真・巨星対新星:英雄、目覚める
名も無き男は数多の夢を見ていた。
最初の夢は最愛の姉、アルレットと暮らし続ける夢。貧しくも満たされた毎日を送りながら成長し、いずれ姉が一人の男性をつれてくる。優しげな表情と少し頼りなく、しかし優しい男性に父を感じ、家族として生きていく。そんな夢を見ていた。
次は本屋の養子として学を積み、アルカディアで一番の本屋にしていく。老夫婦に囲まれ、友と笑いながら温かな生活を送る。そんな夢を見ていた。
男爵の家の娘をもらい、それなりの武功をあげ、それなりの商才を発揮し、それなりの毎日を送る。屋敷に戻ればいつも大人しい妻がいて、安らぎの沈黙の中で隣り合い読書に興じる。触れ合う必要もなく繋がっている感覚、豊かな静謐が其処にあった。
復讐を果たしながら伯爵の娘と結ばれ、騒がしい日々を送る夢。どれだけ突き放そうとも決して折れない、折れずに向かってくる妻とそれを真似する年の離れた妹。何をするにしても一緒にいて、拾ってきた子供たちや義姉たちの家族と共に、春夏秋冬はしゃいで過ごす。性格は合わないはずなのに、隣で咲く大輪の笑顔を見ると何も言えなくなるのだ。
どれもこれも幸せな夢ばかり。だからだろうか――
(……悪夢、だなァ)
起きねばならぬと強く思った。死んでもいいと、死は救済であると思っていても、この夢は幸せが過ぎる。自分の業を思い出せば、先程までの悪夢など享受してはならぬはずなのだ。幸せは毒である。甘美過ぎる。
「み、ず」
かすれた声を自らの耳が捉える。まるで他人の声のように低く音がかすれてほとんど消えている。そもそもほとんど口が動かない。身体中が鉛のように重く、痛みだけが鮮烈に浮かび上がってきた。驚くほど衰弱しきっていたのだ。
(まずいな。これじゃあ人を呼ぶことも出来ん)
ウィリアムは覚醒しながらも、意思表示をすることも出来ず周りを見渡そうにも視界がぼやけて何も見えなかった。ただ、ぼやけた中にも動く姿が映る。
「慌てず飲め。砂糖を溶かせるだけ溶かした。美味いぞ」
耳だけは機能としてそれなりの復帰を果たしており、その人物が誰であるか声でわかった。ウィリアムはその人物を想い苦笑する。その人物、シュルヴィアはその様子にむっとしながらもウィリアムに水差しをくわえさせる。
「笑えてないぞ。さっさと飲め」
介助してもらいながらウィリアムは砂糖水を飲む。ゆっくりと、慌てることなく、口に含み中へ浸透させていく。少しずつ、確実に、身体に行き渡っているのを感じていた。
「何か食いたいものはあるか?」
ウィリアムは砂糖水を飲みながら考え込む。出てきたのは――
「し、ちゅー」
「……意外と偏食だな。わかったすぐに持ってくる。少し待て」
心外だとウィリアムは思う。自分だって色々なものを食べてきたが、理論的にシチューは完璧であったため、それを多用してきたに過ぎない。やはり煮るという調理法がいい。すべて余すことなく食べられるのだ。貧乏性なので無駄の無さも魅力である。
ウィリアムの曖昧模糊とした頭の中ではほんの数分程度でシュルヴィアは戻ってきた。冷静に考えたならそんな戻り時間はありえないが、その時のウィリアムはそんなことを考える余裕もなく、シュルヴィアの戻りの早さに少し驚いていた。
「それなりに冷ましたつもりだが、熱かったら何か意思表示をしろ」
その意思表示が出来ないのだと突っ込みたい気持ちであったが、突っ込むことも出来ないので為されるがままを選択する。シュルヴィアの好みからしてかなり味が濃いと予想されるため、少し警戒する心境もあった。
しかし、それは杞憂に終わる。
「……ッ!?」
ウィリアムはその味に眼を見開いた。その驚きようは伝わったらしく、視界がぼやけている中でもニヤついている表情が見て取れた。
「以前、貴様がベルンバッハで振舞ったものを模倣した味だ。私はそれをさらに模倣した。ヴィクトーリアさんからな。あの人が隊舎でご飯を振舞ってくれたことがいくつかあっただろう? その時に教えてもらった。驚いたか?」
驚いたなどというものではない。この味はウィリアムにとっても模倣した味で、元はアルレットが貧しく足りない食材を工夫して生み出した味なのだ。弱った身体に、弱った心にはこれ以上ない、そんな味であった。
「ああ、おどろいた。われながら、うまいな、ほんとうに」
もし水分が足りていたなら、涙の一つでも流していたかもしれない。水分不足が役に立ったのは今日が初めてである。
「おかわりもある。ゆっくり焦らず食え。水もあるからな。砂糖水もあるぞ」
「せわしない。おちついてくわせろ」
シチューを食わせてもらいながら、先程の悪夢の続きでも見ているのではないかと錯覚してしまう。そんな己の弱さがたまらなく許せないのだ。いつだって己は弱い。そのくせ逃げる勇気すら持たないのだから始末が悪い。
「くった。すこしねる。頭がうごいていないから、ほうこくは起きてからうける」
「ああ、わかった。少し、重たい話が重なるが」
「ガリアスの動きはわかっているさ。ほかも、あらかた予想ずみ。あんしんしろ」
シュルヴィアの驚いた様子に満足して、ウィリアムは再び眠りについた。今度はそれほど深くない。死に向かう眠りは終わった。今からは回復するための眠りである。ゆえに、今度は悪夢を見ることが無かった。
○
ウィリアムは目覚めてから二日目、大量のシチューを食べていた。一旦寝て、起きてからすぐに大量の砂糖水とシチューを喰らいまた眠る。三度目の起床からは寝ることも無く喰らい続けていた。食えるだけ、詰め込めるだけ詰め込もうとでも言わんばかりの食いっぷり。ちょっと前までは快方に向かって喜んでいた面々も半分呆れている。
「ふう、これぐらいにしといてやろう」
一時は絶望的な血色であったが、今は大分顔色も良くなりそれなりの英気が戻ってきたようである。眼にも力が戻ってきており、滑舌にも不安はなくなりつつある。
「待たせたな、アンゼルム、グレゴール、シュルヴィア」
ウィリアムは、こと思考の面に関してはかなり万全に近づいていた。身体の方はまだ自力で立つこともできないほど損傷、衰弱しているが、雰囲気は以前までのものに近い感じを受ける。むしろ、以前よりも高まっているような――
「まずはお前たちに感謝したい。俺の惰弱さが迷惑をかけた」
ウィリアムは三人に向けて頭を下げた。
「とても勝者とは思えん姿だ。笑ってくれ」
三人が笑うことは無かった。笑えるはずが無い。どれだけ損傷しようが、どれだけボロボロになろうが、討ち果たしたのは巨星であり戦場の覇者。勝利し生き延びた、どんな姿であってもそれは偉業なのである。
「惰弱な俺が眠っている間、おそらくは大きく世界が動いた。順を追って俺に教えてくれ。世界の動きを、オストベルグがどうなったのかを」
ウィリアムの顔に険はない。穏やかな表情をしている。
「アンゼルム、俺はお前の口から聞いてみたい。説明、出来るか?」
アンゼルムは驚いたような顔でウィリアムを見た。最近、何処か関係がギクシャクしていた。少しずつ歯車が噛み合わなくなっていく感覚。昇れば昇るほど、遠くなる背中を見て眼を背け、他の方向に眼を向けたりもした。
「そう慄くなよ。何も叱責しようと思っているわけじゃない。お前たちは最善を尽くしたのだろう? 俺もそうだ。最善と最高、二つ備えての結果だ。それが不本意なものであったとしても、それは俺たちが力不足だっただけさ」
穏やかな笑み。何かを察しているかのような――
「では、僭越ながらわたくしめがご説明させて頂きます。ウィリアム様がストラクレスを討った後、私たちは進攻を続け、王都の目前まで到達しました。元より目と鼻の先、誰もが王都を得ることを疑っておりませんでした。しかし、先んじて王都を抑え、その前に布陣する集団をいたのです。革新王ガイウス率いる超大国ガリアスの総戦力が」
ウィリアムは「なるほど」と笑みを浮かべた。
「王の頭脳、左右、ランスロにガレリウスなど、数の上でも質の上でも圧倒的な差があり、我々は後退を余儀なくされました。緩衝地帯を設け、現在はヤン大将とグスタフ師団長がそこで防衛線を敷いております」
アンゼルムはちらりとウィリアムの反応を伺う。揺らがない穏やかな雰囲気。此処まではウィリアムの想定の範囲内なのだろう。
「ガイウス王とは話したか?」
「え、あ、はい、まあ、話したと言うほどではありませんが」
「あれは王の中の王だ。一度は会っておくべきだろう。お前たちはツイているな。なかなか会いたいと思っても会えるものじゃない。それに、もうすぐ――」
ウィリアムは遠い目をしていた。少しだけ哀しみが浮かぶ。
「オストベルグへの侵略、先んじられた理由がわからん。師匠、グスタフ殿が言っていたが、相手の情報伝達の手段はヤン大将が潰したそうだ。それなのに先んじるはそもそも不可侵条約があるはずだわ……どうにも腑に落ちん」
グレゴールが会話に割って入ってくる。それにウィリアムは苦笑した。
「俺も前に使ったサロモンの火か。あれを用意していたということは、そもそもある程度結果を予測できていたということ。火はあくまで確認の手段程度だろう。どちらにせよあの男が中途半端な手を打つはずがない。攻めるなら徹底的に。攻めぬなら不動。そういう男だ。それに不可侵条約は意味がない。あれは国と国がかわすもので、滅びるであろう国との約定にあまり意味はない。事実、滅びてしまえば犯した罪すら消えただろう? あの男は賭けに勝った。滅びると踏んで先んじた。先んじ滅ぼした。リスクはあるさ、当然な。しかし、わかっていて動かないのは王失格。みすみす利益を逃がすところだったのだから」
ウィリアムには全てが見えていた。そうであれば、この戦の意味とは何だったのであろうか。確かにオストベルグの半分近くをアルカディアは手に入れた。しかし、ガリアスもまたもう半分を手にし、何よりも隣り合ってしまったのだ。かの超大国と。
「何のために戦ったのだ、私たちは」
そういうところを率直に問えるところがシュルヴィアの強みである。
ウィリアムはゆっくりとシュルヴィアに視線を合わせ、
「俺がストラクレスと戦い、勝つ。それが全てだった。何のためと問うたな、シュルヴィア。……全ては俺のため、俺が巨星を落とすための戦が先の戦い。それ以上でもそれ以下でもない。俺のためだ」
あまりにも身勝手な理屈を言い切った。もし、ウィリアムが怪我人でなかったなら間違いなくシュルヴィアはハルベルトを抜いていた。それほどに彼の言葉は多くのものを馬鹿にしている。あの戦で死んだ大勢があまりにも可哀相なのだ。
「だから、王命を隠匿したのか?」
グレゴールの言葉も冷えている。ウィリアムはそれにもまた笑顔で合わせた。
「そうなるな。大した内容も書かれていなかったから燃やした。あの程度、俺が退く理由にはならない」
王命を燃やした。あまりの衝撃に三人は絶句する。中に書いてあったことを三人はすでに知っている。大した内容ではないなどと切って捨てられるものではない。重要かつ緊急性のある王命であり、ストラクレスを討ち国土の半分を得たとしても、それを無視した事実は消えず、差し引いたとしても大事にならないはずが無いだろう。
「それにまつわる話は後でいい。ガリアスの件も理解した。他には何か無いか?」
衝撃が尾を引いているのか、アンゼルムとシュルヴィアは視線をちらつかせながらも言葉を発することはない。対照的にグレゴールはどっしりと腕組みをしてウィリアムを睨みつける。
「強欲な白騎士殿に朗報がある。黒金が墜ちた、その日、俺たちの耳に驚愕の情報が飛び込んできた。いいか、同じ日だ。同じ日に離れたところの結果が届いた。つまり――」
「俺よりも早く何かしらの結果が出た、か。詳しく聞かせろ、他は瑣末なことだ」
グレゴールががっかりさせようと思い吹っかけた話題は、ウィリアムの琴線に大いに触れた。時代の動き、これから先の時代の流れを決めるであろう戦いは、何も自分の場所だけではなかった。
「……噂話程度だがな――」
それは、もう一つの物語。
○
「んじゃ、征きますか」
「応ッ!」
黒き狼が天に挑戦する物語である。
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