真・巨星対新星:ルトガルド、動く

 アインハルトたちはいち早くリウィウス商会の傘下から退会することを決めた。誰一人文句を言うこともなく粛々と幹部たちは退会後の再編に勤しむ。商人ゆえ勝ち馬に対して鼻が利く。彼らは敗北した白騎士から躊躇無く距離を置いたのだ。

 距離を置いた事実を周知して回る姿に、嫌悪感を覚えるものもいた。若い衆たちは反発を持つものも少なくない。しかし幹部はそれらを黙殺し、今すべきことをこなし続ける。

 それによって多くの業務はテイラー商会が引き継ぎ、傘下の商会もほとんどが其処に組した。結果としてアインハルトはアルカディア最大の商会を引き継ぐことになる。そしてひっそりとリウィウスの名を冠した商会がアルカスから姿を消した。

 今やるべきは早急に組織をまとめること。そしてオストベルグから奪った土地の分配に乗り出すこと。そのためにはリウィウスの名が邪魔なのだ。テイラーの名が必要なのだ。どんな手を使ってでも拡大する。頭を切り捨ててでも、すげ替えて大きく成れるならそれで良い。彼らは商人なのだ。勝つ方につくのが商人の生き方である。


     ○


「にいちゃんに会うの!」

 マリアンネの怒号が屋敷に響いた。困った顔をしているのはヴィルヘルミーナの夫であり、ベルンバッハの家を継いだ現在の家長である。同居しているヴィルヘルミーナ、エルネスタはもちろんのこと、テレージアやガブリエーレもマリアンネ包囲網に加わっていた。

「駄目だよ。わかっておくれ、マリアンネ」

「みんなおかしいよ! あんなににいちゃんに助けてもらったのに、にいちゃんが苦しいときになんで無視するの!?」

「言うことを聞きなさい! 貴女も貴族の娘でしょう!」

 ヴィルヘルミーナの一喝。マリアンネはキッとヴィルヘルミーナを睨みつける。

「だったらマリアンネはそんなのいらない! 一人でもにいちゃんを助けるもん!」

 それにはヴィルヘルミーナも絶句。テレージアはため息をついて頭を抱えた。最近、あの問題児にどうしようもなく似通ってきた末妹の姿に呆れるやら、哀しいやら、なんともいえぬ空気がこの場に漂っていた。

「マリアンネ、それは言っちゃあいけない。僕らは家族なんだ。君が巣立つその時まで、僕は君の父でありたいと思うし、彼女たちは君の大事な姉妹じゃないか。それはとても悲しいことだよ。大事な絆なのだから、ね」

 優しい言葉。実の父から一度として聞かされることのなかった暖かい言葉にマリアンネは口をつぐむ。そこに本当の熱があるかないか、感性の鋭いマリアンネは特にそれを理解していた。新しい父、ヴィルヘルミーナの夫は普通の、ゆえに得難い温かみを持った男であったのだ。

(それに、これは彼の望みでもある)

 男にベルンバッハを与え、温かで普通の家庭を作るよう願った白の男は戦場に出る前「自分から距離を取れ。そしてテイラーを頼れ」と言い残していた。今の状況を予期していたかのような行動に内心驚きに満ちていた。

 ベルンバッハには平穏を。争いから離れさせることを責務と思っているのだろうか。何故か、それを問うのは無粋というもの。そこは例外が生きてきた場所、例外が愛した世界なのだから――


     ○


 ウィリアムは雨の中、アルカスの街並みを歩む。栄光の先、大いなる転落を果たし全てを失った。もうその手には何も残っていない。剣を持つことは許されても、剣を振るうことは許されず、知識を得ることは出来ても、知識を使う場は与えられない。

 全てを失った。もう何も残っていない。

「……もう少し、君は賢い女性だと思っていたよ」

 荷物をまとめるために屋敷に戻ったウィリアムを、雨の中一人の女性が待っていた。ずっと、ずっと待っていたのだろう。芯からずぶ濡れである。ただしその眼は冷えることなく、まるで此処が勝負だといわんばかりに爛々と輝いている。

「少し、馬鹿に成ってみようかと思います」

 ルトガルド・フォン・テイラーは、今まで見せたことの無いほど艶めいた笑顔でウィリアムに向かい合った。その横には荷物が置かれている。まるで家を出てきたかのような、そんな雰囲気を放ち彼女は其処にいた。

 待ち続けてきた女性がとうとう動いた。


     ○


 ウィリアムはルトガルドの来訪を予期していなかった。多くを見通す眼を、情報を、感覚を得た己でも見えぬものがある。彼女はその一人であり、出会ってから今まで本当の顔を隠し続けてきたのだろう。初めて見せる表情を見てウィリアムは思う。

 やはりこの女は危険である、と。

「俺が全てを失い、チャンスとでも思ったか?」

「いいえ、失ったことは重要じゃありません」

「ならば何故動いた? 君の気持ちは理解しているつもりだ。出会いから今まで、君の好意を俺は利用してきた。君も承知の上、不動を貫いたのだろう? 緩い関係が途切れぬように。今、動く理由がわからない」

 ルトガルドは魔性の笑みを浮かべた。ウィリアムを見通すかのような眼。ずっと気づいていた。利用してきたはずの少女。しかし、背後ではいつもこの眼で己を見通していた。これほどまで昇ってなお、彼女のことが見えていない。

 その危険度はある意味で巨星ですら上回る。

「失ったことは重要ではありません。ですが、『時間』が生まれたことは重要です。全てを失い、もう一度浮上できるか否か、その賭けに私は乗ります。貴方が浮上するなら私は死ぬ。浮上せぬなら、私を殺す理由は無くなる。離れる理由も消える」

 ウィリアムは久方ぶりに冷や汗をかいていた。背筋を伝う悪寒。この返答は全てを見通していなければ生まれぬもの。やはり危険な存在であった。ずっと、わかっていて自分の後ろについていたのだ。機を伺い、時を待ち――

「どう転んでも私は貴方と共に過ごす時間を得る。重要なのは其処です。あとは私の一歩を止めさせないためにどう動くか。あの人は貴方からの好意でそれを為しました。私も、そう出来たら一番良かったのですが……私はそれほど自分に自信がありません」

 ウィリアムはすっと腰に手を添える。今この場には二人しかいない。最悪の場合、此処でルトガルドを斬っても処理は出来る。表向きは全てを失ったが、まだ闇の力は行使できる。奴らに処理を任せれば良い。

「だから、私は打算で貴方の世界に踏み込みます。一番は諦めました。でも、あの人に出来なかった多くを私は得るつもりです。そのために私は待っていました。今日この日まで」

 ルトガルドは一歩踏み出す。明確な前進の意図。拒絶するか、受け入れるか、今のウィリアムにとって状況としてはどちらでも良い。心の問題としては拒絶に大きく傾きつつあったが、おそらく『打算』とはその対策をしてきたのだろう。

 複雑な状況、揺れる天秤の上で刃は振るえない。

「単刀直入に。私は貴方がルシタニアのウィリアム・リウィウスで無いことを知っています。本当の名前は、アル」

 ウィリアムの眼が大きく見開かれた。

「貴方はアルカスで奴隷として生を受け、十で解放奴隷に、十一から五年間を本屋に勤め、十六の年に身分を偽り名を替えた。ウィリアム・リウィウスという名に」

 怖気が止まらない。何処から知っているのか、何処まで知っているのか、問う必要もなくなった。彼女を全てを知っている。そう、カイルとファヴェーラしか知らないはずの真実を手にしていたのだ。

 ウィリアムは咄嗟に剣を抜く。思考しての動きではない。防衛本能に似た何かがウィリアムを動かした。しかし、首元に迫ったそれをルトガルドは見つめることすらしなかった。それが思考の結果、止まることを疑わなかったから。

「そうです。貴方は私を斬ることができない。だって私は言わないから。いつ、何処で、どうやって、その情報を手に入れたのかを。私を斬ったら全てわからなくなる。わからないのは、怖いですよね。私や、貴方のような人種には」

 止まった刃を一瞥もせず、ルトガルドは邪気の無い笑顔をウィリアムに向けていた。ウィリアムはというと平静さの欠片もない。全てを喪失してなお泰然としていた男が、どうしようもなく揺れている。

 ウィリアムは自分の目算の甘さを痛感していた。ただ少し聡いだけ、踏み込む勇気が無く、居心地の良い緩い関係、それだけだとたかをくくっていた。

「私を斬る選択は出来ない。私を放っておくことも出来ない。我ながら酷い女ですね。こういう自分が、心底嫌いです。貴方に相応しくない。でも、それでも私は貴方が欲しい。全部じゃなくて良い。一番じゃなくて良い。ほんの少しの時間を、私にください」

 ルトガルドの表情に嘘はなかった。平時なら真摯な言葉に胸を打つこともあっただろう。しかし、今、この時この場所で、この言葉を聞いてウィリアムの胸に宿るのは戦慄でしかなかった。

「何故俺なんだ? 君の好意には気づいていた。だが、理由がわからない。俺は君に何もしていない。好かれる理由が無い。外見の好みや内面の一致、その程度の薄い理由で、これだけのことをするか? 欲するならば理由があるはずだろう!?」

 理由の無い好意をウィリアムは知っている。ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハという女性が向けてきた最愛はそれであろう。不可解であるのは変わらない。されど、彼女の生き方が、彼女の存在がそれを理屈ではなくわからせてきた。

 ルトガルドは違う。彼女はヴィクトーリアではない。生き方も性質も違い過ぎる。

「安心してください。理由はありますよ。あの人のように、ただ思うが侭に愛し、思うが侭に欲し、そう出来たならそんなに格好の良いことはありません。私だってそう言いたい。想いの強さも、深さも、あの人よりも私の方が大きいはずだから。でも、器量と勇気はあの人の方が上でした。美しくて、誰からも愛されて、想いだけじゃ勝てない。同じじゃ、駄目なんです。だから私は理由も乗せます。ですが、それは言えません」

 言えない理由。ウィリアムの中で少し引っ掛かりがあった。否、おそらくルトガルドとしても何か引っかかりを与えるために踏み込んだ言葉を発したのだろう。これ以上踏み込んでこないのは気づかれたくないためか。しかし、気づいて欲しい面もある。

 ウィリアムの中で理由も、ぼかした意味もヒットしない。

「私は貴方が好きです。ずっと、ずっと好きでした。一番にしてくださいとは言いません。愛されなくても構いません。でも、愛させてください。そばにいることを許してください。私はそれだけで幸せです。もう一度表舞台に立つときには、全ての答えと、私の命を差し上げます。だから!」

 ルトガルドの精一杯。全てを用意してきた。使い様によってはウィリアムを破滅させられるほどの武器を持って、ただそばにいたいと彼女は言う。涙を浮かべて、圧倒的優位なはずの彼女が乞うているのだ。

「く、くく、君も愚者、か。ある意味であいつよりも狂っている。俺に断る理由も拒絶する理由もない、今だからこそ君は踏み込んできた。その打算、嫌いじゃない。そう、俺は君が好きだった。賢く、線引きを違えず、絶妙な位置にずっと君はいた。嫌いに成るはずがない。好きにならないわけがない。ただ、不気味ではあった。都合が良過ぎたから」

 ウィリアムは天を仰ぐ。自分を好きになってくれる女性は、何故いつもこうなのだろうか。折角、彼女たちのことを思って拒絶しても、距離を置いても、命をかけて踏み込んでくる。命のみを携えて、命と打算を携えて、その一歩を迷い無く踏みしめる。

「それすらも君の掌の上というのなら仕方が無い。俺の好きと君の好き、おそらく絶望的なほどの隔たりがあるだろう。君の考え方は俺に似すぎている。哀しいかな、俺は俺のことが嫌いなんだ。かなり、ね。それでも良いなら好きにしろ。俺は君を拒絶する理由を持たない。俺が堕ちている間の時間を君にくれてやる」

 二人の間には温度差があった。その温度差を理解した上で彼女は泣いた。泣くほどに感極まった。彼女の自信の無さが打算的なつながりを求めた。その賢しさをウィリアムは嫌いじゃないと言った。しかし好きとは言っていない。それが無ければ拒絶しただろう。それはあくまで彼女の命を想ってのことである。

 もし、ウィリアムが普通の人生を歩んで、ルトガルドが何の打算も持たず踏み込んできたのなら、きっと白の青年は笑顔で彼女を迎え入れたはず。この過程に意味はないが、もう少し自信を持っても良いとウィリアムは思う。

「それにしても、泣き過ぎじゃないか?」

「ひぐ、えぐ、ぞ、ぞうでずか?」

「……面白い顔になっているぞ。まあ、いいか。荷造りをしよう」

「お、おでづだいじまず」

 こうしてウィリアムとルトガルドは互いの打算の元、ひとつになった。全てを失い、一人孤独に歩むはずだった地の底、ラトルキアへの旅路。天への道は遥か彼方。狙いが叶うか否かは自分の範疇を超えた事象。種はまいた。出来ることは全て行った。

 あとは天が決めるだけである。


     ○


 加速する時の流れ。流転する勝者と敗者。何が起きてもおかしくない状況、英雄がそこかしこで蠢く戦国時代に世界は突入した。その旗手となるであろう一人の英雄を除いて、世界は新たなるステージを迎える。


「私には無理です! アルカディアには貴方がいなければ、私には貴方が必要なのです!」

 血濡れにて黒ずんだ半身の仮面からのぞく表情は不安一色であった。それに対し白の、ただの男となった者は言う。

「いつまでも俺の影に甘んじるな。お前はその程度の男か? これは機会だ。お前が俺を超える、お前の感じている俺に対する違和感、齟齬を、正すことが出来る、好機じゃないか?」

 びくりとする黒の騎士の肩を白の男は叩く。

「超えてみろ。そして証明して見せろ。アンゼルム・フォン・クルーガーの強さを。俺を超えたなら、お前が時代を作れ」

 その双肩に全てを押し付ける。その重さに黒の騎士、アンゼルムは顔を歪めたままであった。副将として、決して楽な道を進んだわけではない。しかし、矢面に立つにあたり改めて感じる。トップの重圧を。

「期待しているぞ、アンゼルム」

 まじり気なしの激励。事実、ウィリアムは少しだけ期待しているのだ。アンゼルムが己を上回り、己の存在理由を消してくれることを。奪う剣を奪われたまま、雪深き北方の地に隔離され続けることを。

 翌日、アンゼルム・フォン・クルーガーは第二王子エアハルトの強い後押しもあり、アルカディア第一軍大将に就任した。師団長から飛び級での大将就任はアルカディアの歴史上初めてであり、前例のないことを通したエアハルトの実権、その強さが垣間見えた。


     ○


 ルドルフは死ぬほど喰らい、浴びるほど酒を飲み、陽気な狼達との饗宴に華を咲かせる。その中心にいる狼の王は、ちょっと前に見た時よりも遥かに大きくなっていた。こんな馬鹿をしていてもわかる。肌で感じる。

「ヴォルフっち。このまま此処に留まらないかい?」

 答えのわかった質問。それでも一縷の望みでもあるのならば――

「わりーな。行き先は決まってる。落ち着いたらまた傭兵として雇われてやるよ」

「残念。結構貸してるはずだから、次は安く雇わせてもらうよん」

「オーケー。そんくらいの借りはあらァ!」

 狼の王の快活な笑みを見てルドルフはため息をついた。自分は神の子だと言われてきた。しかし、彼らの輝きと自分を比べたとき、果たして己を上と見る人間がどれだけいるだろうか。自分でさえそう思えなくなってきているというのに。

「また飲もうな親友!」

「君は親友が多そうだなあ。僕は友達を選ぶタイプなんだよ」

「そもそも友達いるのか?」

「…………」

「……すまん」

 一つの国に絶対的な存在は二つも必要ない。青貴子と黒狼、今までは黒狼の方に絶対的な雰囲気はなかった。されど烈日を落とし、生き残った狼はもはやただの狼にあらず。天すら喰らう神話の怪物として世界に君臨するのだ。

 繋ぎ止められるはずもない。

 彼は、ようやく己の敵となったのだから。

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