真・巨星対新星:黒狼の道

 死の間際に見る夢はきっと妹の夢だと思っていた。もしくは亡き右腕のユーウェインか、どちらにせよ少しは満たされた終わりを迎えられると、思っていた。

「……野郎の、しかもテメエのけつかよ。ほんと、なえるぜ」

 ヴォルフの視界には白の騎士が立つ。周りには何もなく、ただ一人孤高にて君臨する。誰もついて来れない。誰もがその背中に畏怖を覚える。その遠さに眩暈がする。崇拝するか眼を背けるか、ついて来ようとする者はついぞ現れなかった。

「あの時もテメエはそうやって涼しい顔をしてやがったな。当たり前みたいに、誰も見ていないところでもがいている。見せる背中はいつだって完璧で、そんな弱さを微塵も感じさせない。嫌な野郎だよテメエは、ほんとによ」

 ヴォルフは王会議の時金魚の糞の如く、その背中を追っていた。優雅で、気品に溢れて、誰もがうらやむ姿にヴォルフは何も感じなかった。ただ、その裏で連日連夜のパーティ、さまざまな出来事の裏、一切手を抜かず、習慣の修練を欠かさなかった。その姿勢にヴォルフは畏敬の念を覚えたのだ。

『何故そこまですんだ?』

 当時のヴォルフは問うた。ユーウェインを失い、仲間を大勢喪失し、英雄王の下、人生でしたことがないほどの努力をした。そのヴォルフでさえ祭りの日くらいは休む。そもそも気が入らないだろう。こんな日に、誰も見ていない日陰で、何故其処までやれるのか。

『怖いからさ』

『怖い? テメエが?』

 意外な返答で驚いたことを覚えている。

『怖いさ。俺はお前たちのように天才じゃない。一日休めば、俺が立ち止まった日に誰かが進んでいる。一歩差が生まれる。それが一歩ならいい。だが、天才は一日で二歩も三歩も進むだろう? ならば、凡人に出来るのは一歩を刻み続けることだ。天才が一日休んで、二日休んで、その中で進み続けることだけが、凡人に与えられた活路なのだから』

 背中が見せた弱さ。

『弱っちい話だな』

『お前にはわからん気持ちだろうな』

 それを鼻で笑った自分。

『それに、俺の道が踏み潰してきた命にとって、俺が立ち止まるなど許せる話じゃないだろう?』

『意味がわからねえ。倒してきた敵が何だって言うんだ?』

『敵だけとは限らんさ。敵も、味方も、俺の道のために散った命全てだ。今までの、これからの、全てに対して俺は責任を感じている。それに値する何かを、生み出さねば奪い取った意味がない。何も生み出せぬまま死ぬ、これも怖い』

 意味がわからなかった。遠く抽象的な話で、実感としてあまりにもかけ離れ過ぎていた。結局自分と白騎士は交わらぬのだとその時は思った。

『わからん』

 白騎士はぶっきらぼうな回答に苦笑する。

『いつかわかるさ。お前が人の上に立つ器ならば。お前の背中に懸かる命、その重さ。たまには振り返ってみればいい。前ばかりでは見れない景色もあるだろうよ』

 わからない。わからなかった。その時は強くなることに夢中で、強くなることを免罪符にして、ヴォルフはいつも目をそらしてきた。前ばかりを見ていること、強くなる道だけを見つめること、其処に余分なものはない。

 何のために自分は強くなろうと思ったのか。

「そりゃあけつばっかりにもなるか。前ばっかりだもんな、俺は」

 ヴォルフは頭をかいた。ようやく、わかったのだ。ゆっくりと振り返る。

 そこには大勢の命が、炎が、ユーウェインや傭兵団の仲間たち、そして最愛の妹、リーリャが、そこにいた。狼の歩んだ道、踏み潰した敵だけではない。その礎たる仲間たちの命もまた犠牲になっているのだ。

「くそ重ェ。でも、悪い気分でもねェや」

 その命の重さを再確認する。誰がために強くなろうと思ったか。自分のため、人のため、世界のため、忘れていたことが思い出される。始まりを、そして目指す先を、忘れてはならない。己が道は喪失に対する叛逆なのだ。

 弱者であった己が声が届かず散った命。声を届かせるために力を求めた。強くなることが目的ではない。強くなって聞かせるのだ。己が声を。届かせるのだ。声無き者達の叫びを。自分は知っているのだから。自分がそうであったのだから。

「みんな、もう一度、ちゃんと背負わせてくれ。その重さを、受け止めさせてくれ。全部背負って、俺は駆け抜けるよ。精一杯、生きてみせる」

 忘れるな。

「俺たちの声を聞かせてやろうぜ」

 狼が吼える。そして狼の王は笑った。


     ○


 エル・シドは止めを刺そうとする動きを止めた。何かを感じ取ったのか大矛をぴたりと止め、横たわる敵の様子を観察する。エル・シドの眼に映るのはかすかな炎――

 黒の傭兵団は最前列で叫んでいた。すでに戦場はエル・シドに狼を到達させた時点で終わっている。あとは狼が勝つか、太陽が勝るか。劣勢どころか敗色濃厚の狼、されど彼らはこの様子を見てもなお狼を信じていた。

 エスタードの将たちも無言で敵の様子を見つめていた。誇りを懸けた戦場、抜かれてしまった以上自分たちは負けたのだ。烈日に反抗することなど考えたことも無い彼らにとって、ボロボロになりながらも向かっていく様はより美しく映った。

 ディノはぼろ布の如くよれよれになったユリシーズの首根っこを引っつかみ、一番見やすいよう最前列に割り込んで、意識を失いかけているユリシーズの頭を揺らす。

「起きろガキ。丁度いいとこだ」

 意識が戻り己の主が地面に倒れ伏す姿を見てユリシーズは絶句する。あの状況から勝てるビジョンが見えてこない。そもそも烈日の輝き、強さはユリシーズの理解の範疇を超えていた。

「馬鹿面してんじゃねえぞ。この俺を際まで止めたんだ。もっと感じ取れ。もう死んでんならうちの大将がちゃっちゃか殺してる。殺してねえってことは、死んでねえってことだろ。よーく見ろ、少しずつ、再燃し始めてやがるぜ」

 ディノの言葉にユリシーズははっとした。烈日の輝きに眼がくらんでいたが、確かにヴォルフの内側からほんの少しだけ炎がこぼれ始めていた。しかし、あくまでかすかに感じるレベル。相手の天輪とは比較にもならない。

「誇れよガキ。此処までやられて、あの人相手にまた立ち上がる。狼の小僧はすげえよ。ガキどもの考える何倍も、すげえんだ。半世紀、戦った奴は敵味方問わず全部折ってきた怪物に、折れずに立ち向かうことの至難さ、想像を絶する」

 ディノは自嘲する。目指すことから己が武は始まった。強くなるにつれその遠きを知り、気づけば形だけ目指す日々。超えることどころか追いつくことすら諦めていた。ピノもラロも、全員同じである。折れていたのだ。

 今、立ち上がろうとする男は折れていない。

「すげえな。テメエらの大将は」

 今、再燃する炎を見て、理解できてしまう。

「ヴォルフ!」

 今、立ち上がった男を見て仲間は名を叫ぶ。もう一度、夢の続きを彼らは求めていたのだ。ヴォルフの強さに集まった社会的弱者の群れ。国を捨てた、捨てざるを得なかった者たちばかり。ヴォルフの強さに惹かれた。その背に、思いを馳せた。

「ヴォルフ!」

 アナトールも叫んだ。偶然、数奇な運命からくつわを並べることとなった。最初は勝手に着せられた恩を返す、その程度の認識でいた。しかし旅を重ねるにつれて、戦を重ねるにつれて、認識は変化する。初めての感覚、畏怖や恐怖とは違う強さを持つ男へ、本当の意味での忠義を覚えたのだ。強さに潜む温かさに惚れこんだ。そのきらめきが高まっている今に震える。心が、ざわめく。

「ヴォルフ、がんばれ」

 ニーカは絶対に届かないであろう小さな声でつぶやいた。世界の趨勢を決める戦いから見れば遥かに小さな喪失から二人の旅は始まった。多くがあった。後悔したこともあった。それでも今は心から思う。彼で良かったと。ヴォルフを選んだ自分が誇らしい。仮初めの安寧を捨て、茨の道を歩んだ。その先に光があることを信じて。

「俺はあんたより弱ェな」

 言葉とは裏腹に高まる闘志。エル・シドは微笑んだ。もう一度、期待して良いのだと胸が躍る。何度も砕いた。砕くたびに強くなって戻ってきた。今度もまた――

「だがよ、俺たちは強いぜ。あんたよりずっと」

 強くなって戻ってきた。炸裂する雰囲気。背後にはもやのような何かが見える。それは人の形をした炎。ヴォルフが歩んできた道、その全てである。

 いつの間にかヴォルフの横で愛馬がかしづいていた。ヴォルフを乗せることを誇りとし、もう一度共に駆けよう、太陽を落としてみせよう、と意思表示する。

「うし、んじゃ一丁やりますか」

 ヴォルフはこきこきと首を鳴らした。今までに無く心が充実している。魂が歓喜している。後ろには過去と今が背を見つめている。彼らに恥をかかすわけにはいかない。ヴォルフを信じて道に殉じてくれた仲間たち。ヴォルフを決死の思いで太陽まで送り届けてくれた仲間たち。過去と今が交わり未来への道と成った。

「俺たちは強い。俺たちの声を聞けッ!」

 全てを剥き出しに、『黒狼』のヴォルフ・ガンク・ストライダー、十割発進。


     ○


 矢の如く飛び出したヴォルフをエル・シドは迎え撃つ。先程よりも輝きを増した眼、迷い無きそれを見てエル・シドは確信を強めた。あまりにも強く、ゆえに孤高。自分と同じステージにまで這い上がってきた狼を見て烈日は凄絶に笑う。

「俺様が、最強だッ!」

 エル・シドは加速する狼に向けて大矛を振るう。破壊的な一撃、そらすも地獄、受けるも地獄。強過ぎる力は触れることすら許さない。

「だから、認めるっつてんだろーがッ!」

 その一撃に向かうヴォルフは全力で身体をねじった。ぎゅるん、弾かれたように回転し、しなる腕は人の駆動域を超えている。マイナスからプラスへ、ゼロの先から一気に加速する。そして超える。先程までの己を。

 到達する。烈日のステージへ。

「ぬッ!?」

 互いの一撃はものの見事に同じ威力で相殺された。つまりは――

「だけど……勝つのは俺だッ!」

 速度で、回転数で勝るヴォルフの方が優位ということ。ヴォルフは間髪いれず連続で打ち込む。以前の攻撃よりも手間がかかる分を差し引いてもヴォルフの方が早い。

「俺様を、またも圧すか!?」

 エル・シドは満面の笑みを浮かべた。何度砕いても、己が限界を超えて生涯最強を更新してなお、立ち上がり自分と戦っている相手を思うと、笑みがこぼれて仕方が無い。それほどにエル・シドは退屈していたのだ、最強である己、対抗できる者たちは別の道、残りは全て自分を忌避する半世紀であった。ようやく、めぐり合えたのだ。

「ぐ、ぎぃ」

 人を超えた速度は、他者を圧すると同時に自分をも破壊する。人間が普段かけているリミッター全てを解除した状態。全ての動きが先程を上回るかわりに、全ての動きが生み出す肉体へのダメージも跳ね上がっていた。

「潰れてくれるなよ小僧ッ!」

 そう言ったエル・シド自体が黒狼が退かぬこと、潰れぬことを信じていた。現状では自分よりかなり劣る肉体。系統は違うとはいえ本来この差は勝負にならぬほどであった。無論、他のものと比べれば十二分に怪物であるが。

「痛いのは良い。辛いのも構わねえ。だから、勝つぞ!」

 それを精神が凌駕させる。ウィリアムの十割とヴォルフの十割では意味合いが違い過ぎる。肉体の質が違うのだ。しなやかで、やわらかく、それでいて強靭。エル・シドを除けばストラクレスでさえ才能面では後塵に拝すだろう。

 そこにウィリアム並の精神力が加わったなら――

「お、お、お、おォ!」

 烈日すら喰らう狼が誕生する。

 墜ちるか、太陽。


     ○


 ウェルキンゲトリクスは遠くの地に開花した新時代を知る。自分のよく知る狼が自身の強さを知り、彼の真性が明らかになった。

「ウェルキン、最近遠くばかり見ているのね」

 聖女ははにかむ。年を経てなお美しい表情。年相応のふけ方をしているが、美しさと温かさはほんの少しとして損なわれていないだろう。

「最初はヴォルフ君だ。今は、俺より強いんじゃないかな」

「あらあら、大きくなったのねえ」

 英雄王の感覚として明確に超えられたことを感じる。

「でも、相手はエル・シド・カンペアドールだ」

「……そう、なら大変ね。だって彼、貴方よりも強いでしょう?」

「ああ、強いよ。彼は最強の肉体と最強の心を持ち合わせている生まれついての怪物。惜しむらくは同時代に彼と対等の存在が生まれなかったこと。俺やストラクレスが彼の天井となってしまった。不幸なことだ」

 ウェルキンゲトリクスは哀しげな表情を浮かべていた。

 エル・シドはあれで寂しがり屋であった。強くなり過ぎて孤独になることを恐れている。だから無意識に自分たちのレベルまで抑えていたのだ。本当の彼はもっと強い。肉体の桁が違う。心も強靭無比。戦士としての隙は無い。

「ヴォルフちゃんはあの人を救ってあげられるのかしら」

「どうだろうか。もう俺の範疇に彼らはいない。わかった風なことは言えないよ」

「でも期待しているのね」

「もちろん。可能性があるとしたら彼しかいないさ。生まれついての天才で、強靭な心を持ち、それでいてエル・シドとは大きく異なる存在。嫌でも期待してしまう」

 最強の先へ。英雄王すらわからぬ境地に彼らはいた。

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