裏・巨星対新星:要害と英雄王

 聖ローレンスを攻略するに当たって厄介なのは四方を山々が囲い、道幅が極端に狭くなり、嫌でも高低差によって視界が限定されるところであった。とかく攻め辛い。そして守りやすい。要所を押さえれば、進軍可能な抜け道は少なく、森には野生の獣がうじゃうじゃと徘徊している。普通でも難しいのだ、この土地に構える相手と戦うのは。

「嫌でも縦に伸びてしまうな。地図は入手していたが、これほど険しいとは」

「あえて拓かずにいたのだろう。天然の要害、構えるは英雄王。楽ではないな」

 メドラウトとユーフェミアは縦列の後方に位置していた。先頭は当然アポロニアが構え、英雄王との衝突を今か今かと待ちわびている頃だろう。自分たちが交戦する可能性は比較的低い。何しろ、縦に伸びる道は細く、左右は断崖と呼んでもおかしくない傾斜。

「色々と調べてはみたのですが、此処まで深く入り込んだのは我らが初めて。エスタードとの交戦はもっと手前でやるのがほとんどで、ネーデルクスはシャウハウゼン以降数えるほどしか立ち入っていません。恐れていたのでしょうか」

「……前から思っていたのだが、私に対しては他の者と異なり随分丁寧に話すのだな」

「……彼らに礼節を尽くしても無意味でしょう? 頭まで肉が詰まっているのですし」

「酷い言い草だ。だが、納得が――」

 ユーフェミアの全身に怖気が走る。だが、場所が分からない。後背を覗くも、誰もいない。であれば先頭、と思いきや静かなもので、とても戦っているとは思えない。

「ユーフェミアさん?」

「サー・メドラウト、気を付けろ、何か、嫌な予感がする」

「しかし、何処にも異常なんて――」

 彼らが収集できた戦闘データのほとんどはエスタードのもの。ガリアスやオストベルグ側の戦闘データはほとんどなかった。細かい記録など自国で秘匿するのが当然であり、表に出回らないのも仕方がない。仕方がないのだが、今回はそれが致命と成った。

「油断大敵、だよ」

 声は、側面から。ありえないと二人は思った。しかして事実は、其処より降り注ぐ。

「ありえないなんてことは無い。学びなさい」

 断崖を単騎、駆け下りてくるはウェルキンゲトリクス。部下一人も引き連れず、剣一振りを構えてほぼ落下に近い形で崖を下る。加速、加速、加速、暴走である。暴挙である。

「君たちには明日がある。精進したまえ。そして、いつかまた私に挑戦すると良い」

 飛び込んできたウェルキンゲトリクス。メドラウトは必死にかわそうとした。かわせば、この速度で高所から落ちるのだ。英雄王とて死ぬ。こんなやり方、身投げと変わらない。

 だが、かわし切れない。

「安心しなさい。今日は殺さないから」

 優し気な声と共に突っ込んでくる英雄王。メドラウトを足蹴にすればその時点で若き俊英は蹴りの衝撃で死ぬか、横の断崖を転げ落ちるか、どちらにしろ死んでいただろう。生きていたのは、英雄王の優しさがあったから。

「でも、今回は此処まで」

 ウェルキンゲトリクスはメドラウトの馬を足蹴にした。衝撃で血を吐きながら横の断崖まで吹き飛んでいく馬。メドラウトも共に落ちるはずが、それを支えたのは英雄王の腕。何もかもが信じられない。敵が何故自分を救ったのか、そもそもこんな急斜面、ほぼ断崖を駆け降りるなど、リスキーな自殺行為を彼ほどの英雄がしたのか。

「二人とも、ね」

 助けながら、メドラウトを断つ。傷は、深くも無く浅くもない。本当に、きっちりと今回の戦では使い物にならなくされた。

 負傷したメドラウトを放り投げ、着地した瞬間、ウェルキンゲトリクスは地を這うような動きでユーフェミアの愛馬、その足を断ち切った。全てが瞬く間の出来事で、彼女たちにその動きを咎めることは出来なかった。

「人生、これ勉強だよ」

 ユーフェミアも、同じように断たれる。

「貴様、私たちを舐めているのか!?」

「逆だとも。ジェドはきっと君たちを執拗に潰そうとしただろ? 私も同じ、危険だから早々に芽を断ち切っただけ。全体のバランスを保てる人材と言うのは、いつの世も厄介なものだ。と言っても、この地では中々その際は発揮し辛いが。難儀なことに」

「囲って仕留めろ! ここで倒せば、全てが終わる!」

「終わる? まさか。私を倒してようやく君たちの時代が始まりを告げる。だがね――」

 騎士たちは馬から降りてウェルキンゲトリクスを囲い飛び掛かる。決死、前衛である自分は死ぬだろう。だが、後ろの誰かが仕留めれば良し、その意気で突っ込む。

「まだまだ、だ」

 ウェルキンゲトリクスは水のような動きで捌きつつ、騎士たちを断つ。メドラウトらと同じ傷。行動不能にしつつ、明日への希望を残す太刀筋。

「もっと強くなりたまえ。安心しなさい、君たちはきっと強く成る」

 ふわりと、ウェルキンゲトリクスは囲いを抜けて宙に舞う。

「なっ!?」

「精進精進」

 そのまま重力に身を任せ、墜ちていく英雄王。何が何だか、騎士たちの頭の中には斬られた傷の痛みよりも困惑が勝っていた。下からはがさがさと言う音、おそるおそる下を見ると、緑にて地面が見えない。

「木を、枝を、クッションにして、着地したのか? この高さを、躊躇いなく」

「……負傷していない者は早急に伝えよ! 英雄王に常識は通じない。四方八方、どこからでも急襲してくる可能性があると! 情けない、また、このザマか」

 改めて、彼らは知る。この地はかの英雄のテリトリーなのだと。三大巨星の中で誰よりも早く頂点に座し、至高の三貴士シャウハウゼンを討ち取った英雄王。その名は伊達ではないと、彼らはようやく理解した。この地の全ては彼に味方している。

 還暦をとうに過ぎたモノとは思えない身のこなし。そもそも敵の大将首が単騎で突っ込んでくること自体、彼らの理解の外側。英雄王、その名の由来をアークランドは知る。

 誰よりも英雄、それらの何者よりも秀でているからこその、英雄王。


 そもそもアークランドはエル・シドと交えることはあっても、ウェルキンゲトリクスと交戦する予定は無かった。ゆえに、ガリアスでの王会議、あそこに在ったはずの学びの機会を自ら逸していたのだ。幾度も、国を挙げて侵略しようとしたのは、ガリアスのみ。

 聖女を欲した。この土地を欲した。エル・シド、ストラクレス亡き今、貪欲なる革新王とその頭脳たちのみが知る。馬に乗って群れを率いた英雄王は三大巨星の一角。されど、馬から降りて聖ローレンスの地を駆ける英雄王は、頭一つ抜けている、と。

 地の利とそれを生かす快足。何よりも恐ろしいのは、老いてなお凄まじき持久力と身体の頑強さ。常識に囚われる必要がない。何故なら彼は英雄王、人から逸脱した英雄たちの王なのだ。まさに、生き物が違う。

 この峻厳なる山岳地帯、そこに根を張る英雄王。

 その高さ、あまりに高く、未だに届いた者は無し。


     ○


「メドラウトが? この断崖を駆け下りてきた、だと、にわかには信じられん」

 報告を受けた先頭集団は、信じ難い思いでその報せを噛み締める。左右の断崖、見れば見るほど、人が自由に歩んで良い場所とは思えない。本能が告げるのだ、この高さはまずい、と。足がすくむ高さ。ここを自由に出来る者を人と呼んでいいのか――

「撤退すべきだ。白騎士の戯言、聞く必要などなかった。俺は撤退を進言する」

「サー・ヴォーティガン、また貴殿はそうやって逃げるのか?」

「サー・ベイリン、戦うだけが騎士ではない。勝てぬと理解して挑むは蛮勇、騎士の姿にあらず。陛下、御決断ください。今ならばサンバルト、かの地を再度接収し再起を計れましょう。力を高め、もう一度挑むことも――」

「力を高める、か。うむ、悪くないが却下だ。私は得ると決めたのだ、この地を」

「……陛下が決められたのであれば、従うまで」

 ヴォーティガンはアポロニアの言葉を聞いて素直に従った。ベイリンは鼻を鳴らす。腰抜けめ、とその眼は言っていた。誰も彼もが、若い騎士は皆ヴォーティガンにその眼を向ける。逃げ帰ってきた騎士の面汚し。自分可愛さに味方を捨てた裏切り者。

 その陰口の多さは、自らの部下を失ったローエングリンよりも多かっただろう。彼は自国の、自分の兵を失い傷ついた。ヴォーティガンは自国の、自分の兵を大きく喪失することなく退いたのだ。反感はある。されど、将としてどちらが有能であったか、あの大遠征で最もうまく読み切り、捌いたのは誰であったか、経験したモノであれば理解している。

「私は卿と同じ意見だ」

「弓騎士と同じとは俺も捨てたものではないな」

 自嘲の笑みを浮かべるヴォーティガン。トリストラムも、理解していた。ジェドも近い所にいた。巨星の一歩手前。間違いなく傑物の類であろう。だが、一歩届いていない。自分たちの主も同じであった。ゆえに、その一歩が肝要なのだ。

 其処を皆が超えられないから、彼らは半世紀巨星であり続けた。

「アークめ。何故過ちに気づきながら放置した」

「命の灯、正しい道が長生きするとは限らない。正しさよりも、細く長く生きる道をあの御方は選ばれたのかもしれない。その結果、三つ目の星に成れずとも」

「……ゆえに、離れた、か。分かり過ぎると言うのも、難儀だな。正答すら教えられぬ。昔は、『あれ』を心の底から欲していたが、今は無くてよかったと思う」

「同意だ。人には未来は重過ぎる」

 アポロニアの決断。其処に揺れる何かを見抜き、二人は先を予見した。未来を見る眼など無くとも、一度経験したモノであれば容易に理解出来る。

 自らを『理解』しながら、自らを騙し、絶壁を踏破せんと挑む者。

「勝てんか」

「わかりながら貴様は何故轡を並べる?」

「卿と同じだ。それに、私はずっと悔いていた。いや、私たちはずっと悔いていたのだ。あの日、負けて、全てを失って、それでも我らは克己すべきだった。自らを高め、次なる挑戦へと目指すべきだった。私も、ゴーヴァンも、ランスロも、それをしなかった」

「自分たちならば巨星を超えられていたと? ふん、相変わらず傲慢なガキどもだ」

「そう言う未来もあったかもしれないと、最近思う。言い訳だな、聞き流してくれ」

「そう思うなら口にするな。それに、生きていればやり直しなどいくらでも――」

 ヴォーティガンの言葉が詰まる。彼の眼に、この場全員の目に飛び込んできたのは崖を「よいしょ」と登ってアークランドの先頭集団に先回りした英雄王ウェルキンゲトリクスの姿であった。遭遇した当人も少し困った顔を見せる。

「参ったな。ここで仁王立ちして待つつもりが、計算が狂ってしまったようだ。味方が襲われたのだ。少し相談するとか立ち止まっても良いと思うのだが、どう思う?」

「ウェルキンゲトリクス!」

 アポロニアの咆哮が、大炎が圧倒する。英雄王を喰らわんと、その雰囲気は立ち上った。

「ふう、歳は取りたくないものだね。昔は一日中走り回っても疲れなかったものだが、今は半日も走れば息が切れる。世界中を走り回ったのも今は昔、もうおじいちゃんだな私は」

「ならば席を明け渡せ! 私が其処に座ろう!」

「今の君では、無理だ」

「私を舐めるなよ、英雄王ッ!」

 アポロニアは愛馬から降りて、剣を抜き放ち突貫する。充実している。存分に高めた。あとはこの地を、彼の座る頂を奪うだけ。それだけ、あと――『一歩』。

「そう吠えるな。弱く見えるぞ」

「ほざけ!」

 凄まじい圧と熱情のこもった剣をひらりとかわす英雄王。足場はそう広くない。かわし続けられるほどの広さはない。

「もう少し格好をつけて会いたかったが、仕方ない。始めようか」

 ウェルキンゲトリクスもまた剣を抜く。

「来たまえ、挑戦者」

「見せてやろう! 私の炎を、私の全てを!」

「是非に。そうして初めて、見えるものもある」

 何処までも天から、その男は見下ろす。挑戦者は燃え盛る炎と化して天へと剣を振り上げた。ウェルキンゲトリクス対アポロニア、急遽開幕。

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