真・巨星対新星:近づく完璧
オストベルグは叫び、アルカディアは黙する。誰も彼もが信じられないものを見た。突進する軍馬と人間がぶつかり人間が勝ってしまったのだ。策を弄したわけではない。細工があったわけではない。ただ、力にて衝突の威力を押し返しただけ。
もはや生物が違う。人知を超えた怪物。
「ストラクレス万歳! オストベルグ万歳!」
ストラクレスが一歩進むごとにアルカディア全体の戦意が減衰していく。重厚な一歩、踏み込む音が力を持つ。大地を抉るような歩み、黒金の巨躯が英道を邁進する。
「征くぞ小僧」
黒金が歩みを速める。少しずつ、確実に速度を増して――
「に、逃げなきゃ」
誰かが言った。人間が怪物に勝てるわけがない。尻尾を巻いて逃げるしかないのだと。彼らは思い出したのだ。あの日から大した時も経っていないのに。大将を失い、一時はオルデンガルドまで攻め込まれたというのに。彼らは忘れてしまっていた。
勝利が彼らを酔わせていた。酔った勢いで此処まで辿り着いた。ストラクレスを見て、その真価を見て、酔いが醒めてしまったのだ。
「ふー、ま、成るようにしか成らんさ」
しかし酔わせた張本人は、彼らを導いた指揮者、羊飼いだけは、
「今までの全部、此処で吐き出す」
戦意を保っていた。巨星相手、其処に『絶対』があるとは思わない。勝つにしろ、負けるにしろ、『絶対』はない。
「さあ、堕ちようか」
白銀を身にまとう仮面の騎士はゆるりと動き出した。猛然と突進してくる黒金。その重量感、破壊力、最高速、どれも人の域ではない。凡人が決して届かぬ頂が其処にある。凡人がどれほど刻苦しても届かぬ天が其処にいる。
(俺もそうなりたかったよ、あんたや、カイルのように)
白騎士は柄に手をやった。猛進の黒金を前にして悠然とした歩み。
(だが、俺はそうなれない。神に選ばれなかった、凡人の俺じゃあ)
怪物が来る。死が迫る。地上に存在する生物全体で見ても最強クラスの怪物が――来る。
(そんな俺に出来ることといったら――)
肉薄する怪物。大剣を振りかぶり、肉と骨、ついでに大地でも割ろうかという迫力を持って振り下ろした。炸裂する轟音。舞い上がる粉塵。
(捨てるしかないだろう、何もかも)
大質量の鉄塊をするりと紙一重で回避。踏み足は前へ、死地に踏み込み活路を得た。大剣の充填速度よりも、白騎士の剣は遥かに速く黒の鋼を捉えた。鎧の継ぎ目を狙ったつもりが、ストラクレスの超反応により狙いをずらされ、厚い鋼に阻まれる刃。
「ほお、やるのお」
自分の領域、最強が最高に成るこの場にて生存、反撃してきた相手は最近では皆無。しかもオストベルグの重装騎兵を支える黒き鋼を傷つけた。鋭い傷跡、肉に触れたなら骨ごと両断する様子が目に浮かぶ。
重装備なのにストラクレスは反則級の反応速度、瞬発力でウィリアムの剣に対応してくる。力ではもちろん、速さですら負けている。ウィリアムが身体能力で勝る要素は皆無であった。馬上では見え辛かった明確な差が、地上戦で露わになった形。
「もっと……堕ちろ」
それなのに――
○
「優勢だぞっと。あのガキ、すげーじゃねえか!」
グスタフは敵も味方も徐々に動きを失いつつある戦場、その中心を見て驚愕する。グスタフの目から見ても強いのはストラクレスである。生物としての差、あまりにもかけ離れている人外は当然強過ぎる。そんな相手にウィリアムは何故か渡り合えている。むしろ優位にすら見えた。
「そうだね。感動すら覚えるよ」
ヤンはいつもの表情とはまるで異なる、不思議な貌を浮かべていた。
「感動とは大げさな……まあすげえけどよ」
グスタフは胸騒ぎがした。目の前の男が浮かべている表情を、グスタフは知っているような気がしたのだ。あれはいつだったか、遠い昔の――
「感動しない理由がないさ。彼は才能に恵まれなかった。大きな身体を持たず、特筆して俊敏であるわけでもない。才無き五体、あれだけ鍛えたことでさえ称賛すべきだろう」
ヤンの語り口は軽妙、そして何処か優しげな雰囲気をはらんでいた。
「限界まで鍛えた身体に技術を乗せた。ただの技術じゃないよ。あらゆる方法で収集した知識があって、その上で取捨選択を、試行錯誤の実践、その果てにあの技術、剣がある。彼の剣技にはね、彼にしか出せない美しさがあるんだ」
「俺ぁ、オスヴァルトやお前さんの剣の方が良いと思うぜ。華麗だろ?」
「僕はともかく、オスヴァルトの剣とウィリアムの剣は対極さ。互いに強さを求めているのは同じでも、強さ以外も求めるか、強さだけを求めるかで大きく違う。ウィリアム君の剣は強さだけを、機能だけを突き詰めている。そこに宝石の煌きはない。人をひきつける装飾はない。あるのは徹底的に無駄を省いた、飾り気のない抜き身の剣。ただし、めちゃくちゃ斬れるよ。ほら、また良いのが入った」
静止した戦場の中心で剣をかわす二人。一人は暴力的なまでの武で攻め立てる。力、速さ、根本で勝っている。それなのに今、一撃を入れたのはまたしてももう一人の方。力で劣り、速さで劣り、根っこで負けていながらも、斬鉄を為す。
「おいおい、黒鋼の鎧を斬るかよっと」
「彼の美しさは機能美だ。剣だけじゃない。生き様が機能に特化している。人が優とされる機能を突き詰め、無駄を徹底的に省いた存在が彼だ。そこに凡人も天才もクソもない。やるか、やらないか、それだけだ。それだけだから、誰も届かない」
ストラクレスの大剣、その破壊的な一撃を掻い潜り、時には受け流し、暴力の嵐を征さんと歩み続ける白騎士ウィリアム。無駄なく、ともすれば事務的にも見える剣。天性のきらめきを其処にない。天才が勘でやる動きとは違う。
天才の多くが階段を十段飛ばしで上っていった。秀才は五段飛ばし、少し器用な者でも二段程度は飛ばす。ウィリアムは性根が不器用であった。一段ずつ、明確に意味を突き詰めなければ気が済まない。覚えは遅かった。剣を覚えるのも、字を覚えるのも、最初は誰よりも遅く、覚えが悪かった。だからこそ一歩、一手をウィリアムは説明出来る。積み重なった今、其処から引き出す速度と正確さは誰よりも早い。
「恐怖も無駄、身体の反射も無駄、だから踏み込める。死を前にして一手も間違えない。誰よりも速く最善手をはじき出し、無駄なくそれを出力する。彼は強くなったよ。凡人も、天才も、誰もが成れるのに、誰もが成れぬのが彼だ」
必要とあらば打ち合う。その反動を利用して攻撃に転じる。無駄がない。隙が無い。気づけばウィリアムがペースを握っていた。依然として其処は死地。一瞬の油断で死が待つ世界。それでもウィリアムに揺らぐ気配はない。
「強くなった。遠くなった。人を超えた怪物と人を捨てた怪物。どっちも等しく化け物さ」
誰もがその姿を見ていた。怪物同士の戦いを。気づけば声すら制止していた。誰も口を開かず、誰も動こうとすらしない。みなの視線がただ一点に収束する。
「どっちが強い?」
「それを今から決めるのさ」
静止した戦場で怪物の戦いは続く。
○
ストラクレスにとって眼前の相手は不思議な存在であった。力が足りず、身体が足りず、それらを補う才もなく、技術は誰よりも高いとしても総合的に見て強いようには見えない。しかし現に自分は拮抗し、あまつさえ優位すら取られている。
(しかと見ておる。この剣撃の中、恐怖を、反射を、瞬きすら押さえつけてわしに踏み込んで来る。心の強さはわしの知る何物よりも勝るじゃろうな。手を誤ることはなし)
此処は死地。当たれば致命の剣撃が嵐の如く吹き荒ぶ世界。常に死が横たわり住まう者を見つめている。ストラクレスとて例外ではない。厚き鎧に守られているが、相手は最高の技術と至高の剣を持つ男。油断すれば死ぬ。
(それでもなお、負ける気がせんわい!)
最善手の連打。紙一重の回避。あらゆる術理をかき集め、己が理論を突き詰めた。貪欲に、泥にまみれても高みに至るための正しい努力を続けた。その粋こそ今のウィリアムである。技術の極みにて足りぬところは心で補う。
まさに完璧。されど最強は笑う。
○
ウィリアムの完璧を目の当たりにして、アンゼルムの心中は穏やかではなかった。自分が領域に踏み込むことすら出来なかった相手に踏み込み優勢を取る。力の足りない部分を心で補っている。心技体、三つの要素を見れば間違いなく世界最高峰の武人である。
(背中が、遠い)
ストラクレスが相手なら、ギルベルトやヴォルフが相手ならば、諦めることもできた。自分とは違う。才能に恵まれているのだと、神に選ばれているのだと、言い訳することもかなった。しかし――ウィリアム相手にその言い訳は通じない。
(私だって、努力をしている。欠かしたことなどない)
一日も努力を欠かさなかった。アンゼルムとてわかっている。それは何の言い訳にもならない言葉だと。ウィリアムはいつも言っていた。努力を継続するのは当たり前で、努力の中身を精査し続ける努力こそが肝要なのだと。
努力して努力して努力し続ける。考えて考えて考え続ける。思考の海に埋没し、片時も頭を休めることもなく四六時中フル回転させ、それを常に実践し続ける。その心の強さはある種才能なのだ。アンゼルムは勤勉な方である。生来真面目で、秀でた才は持たずとも一線級にまで高めた努力の男である。
それでもこの背は言うのだ。足りぬ、と。
(貴方は残酷な人だ。追いつけ、追い越せ、最近よく耳にする呪の言葉。そう言っている貴方自身が一歩すら足を止めてくれないのに。平気で貴方は皆にそう言うのです。必要なこと全てにおいて完璧を目指し、自分を律し、努力に徹する。それを当たり前にこなす。残酷ですよ、わからないでしょう、貴方には)
この場の多くは憧れのまま、才無き天才を見つめるのだろう。ああなりたいものだ、と嘯きながら引力に惹かれて行く。だが、本気で追おうとする者にとってその背は絶望ばかり与えてくるのだ。
(あの月光に浮かぶ背中に私は憧れた。無駄のない洗練された構え、うっすらと香る狂気が私と同種の狂人で、私の目指す先に見えたから)
清濁合わせた話を収集し惹かれていた。昇進式にてその思いは炸裂してしまった。
(あの時の貴方には間違いなく狂気があった。残酷な手段と正当な手段、同じ結果を出すとすれば前者を取るような、そういう雰囲気があった。今は違う。いや、あの間抜けな女が死んでから如実に変わった。私がシンパシーを感じていた部分、それすら無駄であると、貴方は切り捨てつつある。そして見える……完璧が。私には成れぬ頂が、見える)
ウィリアムの完成はアンゼルムの求める姿を遥かに超えたところにあった。自分が成りたかった姿は、あの月光に浮かぶ狂気は無駄と切り捨てられる。その結果があの完璧であるならばそれは正しいことであるということ。
つまり、お前は根本から間違えているぞ、とその背は雄弁に語るのだ。自分が生まれた瞬間から持っていた歪み、きっとウィリアムは後天的にそれを得て、後にそれを切り捨てた。真似は出来ない。それをしたら自分でなくなってしまう。
そう思い込み踏み出せなかった。苦しい変わるという選択を取らなかった。生来の気質に抗うことをしなかった。其処がアンゼルムの天井である。
アンゼルムの惑いをよそに、戦いは加熱の一途を辿る。
○
ウィリアムは自身の優位を感じていた。もちろん一切の油断はない。まだ自分にとっての完璧は遠い。大剣の薙ぎが頬を通過する。其処に空いた一センチほどの隙間、それを無駄と断じる。縮められる一センチなのだ。次は削る、より完璧に近づける、その思いだけがウィリアムを支配する。今の動き一つをとっても完璧からは遠く、最善手などと口が裂けても言えない。その厳しさがさらにウィリアムを加速させる。
(俺の理想に届けば、凌駕出来る。もっとだ、もっと研ぎ澄ませ。深く、広く、速くッ!)
飾り気のない剣。鋭く、研ぎ澄まされ、斬るという機能を追求し続ける。より鋭利に、より薄く、白銀の刃は黒金を断つ。
(手応え、あり、だ)
伝わるは肉の感触。削って削って、裂いて裂いて、ようやく芽生えた勝機。ストラクレスは揺らがず次の動作に入る。ウィリアムの向かって左方向に『ため』を作っていた。大薙ぎが来る。これを掻い潜り、さらに削る。油断はない。
最小で無効化し、微小なれど有効打を与える。
(手応えあったじゃろう? これで一気に小僧の勝利に傾いたわけじゃ。ガハ、滾るのお、燃えるのお、こういうシチュエーションをわしは待っておった)
ウィリアムは回避の動作に入っていた。この薙ぎは決まらない。何度も試行した結果、運やたまたまで決まる相手ではないという結論を得た。ならばどうするか、座して敗北を待つなどというのはありえない。勝ってこそ巨星、勝利してこそ大将軍。
ストラクレスは力を緩めた。手からするりと得物が落ちる。ウィリアムはまだ気づかない。気づかないような角度で行動しているのだから当たり前である。如何に完璧とて全てが見通せるわけではない。
「面白いものを見せてもらった。これは礼じゃ」
「……ッ!?」
ウィリアムは気づく。しかしもう遅い。最小の回避動作、次の攻撃を見据えたそれは、同時に今の余裕を奪っていたのだ。ストラクレスは鉄塊を見紛う剣を手放した。無手の英雄は、大薙ぎの構えから薙ぐように鉄拳を振りぬく。
巨大な剣を振るうための間。それが失われる。圧倒的軽量化による攻撃速度の上昇。大将軍は剣を手放さない。その思い込みがこの致命を作った。
「受け取れィ!」
「ゴ、がぁ」
黒金の重撃が白騎士の腹部を捉えた。拳がめり込む。嫌な音を奏でる脇腹。左半身の感覚が飛ぶ。意識も一瞬ブラックアウトし、次の瞬間地面に叩きつけられていた。冗談のように跳ね回る身体。呼吸が出来ない。激痛が全身を駆け回る。
「卑怯とは言わんじゃろお?」
ウィリアムはすぐさま立ち上がった。表情一つ変えぬその胆力や見事。
「乱れとるぞ、全部じゃ!」
しかし、ストラクレスの突貫ですぐさまそのやせ我慢は吹き飛ばされる。先ほどよりも荒いストラクレスの剣でさえ、まともに捌くこともできず無様な姿をさらしてしまう。血を吐き転げまわる姿を見て、周囲はその完璧の終焉を知った。
「完璧、崩れたり」
怪物の奇襲により、精密なる完璧、崩れ去る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます