真・巨星対新星:狂気開花
「くそっ! ヴォルカがやられた!」
北方にて長年シュルベステルを支えた猛者が倒れた。下手人は『黒鷹』のレスター。オストベルグの国色である黒を背負い、其れに恥じることのない才能と努力にて高みへと昇った新たな星である。
「まだだ! まだ私がいるぞ!」
ラコニアでの屈辱の敗戦から此処まで、レスターは死に物狂いで己を高めた。尊敬する『黒羊』のキモンでさえ超えていった怪物、白騎士を打倒せんがために。あの時感じた力の差を埋め、その遥か彼方まで到達してみせる。
「無理です! 撤退しないと全滅しますよ!」
レスターには有り余る才能があった。槍を持てば十代半ばにて国内に敵はなく、初めての戦場でガリアスの百将を討ち取る功もあげた。順風満帆な武人人生、白騎士、戦槍、阻まれた壁の高きを知り、レスターの胸の内から慢心すら消えた。
「サー・レスター。かの白熊の娘、如何いたしましょうか?」
今のレスターにとって――
「放っておけ。それよりも数を減らすことに注力せよ。北方出身者の平均武力は高い。侮ることなく、確実に削り、戦場を優位に進めていくぞ」
強くなったシュルヴィアでさえ敵ではなかった。
燦然と輝く新たな星。シュルヴィアは悔しさに唇をかむ。自分が積み上げてきた戦い、女であることを捨て、若きレスターよりも遥かに長く武に捧げてきた時間が瓦解していく。才能、ただそれのみが努力の質も長さも飛び越えていくのだ。
「所詮、『女』だ。戦場は男の領域、理解したなら去れ。ここに貴様の居場所はない」
レスターが己を積極的に追わない理由、そこに『女』があることを知り、シュルヴィアの中に張り裂けそうなほどの何かが溢れてくる。捨てたはずの女、しかしそれはそう生まれ、生きていく限り捨てられぬものであった。
女だから負け、女であるから見逃して、生かしてもらえた。
これほどの屈辱はなく、何も言い返せぬ己が弱さに死にたくなる。
「全軍撤退! とにかく生き延びるんだ! 相手は追ってこれないはずだ!」
自身の嘆願によりシュルヴィアと合流したユリアンが叫ぶ。この戦場では負けた、しかし他の戦場では勝っているはず。ならば深追いは難しい判断となる。突出し、包囲されるリスクを考えたなら迂闊な行動は取れないはずなのだ。
「深追いはしない。しかし、浅い傷で済ませる気もない!」
レスターたちは退かんとする敵の背を薙ぎ払っていく。しんがりたちの屍が積み重なっていく。もはやこの場に戦いはなかった。この場にあるのはただの虐殺である。
「くそ、退け、退けェ!」
黒の翼がはためき、血潮が爆ぜる。
○
ヤンは頭をかいた。手を出し過ぎるつもりはないが、手を抜く気もない。『彼』が望む通りにしっかりと敵の大将を抑えておくつもりであったのだ。
「相変わらず戦が化け物じみてるねえ。この嗅覚で何度すかされたことか」
何重にも張った策。相手のルートを想定し、相手の動きを操作する布石を数多打ち込んだ。単純な伏兵や、道を潰し、道を変化させたりなど、布石の数が多すぎて普通なら進行速度が落ちる。もしくはその多さに辟易し、考え無しに突貫する。前者なら目標達成、後者ならば美味しくいただくだけ。
「参ったねこりゃ」
ヤンの眼前には『黒金』の御旗。そんなもの見ずともわかってしまう膨大な存在感。肌が震える。心が折れる。黄金の輝き、天に輝く巨大な星が睥睨する。
「グスタフは、間に合わない、か」
ヤンの大矛であるグスタフはすでに放っていた。ほぼ確実にストラクレスがいるであろう地点めがけて一直線に射抜く戦槍。ストラクレスの軍、その横っ腹をぶち空ける一手がすかされた挙句、本人含む重騎兵による高速の詰め。
「狼煙で合図。終わったら全軍散開。しんがりは僕がやろうかね」
ヤンは無造作に弓を取り出した。一瞬で矢をつがえ、力いっぱい引き絞る。放った矢は綺麗な放物線を描き黒の旗を射抜いた。その後ろにいた敵軍側近の百人隊長と共に。
「時間稼ぎが任務でね。それに、まだ死ぬ気はないんだ」
馬にまたがり疾駆するヤンとその部下。身に帯びるのは弓と槍、そして剣。
「安心して見届けられるまでは、さ!」
ヤンが正面からストラクレスを迎え撃つ。
「ほお、ベルガーを討った小僧か。あの時の落とし前、つけさせてもらうわい!」
最強が牙を剥いた。
○
アンゼルムは歯噛みする。攻城戦、守るは『黒羊』のキモン。アルカディア側が絶対に避けては通れぬ地点をきっちり固めてきた。グレゴールの破壊力も人工の建造物を前にしては味消し、アンゼルムは己が突破口を開かねばと焦るが、キモンが冷静に捌いてしまう。手が伸びない、前に進めない。
「火計は?」
「あの砦の直下には地下水が流れている。浅く、流量も多い。そのため地盤は緩いが水に困ることはない。あの男のことだ、潤沢に用意してあるだろう。火は通らんよ」
得意の火計も効果は薄い。普通に攻城戦を敢行するには戦力が足りていない。キモン相手では通常の攻城戦に必要とされる三倍の戦力ですら少ないだろう。
「此処を奴が守るのは想定通り。ウィリアム様がこの戦のために用意した攻城兵器が届くまでしばし見に徹する。注視すべきはストラクレスとレスターの動き、隙は見せるな」
アンゼルムの指示通り軍が動く。グレゴールも足を止めるしかない。
「あっちも隙は……見せてくれねーんだろうな」
「見えても動かないように。ただの誘いですよ」
「野戦なら負けねーんだけどな」
「これを落とした後、その証明をお願いしますね」
安定して勝ち星を重ねてきた二人の軍であったが、黒羊の堅固な守りを前になすすべなく足を止めるしかなかった。
「合図は送っておくように。二本の狼煙、もう一筋が揃えば軍団長も攻め易くなるだろう」
「御意、すぐにかかります!」
何も知恵が出てこない己に苛立つアンゼルム。ウィリアムならばどうするか、主の思考をトレースしていく。未だ答えは手元になく、攻め筋が見えてこない。
鉄壁の守りを崩すには手駒が足りていなかった。
○
ウィリアムは三本目が上がった瞬間、自分の部隊を思いっきり前に進めた。突出し過ぎた風に見えるが、これは自らを布石とする一手。指揮者である自分の身をさらして、相手を釣るための餌としておびき寄せる。
「傭兵たちにも勝たせてやるか。さあ、しっかり囲めよオストベルグ」
案の定、オストベルグ軍が白騎士の旗を包囲する。これは彼らにとっての最善手、そうしない手などあるはずがない。目の前には憎き白騎士の首が転がっているのだ。
「俺を殺してみろ。出来るものならば」
最善手、それ以外はない、だからこそその手は確実に放たれ、次の手を確定させてしまう。相手が仕掛けてきた『絶対』はたとえ損に見えても外すべきなのだ。彼らは勝負巧者ではなかった。キモンも、ストラクレスもおそらくそうしない。
「白騎士を討つぞ! 祖国を守るのだ!」
「応ッ!」
ウィリアムは剣を抜く。その威圧感に味方が慄いてしまう。敵は、気づかない。気づかせないのだ。これは狩りと同じ、身を伏せ気配を消し、隙を一撃で沈める。
「残念だ……理屈も感性も、君たちに俺は殺せないと告げている」
孤立した白騎士の部隊を攻め立てるオストベルグ軍は、白騎士の強さに呆然としてしまう。強い、ただただ強い。先頭で剣を振るう白の男は自分たちの大将軍にも匹敵する力が見え隠れしていた。
「俺の足元に積み重なれ、弱き者どもよ」
絶対零度の引力、触れた先から、見た先から心が折れてしまう。絶望が生まれ、吸い寄せられていく。死が彼らに微笑んでいた。
白騎士を多勢にて討ち取れぬオストベルグ軍、その大外から傭兵たちが飛び出してきた。包囲の輪、その外にあった矛は容易くその包囲を食い破ってしまう。そもそも彼らは背後に気を配る余裕などなく、食い破られてなお前を見つめている。それは仕方がないことであった。
白騎士の引力が視線をも吸い込んでしまうのだから――
○
ヤンは大きく伸びをする。ヘラヘラと力なく笑っているが、帰還した拠点では皆、尊敬のまなざしでヤンの事を見ていた。その光景にヤンは頭をぽりぽりとかいて困った顔をする。期待されるのは苦手なのだ。いつだって、重たいものはない方がいい。
「良くぞお戻りくださいました大将閣下」
「まぐれまぐれ。運が良かっただけだよ。巨星が本調子なら今此処に僕はいないよ」
そもそも巨星から逃げ切れることが凄いのだと、この場の全員は痛いほど理解している。対峙しただけで雑兵の一兵でさえ頭に刻まれる絶望、敗北、これらは絶対なのだ。相手が巨星である限り、相手の気まぐれななくば死は免れぬ。
「いやー、これが続くときついなあ。グスタフの戻りを待って作戦を練り直そうか」
「御意ィ!」
「そんな暑苦しく返事しなくても――」
「了解しましたァ!」
「……元気なのは良い事だ、うん」
ヤンは確かに逃げ延びた。以前と同じように、踏み込まねば生き延びられる。巨星の引力、自分が捌ける距離を保つことが肝要、物理的距離もそうだが、精神的距離が大事であった。一瞬でも勝てると勘違いしたが最後、中途半端な踏み込みは必死を招く。
(僕じゃあストラクレスは倒せない。わかっていたことの確認だ。そしてこの結果を君は知りたかったんだろ、ウィリアム君。ストラクレスという物差しで僕を計った。それは君の想定通りだったかな? それとも想定外だったかな?)
この戦場における役割をヤンは終えた。もちろん、大将としてやることは山積みである。しかし、ウィリアムが求めた己の仕事はこの邂逅が最初で最後。自分は若手のように成長することはない。経験を積む意味がないのだ。
(とりあえずストラクレスが動き辛い程度の妨害は続けるよ。それで良いんだろ?)
ヤンは誰よりもこの戦の意味を理解していた。そのことがきっとウィリアムの警戒を深めるだろう。それでいいとヤンは思う。この世界、容易く人を信じるべきではない。人を決め付けるべきではない。警戒しておくぐらいが丁度いいのだ。
「さーて、紅茶でも飲んで一服しようか」
ヤンは再度大きく伸びをした。弓は砕け、槍は折れ、腰には剣だけを帯びている。バルディアスの後継、武家として勇名を馳せたゼークト家きっての麒麟児、数多の異名を持つ男はやる気なさそうにへらへらと笑っていた。
巨星から巧く逃げ遂せられる。そんなことが出来る人材がローレンシアに何人いるというのだろうか。わかっているのか、わかっていないのか、やる気のない表情からは何も読み解くことは出来ない。
○
アンゼルムの思索は続いていた。ほぼ飲まず食わず、足を進める手がなく足踏み状態、停滞した戦場を動かすには何をすればいいのか。常識ではどうしようもない。それでも白騎士ならばきっと打破してしまうだろう。
「そもそもあのお方ならばこの時点で攻城兵器を用意していらっしゃる」
そう、白騎士には財力がある。此処が勝負どころと見れば何処までも突っ込んでくるだろう。ただしその手は自分には不可能。クルーガーも名家であるが、商会を束ねる長ほどの金は操れない。
「待つしかないのか、あの御方の助けを、その程度なのか私は」
自分の弱さが憎い。何も浮かばぬ己が無理解を恨む。きっと出てくるはずなのだ。何故ならば――
「白騎士にもあったのだ。何も手札がなかった時代が。そう、そう……だ」
白騎士もまた最初から全てを兼ね備えていたわけではない。何も持たずに這い上がった、剣と知略と――忘れてはならない。白騎士の、白仮面の最大の武器は、
「嗚呼、そうだ。忘れていたぁ。原点を、あの御方の始まりを。私が何に惹かれ、焦がれたのか。白騎士、否、白仮面、そう、この美しい仮面に潜むあの狂気こそ」
他を隔絶するほどの狂気。どんな手を使ってでも這い上がって見せるという目標有りきの暴走じみた戦術。必要とあらば味方すら殺し、必要があるならば倫理、道徳を踏み越えることに何のためらいもない。
あの、アンゼルムが焦がれた時代の、怪物を想像する。割れた仮面をうっとりとじっとりと撫で回しながら、恍惚の表情で思索にふける。溢れ出てくる、非情な、狂った、人の道を踏み外した考えの数々。
「これが、私の……あの御方が進むべきだった道」
アンゼルムは思い至った。そして実行に移す。これで、羊の群れは全滅する。
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