成らんな、蒙昧の騎士よ。君は何一つ、見えていない」

 先ほどまでアポロニアに向けていた温かさを、露とも感じさせず英雄王は騎士の腕を断った。アークランドでも有数の武力を誇る騎士が、このザマ。

「やめよサー・ベイリン!」

「やめませぬ姫様! 貴女は、かくあるべきだ!」

 片腕でも諦めない。決死の突貫、されど、英雄王の眼は冷たく、何の感情も浮かべていない。彼は優しい。優しいが、本質として聖女とは真逆なのだ。愛すべきモノを愛し、それ以外を愛さない。それだけが彼の価値観。ベイリンは、当然外側。

「私の前でそれを言ったか。愚かな」

 決死を軽くいなし、もう一つの腕も断ち切った。あっさりと、あのディノ、カンペアドールとも、王の左右とも渡り合った騎士が、生きながらにして死んだのだ。騎士として。

 英雄王の本気。完全なる武。その遠さに、目眩がする。

「そもそもの怠慢は君たちにある。騎士を標榜しながら、女王を守るどころか女王に守られる始末。君たちが彼女に教えるべきだったのだ。彼女の在り方を。君たちの不甲斐なさが、彼女をここまで追い詰めた。そうだろうトリストラム、ヴォーティガン。君たちは二度、過ちを犯した。一度目の彼よりも、あまりにその事実は重い」

 ウェルキンゲトリクスの視線が彼らに突き立つ。殺気一つで、威圧されるだけで、膨れ上がる恐怖心。全身がすくみ上がる。あの時と同じ、烈日の前に立った時と同じ、絶望。

「何が起きているんだ? 何で、英雄王が此処にいる!?」

「どういう、ことだ?」

 先頭の様子がおかしいと怪我をおしてやってきたメドラウトとユーフェミア。何故、自分たちを襲った英雄王が先回りしているのか、何故自分たちの主が膝をついているのか、何故サー・ベイリンが、双剣を巧みに操っていた男が、二つの腕を喪失しているのか、全てがわからない。わからないが、それを成した者のみ、確信があった。

「騎士ならば強く在れ。これからは覚悟をもって研鑽に励むと良い。守れぬ者を、人は騎士と呼ばない。君たちの存在は現状、重荷でしかない。支える力を身につけよ」

 何故、敵であるはずの男が自分たちに助言をしているのか、突然のことでメドラウトらは真意を測りかねるが、それは他の者とて同じこと。

「そうして初めて君たちは天に挑戦する権利を得る。一度だけ機会を与えよう。剣を捨て、ここで退いて再起を計るか、剣を握りしめ、此処で果てるか、二つに一つだ」

 全てを捨て、第三極として新たな山の山巓に立つか、全てを握りしめ、地に墜ちるか、二つに一つ。捨てるには重い。抱えて死ぬ方が楽かもしれない。

「さあ、選択の時だアポロニア。私は、君に期待している。この地はローレンシアの要。中心たるこの地で、幾度血が流れたことか。誰かが蓋をせねばならぬのだ。そうして初めてローレンシアは安定する。その役目、私は君に任せたい。選んだ君ならば、きっと間違えないから。正しい選択を、三つ目の星と成れ、アポロニア・オブ・アークランド」

 アポロニアは捨てる重さに、震えていた。ずっと共にあった。剣を握り、地平を駆け、英雄と成るのが夢だった。そうなると確信もしていた。父も母も、そう言ってくれた。皆も、そう信じてくれた。この選択はペリノアの忠義に報いるものか、考えると、怖い。

「陛下、再度の提言、お許しを。撤退しましょう。退いて、再起を計るのです。今この時の苦渋を噛み締めて、もう一度天に挑戦するために」

 ヴォーティガンの声は何処までも真摯であった。戦乙女の影を見出し、手に入らなかった暗い欲望をアポロニアに求めた男は此処にいない。

「次は必ず、我が弓、天に届かせんことを誓います。陛下、御英断を」

 トリストラムもまた、その意に賛じた。

「状況は分からない。だけど、姉さん、僕らの後ろには、数こそ少ないけれど僕らを慕って付いてきてくれた民がいる。ここで自暴自棄に成るのは許さない。退けば道があるのなら退くべきだ。最善を往こう。僕らは、父母の過ちを犯してはならない」

「どんな時でも獅子の牙が貴女を守る。されど、死なれては守りようがない。生きてこそ、です。何事も。あの男も、きっとそう望んでいるはず」

 メドラウトとユーフェミアもまた最善の判断を求めた。

 彼女は知る。自分が今の己でなくとも、自分には彼らがついていてくれる。少しだけ、踏み出す恐怖が薄れた。この剣を手放しても、道がある。そこに、彼らがいるのなら――

 きっと、今まで失った彼らも自分を許してくれる。

 アポロニアの手が、緩んだ。剣が、零れ落ちる。

(険しい道だ。彼女と同じ道、カリスマを維持し、高めるためには『例外』など許されない。誰もよりも輝き、誰よりも人を惹きつけ続ける。地獄だ。それでも、それしかないのなら、君はきっとそれを選んでくれる。あとは待つだけ。これで俺も安心して――)

 それと同時に、英雄王もまた、緩んだ。


 ずん、突き立つは剣。


 英雄王ウェルキンゲトリクスは、吐血する。

 誰もが信じられない思いでその光景を見ていた。何処か、行き詰まりを感じていた現状に挿した光。敵から与えられたのは情けない話だが、それでもそうやって再起を計ろうと、想いが固まりつつあったのだ。そんな中で――

「姫様! 甘言に耳を貸しては成りませぬ! 貴女はアポロニア・オブ・アークランド、偉大なる騎士女王! 騎士の上に立つ者。誰よりも輝き、何者よりも美しく、穢れなくあらねばならない! 貴女こそが頂点! どうか、そのままで! それこそが!」

 ベイリンは、剣を口にくわえてウェルキンゲトリクスを刺した。笑う男の眼には狂気が浮かぶ。己が信仰するアポロニアへの無辜の愛。それは、己が彼女から借り受けていた力の一端。英雄王は歯噛みする。戦場における己が得意技で、今度は自分がやられた。

「不覚。この俺が、まさか、く、はは、情けないッ!」

 斬、ウェルキンゲトリクスの剣がベイリンを両断する。されてなお、ベイリンは叫ぶ。

「アポロニア様万歳! 姫様万歳! 貴女の力が、ウェルキンゲトリクスを――」

 崖を転がり落ちていく騎士の姿に、初めてウェルキンゲトリクスは感情を持って彼を見つめていた。彼もまた愛に殉じた。強過ぎたのだ、そして固すぎた。

 かくあれ、そう願う彼を誰が責められようか。もし、自分が、誰かによって変じられた彼女を受け入れられたか、それは分からないのだ。求めていた人物が変わることを恐れる気持ちはわかる。ゆえに、責める気にはなれない。

 ただ、虚無感のみがあった。

「サー……ベイリン」

 幼き日より共に在った騎士の姿に、アポロニアは――

「ふざ、けるなよ。貴様は、貴様だけは、わかってやるべきだろうが! ずっと隣にいたお前が、選択を潰して、超える機会すら、奪った。逃げ場すら断ち切った」

 ヴォーティガンは己が拳、傷つくも厭わずに壁を殴りつけた。血がにじむ。痛みはない。

 トリストラムは静かに目を瞑った。彼の選択が彼個人の独断と断じられるほど、彼は愛を軽んじてはいなかった。敬愛する騎士王、それが愛する戦乙女。いち騎士である己が立ち入って言い訳がない。三人ともそう思った。そうして封じたのだ。

 あの二人が並ぶことが一番美しいと。それでも揺れた。三人とも、揺れた。

 二つが並び立つこと、その間で揺れることを過ちだと提言できなかった自分に、彼を責める資格があろうか。かくあれと望んだのは、何も彼だけではないのだから。

「わた、しは――」

 アポロニアは、零れ落ちかけた剣を、ゆっくりと、握りしめた。

 英雄王はそれを見て、静かに苦笑する。

 彼の命を賭けた忠義、献身を見て、それでも選び取れる強さがあるなら、そもそも彼女は此処までこの状態で辿り着いていない。王会議の時か、それとも白騎士に敗れた時か、どこかで彼女は選択したはずなのだ。彼女は気づいていたのだから。

「君はそのままで往くか」

「…………」

「辛いぞ。嘘をつき続けると言うのは、とても、辛い」

「ありがとう、英雄王。私を本物だと言ってくれて。望んでいた形ではなくとも、道が在っ『た』ことを知った。少し、救われた。感謝する」

「そうか。ならば止めまい。偉ぶるのは勝者のみ。私は負けた。それだけのこと」

 ウェルキンゲトリクスは静かに目を瞑った。身体の損傷を、確認する。そしてやはり、苦い笑みを浮かべた。あれほど頑強を誇った己が身体、それでも彼は人間であったのだ。ただの一突き、場所が悪ければ、それで死ぬ。それが人間。

(俺もまた人間だったぞ。シャウハウゼンよ)

 自分もまた人間であると英雄王は嗤った。

 血が止まらない。止めど無く溢れてくる。損傷した臓腑からこぼれる血は、容易に致死量を超えた失血を生む。

(かくあれ、と彼は彼のために望んだ。俺もまた彼女に最善と称し、かくあれ、と望んだ。エゴイストなのは変わるまい。俺もまた、気づけば頑固爺、と言うことだ。阿呆め)

 時代は流れる。自分もまた老いた。順番が来たのだ。随分遅かった、と男は思う。

(情けなく、無様、それでも安堵が勝る。嗚呼、ようやく終われるのだな。二つは傲慢だったが、一つは繋げた。それで、上々。そうしよう。神が何と言おうと、今度は引き千切ってでも、俺の望みを果たす。少し、待つ。君が教えてくれた感触、温かさ、今度は、離さない。誰にも、渡さんよ。それほど、俺は、寛容では、な――い――)

 ウェルキンゲトリクスと言う嘘が剥がれ落ち、残ったウェルキン・ガンク・ストライダーの死に顔の何と穏やかなことか。それを見て、アポロニアは思う。これが自分の未来なのだ。世界に嘘をつき続け、自分が本物であると、見せ続けねばならない。

 その苦難の果て、終わりにしか、もう、穏やかな心地になどなれないのだろう。

「…………」

 無言でアポロニアは英雄王の躯に背を向けた。

 それは始まりにして終わり。今日は最後の巨星が墜ちた日。

 そして、偽の巨星が生まれた日である。

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