真・巨星対新星:さらば英雄

 ストラクレスという男は戦士として生まれた。併合された敗戦国出身という差別を力でねじ伏せ、自らの方言をも押し通し。オストベルグという国を駆け上がった。時の大将軍が目をつけ、教育し、側近として戦果を重ねる頃には、誰もが彼を特別な存在だと認めていた。先代が討たれ、その悲しみを糧に更なる成長を遂げたストラクレス。彼が大将軍になることを咎める者などいなかったほどである。

 この地上で『二番目』に恵まれた肉体。類稀なる武に対するセンス。そして偉大なる先代の大将軍が用意した環境が、ストラクレスを巨星まで高めたのだ。オストベルグの大将軍、その重みと共にストラクレスは生きてきた。

 王が暗愚であろうと関係ない。間違った道を示されようとも自分が押し通せば良い。愚直なまでに大将軍であろうとした。先代たちに倣い、完璧な大将軍であろうとした。妻を娶り、子を成す暇などなかった。北の果て南の果て、西へ東へ戦にまみれてきた。

「これの母が死んだ。片割れは野に放ち、これは貴様にやる」

 転機は突然やってきた。政治に大きな欠陥はない王であったが、私生活は暗愚そのものであった。王は多くの子を成した。その理由が歪んでいる。政争の種をまきそれを見て楽しんでいたのだ。その遊びにも飽きてきた頃、名も覚えていない女が産んだ子が二人、王のもとへ連れてこられた。

 王は二人を見て遊びを思いついた。子のいない大将軍に押し付けてみよう、と。自分より民から慕われ、兵からの信も厚く、何よりも最強であったストラクレスという男。性格が捻じ曲がった王にとってそれは許しがたいことで、いつも嫌がらせばかりをしていた。これもその一環である。

 余談だが、もう一人は必要なかったので山へ捨てられた。後のエィヴィングである。

「わしゃあこれをどうすりゃええんじゃ?」

 王命ゆえ断ることなど一顧だにもせず、まだ一人歩きも出来ない赤子を引き取った。赤子を頭の上に乗せて途方にくれるストラクレス。

「ベルガー、おんしのとこはどう育てた?」

「閣下、そもそも男親は子育てなどしませぬ。それは女の仕事でありましょう」

「わしゃあ妻を持たぬ。それに何処の馬の骨とも知れぬ者に王の血、託す気にもなれぬ。はて、どうすべきか。とりあえずおんしの屋敷で女から助言をもらおう」

「か、閣下の手で育てるおつもりですか!?」

「それが王命じゃあ。違える気などない!」

 大将軍として政治に口を出さず、王命は絶対遵守。たとえ間違っていたとしてもそれを果たし、王命を正道であったと知らしめることこそが大将軍のなすべき責務。明らかに間違った王命なれど、ストラクレスは愚直にそれを果たさんとした。

「こやつ、クソも己で出来ぬのか。自分を律さんか、たわけ」

「閣下、赤子とはそういうものであります」

 おしめをかえるストラクレス。

「立たんか根性無しが! わしゃあ生後半年で立ったわい!」

「閣下、それは閣下が化け物なだけです」

 立てと赤子を叱咤するストラクレス。

「熱い。真っ赤じゃ。どうなっておるベルガー!」

「閣下、ただの風邪でしょう。安静にしていれば治ります」

「風邪ってなんじゃあ?」

「……まさか閣下、風邪を引いたことが」

 未知なる病に右往左往するストラクレス。

 ストラクレスは律儀に赤子を育てていた。時には戦場に連れて行き、自分の背に乗せて戦場を駆け回ったりもした。当時のストラクレスは語る。自分の背中以上に安全なところが見つからなかった、と。

 不器用に、しかし丁寧に、ストラクレスは全身全霊を込めて王命を遂行する。何年も経過し、信の置ける部下の家(ギュンター)に預けたりなど知恵をつけてきた頃。およそストラクレスという怪物から最も遠いであろう子育ては、ストラクレスの中にあるものを芽生えさせていた。

「じーじぃ、キモンがあそんでくれないぃ」

「キモォォオン! そこに直れ、叩き斬ってくれる!」

「閣下、息子を苛めないでください! 副将も笑わず止めてくださいよ!」

 親子のような関係。しかし、ストラクレスは頑なに王子を自らの家族と定義しなかった。物心がつき、自我が芽生えてくる頃には、少しずつ距離を置いていたほどである。時が経つにつれて他者の家に預ける日数が多くなっていった。

 それでもエルンストはストラクレスが顔を見せると、この世で最も輝きに満ちた笑みを浮かべるのだ。それを見てストラクレスの中の何かが揺れる。揺れていいものか、揺れてはならぬものか、判断がつかない。

 ストラクレスは恐れていたのだ。自分が自分でなくなるような感覚を。ようやく理想とする大将軍に近づけた。その理想から遠退くような気がしたから。その想いに身をゆだねることの危険を何となく察してしまったから。

 ストラクレスは気づけなかった。もう、手遅れであったことを。

「じーじはぼくのお父さまじゃないの?」

「……殿下、殿下の父君はこの国の王。わしゃああくまで面倒を見ておるだけじゃ」

「会ったこともない王さまより、じーじがいい」

「――――――」

 この時、己は何と答えたであろうか。とうの昔に自分の一番は変わっていたのだ。わかっていて目をそらしてしまった。それが両者のためである。いずれは王族の一人として生きていかねばならない。そういう言い訳を浮かべて――

 しかし先代の王が病に伏せ、跡継ぎの問題が出た時、ストラクレスは誰よりも早く動いた。巨星という絶対の柱、オストベルグの武力の象徴、全ての肩書きを利用した。エルンスト個人の才覚もある。されど跳梁跋扈する王族たちを力にて押さえつけたのは他ならぬストラクレスであったのだ。

 誰が防げようか。巨星の庇護する王族が立つことを。


「すみません将軍。わしゃあ武人の領分を侵しました。大将軍失格でしょうな」

 ストラクレスは苦笑する。歴史は何も語らない。ただ、ストラクレスを見つめるだけ。それが重圧であった。その重圧を担えた己が誇りであった。自分も其処に並ぶ、オストベルグの歴史に彼らと並び称されることが望みであった。

「それでも、守りたいものが出来ました。生意気で、暴れん坊できかん坊、そんなわしに大将軍なぞ大役、背負わせていただきありがとうございまする。されどそれは二番――」


 ストラクレスは眼を見開く。血に染まった景色を見る。眼前には敵、利き腕は封じられ、胸には風穴。それでも負ける気がしない。自分は大将軍であり、父であり、じーじなのだ。一番は守る。二番も守る。それの何が傲慢か。

「わしは、大将軍でなくとも良い」

 ウィリアムは雰囲気を察し距離を取る。剣、弓、追撃のプランを瞬時にはじき出すもそれらは男の発する圧に押し潰された。

「我が最愛の子を、王だからではなく一人の親として、わしが守るッ!」

 ストラクレスの圧力がウィリアムを包んだ。

「その結果、この国が守られる。一番も二番もわしは得る。何の文句がある? わしはストラクレス、ローレンシア最強の将軍じゃアッ!」

 全てを押し潰す巨大な黒金が放たれた。もはや迷いはない。眼前の男が繰り出す小細工など全てねじ伏せてみせる。それくらいの気概で望めば良い。戦場にて望んだ全てを手に入れてきた。今度も手に入れる。全てを――

「……なるほど」

 迎え撃つ白騎士の雰囲気は、

 『虚無』

 冷たい笑みが貌を歪めた。


     ○


 ストラクレスの突貫、その威力は片腕を不能にしてなお強烈な当たりであった。ウィリアムはそれを正面からいなし踏み込む構えを見せた瞬間、膨大な殺意の壁が眼前に立ち塞がった。ウィリアムはすぐさま方向転換、攻撃ではなく回避行動を取る。刹那の判断、一瞬でも遅れを取ったが最後――

「片腕でこの返しか」

「小賢しいッ!」

 胴のあった場所を薙ぐ一撃にて絶命していた。破壊力、瞬発力、反応速度共に片腕でさえ手がつけられないものであった。巨大な鉄の塊を振り回しているとは思えぬ軌跡。轟音が空を奔る。

「ハァ、羨ましいなァ。その力、俺も欲しかったよ」

 ウィリアムは羨望のまなざしでその力を見ていた。見る、かわす。見る、そらす。凄まじい音と衝撃。遠くにいても肌が震えるほどの戦慄。あの中に飛び込むことすなわち死。それなのにウィリアムの眼に浮かぶのは嫉妬と諦観。超然とした、冷たい眼。

「さっさと死なんかッ!」

 恐怖はない。微塵もない。これほどに死が近づいてなお、恐怖から生まれる後退の反射は何一つなかった。骨が軋む、肉が千切れる。とっくに満身創痍、痛みから隙が生まれてもいいはず。それなのに、平然と歩を進めてくるのだ。何度でも、死地へ。

「今だって欲しいさ。それだけの身体と武の才覚、持ち合わせていたらどれだけ俺の道は楽なものだったか。怖気がするぜ。ハァ、本当に、『無く』て良かった」

 冷たい。あまりにも冷たい虚。

「欲しいが要らない。わかるか? 無いからこそ俺は一から学べた。丁寧に、丁寧に積み上げることが出来た。貴様は何だって出来ただろ? だから、見えない」

「くだらんわい。戦場では強い者が勝つ、それだけじゃア!」

「その通りだ。俺もそう思うよ」

 胸から血を滴らせながら、それでも猛進を続けるストラクレス。彼も理解しているのだ。一瞬の油断で死ぬのは自分も同じ。臆せば死ぬ、揺らげば死ぬ、退かば死ぬ。

「だが、それだけじゃあないさ。そうは思わないかい?」

 ウィリアムは死地の近接、その中でストラクレスの左腕を狙い剣を放つ。これはストラクレスとしても最後の綱、失うわけには行かずほんの少しだけ過剰に回避した。その一瞬をウィリアムは埋める。ストラクレスは咄嗟にウィリアムの利き腕に身体を寄せ、剣を封じた。ウィリアムは嗤う。これでお互い封じたのだ。剣を持つ手を。

「欲の深い者は……勝てない。戦場に限った話じゃないがね」

 ウィリアムは背中から残していた矢を掴み取る。それをストラクレスの首元に突き立てた。小技、早業、ストラクレスはたまらず距離を取る。そこで――

「ほぅら、命を欲したァ」

 ウィリアムは渾身の一撃を叩き込んだ。黒金が真一文字に断ち切られ、血しぶきが舞う。

「浅いわィ!」

 重厚な装甲、それを支える分厚い肉。ウィリアムの一撃はストラクレスを断つには及ばなかった。ストラクレスの返礼は――使えないはずの右腕。大きく踏み込み距離を消し、握り締めた鉄拳をウィリアムの顔面にぶち込んだ。

「ぐ、がァァァアア!」

 それをあえて前進して受けるウィリアム。口の中は切れまくり、鼻も折れたのかどちらからも血が噴き出る。ウィリアムの前進にストラクレスは驚愕した。負傷したとはいえ己の拳、前進して受けるなど正気の沙汰じゃない。

「死をも、恐れぬか!」

「死は救済だ。死を怖いと思えるほど幸せじゃないんでね」

 ウィリアムはさらに一太刀、今度は袈裟懸けに断つ。今度も深く、鎧の先の肉まで届いた。極限状態、死の淵に立ちようやくストラクレスはウィリアムという男の真性を見た。全てを飲み込むような虚は欲望ではない。そんな安っぽい価値観すら飲み込む何かが其処にある。それは、遥か昔、初めてあの男に会った時と同じ感覚。

「怖いのは立ち止まることだ。妥協して、我が道に背くことだ。あんたは二つの道を征すると言ったな。本当に欲深い。すべてを捨てた俺から見ると、傲慢が過ぎるよ、巨星」

 ウィリアムは嗤う。死の淵に立ち、巨星を相手にして、冷たく貌を歪める。

「エルンストを守る道と大将軍を貫く道。二つは重ならない。一番を守るならばエルンストを王にすべきではなかった。大将軍を捨て、王家から、オストベルグから、乱世から遠いところまで守り続け、安住の地を探すべきだった。それが最善だ。大将軍を取るならば揺らぎの元であるエルンストを捨てることが最善だった。貴様のそれは妥協だストラクレス。自分なら、妥協してでも果たせると思ったか? 甘いんだよ」

 ウィリアムは己が肉体の悲鳴を完全に無視した動きで攻め立てる。当初の完璧とほぼ同等の動き、本当は到底達していないが、極限の中でストラクレスの眼にはそう映る。戦場には熱があった。その熱を誰よりも持っていたのが自分であった。ゆえの巨星。ゆえの大将軍。それなのにこの男は熱を持たない。それどころか熱を喰らうのだ。

 あくまで手段。武も、戦場も、この戦いですら、天を掴むための手段でしかない。

「俺は全てを捨てたぞ! 親友も、最愛も、幸福も、何もかも斬り捨てた! 俺には道だけしか残っていない。純粋に、それだけのために生きている」

「理解出来ぬ! では貴様は何のために戦うのじゃ!?」

「責務!」

 ストラクレスの眼にあの覇王の幻影がちらつく。しかもぎらついていた若き頃ではなく、成熟した、王として完全となったあの頃の怪物。己たちの理解出来ぬ天を見据え、人を導くことを己が責務だと考えている。

 革新王ガイウスとこの男は被るのだ。

「始まりは我欲だった。喪失からの暴走だった。貴様も見たはずだ、あの獣こそ俺の真性、弱い己が虚に耐え切れず、狂って暴走した矮小で欲深い、愚者こそ俺だった。罪を重ねた。何人も斬った。何人も陥れた。何人も殺させ、何人も殺させた。全部覚えている。最初に奪い始めてから、全ての貌を俺は覚えている。俺は弱いから、忘れる強さすら持たない」

 いつからだったか、我欲に満ち溢れたあの欲望の王が、悟ったような顔をして道を歩み始めたのは。自分たちが天を諦めるほどの何かを掴んでいたのは、いつのことだったか。巨星と持て囃され、戦場では絶対者として君臨するも、自分たちはいつだってあの男の敗者であった。ウェルキンゲトリクスはそれを認め、エル・シドは認めたがらないが動かなくなった。自分も同じ、頂点を諦めた、妥協したのだ。

「貴様らには見えぬだろう。この戦で死んだ名も知らぬ雑兵の貌など。これまでの歩んだ道、その後ろで連なる名を知られることの無い数多の喪失など。彼ら一人ひとりにも物語があって、その喪失は誰かにとっての絶望に成り得るのだと。理解すら出来まい! ずっと天上に生きてきた、その視点しか持たぬ貴様らには!」

 ストラクレスは己の身体が、心が冷えてくるのを感じた。王会議の時に感じた懸念とは違う、あの時と同じ確信が心を侵す。勝てない、相手の大きさを見誤っていた。戦場の物差しだけで計って良い相手ではなかった。

「俺しかいないのだ! 地を知り、天を掴むに足る存在は。天地を統べ、人の歴史を高次へと引き上げられるのは俺を置いて他にはいない! 俺以外に誰が見渡せる!? 地の底で蠢く虫けらのような存在を、泥にまみれた哀れな非人どもを。貴様らは目を向けたことすらあるまい!」

 全てを飲み込む虚。その果てに小さな光があった。それはまだ小さく、今にも消え入りそうなモノ。瞬きすれば消えてしまうかもしれない儚い光。だが、それは確かに其処にあった。ストラクレスの熱を喰らい、ほんの少しずつ、牛の歩みのようにそれは増大していく。

「何を、猪口才な! 傲慢が過ぎるじゃろうが、小僧! 豊かなルシタニアに生まれ、異国で多少の苦労はすれど、その後の立身出世は我が国でも語り草じゃ。小僧の見とる景色なぞわしらと変わらぬ。栄光の中で生きる貴様が、ウィリアム・リウィウスが下らぬ戯言を叩くでない! 同じじゃ、わしらと同じ――」

「ルシタニアになぞ行った事もない」

「何、じゃと?」

 激しい攻防の中、ウィリアムはストラクレスにだけ聞こえる声で語る。

「俺はアルカディアに生まれ、アルカスの奴隷として生を受けた。父の顔も母の顔も知らぬ。カビの生えたパンと泥の水、それが俺の生きてきた世界だ」

 ウィリアムの剣が鋭さを増す。全身が嫌な音を奏でる。限界だと叫んでいる。

「俺は俺が唯一持っていた最愛を奪われ、修羅に堕ちた。他者を利用し、知恵を、力をつけた。充分に蓄えた時、俺は存在を捨てた。名を喰らい、血を喰らい、罪を重ねて、最愛を捨て、俺は此処にいる! わかるか? わかるはずがないッ! 俺だけが、理解できる! 俺にしか見えない世界があるッ! 天地併せて、統べた俺の視点こそ最上だ!」

 ストラクレスの頭にエルンストの笑顔が浮かぶ。絶対に守ると決めた。決めたことを果たせなかったことは無い。戦場で我が通らなかったことなどないのだ。今度だって必ず、それは叶うはずであった。何故なら自分は絶対者で、黒き鋼の峰に己は立つ。

 自分は、巨星なのだから。

「貴様や貴様の愛する者など、俺にはその他大勢にしか見えんよ。俺が導く大勢の羊、その一部だ。貴様は少し体の大きな羊、何も特別じゃあない。俺は群れをより良い方向に導く。俺は差別をしない。最愛すら、道の邪魔になれば斬り捨てる。だから死ね。群れを惑わす、仮初めの支配を生む歪みよ。此処で、消えろッ!」

 絶叫する身体。お構い無しに更なる加速を求める。自分の目的へ邁進するため。奪われた痛みも、奪った痛みも、悲しみも、憎しみも、絶望もすべてを踏みしめ、最後の一歩を踏み込む。地面が抉れる。足の裏から血がにじむ。足首が絶叫する。

「わしは守るッ!」

 ストラクレスもまた最後の一撃に全てを託した。巨星の持つ全てを懸けた一撃。

「もう、遅い」

 ウィリアムは乾坤一擲の踏み込みを解除した。そして半歩、後退する。その所作の途上でストラクレスの一撃がその身に触れた。薄皮の如く押し潰される鎧、肉が爆ぜ、血が舞い、骨がちらりと見えた。だが、それは致命ではない。

 致命一歩手前の紙一重。肉を斬らせて――

「この場が、貴様にとって最善ではなかったのだから」

 骨を絶つ。

 いつの間にか納められていた剣が煌く。完璧の先へ、相手の踏み込みすら利用したカウンターの居合いは分厚い黒金をバターのように切り裂いた。肉も、骨も、命をも絶ち切る一撃。美しい剣閃はおぞましき鋭さを兼ね備えていた。

「貴方ほどの怪物でも、欲をかけば、最善を取らねば死ぬ。それがわかっただけでこの場には価値があった。ありがとう、巨星ストラクレス」

 ウィリアムは美しい所作で剣を納めた。

 ストラクレスは血しぶきと共に倒れ伏す。

「…………」

 ウィリアムは襤褸切れと化したマントをはためかせ、怪物の亡骸に背を向けた。まだ、敵も味方も状況を把握できていない。ウィリアムだけが必殺の手応えと、確信を持って歩む。その歩みは王者のそれ。

 ウィリアムはゆるりと弓を拾い上げた。静寂の中、

「わじがまもぉっぉぉぉぉぉぉおおおおおるッ!」

 臓物を撒き散らしながら牙を剥く怪物が最後の突貫を――

「そうだよな。そんなに安くないよな。最愛って奴は……わかるよ」

 ウィリアムはわかっていたかのように振り返り、弓矢を脳天に叩き込んだ。彼我の距離、僅か数センチ。その数センチが生死を分けたのだ。薄いようでその壁はとてつもなく厚い。

「あ、があ、え、エルンスト、わじ、がぁ」

「さようなら」

 ウィリアムはさらに、至近で矢を放った。惜別の思いを込めて。

「偉大なる英雄ストラクレスよ。先の時代は俺が統べる」

 今度こそ血だまりに怪物は沈んだ。ピクリとも動かぬそれを見て両陣営は察する。

 悲鳴が、歓声が、絶望が、喝采が沸き起こった。この一騎打ちの目的の一つであった絶対的、精神的支柱を奪う意味を、アルカディアの兵たちは此処で知った。誰もが絶望にひざをつく。文句のつけようが無い決着に、非難の声は上げられない。

 巨星の土俵で新星が勝った。時代が、変わったのだ。

「おめでとう。見事な勝利だったよ。さて、倒れる前にご所望はあるかな?」

「……出来る限りの侵略を。あそこの手が、伸びる、前――」

 倒れ込むウィリアムを目の前にいるヤンではなく、駆け込んできたシュルヴィアとグレゴールが支えた。触れた瞬間にわかる冷たい身体。怪我のしていないところなどないほど痛めつけられた身体。いつ死んでもおかしくは無い。

「グスタフ、この戦の総大将がさらなる侵略をお望みだ」

「御意。精々暴れてやるよっと」

「ウィリアム君を他の者に任せて君たちも攻めたまえ。これは命令だ」

 停止した戦場が少しずつ動き出す。柱を失った両陣営。失い方に大きな開きがあったが。どちらにしろ天王山は終わりを告げたのだ。この後に残るのは、勝った側の一方的な蹂躙だけである。

「腕の良い医者は用意しておいた。僕じゃなくてウィリアム君がね。大丈夫さ、星は昇ったばかりだからね。さぁて、指揮は君に任せるよアンゼルム君。僕も、ちょっと一仕事してこよう」

 ヤンはさらりとウィリアムの頭を撫でて上げた。眠る顔は、本当に似ている。

「美しい勝利だ。新しい時代が来る」

 戦場が動き出した。それは終結の先、これからのための動きである。

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