裏・巨星対新星:白鳥のローエングリン

 ジェドは夜風に当たっていた。おそらく、このまま行けば明日にでも自分の首は取られるだろう。先ほどエルビラとストラチェスにて一戦交え、負けた。すでに自分はサンスにも負けている。時代はとうに変わっていた。自分が智勇兼ね備えた武人であったのは過去。

 それでも招集に応じたのは、ずっと悔いていたから。時代をすべて弟に託し、幽閉とは名ばかりの隠居生活。ロス家のおかげで孤独も無く、ただただ安寧を貪っていた。その対価、今更であろうと払わねばならない。

「サンス、わしにもしものことがあった場合――」

「エルビラですね。承知しております」

 とうに父親を超え、自分を超えた大器。だが、彼は熱を持たない。自分の中にある熱を知らない。サンス・ロスという男は虚ろであった。影として自らを定義し、その中で最善を尽くす。それも素晴らしいことであるが――

「アポロニア、お前はどう見る?」

「……特に何も。しいて言えば強いとは思いますが」

「あの軍勢に驚きはないか?」

「メドラウトはまだ粗く、ユーフェミアはガルニアの中にあっては戦巧者ですが、ローレンシアで見れば優秀止まり。それすら持たぬ群れゆえに、あの中では価値のある首ですが」

「ではあの男は?」

「…………」

 サンスの口が止まった。思い浮かべるは、鮮烈に散ったあの男の姿。

「……未だ、測りかねています」

「ふはは、なら良い。あれを忘れるな。いつか、お前があの半分でも、熱を傾けられる相手に出会った時、どれだけ遅くともサンス・ロスと言う大器の時が動き出すのだ。それをわしは遠く、彼岸の彼方より酒の肴としよう。お前の父と、祖父と、その前と、皆でな」

 ジェドはもったいないと思いつつも、あの出会いに感謝する。あの熱情に触れたことで、サンスの心に引っ掛かりが生まれた。いつか、それによって彼が自分の道を見つけることもあるかもしれない。自分が丹精を込めて鍛えた最後の作品、二つの内の一つ。

 いつか――そう思うと心が躍る。

 すべてはあの時、あの場所で――


     ○


「……こりゃあ無理だな」

 馬で並走する二人の騎士。その後背にぴたりと影のようについてくるのはエスタード軍。妙な強さを持つ老人の、さらに奇妙な部下である童顔の男。ここまでの追撃で彼らは理解していた。あの男、顔つきとは異なり深く戦を理解していると。

 ゆえに逃げ切れない。散開させた部下もおそらくは――

「だから助けになど来なくて良いと言ったのだ! 貴様は馬鹿か、陛下も愚か者だ。私程度、いくらでも代わりはいる。図抜けて強いわけでもない私を、何故――」

「代わりがいねえからだろ。ったく、強くないから色々試して、考えて、俺らに無いものをお前は身に着けた。この大陸ではありふれたもので、突き抜けては無い。目立つもんでもない。でも、間違いなくアークランドには足りてない。逆だ、ユフィ。俺の代わりはいくらでもいる。だから、俺が来た」

「……お前は『白鳥』のローエングリンだぞ?」

「ランスロにもゴーヴァンにも、トリストラムにもお前の兄貴にも及ばない、ただの騎士だ。大した値打ちも無い」

「私の代わりに、白鳥の槍を失うと言うのか。そんなこと」

「今度は逃げねえって、決めたんだ」

 ローエングリンに刺さる大きな棘。あの遠征の際、彼は大きな過ちを犯した。未だに残るしこり、それを振り払うために彼は此度の遠征にも参加したのだ。それを知るがゆえに、ユーフェミアは言葉に詰まる。あれほど勇壮で自信に満ちていた男が、心砕け帰って来た様を知っているから。会う度に、軽薄なプロポーズを重ねてきた男が、帰還以来一度としてそれを口にしていない。自分にはその価値が無いと、そう思っているようで――

「……ならば、死ぬな。貴様には責がある」

「厳しいねえ。さすがは『獅子候』の妹。オーケー、わかってる。俺も騎士だ。部下の死くらい背負って――」

「違う。お前の軽薄さが産んだ責だ」

「軽薄さ? 何のこと――」

 気づけばユーフェミアはかなり近くまで馬を寄せていた。そして、ぐいっとローエングリンの襟を引っ掴み、無理やり口づけをする。

 ローエングリンは驚天動地の出来事に目を白黒させていた。

「かなり時を経たが貴様の求婚、受けてやる」

「……いや、でも俺はあの時、世界一の武人に成って戻って来るって――」

「ならば今成れ。成って、生きて戻って来い。それまで、私は待つ。あまり私を待たせるな。前回で懲りた。私は、待つのが苦手なのだ」

 強さと弱さ、彼女の持つ二つを見て、ローエングリンは笑った。

 親友の妹は、本当に鉄壁だったのだ。何度口説いても跳ね返され、ついでに兄と弟にも跳ね返された。何しろあの頃の自分と言えば女ったらしで、酒も大好き。鍛錬なんてしなくても平気平気、だって俺天才だし、を地でいくクソ野郎だった。

「俺は、誰よりも無様に逃げた男だぜ? ガルニア中が知ってる。烈日を目の当たりにして、泣きながら、槍を、部下を捨てて逃げ帰ったクズだ。俺からすりゃ部下をきっちりまとめて逃げ帰ったヴォーティガンのがよっぽどすげえ。あの場に止まって戦うことが出来たお前の兄やランスロ、ゴーヴァン、トリストラムの方が、すげえ」

「知っている。お前がずっとそれを悔いて、戻ってきて以来女も酒も断ち、槍の鍛錬を欠かさなくなったことも、知っている。以前の貴様なら、受けていない。二度は言わん。勝って私と共に在れ。獅子の娘を口説くと言うのはそう言うことだ。責を自覚しろ」

 鮮烈極まる。ローエングリンは過去の己が大嫌いであったが、唯一、胸を張って言えることがあるとすれば、本気で惚れていたのは彼女だけで、自分は沢山いる女性の中から彼女を選んだ。ただその一点だけは、誇りであった。

「後悔すんなよ。マジで一緒に暮らすからな。子供はたくさんだ。俺の夢は子供と一緒に戦場を駆けることだからよ。多ければ多い方が良い」

「歳も歳だ、そんなには産めんぞ。まあ、獅子に二言は無い。好きにしろ」

「まだ若いって。大丈夫大丈夫、適齢期はとっくに過ぎてるけど」

「殺すぞ?」

「自分から未亡人に成りに行く気かよ。くっく、まあでも、ありがとよ。ちょっとガチで生きたくなった。自分なりにけじめとして、封印してきた思いだったが、やっぱ駄目だ。どうしようもなく、俺はお前に惚れていたらしい」

「そう思うなら――」

「勝て、だろ。オーケー、そのオーダー、承った!」

 ローエングリンは馬を回頭させ、敵を睨みつける。

「勝つのは前提だ。生きて帰って来い」

「あいよマイハニー。新居の候補は、百ほど考えてあるぜ」

 ローエングリンは軽口と共にユーフェミアの隣を去った。あの男はいつもこうなのだ。いつだって不真面目で、軽薄で、槍以外のことにご執心。だが、彼女は知っている。以前の彼でさえ、薄皮一枚剥けば、槍に執念を捧げる戦士であったことを。

 挫折と喪失を経て、男はさらなる境地に達した。

「本気の『白鳥』を世界は知らぬだけだ。胸を張れ。貴様は強い」

 穢れた白鳥は、さらなる高みへと飛翔する。獅子には届かぬ水平線の彼方へと。


     ○


 とうとう観念したのか、ローエングリンの回頭を見てサンスの頭には全ての絵図が組み上がった。あの男の槍の冴えは理解している。それでも勝てない相手とは思わない。個人戦でも十分勝算があり、自分には部下もいる。彼らは皆弁えたロス家ゆかりの武人。

 一人突いた隙に、刺す。それで終わり。

 あとは追えば良いだけ、地の利はこちらにある。ちょっと足を緩めたくらい、半日もせずに詰められる。それで終わり。エスタードは策によって二将を奪うことになる。

「サンス様、向かってきます!」

「俺が一手そらす。二手目、お前たちで止めろ。そこで討つ」

「承知」

 揺らぎはない。死ねと言われて惑う武人など此処にいない。自分も含め、最終的には死ぬのが役目なのだ。遅いか早いかの違いでしかないし、人はいずれ死ぬ。役割に殉じて死ねるなら、それもまた『あり』だと彼は考えていた。

 特にやりたいことも目指したいモノも無い。熱が無かった。必死に生きる理由がなかった。だから、眼前の敵を読み違える。昨日と今日で、それなりの歳に至った武人が化ける、その理由の大半は精神的なものである。それが、彼には理解できないから――

 だから――

「え?」

 時が止まる。緩やかな槍。最初は逆の意味でいぶかしんだ。これほど悠長な槍、ふざけた攻撃である。昨日よりもあまりに酷い。こんなもの――と思った瞬間、サンスは気づく。自分の手もまた悠長に、緩慢に、自分ではないかのような動きをしていたから。

「結婚!」

 全てがスローモーション。だから目につく粗。自分の剣も粗だらけ、速さの中にあっては浮かばぬ粗まで目につく始末。だが、対峙する男の槍に一切の淀みなし。美し過ぎて、見惚れてしまう。受けが間に合ったのは見惚れたことで意識が剣から離れたから。

 染み付いた動きが間に合わせただけに過ぎない。ただし、本当に受けただけ。サンスはあっさりと落馬してしまう。信じられない気分であった。こんな槍、見たことがない。

「結婚結婚結婚!」

 部下たちもあっさりと払われ、突かれ、続々と落馬していった。

「……そんな、馬鹿な」

 時が動き出す。呆然とするしかない。昨日までとは別人、何がこの男の槍を変えたのかが分からない。追うべき足を喪失し、ただ勝てないと心が叫ぶ。サンスの中で何かが蠢く。死にたくない、初めて聞こえた心の叫び。

「よう坊主。昔の俺みたいな目だな。本物に会って一回ぶっ壊してもらえ。そうしたら、世界が違って見えてくる。自分が、小さく見えてくる。そうしたら、何クソ負けるかって、思えて来るからよ。あとは結婚だな。それが一番だ!」

 馬上から見下ろす騎士の姿。敵の腹のど真ん中、自分を抜いたとて窮地には変わらない。恐ろしいほどの精度で、自分たちの主は異変を嗅ぎつける。ほら、もう馬蹄の音が迫ってくる。散開した敵の部下を蹴散らし、戦場の主が戻ってきた。

「お前は死ぬ」

「死なねえし、結婚するし、それがどうしたって話だ」

 ローエングリンもまた何かが近づいてくることを察した。迫り来る炎。エル・シドのような全てを焼き尽くすモノとは趣が異なるが、この冷たい炎もまた頂点に近い。かつての己であれば逃げ出しただろうか、それとも趣の違いゆえ探知できず、無様に殺されただろうか。どちらにしても、たぶん、同じ結果があった。

「さあ、来い化け物。『白鳥』のローエングリンが相手だぜ」

 ローエングリンは震える手をぎゅっと握りしめ、恐怖を噛み締めながら前を向いた。以前の自分では出来なかった。昨日までの自分では出来なかった。挫折と喪失、大きな後悔と結婚と言う小さな幸せ、これがあるから、今の自分は恐怖に抗える。

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