裏・巨星対新星:場末の酒場
場末の闘技場の次は場末の酒場。
「……ッ!?」
ウェルキンは白目を剥いて倒れかけた。それほどに強烈であったのだ。ティグレの飲んでいた酒は。ちびっと一口飲んだだけでくらっときてしまう度数。とは言え少し過敏が過ぎるようにも見えた。要は――
「こーいうのは不得手か。母親の遺伝だなァ。あれも酒が弱かった」
「母親ってなんだ?」
「何ですか、だクソガキ。俺には敬意をもって丁寧に話せ。年上だからじゃないぞ、俺が『勝った』からだ。俺の方が強いから偉い。わかったら敬意を持て敬意をな。ガハハ」
ティグレの雰囲気が変貌して、鬼神もかくやの猛攻によってウェルキンは押し切られた。勝負を仕掛けて負けたのは初めての事。
「次は俺が勝つ」
普段飄々としているウェルキンも男の子。負けて相当悔しげな様子。
「次は俺が勝たせて頂きます、じゃ小便たれ。おっと、質問に答えてなかったか。母とは、まあ、難しいが、そうさな、男の子の帰る場所だ。どれだけ年老いても、どれだけ強く成っても、嗚呼、母には敵わん。ゆえに、最も敬意を払うべき相手でもある。次点は妻だが、まあ、それはおいおいだな」
「……強いってことか、ですか?」
「ああ強い。母は強し、だ」
ウェルキンの脳裏にふわふわと浮かぶのは、同じ年頃の少女の微笑み。なるほど、彼女が母なのだと一人納得する。全然違うが。
「あのぐわぁってなるやつ、は、何ですか?」
「ん? ああ、あれか。俺も理屈はわからんが、遮二無二槍を振っておったら出来るようになった。身体の限界、その『先』に至るために、未来を切り売りする明日無き槍よ。対シャウハウゼン用、なのだろうな。俺の内心が生み出した、醜い化け物。視野が極端に狭まるゆえ、戦場では行使に難く、よほど仲間や敵を信頼しておらねば、一騎打ちですらろくに使えん。御前試合や闘技場専用。救えん醜さよ」
ティグレは酒をあおり、パイプをくわえる。駄目な爺の見本市のような男である。ただ、この男がすると妙な魅力が滲み出るのもまた事実。
「技で勝てぬから力に頼った。あれに至った時点で、俺は槍を手放したようなもの。恥ずべき汚点だ。槍使いにとっては、な。ただ、お前にはそんな誇り欠片もあるまい?」
「誇りってなん、ですか?」
「かっか、それで良い。誇り、こだわり、既成概念、背負うからこそ高まるものもあれば、捨てることで新たな境地に至ることもある。俺はどちらかと言えば後者のつもりだったが、歳を取り過ぎた。今では立派な頑固爺よ。槍術はかくあれ、阿呆が。三貴士とは高くあれ、愚の骨頂。俺が俺の槍を殺したのだ。無駄なものまで背負った気になって、な」
「難しい、です」
「仇の動きすら己の武に添加するお前には分からん話だ。分からんでいい。分かるようになった時、おそらく、お前も俺と同じ頑固爺になっておるよ。かくあれ、阿呆らしい」
ティグレはパイプを思いっきり吸って、盛大に煙を吐いた。
「それで、お前はこれから先何処へ向かう?」
「聖ローレンス。そろそろ、自信がついてき、ましたので」
思わぬ名が出てきたことでティグレの眼がすっと細まる。
「……何故?」
「母がいます」
「お前の母は死んどろーが」
「……?」
しばし、ウェルキンの母像をティグレに語る。ティグレは訂正をつらつらと述べる。なるほど、とウェルキンは手を打ち、彼女が母でないことを理解した。
「つまりこれだな?」
ティグレはびしっと小指を立てる。ウェルキンも真似してびしっと小指を立てた。
「……わかってないだろ?」
「……?」
しばし、この動作の意味を訥々と語るティグレ。ウェルキンの顔が見る見ると赤く染まり、最後には小さく頷いた。それを見てティグレは小さく微笑んだ。きちんと人間をしている。あの二人が望んだ形とはかなり違うかもしれないが、それでも――
「しかし、聖ローレンスか。あそこもかなりきな臭くなってきおったからな。王会議を経て各陣営がそろそろ帰還し終える頃。噂ではかの聖女を巡って若き英雄の卵共がわんさか群がるとか群がらんとか。それほどに美人なら見てみたい気もするが」
「……貞操の危機!」
飛び出そうとするウェルキンを引っ掴むティグレ。
「難しい言葉なのによう知っとるな。さてはムッツリだろ、お前」
「……違うと思いたい、です」
「お前に渡すものがある。さっき家から取ってきた。お前の父、祖父、先祖代々脈々と受け継がれし剣、エクセリオン。あの男曰く模造品らしいが、大事なのは忘れぬこと、だそうだ。そんな顔をするな。俺もよくわからんのだ」
ウェルキンは小首をかしげる。ティグレも傾げたい気分なのは同じである。
「勇者の剣とは言っても不思議な力などない。蔵に放りっぱなしでも錆びなかったくらいか。ものは良いぞ。よく斬れるし頑丈だ。それだけだがな」
ティグレから手渡され、ウェルキンは父の剣を手にする。確かに、不思議な力はないのだろう。勇者の何かが目覚めて、凄まじい力が湧いてくる、などと言うことは無かった。ただ、少し、ほんの少しだけ、温かいと、彼は思う。
「繋げるかどうかはお前次第だ。名前も含めて、な。軽々に語ることではないし、シャウハウゼンを頂点とする世では、まさに忌み名であろう。だが、喉元過ぎれば何とやら、だ。人は忘れる。すぐに風化する。ストライダーなど、もはやローレンシアに生きる者の何人がその意味を知るだろうか。彼らの生きた時代を誰が知る? 知らんのだ。絶えたからな」
ティグレは哀しげな笑みを浮かべていた。
「お前も俺と同じ、いずれは過去と成る。ゆえ、今を走れ。誰よりも速く、誰よりも遠くへ。女のため上等。槍のために生きた俺よりも幾分かマシよ」
「……どうも」
「何でも良い。一つ繋げれば、充分。今はわからなくて良い。いずれわかった時、思い出せ。自分は何を繋げたか、を。その時、胸を張れたなら、上々である」
ウェルキンは首を傾げなかった。ほんの少しも分からなかったけれど、おそらくそれで良いのだとティグレの顔を見て理解した。分かる日まで、駆け抜けろ。彼の眼はそう言っている。背中を押されたのは、ウェルキンにとって初めての事。
「これが母親か」
「せめて父親って言え阿呆が。あんだけ説明して何故わからねえ? 母親は女だ!」
「女って何ですか!?」
「あー……ったく急ぐんだろうが、めんどくせえ。おっぱいがついてるやつだ!」
「なるほど!」
ウェルキンはぽんと手を打ってそのまま闇夜に疾走していった。
「……ありがとうくらい言ってから消えやがれってんだ」
それが聞こえたわけでもないだろうが――消えた角からひょっこり顔を出し、
「ありがとうティグレ! 今度は勝ちます!」
そう言って今度こそ闇夜に消えた。
「さんをつけろやクソガキ」
ティグレは苦笑いを浮かべ、友の残したもの、繋げた少年を思い出す。彼がどんな人生を歩むのか、想像もつかない。それでも、ただの名無しで終わるような存在ではないことだけはティグレとて理解している。
「……少し、軽くなった気がする。なあ、友よ」
ティグレが思い出すは過去の記憶。いくつかある三貴士へのルート。その最短をシャウハウゼンに与えてしまった己の弱さ。入れ代わりの御前試合、友を守るために死力を尽くして闘い、神の槍の前に敗れ去った苦い記憶。結果、自分は三貴士落ちし、神狩りを止める手立てを失った。間接的に友を殺したのは『俺の槍』が通じなかったから。
「しかし、聖ローレンス、か。因果よなあ。いや、かの地はそう言う風に成っておるのだろう。節目節目、時代の結び目。始まりは世界で最も高き峰。神話連なるたびに削れ、今と成っては大連山ロンガルディアの連なりで最も低き場所。アレクシスが人界最後の魔王を討ち滅ぼした場所。そして、お前の父が散った場所」
すべては過去。
「さて、かの地で生まれし次の神話。一体どんな物語に成るか」
結果論でしかない。ただ、繋がっていたことを知り、男は安堵する。
「久方ぶりに、じっくりこいつと語り合うとするか」
己が愛槍に語り掛け、ティグレもまた一つ夜を超えた。
疾走するウェルキンははたと気づく。
「……母がおっぱいでおっぱいが母で、でも彼女は母じゃない。つまりあれはおっぱいじゃない? 何が何だかわからなくなってきた。まあ、いいや。とりあえず走ろう!」
目指すは聖ローレンス。
其処を目指すは一人にあらず。
「誰よりも我らが先んじる! 殿下に恥をかかせるな!」
「出陣であるッ!」
ガリアスが――
「どういう理屈だストラクレス?」
「わしが欲しいったら欲しいんじゃ!」
「我儘かよ。で、こいつの我儘に貴方まで付き合う理由は何ですか?」
「さて、それを見極めるために私は往くのだよ、ベルガー」
オストベルグが――
「腹立たしいがあの七光りと同じ意見だ。弱者を導くは強者の責務」
「されど、歩く気の無い者に肩を貸して歩くのは無為、だ。誰のためにも成らん」
「ゆえに俺たちが奪う!」
「絶世の美女、溢れるカリスマ、良い駒だ。上手く捌いてやろう。俺たち兄弟が、エスタードが天を掴むために。そうだともシド、俺たちが時代と成るのだ!」
エスタードが――
世界が動き出す。ただ一人の少女を巡って――
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