世界・歴史・幻想:決着

 リュテスとエウリュディケの猛攻により、トリストラムの軍勢は一時退却する羽目になった。『疾風迅雷』の破壊力、こと攻撃面に関してはガリアスでも最強とされている。ボルトース、ダルタニアンは単独の軍で評価されているが、二人はこのコンビネーションの強さを買われて今の地位にいるのだ。

 しばらくは主にリュテスの成長のために引き離されていたが――

「……迂闊だった。まさかあれほど速いとは」

「サー・ローエングリンの評価は将来性込みの話と思っていましたが、改める必要がありそうですね。王の左右、上は当然としても、下の二人も強い」

 エウリュディケが手を抜いていたことで目測を誤った部分もある。まだこれだけの余力を残していたとは思っていなかった。誤算は二点、リュテスの強襲とエウリュディケの底力。

「しかし何故、三の丘ではなく二の丘方面に下がったのですか? 態勢を立て直すにも本陣を構える三の丘の方が素直な筋かと思いますが」

 長年くつわを共にしている部下からの疑問。

 トリストラムはほんの少しの迷いを見せた。

「我らが一の丘と二の丘を分断する要だから、というのはもちろんある」

「はい、とはいえこの状況では蓋としての役割にはならぬかと」

「そうだな。一度瓦解した軍勢、まとめねば集の力は出せん。だが、私は後ろへの心配は必要ないと思っている。我が軍勢を思い浮かべてみろ」

「……なるほど。メドラウト、ベイリン、それに陛下と陣容が厚い。相手方にはこちらに手を回せる余力は無いはず。リュテスの奇襲がめいいっぱいであるならば、相手に楽をさせぬために留まり布石と化すわけですね」

「すぐさま後退はないだろうが、いずれ戦力差から言っても二の丘は落ちる。その時此処が空いているのと閉まっているのとでは大きな差になる」

「さらに付け加えるならば、リュテスを二の丘に合流させない、此処でリュテスを封じ込めれば二の丘はさらに楽になる。考えれば考えるほどにこの後退が正解に思えてきます」

「私もそう思った。だがな、実はこの手こそ素直な手なのではないかと思い始めて――」

 若手の多いアークランドの中で、年はそれほどでもないが多くの戦場を経験し、歴戦の騎士であるトリストラムは直感的に何か嫌な感覚を覚えた。それは次第に形となって現れていく。最初は耳に、次は肌に、

「サー・ディナクレス。私の選択は、読まれていたらしい」

「そのようで。これは、どうしようもない」

 目に映ったとき、トリストラムの軍勢は大いに驚嘆した。

「なっ!?」「マジかよ!」

 後退し態勢を立て直す、その最中での出来事。熟慮の上出した回答をあざ笑うかのような一手。呼吸を整えようとした矢先、彼らは遭遇した。

 撤退するガリアス軍と撤退していたアークランド軍。両軍とも驚愕のなか混乱し、状況の理解に頭を全力で回す。トリストラムが自軍を落ち着けせようと大声で指示を飛ばすも、それを受け取る側が正気ではない。そもそもすでに交戦が始まっている。

 乱戦状態。先に正気を取り戻したのは――

「すげえ、ウィリアムさんの言ったとおりだ」

 ガリアス。彼らは銅鑼を三度叩くという合図の下動いていた。そして銅鑼の合図は撤退の合図にあらず。その合図の意味は――転進の合図であったのだ。

「こっちもバラバラだけどあっちもガタガタだぜ! リュテスの野郎やりやがったな」

「野郎なんて言ったら殺されるぞ。気持ちが上がるのはわかるけどな」

「トリストラムだ! こんな近づける機会は滅多にないぜ! とりあえず殺せ!」

 此処で遭遇したのは運。どこかで遭遇する可能性は示唆されていた。だから知っていたわけではない。ガリアスにも驚きはあるのだ。しかし、驚きの差が両軍では大き過ぎた。片や狙いを知っていた上での遭遇、片や思考の隅にもなかった遭遇では、どちらが優位かなど言うまでもない。

「久方ぶりに背中合わせといきましょうか」

「ああ。とりあえずは突発的な遭遇戦。相手も死力を尽くさんとする雰囲気は無い。此処は嵐が過ぎるのを待つしかあるまい」

 トリストラムとディナクレスは剣を抜く。殺到するガリアス軍、その最前線で弓騎士が剣を握り戦う。しかも騎乗せずに――

「弓騎士が剣を不得手と思わぬことだ。ゴーヴァン、ランスロには後塵に甘んじようとも――」

 トリストラムの気迫が戦場に伝う。

「騎士が剣を軽んじることなどありえない。基本的に強いですよ、弓騎士率いる我らフォルトリウ騎士団は。進撃のアークランドを、最後まで止めていたのだから」

 トリストラムの軍、多くは劣勢の状況であったが、その中で唯一中心の一団だけは圧倒的な武力を見せ付けていた。だからこそ、優秀で勇敢なガリアスの兵士たちは彼らを狙い攻め立てる。トリストラムの強さ、それを支える屋台骨を折らずして何が超大国か。

「いくぞォ!」

「構えよ!」

 突発的な遭遇戦、なれどガリアスの兵たちは感じていた。ここで楽に抜いては必ず返す刀にて慢心の己らが断たれると。此処は、折るべきところと心得る。


     ○


 メドラウトは話を聞いて大きく息を吐いた。痛感するのは己の無力さ。視野の差があまりにも大きかった。メドラウトにとって戦場はこの二の丘であり、一も三も信頼しているものに託していた。

 託すと言えば聞こえはいいが、要は放り投げたのだ。

 対してのウィリアムは分断されてなお一も、おそらく『三』も見ていた。二の丘で戦う余裕はなかったはず。もともと寡兵で、さらに分断したのだ。兵力は戦える限界しかない。それを運用し、その上で狙っていた。この状況を。

「僕らの、いや、僕の負けだ。僕は、弱過ぎるッ!」

 ある程度渡り合えていると思っていた。この戦場で成長し差をつめていたと思っていた。アポロニアの助けを借りたなら追い越せると、本気で思っていたのだ。

「大丈夫だ。ユーフェミアは弁えている。傷口は浅いだろう」

 トリストラムは三の丘のほうへ視線を向けた。そして苦笑する。

「やはり速い。さすがだ、疾風迅雷」

 立ち上る煙が茜色の空に映えた。それは戦の痕、そして相手の手札を知るトリストラムと、黒幕の思考を読みきったメドラウトだけはそれを敗北のしるしと理解する。


     ○


 撤退するユーフェミアは君臨する二つの影に敬意を表した。ただの攻めならばユーフェミア単独とはいえ抜かせる気はない。簡易とはいえ陣の防御も強化している。丘の上と言う地の利もあった。それでもなお守る気すら起きない。

 それだけの強さ。

 速く柔軟、エウリュディケの『迅雷』に至っては、布陣次第で一方的に相手を殺戮可能な強さを秘めていた。そうでなくともリュテスの突撃にあわせて援護するだけで強いのだ。噛み合っている今の疾風迅雷を止めるには、準備と戦力が足りなかった。

「攻撃力だけならばあの男よりも上か。うつけを討ったあの男よりも」

 ジェド・カンペアドールをして劣る、それほどの迫力があった。もちろん総合力はわからない。一度崩せば脆い気もする。とはいえこの場は命を懸けて死守するほどの価値は無かった。そもそもこのガリアス攻め自体あまり戦略的意味は無い。

「大陸は広い。兄上も難儀しただろう。多くの傑物が跋扈するこの広き世界に」

 リュテスとエウリュディケはトリストラムを撃退後、ひと悶着ありながらも三の丘攻めを決行。見事、三の丘を奪取した。遠近飛び抜けた二つの軍の強さがこれでもかと出た戦場となる。王の左右としての面目躍如、やはり強い。

「ユーリ、姉は、また負けた。恥ずかしい姉だ。だが、立ち止まりはしない」

 ユーフェミアは後退する。しかしただでは転ばない。王の左右の、疾風迅雷の強さは理解した。知れば対策は立てられる。今は負けかもしれない。されど大一番では負けない。そう心に誓いユーフェミアは撤退した。

 三の丘が落ちた。これで趨勢は逆転する。

 残すところは大将同士の個人戦のみ――


     ○


 アポロニアの側近は夕暮れの中、自らの主を探していた。道なき道を進んだアポロニアとウィリアムを追うのは至難の業であったが、それでも彼らは小さな軌跡を見逃さず少しずつ、確実に距離を詰めていく。そして――

「姫様!」

 周囲には激しい戦闘の痕、矢が幾本も刺さり、その中で崩れ落ちているアポロニア。それを発見した騎士の一人が叫び声をあげる。木にもたれ掛かり俯いている姿は敗残者のそれ。傷だらけの姿は生存に対しての疑いを浮かべさせる。

「くそ、生きていてくれ」

 声は届いているはずなのに、主に反応は無かった。騎士たちの焦りは増大する。近づけば近づくほどに傷の深さが見えてくる。

「姫様ァ!」

 身動き一つ無い。矢も刺さっている。

「許さん。殺してやるぞ白騎士! 何処にいる!」

 この場にいないことなど明白な敵の名を呼ぶ者もいた。

 あの紅蓮の乙女が敗れ去るという悪夢。古参の幾人かは既視感を覚えていた。戦乙女が血風の中にて散る光景、敬愛していた主を守れなかった絶望が彼らを襲う。

「姫様……おいたわしや」

 騎士たちが馬を下りて駆け寄る。沈痛な面持ち、絶望の表情を浮かべていた。

 主を囲み立ち尽くす騎士。一人が意を決し前に進む。主の亡骸を抱え、皆の下へ戻さねば成らないのだ。死してなお、自分たちの主はアポロニアなのだから。

「ぐ、くそぉ、我らは、あまりに無力だ」

「必ず仇は……見ていてください姫様」

 ガルニアの太陽が堕ち――

「……少し落ち着け」

 近くに寄った騎士が発言した。表情は困惑の色がありありと浮かんでいる。

「これが落ち着いていられるか!? 卿は何を考えている!」

 複雑な表情をしている騎士へ、他の騎士から怒号が飛ぶ。

「……よく見よ」

 苦笑する騎士はその場からすっと退く。皆の視線が主に集まった。俯いたその頭から表情はうかがえない。生気は感じ取れないが、確かに死んでいる確認は誰もしていない。慌てていて確認にまで頭が回らなかったのだ。

 全員がしんと静まり返る。そこで、

「………………ぐう」

 小さく耳朶を打つ寝息。

「……寝ていらっしゃる」

 紅の女王は寝ていた。傷だらけ、矢が刺さったまま、だというのに寝ている図太さは英傑の器か、ただのうつけか。

「ど、どういうことだ? この傷だ、戦闘はあったのだろう。周囲に何本も矢が刺さっているのを見るにかなり派手な戦闘だ。なのに、姫様は眠り白騎士はいない」

 周囲には激しい戦闘の痕。とても一騎打ちの様相ではない。だからこそ彼らは自分の主がはめられたのだと考えていた。伏兵が何人かおり、アポロニアはやられてしまったのだと。だが、結果は謎の眠り姫が一人、敵の姿は見えない。

「姫様が勝ったということか?」

「それにしては傷が多いし、そもそも白騎士の死体がなければおかしいだろう」

「わからん。無事で何よりだが、状況がまるで掴めんぞ」

 状況は不明。真実を知る女王は眠りから覚醒する気配は無い。


     ○


 日が完全に暮れ、一の丘に戻ったリュテスは待ちぼうけの状態であった。三の丘を奪取し、そこはエウリュディケが守りを引き受け、リュテスは一の丘の指揮に戻る。驚くほど作戦通りにことが運び、残すところは作戦立案者の帰還だけとなった。

「リュテス様、明日以降の作戦を」

「ハァ? 見てわからないの? 今、槍の修練してんのよ。馬鹿なの?」

「も、申し訳ございません」

 リュテスの返しに部下は慌てて頭を下げる。ちなみにこの部下、今の問いを発したのは初めてではない。日が落ちたばかりの時に、槍の修練をしているリュテスに声をかけたときと同じ反応、同じ返し。違うのはさらに時間が経過したこと。

 リュテスは槍を振り回し続ける。雑念まみれの槍でも習熟が乱れた動きを否定するも、頭の中は混沌としていた。戻る前、エウリュディケにかけられた言葉が頭をぐちゃぐちゃに乱す。帰ってこない事実が、自分が、立場が、何を思うべきなのかわからない。

「だぁぁぁあああ! めんッどくさいのよ! 戻ってくるなら早くしろ! 死んだならさっさと言え! あたしをどこまで惑わせれば気が済むのよ!」

 リュテスの槍が艶月を描く。無茶苦茶なことを叫んでいるが、その槍は今日一番の冴えを見せていた。槍が月光を宿すかのような錯覚に陥るほどに――

「惑う必要が何処にある? 気の向くままに進めばいいだろう?」

 リュテスはいきなり現れた人影に槍の切っ先を向けた。

「遅い! 今後あんたがあたしに早くしろと命令する権利なし!」

 そこには、

「ひどいな。これでも結構頑張ったんだが」

 白騎士、ウィリアム・フォン・リウィウスが立っていた。防具はボロボロ、白い髪も薄汚れている。しかし表情は飄々と余裕を感じさせる立ち姿であった。

「勝ったの?」

「勝ったよ。まあ、殺しては無いが」

「……よくわかんないけど勝ったなら許す」

 リュテスは槍を引き戻した。ウィリアムはぽりぽりと頭をかく。

「生かした理由は?」

「アポロニアを殺せば、騎士たちは仇を討つために泥沼の総力戦に入る。そこで勝ち切る戦力はこの場には無い。殺すよりも利を得る方法はある。それだけだ」

「……そこはいつもみたいにわかるよう教えてくれないんだ」

「大した話じゃない。結果として、命の代わりにエール地方を放棄させた、だから勝利なのさ。この年、アークランドがガリアスへの侵攻を禁ずる密約も結んだ。ついでだが、殺すよりも大きく利を得たことになるだろう?」

 リュテスはそれだけで納得しなかった。いつも、綺麗に自分の思考を、感性を導いてくれた言葉が、耳の中ですべる。きっと、理解とは遠い感性が嘘を見抜いたのだろう。短い期間だがリュテスはこの男を見つめ続けてきた。

 それは色恋よりも深い感覚。

「ま、別にいいけど……治療は必要?」

「怪我は大したことない。明日、アークランドが退くのを確認して、俺は王都へ戻る。君はどうする? 王の左右が要る状況でもなくなるだろうが」

「あたしも戻るわよ。つーか槍、教えて欲しいんでしょ? お願いしなさいよ」

「……戻って頂けないでしょうか、リュテス様。お願い致します」

「ハン、仕方ないわね。あんたももう少し色々、兵法とか教えなさい」

 ウィリアムは苦笑する。滅茶苦茶な我侭に、ではなく『嘘』を見抜いたリュテスの慧眼に、であった。ウィリアムは先ほどの回答で一つとして本当のことを話していない。それらしい理由付けはしているが、アポロニアを生かした理由はもっと別の、大局的なものであったのだ。

(育てた甲斐がある。種は仕掛けた、彼女もまた綺羅星となるだろう。我が王道を照らす地上の星に――)

 ウィリアムは視線をずらした。奪わせた二の丘、紅の綺羅星がいるであろう場所へ。

(……こっちの星は可愛げがないな。光が強過ぎるよ、騎士女王。俺よりも輝くならば、次こそは殺すぞ、アポロニア・オブ・アークランド)

 その光、今日だけでどれだけ輝きを増しただろうか。今日は勝てた。だが、明日勝てるとは限らない。それだけの手ごたえを感じた。剣でギリギリ『互角』、弓や小技を用いてようやく打破できた。

 彼女はまた自分の前に立つだろう。今よりも輝きを増して――

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