真・巨星対新星:揺らぐ大将軍

 一瞬にして戦況は一変した。アルカディアには絶望が、オストベルグには希望が芽生える。それだけウィリアムという男はオストベルグの柱であるストラクレスを追い詰めていた。普段、絶対に見せることのない苦戦。長年くつわを共にしてきた部下でさえ、一騎打ちにて苦戦するストラクレスというものを見たことがなかった。

 均衡が崩れ去り、苦しい時間を乗り越えたオストベルグ軍には安堵の表情が並ぶ。やはりストラクレスは絶対であった。負けることのない、だから巨星なのだ。

「ぐ、ぎぃい」

 敗色濃厚。されどウィリアムは諦めていない。自分の損傷すら計算に入れて、刹那の間に修正を入れていく。その速度と多様さは一本の剣を極めんとする者には不可能なもの。修正に修正を重ねて、それなりに渡り合う姿は傷を負ってなお美しい。

「でも勝てねえよっと。時間の問題だ」

 戦槍と謳われたグスタフならずともわかる。あれは末期の煌きなのだ。勝ち目のない戦い。対する怪物には手負いと呼べるような傷はなく、むしろ躍動する動きは先ほどよりも速度を増している。もはや敗戦は時間の問題であった。

 グスタフは周囲を確認してため息をつく。

「気持ちはわかる。だが動くな。今手を出したらどうなるかくらいわかるだろっと」

 グスタフの視線の先にはシュルヴィアがハルベルトを担ぎ動き出そうとする姿があった。その機先を制すグスタフの言葉。シュルヴィアは歯噛みする。

「兵力は同等。だが士気の差にアホほどの差が生まれる。今は野戦、将の質で多少勝る程度じゃ全体の士気差は覆せねえ。茶々入れは即詰みだよっと。そもそもお前『ら』の手出しであの巨星が乱れるか? 返り討ちにあって相手の士気にも貢献して、傷口を広げるだけだろーが、なあ、ヤン」

 グスタフの視線の先にはシュルヴィアが、そして目の端には血相を変えて今にも飛び出そうとしているヤンの姿があった。その表情、やはりグスタフには見覚えがある。

「昔のお前がそのまま努力を続けてりゃ、そりゃあいいセンいったと思うぜ。でもお前はそれを選択しなかっただろうが。北方での十年は麒麟児を腐らせるには充分過ぎた。この状況で俺らと一緒にその他大勢、それが今のお前だ。あの怪物の視界に俺たちはいねえよっと」

 グスタフの諭すような言葉にヤンを目を背けた。グスタフはその人間らしい反応に苦笑をこぼしてしまう。あれ以来、心を失っていた男でも、まだこのような表情が出来るのかと。それだけの何かをあの男は秘めている。

(助けてやりてえのは山々だけどよ、この状況にした時点で手出しなんてありえねえ。お前もそのつもりだったんだろ? なら通して見せろよ白騎士。死んでも、あいつの心に火がついたなら意味はある。ああ、そうだな。わりーが、死んでくれ。此処で勝てねえ以上、アルカディアにとっちゃそれが最善だ。残酷だけどよ、選んだ道だろっと)

 ウィリアムは何度目かわからないほどの後退を余儀なくされた。もはやそれは無様に時間を稼いでいるのと変わらない。負けを引き伸ばし、勝機を待つ。

「粘るのォ」

 そんなもの、この男が与えてくれるとは露ほども思えないが――

「まだ、まだだ。まだやれるさ」

 ウィリアムは剣を鞘に納める。ストラクレスは軽く眼を見開いた。雰囲気が変化する。多少、期待が持てる程度には。

(おそらくは必殺。最強の手札を切るようじゃな)

 ウィリアムは構えを取った。自らは足を進めず、カウンターに徹する。ストラクレスは笑った。奇襲にて完璧を砕き窮地に追い込み、それでもなお可能性を残している。好敵手の強さに改めて敬意を表する。と同時に――

(なれば、今度は正面から堂々と、異論の挟む余地なく粉砕する!)

 その笑みは獰猛なものへと変化した。相手の切り札をなめているわけではない。充分に警戒をしている。身体が、長年の経験が、目の前の満身創痍の男を警戒せよと叫ぶ。そうあることではない。前に進むのが億劫になるほど、濃縮された戦闘能力。

「……なめているのか?」

 だからこそ進む。大剣を肩に担ぎ、気負いなく、堂々と距離をつめてくる。

「我が人生でもそうないほど警戒しておるわい。じゃが、何が出てくるかわからんでな。そういう時わしは真っ直ぐ攻めると決めておるんじゃ」

 これを砕けば自分の勝ち。砕けねば自分の負け。わかりやすい。

 英雄、ストラクレスはこれを待っていた。

「ばけ、ものめぇ」

 アンゼルムとグレゴールは震えるしかない。傍から見ている自分たちでさえ怖れが止められない。構えるウィリアムは完璧であった時と同等の雰囲気をひねり出していた。拮抗していた、優勢であった時と同等であれば、少なくとも互角であってもいいはずなのだ。

「ほれ、小僧の領域じゃろう?」

 無造作に、ストラクレスは間合いに立ち入った。ウィリアムは目を細める。息をすうっと吐く。完全なる脱力状態を作り、初めて見たあの時から改良に改良を重ね、何とかものにした自身最強の技術に全てを託した。

「ひゅッ」

 すでにストラクレスの知覚外で引き抜く動作は行われている。領域に立ち入った瞬間、居合いのシークエンスは始まっていたのだ。これもまた居合いが超速に至る要素のひとつ。知覚外の先制。最速最小の動作で、それを為す。

「何と!?」

 ストラクレスの知覚が及んだ時にはすでに遅い。そもそもこの段階で知覚できる時点で怪物。普通ならば近くも及ばぬうちに結果が、つまり死んでいるはずなのだ。それでも、ウィリアムの経験上、この段階での気づきでは間に合わない。

「終わりだッ!」

 このタイミングであればヴォルフでさえ間に合わないはず。カイルですら――

「面白いッ!」

 間に合わない、はずであった。

「こう、じゃろォ!」

 ストラクレスはその巨躯に見合わぬ速度で身体を落とし込んだ。倒れる寸前、ほとんど倒れたような状態まで躊躇なく落とし込む。大地をなめられるほど、頭を落とし、姿勢を落とし、実際に大地を軽くひとなめして、最強の膂力と黒狼ばりにアジリティにて無理やり前進。ウィリアムの剣を掻い潜りながら、その右側にてためを作った。

 ウィリアムは初めて目の前の怪物、その底なしの戦力に絶望に近い感情を覚えた。振り抜いた刃は空を切る。自身が誇る最速最強の牙が、天を掴むため練磨し続けた技術が、ただの天性一つで破られたのだ。

「力こそ正義。戦場では、わしが正義じゃア!」

 英雄を、半世紀近く世界の頂点にて君臨し続けた相手。なめていたわけではない。侮ってなどいなかった。最大限の警戒をして、最高の準備を積んできた。

 だが勝てない。むしろ半端な力が巨星の輝きをさらに高めてしまった。

 ストラクレスはためから一気に大剣を振り抜いた。全てを打ち砕く一撃。無理な体勢、昨日までの己ならば出来なかった異次元の動き。その反発を利用した一撃は全ての攻撃の中で最高の威力を持っていた。

「俺は、まだ――」

 ウィリアムは吹き飛ぶ。ストラクレスは苦笑した。絶望に顔をゆがめてなお、無意識に最善手を放ってしまう男の業を哂う。ストラクレスの一撃に対し、身体を離してかわすのではなく、身体をくっつけて剣をかわしてみせたのだ。もちろん豪速で振り込んでいた腕に衝突しており、また別の骨が砕けた感触を得た。

 勝負はとっくについている。おそらくこれで心が折れたはず。

 ウィリアムの最強は敗れた。ストラクレスが砕いた。ストラクレスの脳裏に浮かぶ勝利という言葉。その先にある温かな、自分にとって孫のような可愛い王の笑――

「ぬ?」

 ストラクレスの腕に矢が突き立っていた。間接部を狙った一撃。おそらくはヤン辺りの茶々入れか。勝てぬと知ってせめて腕一本と思ったのだろう。けなげなことである。

(この程度でわしが、なめられたもんじゃのお)

 ぐるりと視線を動かすストラクレス。その途中でストラクレスの視線が止まった。ヤンの姿を視認したがゆえに。その立ち位置から、矢が突き立つ方向に打ち込むことは不可能。ようやく、ストラクレスはその事態の重さを知った。一瞬の油断、慢心、微量の安堵。

 矢が、さらに突き立つ。同じ位置に、ほぼ同時、加えて一本、計三本の矢がストラクレスの利き腕である右腕間接部に突き刺さっていた。このような離れ技、ヤン以外に為せる者など一人しかいない。たった今、心を砕いたばかりの相手。射線上にいるのは当たり前である。腕を振り抜いた方向に飛んでいったのだから。

 その男をストラクレスは頭から除外していた。第一にタイミングがありえない。矢が突き立ったのは吹き飛んですぐのこと。まだ彼は空中にいたはずである。一射目は空中で、二射目は着地の直後、三射目は受身を取りながら、全て平常とはかけ離れている。

 それなのに狙いは正確無比。狙いの正確性だけならばエウリュディケやトリストラム、マクシミリアーノよりも秀でているかもしれない。

「緩んだなストラクレス。さっき、貴様が浮かべた相手を当ててやろうか、おじいちゃん」

 その男は血反吐を吐きながら哂っていた。その手には弓が構えられている。

 大剣を負傷した右手は支えきれずそれをするりと落としてしまう。最強クラスの膂力ゆえ許された選ばれし者の武器は、力の入らない右手で支えられるものではなかったのだ。

 戦場に衝撃が走った。天秤が、揺れ動く。


     ○


 だらんと垂れ下がる右腕。ぽたぽたと血が垂れる。ストラクレスという怪物を支えてきた一部をウィリアムは奪い取ったのだ。ストラクレスはそれを見て顔を引き締める。この程度の損耗で揺らぐ己ではない。負傷などどうでも良いのだ。

「卑怯とは、言うまいね」

 許せぬのは戦場にて油断した己。苛立ちがあるとすればその一点である。

「そういえば背負っておったな。つまらぬ小道具を……それで、わしに勝ったつもりか小僧ッ! わしはストラクレスじゃ! 最強がこの程度で揺らぐか!」

 ウィリアムは有無を言わせず第四射を放った。ストラクレスの顔面を狙って――

「ふぉふぉく(とどく)かよ、白騎士ィ!」

 それをストラクレスは歯で捕捉し、顎の力で鏃ごと噛み砕いた。つくづく怪物、まだ巨星も腕を一本失っただけ。満身創痍には程遠い。

「わしが重ねし幾星霜、先代が、先々代が、積み重ねてきた歴史を背負うがオストベルグの大将軍じゃ。もう二度と、我が誇りに触れることすら出来ぬと知れィ」

 ストラクレスは左手一本で大剣を拾い上げ、それを易々と旋回して見せた。それを肩に担ぎながら大いなる一歩を踏み込んだ。そして推進する、巨躯の怪物。

「大将軍の重みを教えてくれるッ!」

 爆発的な推進力。

「大将軍の重み、ね」

 ウィリアムはそれを鼻で笑った。もう一度、剣を鞘に仕舞い居合いの姿勢を取る。今度の構えは変則であった。居合いだというのに両の手で柄を握っている。

「それが剥き出しの己であれば高潔で、誇り高いとも言えるが――」

 ストラクレスが何の躊躇もなく、またもウィリアムの領域に突貫してくる。先ほどの動きを考えれば当たり前であろう。動き出しを見てからでも対応できる技とわかっていて躊躇する男ではない。

 今度は掻い潜らせまいと、ウィリアムは低空の居合いを放った。ストラクレスもそれを見てから避けるのではなく、剣にて応じる判断を一瞬で下す。

「何かを包み隠していた皮であったなら、それは弱さになり得るぞ」

 ストラクレスの大剣とウィリアムの剣が衝突した。爆ぜる火花、劈く金属音。そして中空にて拮抗する二つの刃。ストラクレスはぎりと歯噛みし、ウィリアムはほくそ笑む。

「さすがの大将軍も片腕ではな。いやはや、ようやく人間並みにまで堕ちてくれたか」

 ウィリアムは拮抗を自ら崩し、流れるような動作で身体を入れ替える。そのまま連続での打ち込みを敢行。それを全て片腕で払い落としたストラクレスは見事であった。だが、見事ゆえに見えてしまう。片腕では、先程までのように押し潰す剣は使えないのだと。

「ガハッ、そちらは片腕どころではあるまい!」

 ストラクレスは相手の様子を見て的確な指摘をする。ウィリアムの身体は満身創痍、とっくに限界が来ているはずなのだ。それでなくとも痛みが全身を駆け巡り、戦いどころではないはず。そもそもこうして当たり前のように動いていることがありえない。

「なに、痛みがあげる悲鳴など心地よいものだ」

 それなのに、ウィリアムはさらに剣の回転数を上げた。身体が悲鳴を上げる。口の端から血が散る。それでもウィリアムは止まらない。むしろ痛みを増すかのように力を込めていく。

「最愛を失うことに比べたら、なあ、そう思うだろう大将軍。エルンストを失うことに比べたら右腕の痛みなど消し飛んでしまうはずだ」

 ストラクレスはびくりとして距離を取った。今の剣のぶつけ合い、優位であったのはストラクレスである。時間をかければかけるほど、根本的なダメージを負っているウィリアムの分が悪くなっていくのだ。だが、ストラクレスは自ら優位を手放してでも距離を取る選択をした。巨星は嗤う白い悪魔の貌を見る。

「どうしました大将軍? 私は何か変な事でも言いましたか?」

「……国家の剣たる我らが、国そのものである王を失うこと――」

「誰が他の奴の話をした? 俺はあんたとエルンスト個人の話をしているんだよ」

 ストラクレスの言葉にかぶせた形でウィリアムは口撃をぶつける。

「何を言って……おるッ!」

 それを遮るかのようにストラクレスはウィリアムに剣を向けた。先程までと同様に苛烈なほど攻め立てる巨星。それを受けながらウィリアムは口を開く。

「最初の違和感は、かの武人ストラクレスが政治に介入したことだった。今までどんなことがあろうと手出ししなかった領域、そこに踏み込み一人の王を誕生させた」

 ストラクレスの攻撃一つ一つに力が込められる。明確な敵意、そして焦り。

「理由としては三つ挙げられる。一つは暗愚であった先代に嫌気が差した、これは一番ありえるようで一番ありえない。そもそも動くならもっと早く動いているだろうし、今まで静観しておいて急にというのもおかしな話」

「くだらんことじゃ! 戦場で無駄口を叩くでない!」

「二つ! エルンストが傑物であった場合。俺はこれが真実だと思っていた。王会議で実物を見るまでは、な。一目見てわかったよ。確かにあの男は人たらしの才を持っている。しかしそれだけだ。ストラクレスという男の、大将軍としての矜持を曲げるほどではない」

「黙れィ!」

 ストラクレスの蹴りがウィリアムの腹を捉えた。吹き飛ぶウィリアム。転がりながら確信を得る。やはり此処がウィークポイントであったのだと。

「ぐ、がは……三つ、ストラクレスにとってエルンストという存在が、特別であった場合。これならば理由は要らない。あんたが王に据え、それを守ることに矛盾はない。だが――」

 ウィリアムは嗤う。にんまりと、悪魔のような笑みを浮かべる。

「それは果たして王と大将軍の姿か? 先代やオストベルグの歴史に胸を張って顔向けできる関係か? 軍政を分離してきたオストベルグの歴史を、歪めたのは誰だ?」

「黙れ小僧ッ!」

 ウィリアムの口撃は的確にストラクレスの急所を突いていた。ある意味で王会議での一番の収穫がこの二人の関係性であったのだ。エルンストを並と言う気はない。王として推すには充分な器量があり、人好きのする雰囲気は上に立つものとして相当な力となるだろう。しかし、それはあくまで資質の話。後天的な学びという意味では王として程遠いものしか持ち得なかった。其処が取っ掛かり、あとは深く観察するだけ、それだけで浮かんでくる。関係性が、感情が、手に取るようにわかってしまう。

「ほら、図星だ」

 大振りの一撃を紙一重でかわしたウィリアムは間髪いれず――

「そして弱さだ」

 ストラクレスの胸元に剣を突き刺した。先程から幾度も削り取り、薄くなった部分に思いっきり剣を突き立たせたのだ。ストラクレスの口の端から血が炸裂する。ウィリアムの口撃が巨星に大きなひびを作っていた。

「わ、わしは……わしはただ」

 我を忘れているストラクレス。痛みではなく突きつけられた己の歪み、不完全に隠していた歪んだ王と大将軍を思い揺れているのだ。エルンストを玉座に上げるまでのストラクレスはまじりっけのない大将軍であったのだろう。戦場において付け入る隙などなかったはず。しかし、彼は選択してしまった。

「残念だよストラクレス。貴方ほどの人でも間違える。だから失うんだ。一番大切なものを。俺はエルンストを殺す。貴方は、それを止められない」

 ウィリアムはストラクレスから剣を引き抜いた。血が噴き出る。

 ストラクレスは天を仰ぐ。申し訳なさそうに何かをつぶやき、そして――

「わしは、大将軍でなくともよい」

 血走った眼でウィリアムを射竦める。剥き出しの雰囲気が殺到した。

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