裏・巨星対新星:始まりの日と終わりの日

 聖女に、ありもしない神に祈りを捧げる信徒たち。すでにこの集団を、聖女を操っていた頭は消え、宙ぶらりんの状態。されどそれを信徒が知ることは無い。彼らが信じているのは聖女と、その背後にある神だけなのだから。

「兄さん方が逃げたんですし、聖女様も逃げましょうよ。軍が来たらひとたまりもないですよ、こんな連中じゃ」

 山師共の共の使い走りの少年は聖女に提案する。もう此処に止まる理由はない。ここでのビジネスは終わったのだ。次のカモを見つけるにしろ、生きていなければ始まらない。

「では、貴方だけでも逃げてください」

「そりゃあ逃げますけど、後味が悪いってか」

「向いてませんね、貴方は。人を騙さずに生きる道が向いていますよ」

「そんな生き方知らねえですよ」

「生きていれば学べます。いつでもやり直せます。さあ、貴方は行きなさい」

「聖女様はどうするんです?」

「嘘つきなりの責務を果たします」

「嘘をついたのは聖女様じゃないのに?」

「片棒を担ぎましたから」

 何の邪気も無く、彼女はそう言い切った。きっと、彼女がいなければ此処にいる人たちの半分はこんな場所にいなかっただろう。彼女が、彼女だけが本物だった。神も、経典も、嘘八百が並んでいるけれど、聖女だけは本物だったのだ。

 ある意味で、本物がいたから破局に辿り着いたとも言えるが。

「嘘が無ければ生きられない人々がいる」

 聖女は大聖堂で神に祈りを捧げる人々を見つめる。もう、それしか縋るものが無いのだ。神に、聖女に縋るしか、生きる道がない。大事なモノを失った人、身体が弱く一族のつまはじきに成ったもの、戦争で片足を喪失し職を失ったもの、様々な理由がある。

 彼らに強く生きろなど、いったい誰が言えようか。強く成れなど、誰が言えようか。

「ならば私は、嘘に殉じましょう。それが、嘘をついて騙した、私の――」

 聖女は震えていた。覚悟を決めたつもりであった。彼らと共に死ぬ、それが自分に定めた役割。自分だけが生き延びるなどと言うズル。出来るわけがない。してはならない。

 そうしたらきっと、もう二度と、無邪気で綺麗な、あの少年に出会えなくなる気がしたから。これ以上、汚れるわけには――

 大聖堂の扉が大きな音を立てて開く。びくりとする聖女。三下の少年は生きるために逃げようと構えた。だが、そこにいたのは、息を切らせて、汗だくの、一人の年若い男であった。端整な顔立ち、金髪碧眼、聖女は、眼を見開いた。

「み、水、ください。あと、椅子」

「ど、どうぞ」

「ありがとうございます。さすがに、疲れた。強かったなあ、あの二人」

 どしりと腰掛け、水をがぶがぶと飲み、目を瞑る男。今から何が起きるのか、わかっているのかいないのか、随分と能天気な雰囲気である。

「左足の腱が痛んでいるか。右手首にも鈍痛あり。首は寝違えたみたいだ。あれ、昨日寝違えてたかな? 腰も、まあ痛い。足首はゆるゆる。うん、でも――」

「ウェルキンなの?」

 目を瞑り、自身の状態を確認していた男に、聖女は問いかける。

「うん、そうだよ。君の隣に立てる自信がついたから、迎えに来た。俺と一緒に行こう」

 信徒たちがざわつく。突如現れた男が、自分たちから聖女を奪うと言うのだ。そんなこと、許せるわけがない。だが、男の雰囲気に、まとい持つ圧に、文句の欠片ほど出てくる気配はない。強さが、此処にいる全員を押し潰したのだ。

「ごめんなさい。私は、行けないわ」

「何故? 俺のことが好きじゃないから?」

「いいえウェルキン。でも、私はこの人たちと共に在る。そう在らねばいけないの」

 彼には分からないだろう。案の定首を傾げている。

「ああ! なるほど、ここがお家か。じゃあ俺もここに住むよ」

「……駄目よウェルキン。もう、昔と変わらないのね。あっけらかんと、それが大したことないみたいに言って……だけど、今回は駄目。ここには軍隊が来るの。怖い人たちが」

「俺の方が強いよ」

「ウェルキン。わかって」

「違う。わかっていないのは君だ。君は願うだけで良い。君たちも、彼女の家族だと言うのなら、俺に願うだけで良い。守ってくれと。ただ、それだけで良い。彼女がそう願うなら、俺は君たち全員を守って見せる」

 圧倒的な自信。確信に満ちた立ち居振る舞い。正気ではない。正気でこんなこと、言えるはずもない。相手は七王国、新鋭たるガリアスと古豪オストベルグ。こんなちっぽけな国ですらない弱者の群れなど、吹けば飛ぶ。

「君はどうしたい?」

 ウェルキンの問い。その眼は真っ直ぐに自分を貫いていた。あの頃と何一つ変わらず、彼は美しく純粋な眼をしている。嘘つきの自分とは違う。言ってはいけない。縋ってはならない。自分に、嘘つきに、彼を付き合わせてはいけない。

 貴方だけ逃げて。貴方には関係がない。いくつも浮かんでは消える言葉たち。最後に残ったのは――絶対に言ってはいけない言葉であった。

「私たちを、助けて」

 聖女は、自分の発した言葉に絶望した。最後の最後で、彼と再会して、緩んでしまった覚悟。生きたいと、思ってしまった。彼と一緒に。その言葉を、エゴを、彼女は生涯後悔し続ける。自分の弱さが、至高の英雄と成るはずだった男の生涯を決めてしまったのだから。

「わかった」

 たった一言で、彼は全てを受け止めた。背負うと、共犯者に成ると宣言した。

「ちょっと行ってくるから、終わった後のことをよろしく。君は悪知恵が働きそうだから、色々考えておいてくれ。とりあえず、勝ってくるよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。話が――」

「それは勝った後で良いよ。ゆっくり話そう」

 ウェルキンは悠然と歩き出す。そして、自らがやるべきことを再定義した。彼女を守る。彼女が守る彼らも守る。全部まとめて、此処にいる全てを守り切る。それが自らの存在理由。ふわふわとしていた人生がぴたりとはまった。

「軍隊だぜ? たくさんいるのに、死にに行くようなもんだ!」

「所詮は動物の群れだ。頭を潰せば良い。この辺りの土地なら、道も細いし、高低差もあるし、いくらでもやりようがある。何よりも――」

 ウェルキンは、やはり邪気も無く微笑む。

「俺は強いよ」

 そうして始まるは英雄王のバースデイ。低迷するエスタードが得た新鋭カンペアドール兄弟を粉砕し、古豪オストベルグを支えし大将軍マクシムに深い手傷を負わせ敗走させ、若き才が集うガリアスに完全無欠の敗北を突き付けた、伝説の日。

 この日を終えて、彼は英雄王ウェルキンゲトリクスと名乗るようになる。聖ローレンス王国を統べる王であり、聖女を、神を守護する聖なる王としてローレンシアの中央に座す。

 これより半世紀、彼は一度として敗北することなく歴史を駆け抜ける。

 聖ローレンスの土地柄と最強の男がローレンシアの要石と成るのだ。


     ○


「ご武運を」

「ああ、行ってくるよ。帰ったら、久しぶりにオルガンでも弾こう」

「あら、こんなおばあさんに歌わせる気?」

「おじいさんが弾くんだ。なら、おばあさんも歌うべきだろう?」

「ふふ、そうね。そうしましょうか」

「ああ、楽しみにしている」

「私も」

 結局、彼らは最後まで口づけすら交わすことは無かった。守護者として象徴として、彼らはそう生きた。二人で抱え続けた嘘。それに救われた者もいるだろう。だが、優しい嘘でも嘘は嘘。それが無ければ立てたかもしれない人も、中にはいるかもしれない。

 揺り籠は甘い毒。優しい嘘が人を壊すこともある。だから彼らは自分たちを許さない。共犯者としての自覚がある。嘘つきの対価、いずこで払うか。

 聖ローレンス対アークランド。否――

 ウェルキンゲトリクス対アークランドの一戦が始まる。

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