真・巨星対新星:それぞれの想い

 黒の狼は、エルマス・デ・グランの尖塔に一人立つ。

 部下たちは全員寝静まった夜、美しい牙のような三日月が天に瞬いていた。今は夜の領域、天日の入り込む隙間はない。苛烈な太陽が黒を切り裂いて熱が身を焦がす。そんな地獄は――まだ遠い。

「ってぇな。強過ぎるんだよ、あの化けもんは。俺はヴォルフ様だぞ? 天才で、最強で、無敵のはずなのに……体が震えて仕方がねえ。何度も刻まれた死の恐怖が、今になって襲ってきやがった。もう冬で、たぶんあの砦にゃあいない。わかってんのによぉ」

 冬に至るより遥かに早く、ヴォルフの限界は訪れた。

 ジェドをぶち抜き、エル・シドの前に立った。此処までは良い。ヴォルフとしても充実した状態でかち合えたと思っている。だが、またもあの怪物の恐ろしさを刻まれた。敵はあまりにも巨大で、大矛を掻い潜り生き延びるのに精一杯。強くなって得た確信が吹き飛ぶほどの強さ。正直、勝てる気がしない。

「ルドルフの坊ちゃんがいなけりゃ、今頃この砦はエスタードのものだった。ゴーヴァンの野郎が死んで、俺が死んで、ディエースも、他の全員も死んで……残るのは死だけ。本当の敗北だけが其処に横たわる」

 ルドルフが神の子たる所以を発揮しなければ当たり前のように訪れていた終末。異常気象が頻発し、季節はずれのイナゴが敵陣の糧食『だけ』を喰らい、奇跡に奇跡を重ねて、それでもなおあの男の支配する領域で、一度の勝利も得ることは出来なかった。

 勝てない。誰もが諦めた烈日越え。ようやくその重みを全員が理解した。ルドルフでさえさじを投げた怪物への勝利。自分は、届くのだろうか。

「でも勝たなきゃ進めない。わかっているんだろ、ヴォルフ・ガンク・ストライダー。その名は伊達かい? 勝って貰わなきゃ困る。そのために雇った、いや、君に賭けた」

 いつの間にかルドルフがヴォルフの横に立っていた。

「賭けで外したことは?」

「割とガチで一度もないよ。僕神の子だもん」

 ルドルフは自信満々に答えた。それが張ったりでないことはヴォルフも良く知っている。彼は間違いなく勝ち続けてきた生粋の勝者。

「その神の子が俺に賭けてるって?」

「不服かい?」

 それが黒の狼に賭けた。相手は巨星、烈日のエル・シド・カンペアドール。最強の名を欲しい侭にしてきた三人の内の一人。勝つのは極めて困難で普通に考えたら敗色濃厚である。それでも神の子は張った。その大穴に。

「光栄だね。ま、もちっと頑張ってみますかね。なんたって神の子のお墨付きだもんな」

 大穴なるか。黒の狼は静かに牙を研ぐ。


     ○


 アポロニアは燃えていた。きっと自分の同期であり、生涯の敵となるであろう二人もまた燃えているはずである。その一念でアポロニアは立ち塞がる。目指す先は彼らと同様に巨星落とし。問題があるとすれば――

「英雄王、その強さを、私は身をもって学ばねばならん」

 高まる闘志が巨星最強の男に届き得るのか。アポロニアの刃はその喉元に届くのだろうか。勝利することは可能なのだろうか。

「眼を焼くほどの輝き、相手にとって不足なし」

 未だ無敗の怪物と戦う女王。巨星という分厚い壁が立ち塞がる。


     ○


 ストラクレスはオストベルグが誇る巨大な墓所に訪れていた。ここにはオストベルグ歴代の王やその一族、それを守護する形で歴代の大将軍が眠っている。彼らの肖像画が鎮座するこの空間には不思議な空気が漂っていた。亡骸が眠る大将軍などほとんどいない。多くは戦場で散り、この地に戻ってくることはなかった。

 それでも眠るのだ、魂は。この地に戻り、そして守っている。

「お久しぶりですじゃ、マクシム様」

 ストラクレスが見つめる先には、先代の大将軍が力強いまなざしを湛え立っていた。知らぬ者からするとただの絵でしかないが、将としての師であり、武人としての規範であり、自分の人生を変えてくれた憧れを前にしては気も引き締まるというもの。たとえ絵であっても、それは変わらない。心の問題なのだから。

「わしゃあどうにも貴方のようにはなれませぬ。貴方から頂いた大将軍という重役、わしは真に背負えておるのでしょうか。わしの背中は、先代たちと同じように次の時代へ繋がっていくものなのでしょうか……わしゃあわからんのです」

 マクシムの背中は大きく見えた。若くして強過ぎたストラクレスを唯一押さえつけられた剛の者。皆からの信頼は厚く、大将軍の中の大将軍と他国からも称賛を集めていた。ネーデルクス一強時代の三貴士とも渡り合えた、そんな傑物。

「わしの後に、道は繋がっておるのか否か」

 だが、彼は時代の流れに飲み込まれた。偉大な大将軍は、突如現れた新時代の前にひざを屈したのだ。ウェルキンゲトリクスという新時代に。同時に三貴士の一角が墜ちた。エル・シド・カンペアドールという怪物の手によって。

 ストラクレスはその時、ただ強いだけの存在であった。時代の節目にマクシムの横で戦い、その眼で時代が変わるのを見た。激昂した己の剣は時代を変えた男に通じず、仇を取るどころか目の前に刺さる剣を回収するので精一杯であった。

『暴れん坊、貴様が次の大将軍だ』

 あの言葉はきっと時代が移り行くことを感じていたのだろう。自分が死ぬことを予期していた。だからこそ出た言葉。今、ストラクレス自身が感じている予感と同種のものかもしれない。マクシムは受け入れた。ストラクレスは、受け入れるわけにはいかない。

「わしが務めを怠った。わしは、次を育てることが出来なかった。先達方には面目次第もございませぬ」

 続く先がない。だから勝たねばならないのだ。来る新時代、それを受け入れる道はオストベルグにはない。ストラクレスの身に力が入る。歴代の大将軍、何よりも先代の大将軍が繋げてきた歴史を、止めるわけにはいかないのだ。

「わしが守りまする。この国を、未来を、次に繋げるその日まで。わしゃあオストベルグ王国大将軍ストラクレスなのだから」

 あの時と同じ風が流れている。あの時代、己はそれに乗り飛翔した。エル・シドも、ウェルキンゲトリクスも、彼ら自身が時代となり世界を変えた。今、同じ風が流れ始めている。世界は間違いなく変わりたがっている。だが、

 ストラクレスは許容しない。時代の流れすらせき止めてみせると自らに言い聞かせる。自分は巨星なのだ。『黒金』のストラクレスなのだ、と。

 併合されたとはいえ異国出身の自分を受け入れてくれた国。腕っ節とでかい身体だけが自慢の暴れん坊を将軍へと育ててくれた先代。そして、今――


     ○


 ジェド・カンペアドールは自分の弟が戦いの後、あのような顔になるのをはじめて見た。いつだって戦いの後には倦怠があった。兄である自分との戦いでさえ最後まで付きまとっていた勝って当たり前という空気感。実際、戦略、戦術で圧倒してなお己は負けた。それが全てであったのだ。

 強過ぎるということ。一度触れ合えば挑む気も起きない。力の差がわからない愚者は挑むも、後悔する間もなく断ち切られた。運良く生き延びた者は死を求めるもの以外、二度とエル・シドの前に立つことはなかった。

 気づけば誰も向かってこなくなった。しかしヴォルフは違う。全力で向かって、傷だらけになって、辛くも逃げ延びたのにまた挑んでくる。繰り返すこと幾たびか。折れ、砕け、それでも立ち上がる。そしてその度に強くなっていた。

 エル・シドは言った。

『狼の小僧は確信しているのだ。自分の器は決して俺様に劣るものではないと。生意気極まるが見込みはある。俺様の遊び相手程度にはなるかもしれん』

 だから戦える。挑戦できる。心が叫ぶのだ。この壁は越えられるのだ、と。

 一度としてジェドの心はそれを言ってはくれなかった。何度も挑戦出来る、それだけでヴォルフの強さが、その伸びしろが推し量れるのだ。届くかもしれない。エル・シドは間違いなくそれを求めている。その上で勝利し本当の美酒を味わう。

 人生最後の大戦、エル・シドは己が最後の舞台を決めていた。


     ○


 ウェルキンゲトリクスは大聖堂の隅でうたた寝をしていた。

 耳をくすぐるのは聖歌隊の唄、調を奏でるは聖ローレンス最大の水オルガン、奏者は聖女その人であった。

 ウェルキンゲトリクスにとってこの時間は何物にも変えがたいものであった。聖歌隊の練習風景、この空間を独り占めできるのは王の特権である。

 聖女が声を張り、調と共に皆をリードする。それだけで世界ががらりと変わった。とても美しく優しい音色。ウェルキンゲトリクスは自らの存在が蕩けるような感覚を覚えた。何度同じ曲を聞いても飽きが来ない。

 むしろ聞くたびに好きになる。

(嗚呼、やはり、君の――綺麗だ――)

 ウェルキンゲトリクスは静かに聞き惚れていた。

 そのまますっと眠りの彼岸へ――

「ウェルキン、もう夕方ですよ」

 ウェルキンゲトリクスが目を覚ますと、そこには聖女が朗らかな笑みを湛えて一人、王の隣に座っていた。この風景はウェルキンという男が掴み取ったもの。彼女の隣で生きるために命をとした結果。その対価は王になること。

 二人は隣り合う。なのに重なることはない。

「そうか、もうそんな時間か……年は取りたくないな。最近時間の感覚が鈍い」

「私もですよ。そろそろ死期が近いのかもしれません」

 冗談めかして言っているが、聖女は何かを察している。それは時代の流れか、はたまた自らの天命か、神の啓示かもしれない。察して、それを受け入れている。

「君は死なんよ。俺がいるからな」

 英雄王はいつも通り聖女の剣たろうとする。それを聞いて聖女は悲しげな表情を浮かべた。英雄王の見えないところで、笑顔に少しばかりの影が差す。

「私はいつも足手まといですね」

「ん、何か言ったかい?」

「いいえ、何も。さあて、そろそろご飯にしましょうか」

「よしきた。どうやら眼が覚めてきたみたいだ」

 本当は彼女の言葉は聞こえている。本当は彼女の貌も理解している。自分が守れば守るほど、罪悪感を覚えている彼女をわかっていながら、それでも隣に立つ権利を手放さぬために戦い続けた、守り続けた。

 彼と彼女は互いに好きあっているにも拘らず、相手の全部がわかっているにも拘らず、互いの領分を侵すことはなかった。わかっているからこそなのかもしれない。

「ねえウェルキン、長かったわね」

「ああ、そうだね。とても長い時間を生きた」

「次は、普通に生きたいわ」

「俺も、普通に生きてみたい」

 君と一緒に。これを口に出すことは憚られた。二つの道を重ねたい、それは今の生き方では不可能なのだ。聖女は穢れを知らぬから輝きを放ち、英雄王は公私を交えぬゆえ王の鑑となる。これは不動でなければならない。

 その不文律もいずれ終わる。その足音はすぐ近くまで来ていた。終わりは近い。

 二人は時代の流れを理解していた。もうすぐ、歪んだ蜜月が終わることも――

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