世界・歴史・幻想:疾風迅雷

 森の中を疾駆する白と紅。速く激しく、多少の高低差など物ともしない走りを見せていた。馬の扱いは幼少の頃から戯れてきたアポロニアに軍配、弓などの小技はウィリアムに軍配という形。ウィリアムを追いかけているアポロニアの表情は終始明るかった。

(さて、どう料理するかな)

 初手の矢、必殺のタイミングで外した以上、ただ撃っても回避されるだけ。矢は馬に装備させてある筒に充分な量を確保している。牽制の分を差し引いても余裕はあった。

 考えている間にもアポロニアは猛進して距離を縮めてくる。

(足の速い馬を仕留めてからだな。何をするにしても)

 根本的な馬の足、その差をまず何とかせねば振り切れない。

 考えがまとまったのかウィリアムは急速に方向を切り替える。アポロニアも少しずつそちらの方へ寄せていく。結果はウィリアムが保持していた距離が大きく詰まった。大損である。しっかりアポロニアは相手を捕捉しており、見逃すことはない。

「どんな考えがある? 私に見せてみよ!」

 アポロニアは策の気配を察知した。何かが見えたわけではない。あの男がタダで損をするわけがないという信頼ゆえ察知できたのだ。

「策と言うほど大したものじゃないさ」

 距離にしてほぼ六馬身ほど。きっちりと後ろにつかれた瞬間、

「悪戯みたいなもんだ」

 ウィリアムは直上の枝に掴まり勢いそのままにくるりと半周、その流れで口にくわえていた矢を弓につがえ、さらに四分の一周、その間になくなっていた六馬身の差、丁度アポロニアの直上でウィリアムは弓を構えていた。あまりにも見事な軽業。アポロニアには驚く暇すらない。

「死ね」

 狙いは馬。アポロニアだけならば防げるが、馬の全身を守ることまでは騎手であるアポロニアでは不可能。足を削るだけならば殺す必要はない。尻に矢を撃てばそれだけで足の差はなくなるだろう。

「あはッ!」

 必中の矢、それでもなおアポロニアという怪物は対応してしまう。ウィリアムが矢を放つ瞬間、アポロニアは自らの馬の腹を全力で蹴り飛ばした。急げという合図ではありえぬ威力に涎を撒き散らしながら馬は横っ飛びに倒れる。

「何っ!?」

 矢は放たれた。そこには誰もいない。アポロニアは馬を蹴った反動で逆側、つまり木の幹にぶつかっていた。否、ぶつかったのではなくそこを再度蹴り込んで、ウィリアムの眼前にまで跳躍して見せたのだ。

「追いついた!」

 笑顔のアポロニアはその爛漫な表情からは想像もつかないほどの速度で剣を振るう。狙いはウィリアムの首ではなく腹、憎らしいほど確実に殺しにきている。ただ、その打算がウィリアムを救った。

「こ、の、怪物が!」

 ウィリアムは枝を蹴り込んで真下に落ちることを選択した。即座に、かつ思いっきり蹴らねば断たれる気配。事実、足の裏が通過した瞬間、アポロニアの剣はその場を通過した。アポロニアの笑みが深まる。

 そのまま勢い良く地面に叩きつけられそうになる瞬間、しっかりと受身を取って即座に反転。地面にて弓を構えてアポロニアに狙いをつける。アポロニアは先ほどウィリアムがいた枝の上。躊躇いなくウィリアムは矢を放つ。

「どっちが、怪物だぁ!」

 アポロニアは木の幹に飛びつき、そのまま矢を回避がてらぐるりと一周、その勢いを使ってウィリアムの眼前に飛び込んでくる。それをすでに読んでいたウィリアムの二射目。アポロニアは空中にて飛翔する矢を剣で砕いた。

「テメエに決まってんだろうが!」

 ウィリアムは弓を捨てて鞘に納まっている剣に手をやった。

 アポロニアが着地した瞬間、フィーリィンから奪った超速の居合いにて女王の首を狙った。だが、これは王会議の際、彼女には不完全ながらすでに見せている。速さに驚くアポロニアだが、ウィリアムが破った方法と同じ手を使いそれを破ってみせた。その後に続く二、三合の攻防経て両者少し距離を取る。

 両者ともこれだけの死線を潜ったにも拘らず、息一つ乱れていなかった。刹那の攻防、どちらが死んでもおかしくない世界で、二人は平然と満喫していた。

「アポロが邪魔だったのだろう? もう、彼女はいない」

 両人共に馬を失った。厳密には二頭ともそばで待機しているが。

「ハァ、嫌になるぜ。折角、馬だけで済ませてやろうと思ったのによォ」

 ウィリアムの雰囲気がさらに変化する。先ほどまでも研ぎ澄まされていた。しかし、歪んだ貌が、充血した眼が、雰囲気が告げる。此処からが本当の白騎士であると。

「この貌をガリアスの諸氏に見せるわけにはいかなくてな。ほんと嫌になる」

「ようやく私だけを見たな。それでよい! 私だけで良い、それで――」

 アポロニアの口がぴたりと止まった。まるで蛇に睨まれた蛙の如し。

「ぴーぴーさえずるなよ小娘。間違って殺したくなっちまうだろうが!」

 アポロニアの熱情が虚に飲み込まれていく。燦然と輝いていたはずの、巨大な熱量が失われていく。「ハァ」ウィリアムの吐息にこの季節ではありえない白いもやが見えた。絶対零度の雰囲気。躯が支える業の塔、その頂点に君臨する白の王が嗤う。

「遊びは終わりだ。子守が追いつく前に仕舞いとする。剣なら勝てる、そう思ったか?」

 白の王は笑みを深める。あざ笑うかのように――

「とどかねえよ……痛みも知らぬガキじゃあ、捨てる覚悟もねえ甘えん坊じゃあ」

 アポロニアは、それでも根性で笑みを作った。挑戦する意欲よりも恐れのほうが高まりつつある。その本能を押さえつけ、白の王に向かった。

「見せてみろ。其れが虚勢でないか、新たな巨星となるに相応しいか、俺が見てやる」

 白の王、ウィリアムの真価をアポロニアは知る。


     ○


 メドラウトは圧勝した第二の丘で守りの陣を敷いていた。白騎士ならば絶対に何らかの手を打ってくる。攻めの要であるリュテスの姿も、この日の緒戦に軍の横をぶち抜いてから消えている。どこかで、必ず妨害があると手堅く、無用なまでに警戒を強めて此処まで事を運んだ。結果はほぼ無傷での大勝。

 残りはエウリュディケが守る一の丘のみ。そしてこれはすでに落ちたも同然。

(エール地方では勝てたのか? それとも勝たせてもらっただけ?)

 エール地方での勝利はガリアスを大いに刺激するだろう。この先、超大国の全力が襲い来る。交戦するだけの力が今のアークランドには欠けている。足りていないのだ、量が、圧倒的に。

「王の左右が来ようとも姫様には指ひとつ触れさせん」

 ベイリンはすでに先を見据えていた。この場にいる多くがそうであるように。

 何か思惑があったとしてもこの戦場では勝った。そう、思っていた。

「サー・メドラウト、東方の森に影が。敵の伏兵かもしれません」

 此処から、彼らは知る。

「だとしてもこの布陣は崩せない。勝利は揺らがないよ」

 全ては――

「出てきます! 全隊交戦準備! 弓隊前へ!」

 白騎士の――

「……そんな、馬鹿な。ありえない」

「ゆ、弓隊構えを解け! 味方だ!」

 掌の上であったことを。

「許せ、サー・メドラウト。私の過失だ」

 傷だらけのトリストラムと満身創痍の軍勢が現れた。皆一様に疲れ果て、昨日までの勝勢が嘘のようである。あまりにも悲惨な光景、そこからメドラウトは目をそらしていたか細い真実に近づく。近づいて、首を振った。

「サー・トリストラム。何があったんだ。疲れているのは承知しているが、即座に対処したい。説明を頼む」

「無論だ。私のわかる範囲であればいくらでも言葉を交わそう」

 メドラウトの脳裏に浮かぶ答え。もしそれが真実であれば――すでにエール地方での負けは確定している。


     ○


 緒戦、リュテスの部隊はアークランド側の布陣が伸びた瞬間を狙い突貫してきた。この戦場で何度もやられているガリアスの黄金パターン。『疾風』のリュテス、その部隊を酷使するやり方で戦果を重ねた。この一撃は予期できたものである。

「奇策への好手はいつだって正攻法と決まっている」

 だが、それを受けるために足を止めるのは愚策とメドラウトは無視する。リュテスの部隊は攻撃力も足もある。されど数はそれほどに多くない。奇襲で乱れ足並みをばらばらにするのは相手の思う壺。ゆっくりと、着実に進軍する。

 それに今日はアポロニアが出るのだ。勝負を決める一手が後ろに控えている以上、この程度で揺らぐはずもない。精神的支柱の存在はこれほどに軍を変える。

 いつでもリュテスの奇襲は警戒している。しかしそれは要だけで良い。かく乱の動きにわざわざ引っかかる必要はないのだ。昨日までで懲りている。

「いつでも来い。僕らはもう揺らがないけどね」

 目指すは第二の丘、自分たちが元々構えていた陣地である。そこに白騎士がいる。少なくともアポロニアはそう確信している。進め、勝利は目前――

 此処からアポロニアが突撃、敵本陣をずたずたにして、撤退の合図と共にガリアス軍は総崩れとなった。そこからしっかりと陣を確保し、守備を固めて、自分たちの主が帰還するのを待っていた。勝利と共に。

 此処までがメドラウトの認識である。

 そして此処からがトリストラムの、第一の丘を攻めていた者たちの認識であった。

 エウリュディケを追い詰め、敵本陣への包囲を一層引き締めていたトリストラムの軍。時折、弓での応戦はあるも、覇気の感じられない戦いっぷりに、両軍とも気力を失っていた。どうせ勝てる、どうせ負ける。倦怠感にも似た何かが戦場を包んでいた。

(おそらくガリアスは増援を待っているのだろう。勝負を長引かせることだけに腐心している。相手は腐っても王の左足、『迅雷』のエウリュディケ。引きこもられては勝ち切れぬ。この勝負、分かれ目はあちらの方になる)

 一の丘はがっちりと包囲されている。後背にもある程度平地の空間を設け、奇襲にも対応できる布陣。勝ち切れぬが負けることはありえない。そんな状況で――

「エウリュディケ様! あちらをご覧ください!」

「あらあら、どうしたの慌てて。援軍でも着たかし……あらァ?」

 トリストラムらの後背、森の奥にちらりと旗が見えた。丘の上だから見える角度、しかも此処からでもほとんど視認出来ないほど、自然かつ隠密な動き。

「わたくしに動けと? そう言うのね、可愛いリュテス」

 エウリュディケならば、その部下ならば見逃さない、小さな合図。王の左右、二つ足であり『疾風迅雷』である相方ならば、見逃すほうが難しい。そう言っている様にも見えた。

「生意気。でも許しちゃうわ」

 エウリュディケは愛用の弓、ケラウノスを担ぎ戦いの準備をする。

 それはほぼ同時に起きた。トリストラムの認識ではまずエウリュディケが、私兵でありガリアス最強の攻撃力を誇る部隊、弓騎兵を従えて現れた。今まで引きこもり能動的に攻めることをしなかった彼女たちが動く。

 それに驚くトリストラムではない。むしろ、その動きで彼自身は何かがあると勘付き、後ろを振り向いたほどである。そして彼は目撃する。

「気づいたのはさすがね。でも、それでも遅いのよ、『疾風』相手ではね」

 後背の平地、空けておいたはずの安全マージン。攻められても振り向き、しっかりと守りの体勢を固める余裕があった。そう、あったのだ。

「はいはいはい、『疾風』のリュテス様が通るわよ! 道を空けるか死ね!」

 その部隊は速過ぎた。今まで戦場を縦横無尽に駆け回ってきた機動力。昨日まではぐねぐねと動きがあまりにも複雑すぎて、対峙していたメドラウトですら計り違えていた。そう、彼女らの真骨頂はこういった直線でこそ発揮されるのだ。

「おしとーる!」

 ガリアス最速の騎馬隊がトリストラムの軍、その背を突いた。取っていた安全マージン、それを一瞬で踏破して。背後には最速、そして正面には――

「ガリアスの風が吹いたら雷にも注意なさい。散漫が過ぎるわよ」

 ガリアス最強の攻撃力が殺到した。移動砲台、そう表現するしかないほど、彼女たちの馬術と弓術は卓越していた。訓練した兵のみが行える馬上での弓術。エウリュディケの下につくためにはその技術を修める必要があった。

 天から死が降り注ぐ。歩兵が追いつけぬ速度で、弓兵を避けながら安全圏にて敵を滅多打ちにする。喰らいつかれたならば弱いが、優位に動ける戦場では滅法強い。優位を作り出してくれる相方がいると手がつけられない。

 背後ではリュテスが暴れ回っている。最速の突撃で喰らいつけばもうリュテスの独壇場。槍がうねりを上げ敵を打ちのめしていく。リュテスの部隊は馬術と槍術、この二つが卓越していなければ入れない。昔はこれに女に限ると条件があったのだが、さすがに人が集まらず撤回する羽目になった。どうでも良いが。

 エウリュディケが外から、リュテスが中から、敵軍をぐちゃぐちゃにかき回し手の施しようがなくなってしまう。トリストラムは必死に弓で応戦するも、エウリュディケの軍はもちろんのことリュテスの部隊も弓への対処法を心得ていた。トリストラムと互角の弓使いと共同作戦をこなすうちに、自然と身についた護身が弓騎士の手を焼いた。

「まさか、あの状況を覆すのか? ガリアスの頂点、王の左右は」

 昔は良く同じ戦場で戦っていた。弓と槍が重なる戦場も多かった。それゆえの『疾風迅雷』。だが、上官であったエウリュディケと同時にリュテスも功を上げ昇進を重ね頂点に立った。並んで戦場に立つことが少なくなり、同じ戦場でも昨日までのように離れて戦うことが多くなっていた。

 同じ地位が彼女たちを別れさせたのだ。

「これが今の疾風迅雷、噂以上だ」

 風と雷、二つ足が揃う意味を彼らはようやく知る。

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