真・巨星対新星:黒狼対烈日
誰にも声が届かない。どれだけ叫んでも、どれほど喉を嗄らしても、その声が誰かの心を打つことはない。耳には届いている。届いていないわけが無い。しかしその眼が観察する。声の主を見る。見て判断するのだ。こいつは弱者である、と。
ならば、聞いても意味がない。聞く意味がない。
今日のような嵐の日であった。どうしても通したい願いがあった。額に血がにじむほど地面に頭をこすりつけた。声が嗄れても、声が出なくなっても叫び続けた。助けてください。何でもします。カスのような矜持も、ゴミのような尊厳も捨てて、泥にまみれ、それでも人に悲鳴は届かなかった。そして少年は知る。この世は強さこそ全てなのだと。
彼らを振り向かせるに足る強さが必要なのだと。
あの時の少年には力が無かった。武も、智も、金も、家も、何一つ持たなかった。唯一つ、家族だけは持っていた。だから理解に遅れたのだ。手遅れになってしまったのだ。この世の真理に知らず、愚かなる安寧を過ごしてしまった。
そんな自分が許せない。自分の声を届かせる力が必要なのだ。
(俺は強くなれたかな?)
あの日、すでに消え去った小さな国から二人の旅は始まった。二人にとって最愛の妹と最高の友人、自分たちの弱さでこぼれた少女を取り戻すための旅である。無論、失った命は戻らない。一度盆からこぼれた水は戻らないのだ。それでも二人は、強さを得るために各地の戦場を、そこに横たわる無数の屍から奪い、強さの糧とした。
ユーウェインに出会い、二人の道には明確な方向が生まれた。黒の傭兵団を結成し、卓越した才覚でみるみると頭角を現していく餓狼。失った命の分も駆け抜けてみせる。鮮烈に、思いっきり我を通して、誰も無視できないくらい大きくなって見せる。
そして叫ぶのだ。自分たちの道の始まりには小さな喪失があったことを。彼女の名を、自分たちの名と共に世界へ刻み込む。誰もが忘れられぬほどの強さと共に。生きた証を。
(ああ、わかっているさ。それを確かめに来たんだ。そうだろ?)
天に輝く巨大なる星。彼らの一挙手一投足を世界は注視している。彼らの言葉は、行動は、世界を動かす力がある。ようやく見つけた頂点、ようやく挑戦するに足る力を身に着けた。あとは超えるだけ、超えて彼らよりも大きな力を得る。
誰もが抗えぬ、最強の強さを、その手に。
アナトールとジャンは自身の血と返り血にまみれ真紅に染まりながら、それでもなお勢いを減衰させること無く進撃を続けていた。止まれば死ぬ、そんな単純な世界ではない。二人とも見てみたいのだ。あの巨大な星が、狼の牙とぶつかりどうなるのかを。
太陽が墜ちるか、狼が焼き尽くされるか――
今まで誰もが手の届かなかった頂点に手を伸ばす、その資格を持つ挑戦者を送り届ける大役。彼らの武人生涯で、もしかすると一番大きな仕事なのかもしれない。
だから送り届ける。挑戦への遠きを知るがゆえに。
双頭の龍は進撃する。血風の彼方へ。
ユリシーズは血反吐を撒き散らしながら、それでもディノを止めていた。押せば倒れそうなほどの満身創痍。されど最後の一線、決して倒れぬ強い意志があった。その一念だけで遥か高みの怪物を止める。
獅子は幾度となく咆哮を轟かせる。
ニーカとクラビレノの戦いは硬直状態であった。互いにトリッキーな戦いを得手としており、互いの手の内が読めてしまうのだ。戦闘の思考が似ている。変幻自在の鎖鎌と多種多様の武装。決着は遠い。否、決着をつけようとした方から負ける。
ニーカは無理をしなかった。今日はヴォルフの日、自分は強者を止めておくだけでいい。自分以外ならアナトールでさえ苦戦する相手。正道では難儀な相手だからこそ自分が止める。自分の得た強さを存分に発揮するニーカ。
あの日から彼女もまた強さを求めた。あの日失った物を取り戻さんがために。
強兵たるエスタードの群れ。どれほどの厚みがあっただろうか。後ろがついてきているか、確認する余裕もなかった。隣り合う達人を信頼して半分の範囲を制圧する。相手に依存し、相手も依存する。共依存の龍は――
「「圧し通るッ!」」
とうとう道を切り開いた。ぶち抜かれる群れ。その先に君臨する存在を見て、
「「ッ!?」」
一瞬で二人の心が折れた。これほどの死線を超えてなお、其処までの道のりが児戯であったかのような感覚。絶望的な戦力差を感じる。
「ここまでね、わたくしたちじゃ届かない」
ジャン、ジャクリーヌは以前ウェルキンゲトリクスと対峙した時と似た感覚を覚える。あの時と違うのは巨星の本気度。其処から滲み出る絶望感の濃度。強大極まる戦意の全てが一瞬、彼らの感性を貫き打ち砕いた。
「わかっている。俺たちの役目は、これで終わりだ」
絶望感が押し寄せる。だが、心は折れない。背中から感じる熱が、
「……悔しいけど、美しいわ、あの子」
絶望を押し返していく。灼熱の闘志が、
「ありがとよ、みんな。これが終わったら酒でもおごらせてくれ」
疾駆する黒き騎馬。拓けた道を、誰よりも速く、誰よりも自由に、溜め込んでいたものを開放するかのごとく、最速で駆け抜ける。
「俺を見ろ!」
少年は最愛を喪失した。あの日失った己が弱さを憎む。
「俺の声を聞け!」
少年は成長した。戦場を駆ける一匹の狼として力をつけた。気づけば狼は群れとなり、色々なものを背負うことになった。それもまた強さである。自分の強さに惹かれて、自分の強さの一部と成る。彼らは友であり家族、己が半身である。
彼らの献身で此処まで来れた。感謝が、熱に変換される。
ユーウェインという戦場の親、己が半身を失い途方に暮れたこともあった。目の前の怪物が怖くて仕方がなかった。今だって恐ろしい。死と隣り合っている感覚がある。感性が叫ぶ。逃げろ、と。まだ早い、と。
恐怖すら、熱に変える。狼の突貫。巨星は大矛を抜いた。同時に狼も己が牙、剣を引き抜いた。熱情が迸る。誰よりも速く、誰よりも強く、
「俺は此処にいるぞッ!」
黒き狼の咆哮が全天をぶち抜く。巨星の一撃と狼の一撃が空中で衝突、おぞましいほどの金属音が爆発する。これは人間同士が奏でて良い音ではない。あまりにも人間離れした衝突音に、戦場全てが震え上がった。
「俺は、強いッ!」
拮抗する両者。その力強さに巨星の、烈日の、エル・シド・カンペアドールが破顔した。ようやく自分に比する怪物が現れた。ようやく、全身全霊を懸けて戦えることを確信した。
二人の怪物の衝突に、嵐すら吹き飛ぶ。曇天から光が差し、二人の饗宴を照らし出すのだ。ぎりぎりと鍔迫り合う音すら埒外の音。何度でも言おう。これは人間同士の戦いではない。
戦いが始まる。戦場の王を、最強を決める戦いが。君臨するは怪物、エル・シド・カンペアドール。挑戦するは――
ヴォルフ・ガンク・ストライダー此処にあり。
○
ヴォルフの力とエル・シドの力は拮抗しているが性質は異なるものであった。エル・シドはまさに人々が思い浮かべる純粋なる力そのもの。全てをねじ伏せ、全てを打ち砕くパワーこそエル・シドが烈日たる所以である。ヴォルフの力は速さ、最高速はもちろんのことゼロから最高速に達するまでの加速が人の域ではない。全身がばね仕掛けの獣。一人だけ速度域が異なる存在。ゆえに最速最強。
「俺より速い奴はいねえよッ!」
一手すら先手は許さない。全て先んじ、全て捌き切る。受けるにしろそらすにしろ、一手でも先を取られたが最後、エル・シドの持つ力はそれこそただの一撃で戦況を覆してしまうだろう。それが巨星でも最高の肉体を持つエル・シドの力であった。
「速いだけではなァ! グハ、すぐに砕くぞ!」
それが戯言でないことはエル・シドの眼を見ればわかる。身体はヴォルフの速度に対応できていないが、目は少しずつ動きについていっている。見えているのだ、ヴォルフの動きが。これでは早晩対応されて死ぬ。
(八割じゃあ一分も持たねえ。いいぜ、先を出してやる!)
ヴォルフは感性を研ぎ澄ました。全てが引き伸ばされる感覚、みなぎる力はただそうあるだけで動くことなく骨や筋に多大な負荷をかけていた。軋む身体、人間が持つ緊急時にのみ出せる隠された力を解放した。
「きゅう、わりィ!」
エル・シドは急に加速したヴォルフの剣に驚きを見せる。ゼロから一気に加速し最高速に達する間隔、そして最高速自体も先程までより底上げされている。最高速が上がっているということは、
「くはっ! やりおるッ!」
力も跳ね上がっているということ。先程までは拮抗していた。徐々に天秤はエル・シドに傾きつつあったが、それでもいい勝負を演じていたのだ。其処から一気に一割もの増大を見せる。ヴォルフの力はスピードとパワーの相乗である。
ゆえに――
「馬鹿な、ありえん!? 烈日が、我らが英雄が――」
押し始める。様々な要素が絡み合う戦場において、ウィリアムという例外を除けば、九割という引き出しは巨星を含めても頂点といって差し支えない。凡人たるウィリアムの十割とヴォルフの八割で比べてすら単純に戦えば狼が勝る。その先となれば烈日とて、危うい領域となってくるだろう。
「俺様を、このエル・シド・カンペアドールを圧すか!」
瞬発力の悪魔は破壊の化身を相手に優位を見せ付ける。これはエル・シドにとっても久しくなかった窮地。ウェルキンゲトリクスとのじゃれ合いを思い出す。ヴォルフはそういうレベルに達していたのだ。冬の前、何度となく打ち砕いた相手。打ち砕けども打ち砕けども立ち上がり挑戦し続けた超一流の愚か者。
「な、に、笑ってやがる!?」
エル・シドの顔には笑みが張り付いていた。瞳に浮かぶ熱情は抑え切れぬ興奮のあらわれ。強く生まれ過ぎた。強くなり過ぎた。それでも自分には二人の拮抗する存在がいて、若き日は寂しさなど微塵も感じたことはなかった。
しかし――
『わしゃあ大将軍じゃ。ぬしとは違う』
会う度に喧嘩してきた狂犬は、人生の師を失いそのあとを継いだ。力だけを追い求め、互いに暴力のみで生きてきた同士が消えた。違う道を進み始めた。
『俺は君たちの誰とも等しくない。俺にとって強さは道具、彼女を守るためだけのもの』
気に食わぬ男はやはり自分とは違う存在だった。強さだけを求めてきた男にとって、その生き方は理解の範疇を超えており、悲しいほど道が重なることはなくなった。
エル・シドは求め続けていたのだ。強さだけをぶつけられる相手を。全力で殴り合い、全力で殺し合い、殺して殺され、相克できる相手を。
「強さが欲しいか?」
「欲しいから此処にいるんだろうがよォ!」
ぶつけ合える相手。自分が全力で向かい、それでもなお壊れず、むしろ己を壊さんと牙を剥く、自分を脅かすに足る力を持つ者。
「ならば俺様を超えてみろ。俺様こそ力だッ!」
ようやく現れた。長き時を待った。あの二人が自分とは違うと知ってから、倦怠の中で生きてきた。もう現れぬのではないか、そう思った時もあった。アークが現われ、少しだけ胸が躍ったが結局、自分を脅かす脅威足りえなかった。
「うそ、だろ!?」
倦怠から開放されたエル・シドは更なる飛躍を見せる。半世紀、世界に君臨してきた最強の怪物が、此処に来て進化を見せたのだ。八割が全開であった、八割で誰もついて来れなくなった。ならばその先は要らない。人は必要なしでは成長出来ないのだから。
そう、エル・シドは此処に来て必要を得たのだ。八割の、その先を。
「どうした!? 弱くなったか小僧ッ!」
ヴォルフは速さをも超える力の前に苦笑いを浮かべた。自分が弱くなったわけではない。自分史上最高記録をこの瞬間も更新している。すでに九割二分は出ているだろうか。それでもエル・シドはただの一瞬で悠々と超えていった。
「出せよ俺ェ! もっと、もっと、ひねり出せェェェエエ!」
九割五分。ウェルキンゲトリクスの先へ。ヴォルフは、ヴォルフの知る最強の男を超えた。遠き背中に追いついた。これで――
「好し、良し、よしよしよしよし! もっと俺様に喰らいついて来い! 俺様は最高に愉しんでいるぞ! まだ出せるだろう? ぐはは、実に好い!」
最強が上書きされる。
ヴォルフだけではない。ウェルキンゲトリクスやストラクレスでさえエル・シドという男を計り違えていたのだ。強さの上限が違い過ぎる。強さを渇望し、強き者を嘱望した。ずっと捜し求めていた同種の台頭に、エル・シドという怪物のたがが外れてしまったのだ。ヴォルフの強さが、怪物を更なる高みへ引き上げてしまった。
「もっとあるのだろう? 俺様に見せてみろ! はやく、はやく、はやァァアく!」
ヴォルフは必死に奮戦した。突き放されたと思ってもその先へ。折れそうに成る心を繋ぎとめて、怪物相手に立ち向かう。充分頑張った。充分過ぎるほど見せ付けた。狼の強さを。ヴォルフという男の生き様を。
「く、そがァ」
それでもなおエル・シドという怪物は――
「そうか、此処までか。嗚呼、楽しかったぞ。よくぞ俺様を此処まで愉しませた」
規格外であった。強過ぎたのだ。
エル・シドの力が完全にヴォルフを上回った。強さの桁が違った。
エル・シドは少しだけ哀しげに微笑み、そして悪魔のような表情で大矛を振りかぶった。その所作は見えている。ヴォルフの動体視力は完全に捉えていた。捉えているのにどうしようもない。全力で迎え撃ち、最高の一撃で先んじたところで、出鼻ですら力で凌駕されるのだ。差があった。絶望的なほどの、差が眼前に広がっていた。
「やはり俺様を殺せるのは時だけであった」
ヴォルフは最速最強の動きで出鼻をくじかんとする。動き始め、加速を始めたばかりの大矛に打ち込んで止めてみせる。諦める気はない。その意志を貫き、粉砕された。
その一撃はヴォルフを吹き飛ばして、落馬を余儀なくさせた。墜ちるヴォルフ。濡れた地面に叩きつけられ、泥にまみれる狼は敗者のそれ。
「ヴォルフ!?」
狼は墜ちた。天輪に焼かれて、燃え尽きてしまった。
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