真・巨星対新星:堕ちた白き星
(何故だ?)
エアハルトの心中に暗雲が渦巻く。抗弁してくるならば迎え撃つ武器はいくらでもあった。腹心として好き放題やらせた全てが反転し武器となる。立場の差、そしてエアハルトの弁術があれば英雄白騎士でさえ打ち倒すことが出来たはず。
「認めるというのか? 君の浅慮がこの事態を招いたと」
「オストベルグを攻めれば必然、ネーデルクスは動き出すでしょう。私の目算ではディエースも含めてエスタードとの決戦に割くかと思っておりましたが、結果を鑑みるに甘かったと言うしかないかと。まさに浅慮、私が愚かでした」
深々と頭を下げ己が愚挙の許しを請う姿は英雄のそれとはかけ離れていた。
(何故、抗わない? 私がそれで手を抜くと思っているのか?)
ウィリアムの殊勝な態度に、エアハルトは懸念の目を向けていた。
(もし君が、私の想像通り玉座を狙うのであれば、そうでなくとも此処は退けない場所だろう? 此処での敗北は、政争での負けは、この国における全てを簒奪されるに等しい。通過点でしかなかったであろう大将すら遥か彼方へと消え去るのだぞ)
ウィリアムは長々と頭を垂れている。その姿に哀れみを覚える者もいるだろう。黒金を討った英雄、その功を考えた時、不可抗力でしかない責を背負わせるのに負い目を感じる者もいるかもしれない。実際に、先ほどから血の繋がった妹の刺す様な視線が突き立っている。優しい妹が見せる初めての敵意が自分に向いている。
(それでも、私は君を潰す。アルカディア王家の存続のため、君の存在が危険なんだよ。幸いこの国には君を除いても戦えるであろう戦力がある。ゼークト、オスヴァルト、クルーガー。ガードナー……はもう無理か。さらにテイラー、トゥンダーも輝きを放ち始めた。私には見える。人の輝きが。彼らは良いよ、君とは違って――)
エアハルトは優しげな仮面の下に歪な表情を浮かべていた。
(私よりも『下』だ)
エアハルトには人の輝きが見えている。人の価値が手に取るようにわかる。物心ついたときからその才はあった。兄は明確に己より劣り、父である王でさえ自分より下であった。妹たちは自分と張り合える輝きを持っている。だからひとつは手中に、もうひとつはさっさと外に出した。これで盤石であったはずなのだ。
微小な輝きしか持たぬ獣。白銀の炎を宿す瞳に興味が湧いた。隠しきれぬ野心、そのか細い輝きで何処まで昇れるのか、エアハルトの好奇心がこの事態を作ってしまったのだ。あまりにもか細い光、人の生まれ持った才能。多少の増減はある。でも――
(あの小さな輝きが、私を超えようとしている。それは、駄目なんだよ)
その輝きは大炎となって自分の前に立った。エアハルトの人生で、そのような事態に遭遇したことは無かった。それを育ててしまった己の愚かさ、それを正すための舞台が今日である。手駒である妹の信を失ってでも、此処で過ちを潰す。
(全てはアルカディアのために……抗わぬというのなら、好都合だ)
エアハルトは議場をぐるりと見渡す。この場で自分よりも輝きを持つものはいない。ウィリアムでさえ今の立場では輝くことなど出来ないだろう。唯一――
「兄上、ウィリアム様もああ言っております。多少の強引さはあれど、黒金を討ちオストベルグの半分を手に入れた功績は間違いなく彼のものです。差し引き、手打ちということで、私からもどうか、お願い致します」
エレオノーラだけは自分と互角の輝きを持つ。議場の空気が揺れた。殊勝な態度、エレオノーラの口利き、二つが合わさってエアハルトの作り出した支配を――
「強引な手法は、彼の魅力の内だ。私も其処は認めているよ。先ほどはああ言ったが、ブラウスタットの件は不可抗力だと私も思っている」
支配が――
(愚図共が……私に、支配されていろ!)
解け――
「だが、王命に背いたことは看過出来ない。そのおかげでストラクレスを倒せた、それは結果論でしかないんだ。そも、君が負けていたらどうなっていた? 幾度も死の淵に立ち、こん睡状態で死に掛けていた君は、何の確信があって戦いを敢行したんだ?」
させない。エアハルトの言葉で議場が引き締まる。さあ、抗弁して来い。いくらでも武器はある。反撃の全てを叩き潰して見せよう。自分はこの場にて王である。戦場では白騎士こそ王かもしれない。しかし、政争であれば話は別。
自分は生まれついての王。この王宮の中にある限り、逆らえる者など許さない。
「しかし事実――」
「エレオノーラ、事実、彼は死に掛けた。勝利の裏には恐ろしい博打があった。それも事実だ。勝って、ようやく多少の益があった程度。負けた時、アルカディアが被っていた被害を考えてみるのだ。ブラウスタットは奪われ、オストベルグも手に入らず、かの大平原で大勢の英雄たちが命を落とした可能性を孕んでいた。これも事実だ。口をつぐむのだ第二王女。此処は、女子供の立ち入る場所ではない。議論は大人のものだ」
エレオノーラは歯噛みする。優しい兄に牙を向けた。優しい兄から牙を向けられた。その表情を、王気をまとったその顔に、押し潰される己が無力を初めて知った。
「ガリアスはすでに進攻していたと聞く。どちらにせよオストベルグは滅んでいたはずだ」
フェリクスもまた牙を向ける。しかし――
「エルンスト、エィヴィングの死亡は確認されていない。柱たるストラクレスが生存し、王族も生きているのならば国は建つ。その牙が向かう先は何処か、考えずともわかるでしょう。あの場の英雄をストラクレスに蹂躙され喪失し、ガリアスと接し、ネーデルクスも攻勢を強めてくる。背後には憎しみの巨星が……私は恐ろしい。兄上は恐ろしくは無いのか? 薄氷の下にあった絶望の状況が!」
フェリクスは言葉を失う。理屈ではない。勝てないと本能が叫ぶ。いつだってそうだった。弟の輝きに眼が潰れそうな思いをしてきた。今日も同じである。
「私の狙いはただ白騎士に反省を、罪の意識を持ってもらうことではない。白騎士の功績は認めた上で、彼の蛮行を咎めて世界にアルカディアの姿勢を知らしめる、それこそが私の狙いなのです。戦に毒を用いた、ひとつの都市を、黒羊という英雄を、下策にて滅ぼしたことも非難に値する。君はやり過ぎた。私が庇いきれぬほどに」
それはアンゼルムが勝手にやったこと。そういう反論をエアハルトは待っていた。しかし、その反論は容易く潰されるだろう。あの戦の総指揮は誰か、あの毒の出所は何処か、何よりも咎められるであろう一軍団長が何故大将を差し置いて総指揮の立場についているのか、それらが怒涛で押し寄せてくるはず。
「全て、私の責任です」
普通ならば一つ一つ理屈をもって、物証を、証人を携えて反論できた。しかしエアハルトは証人になりうる人材を、物証をかき集める時間を、与えずに奪い去った。そしてエアハルトの立場と弁術が理屈を屁理屈に変えてしまう。
(それでも君は抵抗するしかないはずだ。それとも諦めたのか?)
エアハルトは知っている。彼の辞書に諦めるという言葉が無いことを。その成り上がりを、並々ならぬ情熱を、野心を知るゆえに、今の状況が不思議に映る。
「全てを受け入れると? 弁明しないと申すか」
これがエアハルトの最後通告。足掻くなら、これが最後の機会だぞ、と。
「全てを受け入れることがアルカディアの為になるのならば」
ウィリアムは今一度頭を垂れ、跪いた。
(忠義を見せ、いつかの機会を待つ、か。残念だよ、ウィリアム君)
エアハルトは白騎士が自分を上回り、自分を凌駕する存在と考えてこの場を設けた。しかし、結局のところアルカディアにおいて自分とウィリアムでは大きな差があったのだ。今となってはあの時のともし火でさえ大きく見える。
ウィリアムは死んだ。期待させるものは何も残っていない。
「お兄様! 何卒、何卒命だけはお助けください!」
エレオノーラの嘆願。エアハルトは苦笑する。確かにウィリアムは王命に背いた。普通ならば極刑に処するのが通例。しかし、ウィリアムを死刑台に送るなどエアハルトどころか王でも難しいだろう。積み上げた功績、そして民や兵の士気にも影響する。危機的状況下で英雄を断つ判断は出来ないし、するつもりもない。
「私も鬼ではないよ。彼の功績を認めた上で、と前置きしただろう?」
ウィリアム・リウィウスというカードを使うつもりは無い。されど、使わずとも利用する手はある。それは生かしておくこと、生かしていつでも動かせるぞと内外に知らしめておくこと、これでプレッシャーを与えることが出来る。
そのために殺さない。生かして飼い殺しにする。アルカスの敷居も跨がせない。中枢から遠ざけ、存在だけを利用し続ける。白騎士というブランドの輝きが擦り切れて消え去るまで。その栄光が誇りをかぶり歴史の片隅に沈むまで。
「ウィリアム・フォン・リウィウス」
エアハルトは微笑む。最後にはやはり自分の思うとおりに成った。
「貴殿を旧ラトルキアの領主に任命する。以後、軍務につく必要はない」
これでいい。
「御意」
全てが丸く収まった。
「退席して良い。今までご苦労であった。君は紛れもなく我らの英雄であったよ」
ウィリアムは一礼をして去っていく。その背をエレオノーラは哀しげに見つめていた。これ以上掘り返しては悪い方にしか転ばない。傍目には領地を得て貴族として箔がついた。そう見ることも出来る。これで良いのだ。これが落とし所。
「殿下」
その背が、見えざる貌が笑っていた。エアハルトは目を剥く。死んだはずの男が――
「必要となりましたらいつでもお声かけください。私はアルカディアの剣として修練を、研鑽を欠かすことなくお待ちしております。全ては、アルカディアのために」
輝きが満ちる。その大きさにエアハルトは貌を歪めた。
(潔し! まだ死んではおらぬようだ)
(殿下の顔色を見るに使う気はないだろう。だが、雰囲気は敗者のそれではない)
(いずれ機会もあろう。まだ、切り捨てるには早い、か)
最後の最後で議場を支配したのはウィリアムであった。一度決定した以上、これ以上を与えることも奪うことも出来ない。それに間違いではないはずなのだ。確実に白騎士から剣を奪った。道を閉ざしたはず。
(君は何を考えている? 私の見えていない、何かがあるというのか?)
エアハルトの懸念を他所に、ウィリアムは表舞台から姿を消した。
栄光からの転落、この先に道はあるのか。その眼に映る先は何処か。
カルマの塔は静かに聳え続ける。
○
オストベルグが誇る大平原の北端、モラヴィアに居を構えるのはアルカディア第二軍ヤン・フォン・ゼークト率いる精鋭であった。グスタフ、グレゴール、アンゼルム、シュルヴィアを中心とした軍の強さは、超大国ガリアスを相手取っても引けを取らない。
「ふざけるなッ!」
堅固な樫の机を砕くシュルヴィアを誰も咎めることはない。全員が言葉を失っていたのだ。英雄として凱旋したはずのウィリアム・リウィウスが、軍団長の地位を失い僻地へと追いやられていたのだ。
「王命に背いた罰としては破格だよ」
ただ一人、ヤンだけはこの事態に平静としている。グスタフは懸念を浮かべながら自分の主を見つめていた。明らかに普通じゃない入れ込み様だった相手が陥れられたのだ。もっと別の反応をしてもいいだろう。それとも入れ込んでいるというのは思い違いで、ヤンはそれほどウィリアムのことを特別とは思っていないのかもしれない。
「黒金を討った英雄だぞ! 私や、そこの木偶の坊二人を合わせてもまだ足りぬ怪物を、あいつは一人で倒したんだ! この国はその英雄を報いるどころか切り捨てた! 馬鹿げているだろうが!」
シュルヴィアの感情はあの場にいた武官の総意でもある。だからこそ勘違いしてはいけない。この国を動かしている連中は――
「彼らにそんなものは通じないよ。戦場に出たことも無い者に、戦場の機微や熱がどうして伝わる? 彼らはものを知らない。衰え始めた老いた英雄を、若く傲慢な若者が討った。英雄成りたさに、王命に背いてまで、ね」
シュルヴィアは拳をヤンに向ける。割って入ったグレゴールがそれを止めた。
「そう思う者もいるって話さ。そう誘導したい者もいる。ウィリアム君は強くなった。信じられないほど、強くなってしまった。強過ぎたんだ。王族の逆鱗に触れるほどに」
ヤンは目を伏せる。
「どさくさに紛れて白騎士は全部背負わされるだろう。オスヴァルトやテイラー、僕の、任じた者たちの責任、全て、だ。もう二度と立てぬようあることないこと押し付けられる。潰れるまで入念に、ね。酷い話さ」
この場の多くが帰還を許されなかった時点で嫌な予感はあった。王命に背いたことが大事なのは理解している。されど、黒金を討ちオストベルグの半分を手に入れた男なのだ。それらを鑑みれば、今までの貢献を考えれば、これはあまりにも義を欠く仕打ちである。
「この話は終わり! あ、忘れてたけどアンゼルム君には本国への帰還命令が出ているよ」
「今、ですか?」
「今だから、かもしれないね。こっちは僕らに任せていいよ。ガリアスの視線も僕らじゃなくて別の方に向いているだろうし」
「ほんと、今年はどんな年なんだよっと。オストベルグは消えるわ、エスタードは属国みたいになるわ、そんでお次は……ひでー年だ。早く終わって欲しいぜ」
時代はうねる。アルカディアでの変化など小さなことかもしれない。巨星が二つも落ちた。さらにもう一つ、今まさに落ちようとしている。今までの激動がプロローグでしかなかったかのような激しさで世界は回る。もはや誰の手でも止められない。
時代はさらに加速する。
○
カールをその報せを聞いてしばし目を伏せた。愚かな判断だとカールは思う。愚かな己でもわかることを上層部は理解していない。ブラウスタットが奪われ、ネーデルクスに押し込まれつつある現状を、あまりにも楽観し過ぎている。
「戻ったら陳情してみるよ。意味はないと思うけど」
カールは眼を薄く見開く。
「今は、こっちの方が大事だ」
騎乗するカールの眼前には自陣が、食い破られつつあるそれを見てカールは微笑む。
「平手は素直だね。あれだけクソみたいな手で僕らの大事なモノを奪った相手とは思えないよ。うん、だからこれは本命じゃない。嗚呼、今度は貴様らが死ぬ番だ」
凄絶な笑顔。カールがついぞ見せなかった攻撃的な笑顔。手塩にかけた拠点が奪われた。大事な人がまたしても傷つけられた。もう許せない。自分の弱さが許せない。今まであの怪物から吸収した全てを、己はまだ発揮していない。自分に合わない、性根とはかけ離れたものを無意識に排除してきたから。
この相手には無意識は働かない。奪われ過ぎたから――
「さあ、殲滅しよう」
自陣が食い破られるほんの手前、その一手差が勝敗を分けた。左翼右翼共に敵の部隊を突破、包囲陣を完成させる。此処までは相手方の想定通りだろう。全戦力を投入したらこの程度は可能だとディエースならば計算するはず。
「そっちもだよクソ野郎」
その計算を逆手に取った。此方が包囲陣を完成させ勝利を確信した瞬間、狙ってくるであろうルートに伏兵を配置した。この包囲を完成させるために必要だったはずの駒を、打つかわからない手に対して使い、包囲はそれなしで完成させる。
その偉業を達成させる力がこの男にはあった。
(モチベーターの才も鑑みれば、こと守備に関しては白騎士すらしのぐぞ、この御人は)
今度はディエースがハマる番であった。怒れる『剣聖』ギルベルトの猛攻を受け奇策は不発、それどころか奇襲をかけるはずだった手駒のほとんどを失い、敵本陣を攻めていた大きな釣り餌も言葉通り殲滅されてしまった。
妥協無く、情け無し。さらに深化する第三軍大将カール。もはや彼を軽んじる者は戦場に存在しない。その背は歴代の大将と遜色が無いほど大きく見える。
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