真・巨星対新星:哭槍対烈華
この日は、晴れ渡る早朝の陽気が嘘のような嵐であった。雷鳴が轟き、天は分厚い雲に覆われている。地上に吹き荒ぶ雨風は快速を奪い、鈍重で血濡れの戦場を形成していく。今日という日は決して黒の傭兵団に優位な戦場ではなかった。今日ではなく明日にすべき、そういう意見もあった。
しかし、ヴォルフは今日を選択した。今日で無ければならないと、ヴォルフの直感が時流を掴んだのだ。事実、後付になるが翌日には二つの障害、その情報が戦場に届き、両陣営とも此処での決戦を避ける理由が生まれていただろう。
それは所詮、『もし』でしかない。歴史に『もしかして』はなく、歴史はいつだって一つの流れの元にあった。此処も同じ、不利でも戦うことを選んだ。苦境であっても決戦を選び取った。その代価は――
「邪魔くせェ! 潰れとけガキィ!」
ディノ・シド・カンペアドール。『激烈』の二つ名を持ち、誰よりもエル・シドに近いと称される猛者である。対面するは若き俊英、ユリシーズ・オブ・レオンヴァーン。決して弱いわけではない。最近ではアナトールともいい勝負をするようになってきた。
「あ、が」
それでもまだ勝負の場でディノと拮抗するには至らない。襤褸切れの如く超重の石斧に受けごと押し潰されて、一撃の重さとそれに見合わぬ回転速度を前に勝ち目など見出せなかった。一人では、勝てない。
「ちィ、今助けるぞ!」
ネーデルクスが誇る英傑の血統、マルサスがディノに向かう。隣には同じく未来の三貴士、白の副将アメリアも並ぶ。マルサスが大剣、アメリアが短槍、圧倒されながらも未だ意志の消えていないユリシーズの長剣、三人で向かえば如何に『激烈』とて――
「助ける? テメエらがか? ガハ、随分俺もなめられたもんだぜ」
一振り、ただの一振りでマルサスはレベルの違いを実感した。父親譲りの巨躯、才能と努力を高い次元でまとめた己ですら、一撃で吹き飛ばされかける。飛ばなかったのは隣のアメリアが馬を寄せて支えてくれたから。一人で向かえばこの時点で死んでいた。
「ば、けものめェ!」
亡き父を思い出すかのような膂力、そして凶暴性。野獣のような男が自分に牙を向けていた。力で劣り、技でも劣る。それでもなお、此処を超えねば道はない。
「まだ、自分も死んではいないぞ!」
「ネーデルクスの誇りに懸けて、参る!」
ユリシーズ、アメリアも士気に衰えは無い。ディノは嗤う。彼らの真っ直ぐさを。平時ならば胸を貸してやりたかった。普通の戦であれば彼らの成長を促すように、遊んであげることも出来ただろう。
(ったく、惜しいぜ。今日じゃなけりゃあ、なァ)
今日は間が悪かった。未だ動かぬヴォルフが、黒の傭兵団が、ネーデルクス全体の雰囲気を見ればわかる。今日は絶対に負けてはならぬ日だと。かの『烈日』がいる以上、万が一はありえない。ありえないはずなのだが、
「わりーが、潰すぞ。今日は、嫌な予感がするんでなァ」
予感があった。だから、今日は絶対に通さない。ピノやラロを失った今、自分が支えねばならぬのだ。エルビラはあえてこの戦場ではなくジェドの方につけられた。その差配も不安を煽る。その不安を今日終わらせられるなら安いもの。
「削れろ!」
怪物じみた膂力が三人の新鋭を襲う。
「くそが、層が厚過ぎるんだよエスタードは!」
黒の傭兵団古参であるガルムはニーカと共に戦場を駆けていた。ニーカは『美烈』のクラビレノに捉まり交戦していた。ガルムは烈を持たない将と戦い痛感する。やはりエスタードは特別なのだ。ガリアスには劣れども全盛期のネーデルクスとも張り合い、長き時を頂点ないし二番目、三番目と七王国上位に君臨してきた厚みは尋常ではない。
窮地にこそその厚みは力を持つ。
「今日も私が勝たせてもらうぞ、アナトール!」
「く、テオォ!」
アナトールが相手取るのは『烈華』のテオ・シド・カンペアドール。軍略への理解こそ並だが、とかく槍に対する探究心が強い。昔からアナトールやジャクリーヌ、その先輩たちとしのぎを削り、そのほとんどに勝利を重ねてきた男こそこのテオである。
槍は本来ネーデルクスのお家芸。されどジャクリーヌ以外はテオ一人に完全に凌駕されてしまった。ジャクリーヌとテオ、この二人の天才がいたからアナトールは極める道を諦めたといってもいい。
「ジャンは少し遠いな。さすがに二人相手では分が悪い。此処で討たせてもらう!」
あくまでテオの警戒に値する相手はジャクリーヌのみ。武人としても、槍使いとしても、己は警戒の外なのだ。そしてそれは当然のことであった。自分は武人として、未だかつてテオに土をつけたことすらないのだ。
(それでも、俺は勝たねば成らん。完全な状態で団長を送り届けんがために)
届かぬ場所にいつも彼らはいた。華麗なる槍の応酬、己の槍の何と不細工なことか。いつからだろう、諦観し達観した風に振舞っていたのは。ジャクリーヌを見ぬように、ジャクリーヌに見られぬように、こそこそと日陰で槍を振るっていたのは。
(くだらぬ誇りは捨てた。腕を捨て、国を捨て、何もかも失ってみてわかったのだ。俺は存外、自由というものが好きらしい。自由を見つめるのが好きらしい)
隻腕という大きなハンデ。両腕があった頃よりも槍の腕は増した。しかし、相手は凡百の手合いではない。エスタード最強の槍使いにして、ネーデルクスから多くの猛者を奪ってきた怪物、テオ・シド・カンペアドールなのだ。
「負けんよ! 俺の全てを賭けて、押し通るッ!」
「やるな! しかし、私にとっても此処は負けられぬ場、容赦はしない!」
鮮烈にして美麗。芸術のような槍は美しさの極致であった。こと美しさという点においてはジャクリーヌの槍よりも上かもしれない。彼の槍と見比べるとかのローエングリンの槍捌きでさえ無骨に見える。無論、強さは甲乙付けがたいが。
「ッ、おッ!」
アナトールの許容量を容易く超える槍の応酬。見る見るうちにアナトールは劣勢へと追い込まれてしまう。初めて戦場で出会った頃と同じように、才能のきらめきを前に屈するのか。それとも凡人の、意地の一念、押し通せるか。
「まだ体は崩れていないぞッ!」
アナトールの咆哮がこだまする。
そんな中をヴォルフは剣を抜くことなく、柄に触れることもせず、腕を組んで仲間たちの死闘を眺めていた。嵐の中、血と雨が混ざり合った平原はすでに混沌と化している。狼にとって辛い戦場である。足を止めて力づくで押し通らねばならないのだ。
ヴォルフは歯茎から血がにじむほどの力で、この光景を噛み締める。自分をかの巨星まで無傷で送り届ける。それが彼らの宣言である。狼の群れが、それに感化された若き大国の新鋭たちが、意地を通すというのだ。ならば頭の自分は信じるだけ。彼らがやると言った。出来るといった言葉を信じて力を蓄える。
この光景も、昨日までの光景も、全てを己が双肩に乗せて――
「こい、こい、こい」
ヴォルフは力を蓄える。最強に手を伸ばすために。
○
ディノは全体を見て自軍が押している感覚を得る。自慢の快速は嵐が生み出すぬかるみに囚われ速度が上がらない。どっしり構えたならばエスタードは最強の軍勢である。ガリアスのような策も含めた総合力でこそ後塵に帰すが、単純な戦闘力の平均で言えばエスタードが七王国最強であるとディノは考えている。
「出て来いよ黒狼! どう見ても限界だぞテメエらの軍はよォ!」
そしてディノの直感が告げていた。この戦、先に最強の駒を打った方が負ける、と。強兵揃いのエスタード軍が押し込み、ヴォルフを引きずり出したなら、この戦は勝てるのだ。その瞬間は劣勢に成るかもしれない。十中八九、劣勢に成る。ゆえにヴォルフは特別なのだ。黒の傭兵団も、ネーデルクスも、其処に賭けている。
(出てきやがれ。じゃねーと死ぬぜ。大切なお仲間がよ)
マルサス、アメリア、ユリシーズ。三人の若武者は活きが良い。威勢もよい。されど経験が、根本的に実力が足りていない。あと一年、二年したら変わるかもしれない。大きな力の差に見えるが、彼らの成長速度から見れば一瞬の出来事。
(良く頑張ってる。だが、今日は無理だ。天地がひっくり返っても俺は取れねえよ)
一人ひとりの技量はずば抜けている。才能もある。しかし戦争の経験が浅い。戦争の強さが足りていない。まだ、自分たちの領域にすら遠い。
「びびってんのか! ァア!?」
戦場の機微を理解した上で、ディノは煽る。煽りながら敵を押し潰す。若い芽を摘み、戦の勝利も得る。勝たねばならないのだ。良くも悪くもこの戦は大きくなり過ぎた。遊びの介在する余地が無いほどに。
(もし、この盤石が揺らぐとしたら、わかってんだよな、テオォ)
唯一、自分たちと同等の経験を持ち、戦争の強さを持っている男の方を見る。自分たちよりも数段劣るとされてきた男。それでもこの大一番で姿を見せていることから、何かは持っている。その何かを見誤れば、そこから崩れることもあろう。
(そんな目で見るなよディノ。わかっているさ。今日は遊ばない。それに、たぶんこの場で私ほど彼を危険視している者はいないよ。彼の槍はね、美しいのさ)
何とか食い下がる、そんな言葉が当てはまるほど必死の形相で槍を捌く姿に美しさは無い。しかし、テオは知っているのだ。自分が、ジャクリーヌが、槍術をただのスキルとして行使していた頃、彼だけが槍術をアートの域にまで高めていたことを。彼の槍は死を連想させる。空を裂きこぼれる音は恐怖を呼び起こす。
テオは知っていた。同世代で誰よりも早く槍の本質に近づいたのはアナトールだと言うことを。おそらくジャクリーヌも意識している。テオがアナトールから美しさを学び、己が美しさにまで昇華したことで今の強さを得た。
ジャクリーヌの強さ、天から授かった巨躯と暴力的な感性があわさった槍は強い。その強さに影響されてアナトールの槍は死んだ。美しさでは強くなれない。迷いがアナトールの槍を曇らせた。自分の道を信じる強さを当時のアナトールは持たなかったのだ。
(少しはマシになったけど、あの頃に比べたらまだ醜いよ)
それなりの強さは身に着けた。技術も上がっている。
(残念だ。今日でなければ、思い出すまで付き合ってあげられたのに)
テオの槍がアナトールの肉を削る。幾度も、幾度も、捌き切れなかった槍がアナトールを襲う。しかし、痛みを堪えて目の前の戦いに注力せねば即死が待つ。美しくも残酷な烈華の槍捌き。アナトールを圧倒する。付け入る隙は無い。
アナトールの脳裏に浮かぶ敗北。自分が幾度も経験してきた煮え湯を思い出し、彼は笑った。既視感に溢れた状況。とっくに認めていた己が凡人であるということ。勝つ側ではない。負ける側なのだ。慣れ親しんだ敗北という文字。それなのに、何故だろうか――
テオの槍には殺意が乗っている。しかしアナトールは知っていた。もし、本当に気持ちが乗っていたならば、相手がジャクリーヌらのような英傑であれば、この槍に乗る殺意の桁が上がる。強さが跳ね上がる。
試すような眼、何かを期待するかのような眼、対等ではないと言われているような物。
(その眼だ。いつも俺はその眼で見られてきた。お前も、ジャンも、俺は強くなりたかったのに、美しくあることだけを強要する、俺を抑え込むその眼が嫌いだった)
圧され続けるアナトール。その脳裏に浮かぶのは強さを備えた英雄たち。戦場に出るまで知らなかった。競う場に出て初めて知った。道場で学んだ美しき槍、その型を誰よりも勤勉に学び、長年の刻苦を経て会得したその先に、強さは無かった。
誰よりも美しき槍は、誰よりも醜き槍に粉砕されたのだ。最初は信じられなかった。遮二無二型の修練を重ねた。しかし結果は、差が広がっただけ。才能と暴力、その二つを前に自分が築き上げてきた武はまるで通じなかった。
その姿を目指し、強さに焦がれた。その天才を超える怪物を知り、黒の軍勢に組した。しかし、強さは遠退くばかりであった。天才からは自分の槍が弱くなった、不純物まみれで美しくないと断じられた。天才には自分の迷いが、渇望が理解できなかったのだ。
そう思いたかった。アナトールはその頃の己を嗤う。
「俺は弱いだろう?」
「そんなことはないさ」
言葉とは裏腹に、『その先』を求めていることなど丸分かりであった。自分には先など無かった。どれだけ修練をしても決して辿り着けなかった場所。焦がれ、嫉妬し、眼を背け、諦めた強者という存在。天才は待っていてくれた。応えられなかったのは己が弱さゆえ。天才はあてつけのように強さと美しさを兼ね備えようとしている。
お前の道には先があった。何故信じられなかったのだと糾弾されているかのように感じた。弱い、弱過ぎる。本当に、自分が嫌になる。
「弱いさ。俺が一番良く知っている。俺は心が弱かった。道を信じることも、自分の先に強さがあることも、何もかも信じられなかった。弱いから、諦めた。俺は弱い。俺の槍に強さはない。美しさもない。俺は弱い」
テオは己が槍、その手応えが少し変化していることに気づいた。相殺していたはずの攻撃に手応えが薄れていく。相変わらず優勢なのは変わらない。むしろ、勝利は近づいているようにも見えた。
「だが、俺たちは強いぞ!」
薄れていく手応え。テオは驚愕の後、笑顔の華を咲かせた。
「腕を捨て、国を捨て、何もかもを失った先に、俺の求めるものがあった」
打ち合いから重さが消える。手応えが、消失する。
「無軌道に生きる。その日暮らしで気ままな傭兵生活。良く笑い、良くしゃべり、騒がしい連中ばかりの集合体。今まで周りにこんな奴らはいなかった。武人として己を律し、貴族たらんと誇りを持って生きる、それが俺を囲む世界だった。俺も当然、そういう人間だと思っていたし、そう振舞っていた」
黒の傭兵団の面々はその槍を知っていた。厳密には槍ではなく剣、レオンヴァーンが誇る雌獅子の剣技、左手の護剣。それを槍で再現していたのだ。その完成度は異常の一言。本来、一攻一守の双剣であるそれを一本の槍で、片腕にて描く奇跡。
「俺はどうにも、そういうものが合わないらしい。自分でも意外だった。馬鹿な奴らと馬鹿をやって、その日を好きに生きる。安定は無いさ。誇りも無い。だが、自由がある。それで充分だ。俺はそれで充分、満たされている」
美烈と死闘を演じるニーカは微笑んだ。気まぐれで拾った軍人が、気づけば自分たちの群れに欠かせぬ存在になっていたのだ。笑いたくもなる。抱きしめたくもなる。ありがとうと言いたくもなる。自分たちの群れを好きになってくれて――ありがとう、と。
「強くなくてもいい。美しくなくてもいい。ただ、この日々を続けたい。俺の命尽きるその日まで、群れの頭が死ぬるその時まで。それは今日じゃない。まだ、終わらんよ」
テオの槍があらぬ方向へ飛ぶ。手応えは無い。しなやかに、まるで羽根を愛でるかのようなタッチで軌道をそらす。乙女の剣と同種の槍。そこには静かなる覚悟が込められていた。静々と燃ゆる情熱が、情念が、その先へと導いてくれる。
「ふ、ふふ、参ったな。これは、参った」
遊びは無かった。油断も慢心も無かった。最後の方は本当に、心底の全力を出した。
「この年で、この瞬間、化けるのか」
テオは槍を引きながら考えていた。目の前の別人と化した男のことを。はじめて見た時のわくわく感、次に見た時のがっかり感、そして最後に見た新しい感覚を、吟味する。今日でなければ、言い訳をぐっと飲み込み、テオはその胸に突き立つ槍に手を触れた。
「美しく、強く、自由だ」
テオの必殺をそらした後、どう突きが決まったか、それはテオの知覚の外であった。死の音すら聞こえない無音の槍。ただ生き延びる意志だけは伝わってきた。その熱量を感じてテオは頷く。
「君の槍だ。君たちの槍が、私を砕いた」
文句の付けようもない。満足して逝ける。自分の見た中で最強ではないが、最高の槍であったと、胸を張って断言できると思ったから。だから、笑って死ねる。
(許せよディノ。軍人としては失格だろうが、武人として私は満たされてしまったのだ)
槍に人生をかけた男同士の戦い。納得して死ねたのだ。テオにとって満足な死に様である。心残りはあれど、それを覆す命を己は持たなかった。
テオが墜ちる。また一人星が墜ちた。
「わかっていてなお、か。良い顔して死にやがって……テメエはいつもずりーんだよ」
カンペアドールとして、将としての責務をピノやラロ、自分にばかり押し付けて、いつだってテオという男は欲望に忠実に、槍の研鑽に勤しんでいた。その槍が上回られて死ぬ。それはきっと想像を絶するほどの悔しさがあり、その上でこの上なく満足の行く死なのだろう。同世代のカンペアドールゆえにわかってしまう。
「嫌でも流れは変わる。だけどよ、エスタードの層をなめるなよ!」
まだ余力はある。テオを欠いてなお、エル・シドが出るまでも無い。
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