裏・巨星対新星:場末の剣闘場

「何だ、この戦いは?」

 目の肥えたネーデルクス王都ネーデルダムの民。貴族から市民、果ては奴隷に至るまで万人が槍を使うと謳われるほど、槍の国の中枢は武に親しみがある。ゆえにこそ、彼らは強き者を尊び、その頂点である三貴士に絶大な信頼と敬愛を寄せているのだ。

 その彼らが目を剥く闘争が、このような場末で行われているとは――

(昨日、俺は酒を飲み過ぎたか? 確かに、ぶっ倒れるまで飲んだ、飲んで飲んで飲み倒した。夕日が沈んだあたりから記憶がない。何故か、こうして剣闘をさせられているが、まあ、構わんよ。別に、減るもんじゃあない)

 考え事をしながらもその槍、縦横無尽に敵へと奔る。まるで気合を入れていないにもかかわらず、その槍のキレたるや、目の肥えたネーデルダムの民垂涎の槍捌き。

 火、水、風、雷、ネーデルクスにおける槍術の基本のキの型。特別趣向を凝らしているわけでもない。難しいことは何一つしていない。此処から実戦向きな、複雑多様な型へと枝葉のように分かれていくがネーデルクス流。そう言う意味で、男が用いているのは実戦では使われない、道場での型。それなのに、この槍はあまりにも――

「す、すげえ、俺の風はあんな速くねえし、あんな音も出ねえ」

「次は雷、鋭過ぎて、まるで本物の稲妻を見ているみたいだ」

 感嘆する者たちのことなど、男の視界にはない。

(ハッ、頭まで酒浸しか馬鹿野郎。酒で槍が鈍るほど、軟に出来てねえだろーが。つまり、強いんだわ、この小僧。この俺を相手に、手ェ抜いてやがる)

 男の動きに緩急が混じる。対峙する若き男の眼には、揺らめく陽炎が、緩急自在の槍が、炎が、映る。ゼロとマックスの、差がこの景色を生む。

「……火、だ」

「最近の若いのはとかく基本を軽視する。別に、俺が知ったこっちゃねえがよ」

 童子の槍。型だけで見れば、何と言うことも無い難易度である。先ほどからの槍術、やれと言われたならネーデルダムの民であれば十人が十人出来る、その程度のもの。だが、それをこの男レベルにやれと言われて出来る者が、果たしてどれだけいるだろうか。

「じいさん、強いな。俺が戦った中で、二番目だ」

「……え、俺、二番なの?」

 あまりの衝撃に男は槍を止めてしまう。観客は呆気に取られて反応出来ていない。

「うん。武王の方が強かった」

「武王ゥゥゥ? ハァ? 俺が、よりにもよって俺様が、雑魚狩り専門の、あの武王よりも下だと? さすがに飛んだぜ、ああ、飛んだ。酒気の欠片もねえ!」

 男はぺっぺと掌に涎をつけて、伸び放題に成っていた白髪をがしっとオールバックにする。その眼光は、先ほどまでの児戯をしていた頃とは比べ物に成らないほど鋭く、威圧感が段違いに膨れ上がる。凄まじい烈気に、ネーデルダムの民はようやく彼を思い出した。

「も、元三貴士、『白虎』だ。ティグレ・ラ・グディエ。シャウハウゼン様が現れる前までは三貴士筆頭だった男だぞ。何故、あんなみすぼらしいじじいの姿に」

 ティグレは獰猛な笑みを浮かべる。視線はあくまで、若き剣士へ。

「俺ァ負けるのも嫌いだが、何よりも嫌ェなのはよォ!」

 獰猛な獣が、若き剣士の眼前に現れた。あまりにも低空、まるで四足の獣と戦うが如し。

「俺の槍を『理解』出来ねえ奴らだ!」

「ッ!?」

 超低空からの虎の爪牙が伸びる。

「テメエはどうだ、若ェの」

「……一番、だ」

「ハッハ、素直で良い子だァ。ならテメエも底を見せてけ!」

 荒々しい虎の猛襲。元三貴士筆頭。基本的には横並びが常とされる三貴士であるが、飛び抜けた強さを持つ者がいた場合、対外的には横並びであっても国内では序列を設けることもあった。彼もまた、その一人。それだけの強さがある。

 そして、ネーデルダムの民はこの異常事態を、ティグレと言う名と共に理解する。老いてなお、堕ちてなお、三貴士であったと言うだけで、彼は時代の最強であったはずなのだ。その筆頭である男と、ここに来てさらに渡り合う若き剣士。

 これは、異常である。

「名はァ!?」

「ウェルキン。じいさんは?」

「ティグレだ! 刻んでけェ!」

「ああ、たぶん、一生忘れない」

 鋭く、速く、何よりも苛烈。ティグレによって深められ、今なおネーデルクスの槍使いでは最も使用率の高い虎ノ型。さらに深めし彼独自の虎王ノ型。人に身でありながら強き獣たる虎を目指し、そしてティグレの代で『到達』した槍術。

「牙ァ!」

 若き日に成した虎殺し。それからさらに成熟した槍の冴え。

「ひゅ」

 それをもってしても、のちの英雄王、ウェルキンには届かない。

(おいおい、どんな身体の造りしてやがる。痛いだろ、今の捻り方、普通なら痛くて、出来ねえよな? 脳汁出てトンでるって感じでもねえ。ああ、なるほど。お前、感じねえのか。痛みを。でも、その割りにはきっちり良いのは避けてんだよなァ)

 俊敏、かつ冷静沈着。当たることに対する恐怖はない。されど、当たってはいけないところも把握できている。ティグレは久方ぶりに槍を交える強敵に心が沸き立つ。

 神狩りに反対していたがため、シャウハウゼンに引き摺り下ろされ、三貴士も剥奪、地に堕ちたティグレは酒におぼれた。理由は、地位を失ったからではない。

 ただ単純に、自分を引き摺り下ろした若造の槍に勝てないと思ってしまった、己の不甲斐なさに対する怒りであった。槍に生涯をかけた、己の槍が粗だらけに見えるほど、あの槍は卓越していた。究極の一、認めざるを得ない。ゆえに、堕ちた。

「ウォラッ!」

 振るえば振るうほどにちらつく、あの男の影。どうした、その程度か、若き天才の眼が己に語り掛けてくる。俺の槍は違う。お前とは違うだけだ。そう言い聞かせても、気づけばあの槍を追おうとする心に、苛立つ。

「隙あり、だ」

「しまっ――」

 引け目が、槍を鈍らせた。大ぶりを誘われた。掻い潜られ、剣の間合いに入り込まれると、少々まずい。だが、手はある。ゼロ距離でも捌けずして何が槍術か。一瞬で切り替えるティグレであったが、ウェルキンが選択した一手に、またも驚愕させられる。

「上、だと!?」

 ネーデルクスの槍にも上を取る型はある。使い手は非常に稀有で、神の槍に次ぐ難易度。今のネーデルクスにその使い手はいない。だから、それは違う。

「……そんな、馬鹿な」

 ウェルキンが模倣したのは、自らの記憶、最古にして至高の戦い。その一幕であった。槍の怪物を前に男は跳躍し、自らの体重、重力、乾坤一擲の上段切り。その一撃の強さ、まさに岩をも砕き、その一撃の鋭さ、雷鳴をも超える。

「ストライダー」

 ティグレは知っていた。自らの、無二の友であった男の得意なカタチ。技と呼ぶにはあまりにも力づくで、そんなものは技じゃないと酒を飲みながら、愚痴を言っていた。それは、愚痴も言いたくなる。己は、そんな友に一度として勝てなかったのだから。

「ふんがッ!」

 ウェルキンは驚く。この一撃を知っていたかのような動き。ティグレはなりふり構わず不細工な格好で勇者の一撃を受け止める。よろけながらも、受け切られたのだ。あの男とは別の形で、不細工なれど、必殺が破られた。

「俺はお前に会ったことがある」

「……記憶にない、が、今は、それどころじゃない」

 今までほとんどの相手が自分の想像通りの動きをした。ある程度戦って癖を掴めば、流れを読み切れたなら、決め切れなかったことは無い。武王と出会ってから自らの最適を模索し、至った。オンオフを駆使して、身体にとっての最善も理解した。

 今の自分なら負けない、そう思っていたのに――

「赤子だ。くしゃっとした顔だったが、どうやら『両方』の良い所が出ていたようだな。まったく、あの男から暑苦しさが抜けたなら、そりゃあモテるだろうよ」

「……あの男? いや、どうでも良い。俺は、負けるわけには」

「何処で覚えたか知らんが、きちんとあれの剣を継いでいる。その上で、仇の動きまで取り込んでいる貪欲さ。俺は好きだぞ。今の俺では勝てんな。別に今更、負けて泥にまみれたからと言って、どうと言うことも無いが……嗚呼、わかっている。約束だったな」

 ティグレは大きく息を吸い込んだ。そして、静かに吐く。

「お前に稽古をつけてやると約束した。今の俺は絞りカス、さして美味くもないだろう。ゆえに、その『先』を見せてやる。たまたま、偶然、まさに合縁奇縁。よくぞ間に合った。俺が腐り落ちる前に、よくぞ現れた。友の子よ、ストライダーの末裔よ!」

 眼光に、朱が混じる。

「俺を喰って『先』に往けェ!」

 白き虎の雰囲気が、赤に染まった。人外の、獣を超えた牙がウェルキンを襲う。

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