真・巨星対新星:策謀の英雄

 エアハルトは自らが打った策の効果に満足していた。革新王という自分よりも高次の存在から愛され、認められ、自分は一顧だにもされていないという事実。それを生まれた瞬間から選ばれ、当たり前のように玉座を手にするであろう男には許せないことであった。。

 それに、足元から芽生えてくる予感。ウィリアムという男が自らを大将に推さず、カールにその座を譲り渡した時にエアハルトは確信を得た。

(ウィリアム・リウィウスという男、大将の座が目標ではない)

 大将が目標であるならば、いくらでも成りようがあった。そもそも自分を頼れば良い。それなりの対価は支払わせ、首輪もつけるが、大将の椅子程度やらないほど狭量ではない。いや、狭量ではなかった。

(何かひっくり返す策があると踏んでカールを推した。その策からひびが、付け入る隙が生まれるかと思っていたのだが、彼は悠然と見逃すどころか有力者の背中を押して決定打を放った。その時、彼の顔にその座を惜しむ様子は一切、なかった)

 其処が目標であるならば、建前はどうであれ必ずこぼれてくる失望の雰囲気。ウィリアムからはそれがなかった。微塵もにおい立つことはなかった。

(生まれた瞬間から政の世界で生きてきた。君だけじゃない、人の顔色を読むのは私も得意なんだよ。そこでようやくわかったんだ。貴様の目指す先が――)

 自分に益を与えているうちは可愛らしかった愛玩動物が、気づけば牙も爪も兼ね備えた害獣へと進化していた。否、最初から頭をたれる気などさらさらなかったのだろう。大将を目指してその先への欲が出た、これとも違うのだ。その道筋であるならばやはり大将の椅子に座れなかった時、そういう雰囲気が出るはず。

(玉座は崇高なものでなければならない。其処に至るには歴史の積み重ね、血の重みが足りない。君では無理だよウィリアム君。さっさと諦めて私に謝れば許してやろう。私は寛大で、そして使える人材が大好きなんだ。もちろん、私よりも低い存在に限るが)

 火種を撒いた地方には甚大な被害が出たが、エアハルトにとってそれは些事でしかない。見ず知らずの地方が戦火に呑まれようとも、大事なのはこの王都で行われている政なのだ。現場に赴くことなどない。現場を知ることすらない。

 だから――

「殿下、重大な報告がございます!」

「何だ騒がしい。何があった?」

 エアハルトは気づけなかった。否、ウィリアムが気づかせなかった。

「雪解けと共にウィリアム軍団長率いる第二軍が進軍開始、次々と敵拠点を粉砕、ヤン大将は動きを黙認し追従。勢いは、止まりません!」

 エアハルトの余裕が剥がれた。揺らぐ足場、芽生える敵意。

「何故だ? 奴の手足は奪った。ヤンにも無駄な兵は与えていない。ラコニアに駐留する第二軍だけじゃどうやっても戦力は足りないはず。守るだけで、それすらも――」

 ウィリアムの動きは己への叛逆である。大人しくしていれば許してやれた。自分に忠を誓えば前のように可愛がってやれた。されど、あまりに明確な叛意にエアハルトの中で白騎士を飼うと言う選択肢はなくなった。

「ストラクレスは何をしている!? 昨年はあれだけ暴れていたではないか!」

 余裕は、ない。

「詳細は不明ですが参戦はしております。それでも、勝っているのです」

「馬鹿な、ますますもってありえない!」

 あるはずがない。

 自らの立つ場所を脅かそうとしている者が、すぐそこにまで来ているのだから。


     ○


 ウィリアムは奪った拠点、その矢倉からストラクレスを見下ろす。あの時のように輝きに眼を奪われることはない。あの時のように力の差に絶望することもない。自分は貴様と対等だぞ、そういう想いを込めて眼下の怪物を睨みつけていた。

「少なくとも、兵力は互角だ」

 ストラクレスは退くしか選択肢を持たなかった。目の前に広がる敵の陣形に付け入る隙がなかったから。広域で繰り広げられている戦場、それを網羅する兵力は互いに拮抗している。そしてそれを指揮する人間の差により――

「そして指揮者は此方が上。なら、負ける要素がない」

 如何にストラクレスと言えども、弓兵や弩兵で固められた分厚い陣をぶち抜くことは難しい。不可能ではないが相応の深手を負うし、割に合うほどこの拠点は重要ではない。何よりも重要なのは、此処以外ほぼ全てで負けているということ。

 ストラクレスには余力がある。それを目の前の戦闘で行使したいが、全体の動きがそれを妨げている。こうして鉢合ったところで、すでに全体での勝負はついており、其処の負けをカバーするために動かねばならない。

 結果――

「わしを除け者にするか。腹の立つ小僧じゃて」

 ストラクレスは戦場に立ちながら、その武力を行使できないでいた。


     ○


 アインハルトたちは一仕事を終え、少しばかりの休息を取っていた。冬の間休み無しに動き回っていた商会の面々。特に幹部であるアインハルトたちは一日とて休むことはなかった。過剰極まる生産、ウィリアムの言葉を信じて採掘所を、製鉄所を、鍛冶屋たちの尻を叩いた。作りに作ったり武器の数々。倉庫に収まらず各人の屋敷にも置いた膨大な在庫。

 国内だけで捌き切るのは不可能であった。そう、国内だけであれば。

「あそこから半額、良く考えてみたらガリアス国内での市場価格はあれよりちょっと高い程度。ローレンシア最安値であるガリアスよりも安いってことだから」

 武器の価格は地域によってさまざまである。鉄が高くて革が安いところ、鉄が安くて――その総合から市場の価格が算出される。今まではぶっちぎりでガリアスが安かった。商人でも動き回るタイプは皆ガリアスに集ったし、其処で仕入れて地元で売ればひと財産、は言い過ぎとしてもかなりの儲けになる。

「俺たちは世界で一番安い武器を売っていた、ということだ」

「無理やりにでも作った世界一安い武器、一番じゃなきゃ意味がない。一番だから、売れた。遠方からでも買いに来る価値が生まれた。そして人が集まった」

 彼らは冬の間、職人たちを総動員させて武器を作る傍らで、冬時期でも動き回るアクティブな行商人たちに噂を吹き込み続けた。ウィリアムの命により行われていた草の根活動。彼らの行動力と拡販、儲け話への嗅覚を信じて数打った。

 ウィリアムが先んじてガリアスで動いた分を含めたとしても半信半疑であった。わざわざ冬のアルカディアを越えて他国の商人が買い付けに来るのか、と。来たとしてもこれだけの莫大な在庫を削る購買力はあるのか、と。

「結果は上々。わしらはなめておった。商人の貪欲さを」

「儲け話に金貨を握り締めて大勢集まった。スポット的だが世界で最も安い武器をこれでもかと売り抜いた。死ぬほど売って、稼いで、まだ残ってた超在庫は笑いしか出なかった」

 結果として人は集まった。大量の武器を売りつけ、多額の金貨を手に入れることが出来た。安くなった分を差し引いても、そもそも売れた数の桁が違う。市場としての伸びしろが国内と世界では比べるまでもなかった。それでも残る在庫には皆呆れたものである。

「集めた金貨の使い道は対オストベルグへの戦、それを為すための兵力集めだった。商人への噂話と平行して吹き込んだ話、これもまた大きな商売、白騎士が大量に傭兵を雇うという噂話を外に投げ込んだ。これも成功」

「集まった傭兵どもを片っ端から雇いまくった。何で私たちが傭兵を、何て思っていましたがね。とにかく稼いだ金を吐き出した。オストベルグを取れば元は取れる。未来への投資と考えて馬鹿丸出しの傭兵に金を投げ込んだ」

「在庫の武器で報酬を現物支給とか、色々やったよな。在庫も減って金も節約になるってんで……いやーしんどかった。稼いだ分、空っぽになるまで使うんだもん。使う時のが心臓に悪いぜ、ほんと」

 今日まで残っていた在庫もとうとう潰えた。兵力も充実し、金も冬時期とは思えぬ稼ぎ、あれだけの傭兵を雇ってまだ余裕があるのだ。それだけの数を売った。薄利多売を地で往った。長く、暗い回廊を抜け――

「あとは白騎士様が勝つだけだ。商人の領分じゃねーよ、つくづくさ」

 商会の命運もまたその長である怪物が背負う。

 冬を越え、今のところ描いた絵図から一切の外れなし。


     ○


 この大一番を任されていたエィヴィングの顔は青ざめていた。今まで、リディアーヌの膨大な策でさえも嗅ぎ取っていた鼻が利かない。利いたと思えばそれは罠で、罠だと思えばそれが本命、もはや何を打つべきか、何を信ずるべきかわからなくなっていた。

『この戦、指揮をエィヴィングに任せようと思うのじゃが』

『相手がウィリアムであれ、ヤンであれ、分が悪すぎると思われますが』

『ようやく俺の価値がわかったかじじい。任せろ、喰ってやる』

『わしを上手く使えぃ。さすれば負けぬじゃろうて』

『ふはは、俺が大将軍だ。エルンストにほめてもらうぞ』

 任命された時の嬉しさは吹き飛んでいた。今はただただ怖い。王会議の時感じた寒気はあの男のものであった。冷たく、其れでいて引き込まれる。呑まれたが最後、あの躯と同じ存在に成り果てるのだ。

 恐怖が背を伝う。大将軍の上に立つ、大戦を率いる重みが双肩を圧し潰す。味方がじわじわと削られていく。人が死ぬ。殺すのは平気だった。今までずっと捕食者側で、いつだって自分が喰らう側で、喰われる恐怖を知らなかった。否、知っていたのに忘れていたのだ。この感覚は、ずっと前に、山界に放逐されてすぐ味わった根源的なもの。

「おれ、かてない」

 圧倒的強者から受ける圧。あの時は彼らに好かれたから、彼らから戦いを学ぶことが出来た。強者が味方だったから、忘れかけていた。あの日、最初に受けた選別のまなざし、今はまだ小手調べ、見極めているのだ。相手の実力を、状態を、じっくり、ねっとりと――

「……こわい」

 もうすぐ見極めが終わる。その時の惨劇を想像し、エィヴィングは一人震えていた。


     ○


 ウィリアムは一人オストベルグの地図を眺めていた。占領した拠点や街などから押収したそれらを繋ぎ合わせて明日の戦場を弾き出す。その作業はすぐに終わった。

(五年早い。これでは歯応えがない)

 エィヴィングの見極めが完全に済んだのだ。奇襲、奇策、昨年の情報も加味して浮かび上がる人物像。自由奔放、野生的で、知識の隙間をついてくる。常識の隙を喰らってくる。

(点を点としてしか使えない半可通なら敗れるだろうが……不思議だな)

 この相手に、良い様にやられた三大将。カールはわかる。まだまだ隙が多い彼に喰らいつくのは難しいことではないだろう。もちろん、最後まで喰らい切れるかは別だが。何しろあれで意外とあの男はタフに出来ている。

 窮地でこそ怖い相手なのだ。

 ヘルベルトはおそらくベルンハルトと同じ系統。必要な兵法は体得しているが、基本的に策を凝らすよりも力でねじ伏せる戦を好む。奇策に嵌ろうが何をしようがあまり変わらない。だからこそエィヴィングとの相性は悪くなく、ストラクレスとの相性は最悪に近い。

(ヤンがこいつに負けるか? 其処だけが不可解だ)

 ヤン・フォン・ゼークトは策を凝らすタイプゆえエィヴィングにとって組し易い相手。とはいえそのくくりであるならばウィリアムもまた負けていなければならない。当時のリディアーヌで互角ならば、ヤンであれば負ける要素を探すほうが難しい。

 力量的に今のウィリアムと同様、圧勝していてもおかしくはないはず――

「ずばり当ててみようか。私のことを考えている、どうかな?」

「半分正解。この程度の相手に負けるようではガリアスの未来も暗いだろう」

「……傷ついたよ。酷く傷ついた。そもそも負けていないし、決着つかずだもん」

 思考の邪魔をしたのはノックせず入ってくる二人の内の一人、リディアーヌであった。もう一人はシュルヴィアである。北方ではそもそもノックの習慣がないらしく、何故自分があわせねばならないのかと意地になっている分、可愛げがある。

「俺が圧倒しているのを見ているだろう? そもそも隙なく進めるだけでこの手の輩はぼろが出る。どうせ当時は色気を出して無駄に凝った策を用いたんだろ?」

 ぎくりとするリディアーヌを見てウィリアムはため息をついた。

「野生的、本能的といえば聞こえはいいが、要は理論だった思考の放棄に他ならない。それこそあの山犬くらい経験を積めば別だが、今の経験量で基礎もないんじゃ話にならん。獣の縄張り争いで戦をわかった気になられるのはな。人をなめすぎだ」

 ウィリアムの苛立ちは期待の裏返しでもあった。リディアーヌを破った、カールを、ヤンを破った相手への期待値は相当高かったのだ。しかし蓋を開けてみればこのザマである。カールでさえしっかりやれば何とか勝ち切れるだろう。

 底が浅過ぎる。

(視点が白騎士や黒狼とかその辺の怪物目線だからね。期待値が高すぎるんだ。彼だって将の平均を取れば頂点に近い場所にいる。問題は、君が頂点だってことさ)

 ウィリアムの指し回しを見ていると容易く見えてしまうが、昨年自分たちを苦しめた相手であることは間違いない。三大将が噛み合わず、後手に回ってしまったこともあったが、それでも一時は劣勢にまで落とされた。エィヴィングは間違いなく実力者なのだ。

 しかし、ウィリアムの支配する戦場では粗ばかり目立ってしまう。つまりそれだけ力の差があるということ。知識、経験、それらを包括した力の差が大き過ぎる。ストラクレスの武力をかき消すほどの差が其処にはあった。

「じゃあ明日の流れを決めようか」

「もう決めてある」

「はやっ!? それじゃあ早速教えてくれたまえ、ウィリアム君」

「偉そうに。まずは二パターン、このままエィヴィングが指揮を取るのと――」

 自分は強くなったとリディアーヌは思う。お客としてではなく、本気で指揮棒を振らせてもらえるならばエィヴィングにも勝ってみせる。ただ、目の前の怪物と出会って、ストラチェスで優位陣形からの惨敗を喫したあの日から、差が縮まっているという感覚がないのも事実。越えるべき壁は、さらにその高さを増していた。


     ○


「限界です閣下。まだあの少年には荷が重過ぎました」

 キモンの顔には有無を言わせぬ表情が張り付いていた。ストラクレスもまた理解している。エィヴィングは傑物である。旧い戦しか出来ない自分よりも上手く戦えるはず。そう思っていたのだが、其れは大きな誤りであった。彼の年齢を、豪放磊落さに隠れた繊細さから眼を背けていた。

「わかっておるわい。つくづくわしは下手じゃのう。人を育てるというのが」

「我々の世代の不甲斐なさゆえ。彼ら若き世代に負担をかけております」

 エィヴィングは耐え切れない。相手の力量を、策を看破する嗅覚は、そのまま敵との力の差をおぞましいほど鮮明に理解させてしまう、その結果と共に。彼が傑物であることに疑いはない。しかしまだ、人を使うこと、消費することに慣れていなかったのだ。

「あの子は優しいのお。エルンスト様と似ておる。兄弟なんじゃなあ」

「しかり。……向いておりませんな。争いごとには」

「じゃのう。……キモン、ぬしに任せる。わし抜きでやれるか?」

「勝てはしませんが、負け方は心得ております」

 優しい少年の伸びしろに賭ける愚策は終わり。此処より始まるは血みどろの消耗戦。キモンが正道によりじりじりと自分と相手を削り、ストラクレスが好き放題暴れ回る。キモンが盾でストラクレスが剣、これは巨星であるストラクレスと当時その副将であったベルガーが猛威を振るったオストベルグ最強の策。

 剣と盾、シンプルさゆえ巨星の個が引き立つ旧時代を代表する戦術であった。

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