真・巨星対新星:完全決着
アポロニアは北で行われている争いと東方で巻き起こる戦を感じ、歯噛みした。今、世界の中心は二つである。一つが佳境、もう一つも終わりは近い。自分はその中心にいない。中心を作ることも出来ない。
ジェドとエルビラの戦術を前にのらりくらりとかわされ、気づけば時間ばかりを浪費させられていた。目指す先はこの向こう、英雄王のお膝元である。それなのにこのザマでは自分の資質を疑ってしまう。
「私よりも輝いている。私はそれを許せるのだろうか」
白騎士に打ち倒されたあの日から、胸に渦巻くどす黒い感情。幸か不幸か女王は敗北を知らなかった。尊厳ごと打ち砕かれる本当の敗北を知らなかった。知ってしまったから、もう二度とあの頃へは戻れない。
「私より強い存在を、私は許容できるか」
激動はあらゆるところへ波及する。
○
ウィリアムは手に取った王命を読んでいる最中、不思議な感覚を覚えた。王命の中身を読み、その中に内在する意図を掴み取り笑っていた、丁度その時であった。王命の中を見て迷いが生まれていた。どちらにせよ最終地点は変わらないが、この分岐を強行した先で思惑通りことが運ぶかどうか、自信を持って断言できるほどウィリアムの眼は万能ではなかったのだ。それでも――
「……強いな。充分過ぎる」
遥か遠方で戦う好敵手の強さ、充分過ぎる力を感じウィリアムはその処分を決めた。新たなる時代の先駆者がこれほど強いのだ。きっと思惑は叶う。そして思惑すら超えてその牙は自分の喉下にまで届くかもしれない。
「先へ行け。俺という存在が届かぬところまで」
ウィリアムは処分を決めた王命を机の上に放っておく。
もはや時代の流れは止まらない。
○
優勢を保つヴォルフだが決定打に欠ける。そして肉体はすでにほぼ全ての部位が異常をきたしていた。時間がない。されど決め手も無い。それ以上に――
(ほんと、冗談やめてくれよ)
烈日が、
(墜ちろよクソッ! こっちはどんだけ限界超えたと思っていやがる! 沈め、沈め、沈めよ旧時代! 此処まで来たんだ、もう、俺の時代のはずだろうが!)
さらに輝きを増した。
(俺様は何を、今何を思った?)
エル・シド本人すら自覚無き更なる成長。それはヴォルフの覚醒、十割に至りエル・シドを追い詰めたことが原因であった。戦いを楽しみ、相手が強ければ強いほど自身も強くなった怪物。負けたことがないわけではない。しかし、己が土俵で、己が全霊をかけて凌駕された経験はなかった。
本当の敗北をエル・シドは恐れたのだ。
(わからんが、がは、燃えるなァ)
そしてその恐れこそエル・シドに欠けていた最後のパーツ。
「わりーなチビ。テメエらの大将は充分バケモンだった。掛け値なしに。だが、うちの大将は、大カンペアドールは、もっと強かった。強過ぎた」
完全無欠と成ったエル・シドは最強の肉体の最高を引き出してしまった。十割という最大の壁。それを引き出させたヴォルフは称賛に値する。だが、
「底なしか、エル・シド・カンペアドール!」
最強はこの男、エル・シド・カンペアドールのものなのだ。エル・シドは思い出す。倦怠を知る前、全てを超えんと刻苦した日々を。神から最強の肉体を与えられた。光差す導き手たる『エル』も授かった。自分は負けてはならないのだ。
そもそも、自分は極度の負けず嫌いだったはず。
「悪いな黒狼、最後は俺様が勝つッ! 勝ってこそエル・シド、最強でこそ己だァ!」
最強の一撃がヴォルフの剣を吹き飛ばす。一つの牙が崩れ去った。ヴォルフの体勢も崩れている。対してエル・シドはいつでも次の一撃を放てる状態であった。そしてエル・シドは躊躇い無く振り被る。十割の、最強最高の一撃を最強の挑戦者にぶつけるために。
「でも、まだ眼は死んでいない」
誰もがヴォルフの敗北を察した。ジャクリーヌらは目を細め、アナトールは青い顔で己が主の名を叫んだ。敵も味方も、『二人』を除いて、結末を思い描けてしまった。
「リーリャ、力を貸してあげてね。私たちの、大好きなひとに」
ニーカはまるで背中を押してあげるかのようにそっと手を――
(振り返らなくてもわかるさ。まだ俺は生きている。んな、熱い手で押されなくとも、死んで無けりゃあ何度だって立ち上がってやらァ。見とけよ、みんな)
ヴォルフは、絶対的不利な状況で、
「全部、くれてやる」
笑った。
「だから、俺に勝利をくれッ!」
身体の限界も、精神の限界も、超えた先――
「墜ちろォォォォォオオオァァアアアッ!」
ありえないはずの領域へ。
刹那の煌き。最速の果て、最強を超えた狼の軌跡。
ヴォルフの腕がだらりと下がる。血が滴り落ち、間接がものの見事に外れていた。骨折箇所など数えるのも億劫になるほど。眼は虚ろ、手には刃すらない。
一見して敗者。表情も、冴えない顔をしていた。
「何が、起きた?」
周囲の誰もがそれを目撃することが出来なかった。
突然だった、想像していなかった。そういう次元の話ではない。皆が注視している中で、誰一人として結末を目撃することが出来なかったのだ。何故ならば――
「……ガハッ、見えんかったぞ」
それは――速過ぎた。
エル・シドの大矛は真っ二つに、そして狼の牙は烈日の肩口から袈裟懸けに、腹の途上にて突き立っていた。其処まで裂き、牙が耐え切れなくなったのだ。柄はあらぬ方向へ飛んでいき、牙だけが烈日の身に残る。
(頼む、これで、墜ちてくれ)
牙が折れ、身体も死に体。全部差し出した。信念も、皆の思いも、自分の誇りも、次の一撃、未来をも、差し出して十割を超えた。もう、一滴すら残っていない。
そんな相手を見てエル・シドは――
○
(墜ちろ、墜ちてくれよ。もう、雫も出ねえ)
ヴォルフは顔を上げることが出来なかった。手応えはあった。普通の相手ならば勝利を確信するほどの手応え。しかし相手は巨星、烈日のエル・シド・カンペアドール。真の頂点である。倒せたのか自信が無い。倒せていない場合が、怖い。
(あんだけでかいことほざいて、出し尽くしたらこのザマか)
腕は動かず、牙は二本とも喪失、精神が肉体を凌駕していたからこそ耐えることの出来た痛みが炸裂する。満身創痍、もはや欠片すら出てこない。力は、尽きた。
(情けねえ。俺は――)
ヴォルフは顔を上げることが出来ない。大地を苦渋の表情で見つめていた。
「ヴォルフ・ガンク・ストライダー」
エル・シドの声が頭上から響く。終わった、ヴォルフの顔がさらに歪んだ。全てを出し尽くし、死に体になるまで駆け抜けてなお、届かなかっ――
「強者が下を向くな。俺様に勝った男だ。胸を張れィ」
ヴォルフは言葉の意味を解するのに少し時間がかかった。意味を理解し、おそるおそる顔を上げていく。眼を引くのは体の中腹にまで達していた狼の牙。折れたそれは、すでに烈日の命運を切り裂いていたのだ。
袈裟懸けに致命の傷を負い。大矛を砕かれ、死を前にしてなおエル・シド・カンペアドールという男は君臨していた。背筋を伸ばし、この世の誰よりも大きく見えるその背は、決して敗者のそれではない。
「生まれ出でて幾星霜、ようやく俺様は知った。これが敗北なのだな。全てを出し尽くし、限界を超えて、それでもなお届かぬこれが、敗北。ガハハ、何と苦いことか」
エル・シドの口の端から血がこぼれる。体からとめどなく流れる血は、何処か熱を帯びていた。その顔は苦渋に歪んでいるようで、何処か晴れ晴れとしている。烈日は長き時の果て、ようやく知ったのだ。敗北の味を。
それは苦く、そして何処か甘い。
「だが、悪くない気分だ。礼を言うぞヴォルフ。よくぞ俺様が俺様である内に戦ってくれた。時ではなく人の手で死ぬること、まさか叶うとは思ってもみなかった。至極愉快である」
エル・シドは笑った。その精神状態を他人であり若輩であるヴォルフが推し量ることは出来ない。ここに来て何故勝てたのかわからないほど、目の前の怪物は高いところにいた。
「これより先、次の時代に繋ぐまで、貴様が最強たれ。この俺様を超えたのだ。そのくらいは背負って見せろ。がは、俺様は地の底でそれを見ているぞ」
エル・シドはゆっくりと腕を広げた。
「ヴォルフ・ガンク・ストライダー、貴様の、勝ちだ」
そしてゆっくりと後ろへ傾いていく。ゆっくりと、緩やかに、烈日は墜ちていく。
ヴォルフはそれをしっかりと見ていた。あまりにも満ち足りた表情で、あまりにも鮮烈な死に様。勝った余韻など微塵も無い。勝利の感覚がない。
烈日が墜ちた。半世紀にわたり天頂に輝いてきた太陽が消え去ったのだ。
(俺は、勝ったのか?)
声が上がらない。当の本人でさえ実感が湧かないのだ。目の前で地に墜ちた怪物を見ても、募るのは敗北感ばかり。諦めかけた、狼の弱さを遥かに飛び越えて、烈日は死を受け入れて笑いながら逝った。その差は、ヴォルフにとって敗北感を与えるのに充分なものであったのだ。
(俺は、目の前の怪物に、勝てたのか?)
底無しの力を持ち、相手が強ければ強いほど輝きを増した太陽。強かった。強過ぎた。傲慢で己を天才と疑わぬ男でも畏敬の念を覚えるほどに。
「あばよチビ助」
ディノはユリシーズをネーデルクス側に投げて、自らもまた馬から下りる。
「いつか彼方にて決着を、強き雌狼よ」
クラビレノが、他にも十人以上、この戦場を見渡しても秀でているエスタードの将たちが、馬から下りてディノの周りに集まった。さすがに警戒の色を浮かべるネーデルクス軍。黒の傭兵団はもとより、ジャクリーヌやマルサス、アメリアらもヴォルフを囲む。
「警戒すんなよ。こっちは馬から下りてんだ。武器だって――」
ディノは愛用の石斧を捨てた。それに倣い他の者も武器を捨てていく。
「この通りだ。まあ、なんだ、エル・シド・カンペアドールは俺たちにとって絶対だった。誰よりも強く、力を尊び、俺たちもまた其処を目指した。そういう男が負けたんだ。その意味、たぶんテメエらの思うよりも遥かに大きいぜ」
ネーデルクス側は警戒を強めた。まだ戦は終わっていない。エル・シドを欠いてなおエスタードは強い。ヴォルフもしばらくは動けないだろう。状況は決して優位ではないのだ。
「俺たちの負けだ。エスタードはネーデルクスに全面降伏する。エル・シドが死んだってことは、烈日が負けたってことは、エスタードにとってそんくらい大きいのさ」
それが、ディノの一言で崩壊した。ネーデルクス側は耳を疑う。されどエスタードの者たちにさざなみほどの衝撃は無かった。エル・シドが負けた。それはつまり自分たちの敗北、エスタードの敗北そのものだと、彼らは刷り込まれていたのだ。
「もちろん、負けました許してください、ってわけにもいかねえだろ。戦争だ、けじめってもんがある。だから――」
ディノたちは一斉に地面に座り込んだ。視線を低く、頭を下げる。
「エスタード王国将軍ディノ・シド・カンペアドール以下十四名、いずれも名のある首だ。これを持って手打ちとしてくれ。下っ端の兵、エスタードの民、その辺は許してくれるとありがてえ」
迷い無くディノたちは首を差し出す。
「強い方が正義だ。今、正義は俺たちの手には無い。そちらの、ヴォルフ・ガンク・ストライダー殿の手にある。どうかその正義、深慮にて差配して頂けることを望みます」
エル・シドの教えを忠実に守り、彼らは命を差し出した。強き者こそ正義。今、この場で最も強き者はヴォルフである。
「いらねえよ、首なんて。民がどうした、国がどうしたってのは傭兵の俺たちが決めることじゃねえ。ネーデルクスが決めることだ」
そのヴォルフが口を開いた。エスタードの兵たちは静聴する。
「ったく、どっちが勝者かわかりゃしねえ。大したタマだよ、エスタードども」
ヴォルフは大きく息を吸い込んだ。
「いっこだけ教えてくれ。テメエらに聞くのも変な話だがよ……俺は勝ったのか?」
「文句のひとつも無い。あんたの勝ちだ、黒狼のヴォルフ」
ディノの言葉を聴いて胸のつかえが取れた。じっくりと息を吐き――
そして破願する。上がらない腕の代わりにアナトールが手を上げた。アナトールはちらりとヴォルフを見る。勝者は、勝者の責務を果たさねばならないのだ。
「俺たちの勝ちだァァァァアアアア!」
ヴォルフの咆哮。それに反応して叫ぶ黒の傭兵団。天に手を突き出しながら誰よりも大声で叫ぶアナトール。その横で小さく手を叩いて賛辞を送るのはジャクリーヌであった。ネーデルクスの皆も我を忘れたかのような大声で咆哮する。
嵐は去った。雲の切れ間から光が差し込む。その中心にヴォルフはいた。絶対の強者として、満身創痍ながらも生き残り君臨する。
天に轟く狼たちの咆哮。烈日が、太陽が落ちた。これはまさに新時代の幕開けである。誰よりも速く、ヴォルフ・ガンク・ストライダーが天に瞬いた。
巨星墜ち、新星昇る。新たなる巨星がこの日生まれた。
その名はヴォルフ・ガンク・ストライダー。
戦史にまた一人、時代最強の戦士が刻まれることとなった。時代が変わる。そのすぐあと、一週間もしないうちに別の巨星も墜ちることとなる。時代は、大きな変換点に差し掛かっていたのだ。
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