真・巨星対新星:決着後の混沌

 あの凄絶な決着から一週間の時が経った。未だ目覚めぬ白騎士の横でシュルヴィアは眼を瞑っていた。決着から一週間、世界は怒涛の勢いで変化した。眠れる英雄の起床を多くの者が待っている。良きにしろ悪しきにしろ、彼が目覚めねば始まらないのだ。

 死んでいてもおかしくない怪我。損傷の無い部位など存在しないほど、全身あらゆる箇所がダメージを負っていた。最後の傷は特に深く、縫合して血を止めるのにかなりの時間を要することになった。

「……早く起きろ。貴様らしくも無い」

 生死の境を毎日揺らめいた。何度も峠を越え、ようやく安定したと思えば今度は餓死が近づいてくる。いつまで経っても死は八方を囲んだまま、世界の意志が彼を殺そうとしている風にも見えた。

「シュルヴィア、そろそろ搬出するぞ」

「……わかっている」

 グレゴールがひょっこり顔を出してシュルヴィアに声をかけた。返事をするシュルヴィアの声は何処か力ない。グレゴールは何かを察しているのか難しい顔で腕を組む。

「このまま起きぬ方が幸せかもな」

 グレゴールの言葉にシュルヴィアは反応を返さなかった。否、返せなかったのだ。皆が英雄の起床を待っている。しかし、英雄にとって目覚めは必ずしも良いこととは限らない。グレゴールも、シュルヴィアも、それなりに軍内で地位があるものならば皆知っている。知ってしまった。

「ま、まあこの男のことだ。今回も何とかして見せるさ。何よりも巨星を落としたんだ。下手は扱いなぞ出来ぬだろう。うむ」

 歯切れの悪い回答が、この混迷の深さを物語っていた。

 時代が変わった。その対価に何を得て何を失ったのか、アルカディアは何処に向かっていくのだろうか。白騎士は、どう差配するのだろうか。

 やせ細った白の男は、未だ目を覚まさずにいた。


     ○


「グスタフ。貸してた兵、何人か返してもらうよ」

「好きにしろよっと。元々俺の兵じゃねえ。ゼークトの兵だからな」

 ウィリアムは巨星を落とし、自らもまた意識を失った。二つの絶対的な存在感が失われた戦場で、ヤンは違和感を見逃さなかった。戦場が始まった瞬間から漂っていた異質な視線。決着の時、絶望も希望も浮かべなかった、その眼を見て――

「さーて、一仕事一仕事」

 その視線が今断つべきものであると確信した。


「くそ、化け物めェ!」

 視線の主たちは馬を走らせる。彼らの祖国では早馬として知られる種、その中でも選りすぐりの馬であったが、足の速さとは異なる部分で着実に距離を縮められていた。馬を操る技術、最適な道のりを選び取る空間把握力、何もかもが図抜けている。

「当たったらいいなあ」

 だが、それだけではなかった。そんな騎乗スキルを見せ付けながら、その男は平然と弓を使って見せるのだ。それも狙いは正確無比、細腕とは思えぬ強い弓を放ち、人の急所、鎧の弱いところを熟知している。

「当たった当たった。今日はツイてるなあ」

 追われている男は歯噛みする。先程から一射すら外していない男がふざけた発言をしているのだ。運など何も無い。ただ其処には実力という絶望的な壁があるだけ。

「クソが、ダルタニアンの話を真面目に聞いておけば良かったぜ。十年以上北方で牙を隠していた元天才ヤン・フォン・ゼークト。錆びているかと思いきや、これかよッ!」

 覇気のない顔でするすると魔法のように馬を走らせるヤン。動きに一切の無駄が無い。スムーズな馬術は見るものに勘違いをさせてしまう。乗馬とはこんなにも楽なものなのか、と。

「錆びているさ。昔に比べたら、無駄が多過ぎるよ」

 男はゾッとする思いであった。男とて祖国の中では有数の技術を持っている。馬を走らせたら風の如しと謳われていたほどである。その自分ですら無駄だらけで甘い走りをしていると暗にヤンは言っているのだ。

「元『疾風』の名が泣くぜ。間にあわねえな、これじゃあ」

 残っているのは己と部下が二人、馬の足を早めたところで間に合わない。

「やっぱり君があの『疾風』か。僕ら世代じゃ『疾風』と言えばリュテスよりも君の方が思い浮かぶ。ガリアス軍百将の第六位、ランベール・ド・リリュー」

「残念でした。もう六位じゃねえ、八位さ!」

 ランベールは間に合わないと見るや否や、ヤンと対峙するかのように馬を回頭させた。愛用の槍を構え、殺気を充満させる。自分の役目は一人でも『あの場』へ到達させ、任務を果たすこと。そのために自らが盾となり――

「先に行――」

 ランベールの背後で残っていた二人の部下が落馬した。二人の頭部には綺麗に矢が突き立ち、驚く間もなく絶命したのが見て取れた。

「じょう……だん、だろ」

 ランベールは唖然とするしかない。この距離で部下に当てたことも凄まじいが、自分の殺気で一ミリの誤差も生まれなかった、そのことに驚きが隠せなかった。

「リュテスに王の左右を渡したのは将来性込みの話で、今だって俺の方が強いんだぞ」

「うーん、どうだろうね。ウィリアム君が使っていた槍がリュテス君のものだとしたら、たぶん今の君よりか強いと思うけど。ま、試してみようか。剣なら勝てるかもしれないよ」

 ヤンの雰囲気はそれほどの圧を持ち合わせていなかった。確かに剣を構えた姿を見ても負ける気は一切起きない。勝てるかもしれない。ランベールの心に仄かな希望が芽生える。

「ガリアスの誇りに懸けて、貴様を討つぜ!」

 爆発力のある殺気をまといランベールは突貫してくる。ヤンは自然体、力などほとんど入っていない。ランベールは槍を突き出す最中、勝利を確信した。

「速くて強い、でもそれだけだね」

 ヤンの胸元を捉えたはずの槍は首の横を通過していく。ランベールの頭に残るのは理解不能の文字。確実に捉えたと思った。仕留めた手応えがあった。

 剣先が柔らかなタッチで槍をそらす。打ち抜いた本人が気づかぬほどの優しさ、手応えの無さ。そしてするりと振り抜かれる刃。

「ほいさ」

 ランベールが敗北感を抱く前に首が宙を舞った。ランベールが敗北を知覚する前に思考が消える。ヤンは特に何かを考えるわけでもなく先へ進んだ。優秀な武人であったが、ヤンが興味を持つほどではない。あの戦いを見た後では、物足りなさしか感じなかった。

「グスタフの言うとおりだ。今の僕じゃあ割って入ることすら出来ないや」

 ヤンは先へ進む。その先に待つものを確認せねばならない。おそらく、此処がどう転ぼうとあの男が時流を読み間違えることは無いだろう。

 ヤンは昔、王会議へ帯同した際に見かけたかの王を思い出した。

「意味は、ないだろうねえ」

 頭に残る鮮烈な貌。全てを司る天頂の怪物は間違えない。


     ○


 紅蓮に沈む無骨な都市。質実剛健を旨とする国是。それを表した都市が燃えていた。

「火の手が上がらん。がっはっはっはっは、余が間違えちゃったかも」

「急ぐべし。陛下の感覚に勝る指針はありませぬ。陛下が黒といえば黒、陛下が攻めよと言うのであれば攻め、滅ぼせと申されるなら滅ぼすまで」

「つまらぬのお。余は黒と言ったものを白であると説明されたいのだ。四人とも余を止めぬし、卿ぐらいは止めてもよかろうが」

「なら撤退しましょう」

「嫌だ。余が決めたのだ」

 我が儘の極み。しかし彼ならばそれが許される。

「新たなる時代ぞ。胸も躍ろうが。巨大な星が堕ち、新星が巨星に化けた。この流れに乗らねば我が国はあっという間に後塵に拝す。大体面白い方に進めば正解なのだ。つまらぬ方へ進むでない。残り火、せめて鮮烈になァ」

 革新王ガイウスは自身の頭脳であるサロモンに笑いかけた。鮮烈なる笑顔、子供のような無邪気さを持ちながら、王とはこのような光景を生むのだ。

 紅蓮に飲まれる都市、それを見て王は子供のような笑みを浮かべていた。


     ○


 平原の先、後一歩でオストベルグの王都に到達できる。皆の心は高まっていた。自分たちが歴史に名を刻むのだと。多くの先人たちが為し得なかった七王国崩し。オストベルグという国が沈む。巨星が墜ち、世界に激震が走った。時代が変わる。自分たちアルカディアの立ち位置も変わる。その意味を彼らは楽観視していた。

「そ、そんな、馬鹿な」

 誰かが言った。皆の、呆然とした気持ちを表す言葉。

 四本の旗がたなびいていた。漆黒の獅子、紅の剣、翡翠の弓、青銅の槍、それらをモチーフとした御旗。その下で君臨する王の左右。超大国の武を司る怪物たち。

「頭まで来ているのか。本気だね、我が国は」

 リディアーヌはその布陣を見て、自分やダルタニアンの師である国家の頭脳が参じていることを見抜く。そもそも王の左右をあれだけ押さえつけられる人材はそういない。彼がいるいないでは雰囲気が異なるのだ。

「オストベルグとガリアスは不可侵条約を結んでいたはず。何故此処にいるッ」

 アンゼルムは顔を歪めてその光景を眺めていた。理路整然とした隊列、世界で一番統率の取れた軍勢は並んでいるだけで美しい。その美しさが彼らの心を苛立たせるのだが。

「サロモン殿までなら、たぶん此処まで到達していないよ。逆にこっちが王都をとって迎え撃つくらいの状況にはなっていたんじゃないかな?」

 ヤンだけは驚くことも無くその光景を受け入れていた。死線を潜り、白騎士の劇的な勝利で高まっていた士気が一気に消沈する。領土の半分を敵主力と交戦しながら削り取り、多くの犠牲を超えて此処まできた。それなのに結果がこれではあまりに惨い。

 現実を受け入れられず、途方にくれるアルカディア軍。戦える状態ではなく、そもそも敵戦力を鑑みるに勝機はほぼ存在しなかった。

 ガリアスの軍勢が動き出す。身構えるアルカディア兵。しかしそれは攻撃のための動きではなかった。軍が割れる。まるで神話の如し光景、人の波が割れ、そこから現われたる存在を見て、彼らは知った。

「やはりか。本当に、間違えないね、あの人は」

 王という存在を。革新王という人を統べる男の雰囲気を。

 その男は馬に乗るでもなく割れた軍が生み出す道を歩む。無骨なれど壮麗、まさにこの王を象徴するかのような王道。覇王の姿がそこにあった。

「白騎士は勝ったか!?」

 開口一番、鮮烈な声と共に革新王ガイウスは問うた。軍の先頭に立ち、我が身をさらして聞いたことがそれである。己が欲に忠実で、好奇心に逆らう気もない。

 ガイウスは肯定の雰囲気を察した。誰も彼もが口をつぐんでいる。それでも感じるのだ。王の圧力に敗北を覚えた彼らでも、白騎士の名が出た瞬間ほんの少しだけ盛り返した。士気が息を吹き返した。それはきっと、白騎士ならばこの場ですらどうにかしてくれるという依存にも似た信頼であろう。

「アルカディアの将、何人か、ちこう寄れ。余と五体、交えて言葉をかわそうぞ」

 自分の命令にまさか逆らう者などいないという前提の下での発言。そもそも断る理由が無い。ヤンは頭をぽりぽりとかいた後、ため息をつきながら幾人か手招く。

 ガリアスとアルカディア、七王国の一つが地図から消え、それを二分する国家が邂逅を果たす。新時代は始まったばかり、それなのに否応無く加速する世界。この出会いもまた何かの変化を世界に与えるのだろうか。

 二つが交わる。

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