世界・歴史・幻想:白騎士対騎士女王

 ガリアスの兵たちは幾戦もの勝利を重ね大きな自信をつけていた。勝利を精査し、余すところなく彼らは血肉に変えた。ウィリアムという男に感謝を、尊敬の念すら浮かんでいた。だが、今日の朝、彼は作戦の変更を告げた。

 それは彼らの自尊心を傷つけるには充分な発言であり、容易く承服できるものではなかった。ウィリアムはこういった反応が返ってくることを予期していたのか、苦笑しながら彼らにこう重ねた。

「勝てぬと理解したならば通せ。その後は作戦通りに頼むぞ。俺は君たちを信頼している」

 その発言の何処に信頼があるのか。彼らはそう思っていた。どうにかして敵を封殺し、ウィリアムの予想を超えてやる。そう、胸に誓っていた。

 その思いは緒戦、すぐさま砕け散ることとなる。


 その日の朝、紅蓮の乙女は中央に顔を出していた。一目見ただけでわかる。燃えるような真紅の髪、神話の戦乙女を顕現させたかのような神々しさ。アポロニア・オブ・アークランドと言う選ばれし存在を見る。

 されどガリアスの兵の多くは彼女を幾度も見ている。美しく、触れ難く、強い。それは充分わかっている。ガリアス最高の武力であるボルトースと一騎打ちして引けを取らないのだ。そう、引けを取らない、それだけでしかない。相手は神でも悪魔でもないのだ。ただの人間なのだ。何を恐れることがある。

「我に続け!」

 ゆえに彼らの多くは女王が先陣を切って突貫してきたことを嘲笑した。付き従う騎兵の数も其処まで多くはない。全体の進行は緩やかな開戦、突出し過ぎたならば即死が待っている。誰もが女王の進軍を暴走を決め付けた。

「弓兵しっかり射殺せよ!」

 弓の雨が降り注ぐ。付き従う騎士が数騎が前に出て大盾で防ぐ。そう長くは持つまい。いずれ耐え切れず後退する。普通ならそうである。だが、女王はさらに加速した。それに反応したのは追従する騎士たちだけ。

 対面の軍勢、ガリアスの精鋭たちは反応できなかった。元の加速にあわせて打ち込む矢束。訓練を重ねた精鋭、正確な狙い、それゆえに矢は女王たちの後背に墜ちた。

「姫様お待ちください!」

「私は、此処にいるぞ!」

 側近である騎士の言葉にも耳を貸さず、女王は馬の腹をもうひと蹴り、さらに加速した。誰も追従できない。敵も、味方も。アポロニアの馬が、赤毛の騎馬が槍を構える前衛を飛び越え、敵軍の中に飛び込んだ。

「今の私に触らば火傷では済まぬぞ」

 そのままアポロニアは無人の野を往くが如く一人進軍を続ける。人馬一体、槍や剣で馬を殺そうとしても対応されて逆に死ぬ。将を射んとすればまず馬を射よ。これが出来ない。乱戦の中、触れる間もなく紅蓮が蹂躙していく。

「どうなっている!? これじゃあまるで、巨星じゃねえか!」

「急げ、急げ! このままじゃ姫様に置いていかれるぞ!」

 主に遅れは取るまいと騎士たちも進む。紅蓮が焼いた野をさらに焼き尽くす。草木の一本すら残さぬ進軍。一つ一つの炎が重なり大炎と化す。

「長かった! 焦がれたぞ! 私と殺し合おう! 肉を切り、骨を絶ち、血が交じり合い、臓物をぶちまけ、二人は結ばれるのだ! 嗚呼、何と甘美なことか。我が愛しの好敵手!」

 アポロニアの顔には狂った笑顔が張り付いていた。美しくも恐ろしい狂人の貌。戦に生まれ、戦に生き、戦に死ぬ。そのことに微塵の後悔もない。本望だと言う生粋の戦士。

 ガリアスの兵士たちは知らないほうが良かった。ボルトースと渡り合う姿を。知らぬほうが良かった。ガリアスと対等に戦う強き女王を。それらは全て、昨日までの、好敵手不在でのアポロニアでしかない。

 アポロニアは止まらない。もはや止めようというものすらいなかった。最も厚い中央の陣が割れる。さっさと通り抜けろ、こんな怪物と戦えるか。彼らの矜持は砕けた。この瞬く間に燃え尽きた。

「そりゃあ俺たちは寡兵さ。元々寡兵で、軍が二つに割れ、そっからそれなりに減った。それでも単騎で抜けるなんてのは夢物語だ。しかも一番厚く構えた中央をぶち抜く? ありえねえよ。そんなもん、出来るとしたらノリに乗っている巨星くらいのもんだろ」

 ガリアスの間から騎士たちも抜ける。追おうとする者はいなかった。さっさと忘れて目の前の『戦』に集中するのだ。普通の、ちゃんとした戦をしよう。そして忘れよう。あれは、人の手に負える存在じゃない。少なくとも、対抗できるモノがいなければ勝負にもならない。この軍で対抗できる可能性があるのは――


「王会議以来だ。待ちわびたぞ、この時を」

「あの時よりも少しは腕を上げたつもりだ。今日は勝たせてもらう」

 紅蓮と白銀が向かい合った。騎士たちも追いつき、ウィリアムの周りに控える兵たちに剣を向ける。ガリアスの兵たちもこの場では平静でいられた。彼らには対抗する存在がいるのだ。心強い、絶対の芯が聳える。

「私も、今日、今この時、この瞬間強くなっている。貴様への想いが溢れてくる。これが恋か。うむ、無敵だ、そうだろう?」

「何処から突っ込めば良いのかわからん。とりあえず、こいつで語るか」

 白騎士が剣を引き抜く。それに呼応してアポロニアもまた剣を向けた。白と紅、戦場にてようやくまみえる。イレギュラーな戦場であるが、そんなこと双方関係がない。敵がいる。剣がある。それ以上何が必要か。

「心得た! 存分に語り明かそう! 死が別つその時まで!」

「色々と重いな、お前。そもそもこんなとこで死ぬ気はねーよ」

 冷たく、熱く、いてつき、とろける。全てを飲み込む虚と全てを飲み込む光。同じであり対極。零度の極致、灼熱の到達点、共に天へ――

「往くか」

「全力前進!」

 白の剣と紅の剣が衝突する。


     ○


 騎馬のすり抜けざま、衝突した剣の衝撃は凄まじいものであった。耳を劈くほどの轟音、木々がざわめき、木の葉舞い、雰囲気が炸裂する。一瞬の邂逅、それだけでわかる手応え。二人は重なり、すれ違った。手に残る感触は――

(時間がかかるな)

(膨大な時間を語り明かせる!)

 互角。双方そのことに驚く気配はない。王会議を最後とした場合、彼らの力は飛躍的に増している。アポロニアはどう見繕っても巨星から一枚も二枚も落ち、そのアポロニアに手も足も出なかった二人のうち一人がウィリアムである。ならば驚いてもおかしくないのだ。むしろ驚くべきである。

 なのに二人はそれを当然だと考えている。

(そりゃあ強くなるさ。俺がこれだけ強くなった。なら、天才のこいつ『ら』だって成長しているはずだ。むしろ互角で安心した。……努力の方向性は間違っていない)

 あれだけ、全てを努力に注ぎ込んでなおウィリアムと言う男に慢心はない。自分だけが成長する都合の良い世界はないのだ。自分ほど努力をしている者はそうそういないだろうが、努力を一足飛びでぶち抜いてくる天才はいる。

 ウィリアムの知る範囲でも『二人』。

 その中の一人が目の前の女。アポロニア・オブ・アークランド。

(気持ちのよい痺れ、心地よい音、嗚呼、ようやく巡り合えた)

 アポロニアの胸の中には熱い炎が渦巻いていた。ずっと退屈であった。狭く、寒く、薄暗い島国に生まれた。黄金の時を過ごした世代はエル・シドに牙を砕かれ、ガルニアの戦は熱く滾った物ではなくなっていたのだ。

 ずっと夢見ていた。遠く水平線の彼方、己を満たしてくれる相手がきっといるはず。心躍る戦を、胸滾る闘争を、それは等しく頂点を競い合う者同士でしか生まれぬ戦い。残念ながら彼女に頭を下げた騎士たちでは女王を充足させるには至らない。

(私は此処にいるぞ! 私を見ろ! そんな――)

 騎馬が踊る。騎馬がはねる。馬の扱いはアポロニアに軍配が上がる。

「そんな旧い女など忘れろ! 此処に今がいる! 私がいるのだ!」

 アポロニアに見えている景色はウィリアムにはわからない。だが、彼女は間違いなく己の深淵を覗いている。互いに相手のことがわかってしまう。剣が、手綱捌きが、戦いが彼らに語るのだ。相手のことを、その深奥を。

「戦場での浮気は許さぬ。私が貴殿だけを見ているのだ。ならば貴殿も私だけを見ろ!」

「これでも一途でな。その場所を貴様ごときに譲る気はない!」

 ウィリアムにとって踏み込まれたくない領域。かって二人しか立ち入ったことのない領域にずかずかと入り込んでくる闖入者。炎が侵食してくる。その押し込みようは『あれ』を思い出すが、決定的に違うのは相手への思いやり。目の前の女王はそんなもの欠片も持ち合わせていない。

 好意の押し売り、戦いの押し付け、エゴの塊。

「ならば蹂躙しよう。嫌でも私しか思い出せなくなるほどに……私を刻み込む!」

 馬が絡み合うようにぐるぐると回り合う。剣を打ち付ける音は、技巧を凝らした剣技と打って変わり、鉄塊同士が奏でる無骨で色気のないものであった。鉄の塊がぶつかり合う音が幾重にも周囲にこだまする。人間が出して良い音ではない。

「無駄なことだ。貴様はあくまで俺の道を彩る端役、主役は端役を省みない」

 その言葉に反応したのはアポロニアではなくその配下たち。

「不敬! 姫様の邪魔をせず本陣を荒らすぞ! 奴を一人にしてやれ!」

「承知!」

 アポロニアの親衛隊。幼少の頃からアポロニアに付き従う忠義の徒。アーク王に仕えていた者も含めて相当な手練が集う。ガリアスの精強な兵をもってしても互角、ないし上を行く練度は、ローレンシアでもそうはいない強力な騎兵隊である。

「全員堪えろ! 数では此方が勝るぞ!」

「十倍いても関係ない! 我ら親衛隊の力を見せてやる!」

 ガリアスは劣勢であった。おそらく中央軍は健闘しているだろう。しかし本陣がずたずたにやられ放題では本末転倒である。

「貴殿の負けだ。私も勝つが、私の騎士も勝つぞ!」

 ウィリアムは圧されている様、徐々に後退を余儀なくされる。力負けしているようにも見え、ガリアスの兵の士気も少しずつ下がっていた。これでは堪えようがない。勝ちの目などあるように見えない。

「だが、戦には俺が勝つ」

 ウィリアムはにやりと笑う。そして――

「銅鑼を鳴らせ! 三つだ!」

 ウィリアムの叫びが戦場の空気を引き裂いた。アークランドの騎士たちはぽかんとしている。しかしガリアスの兵たちには緊張感が走った。兵士が隙を見て思いっきり銅鑼に打ち込むこと三度。その瞬間、戦場の空気が一変した。

「何が変わるか! 銅鑼の音色で強くなるわけでもあるまい!」

「何も変わらんなら銅鑼など用意していない。わからないのは貴様が弱いからだ」

 アポロニアの表情が少し変化する。弱い、そう言われることに慣れていない。強さと言う誇りに唾を吐きかけられて、ニコニコ笑うことなど出来ない。

「強さを教えてやる。ついて来れるならな」

 ウィリアムはそのまま転進、丘を駆け下りていく。他の兵たちもばらばらに本陣のある丘の天辺から逃げ出し始めた。其処に至って彼らは理解する。あの銅鑼は撤退の合図であると、この丘を放棄したのだと。

 自分たちが勝利した、と。

「教えてみろ! この私に、アポロニア・オブ・アークランドに! 強さとやらを」

 アポロニアは単独でウィリアムを追う。「姫様!」と何人かの騎士は追いかけることを選択した。だが、大部分の騎士はこの地に残り、折角奪い返した二番目の丘をしっかりと守れる体勢に整えていたのだ。

 優秀な部下がいるからこの女王は輝ける。我を通す姿が美しい、その美しさを守るが親衛隊の務めである。今、ウィリアムを追いかけるアポロニアの目は爛々と輝いている。大陸に来て最も激しく光溢れ――だから、女王は強い。

「馬の足は私の方が速いぞ!」

 ぐんぐんと加速するアポロニア。木々の間を通り抜け、二人の距離は見る見るうちに縮まっていく。ウィリアムが振り切ることは、難しい。

「そのようだな」

 それに、振り切る気もない。

「だが、まだ距離はある!」

 アポロニアの直感が危険を察知した。一瞬、木でウィリアムの姿が隠れた。次に姿が見えた時には矢をつがえているウィリアムの姿が。その時点でアポロニアは回避行動を取っている。取っていなければ――

「お見事。良くぞかわしたものだな」

 馬が射られていた。足を潰されたならさすがのアポロニアもウィリアムをどうこうすることは出来ないだろうし、騎馬と人間では戦力に差がありすぎる。

「弓も使いこなすか」

「凡人である俺の数少ない特技でね!」

 アポロニアは遠距離戦の術を持たない。弓を事前に用意していたウィリアムとは大きく違う。矢の強襲、その度に馬の足が鈍る。

 足の差は今のところ弓で埋められた形。

「ますます、私の手で殺したくなったぞ!」

「やれるものならやってみろ!」

 急所を突いた矢はウィリアムの才能を現していた。そしてそれを神がかった動きで回避するアポロニアも怪物。二人の怪物は丘を越え、さらに奥へと進んでいく。


     ○


「くそ! 姫様にしろ白騎士にしろ速すぎる! 何故こんな木々が密集する森を駆け抜けられる? 恐怖はないのか!?」

 親衛隊の騎士たちは眼の端にも映らなくなった二人の影を追っていた。アポロニアはともかくウィリアムにまで撒かれるとは思っていなかった騎士たち。彼らも一級品の乗馬術は持ち合わせている。

「だが、姫様を撒くことは不可能だ。愛馬アポロはガルニア最速。姫様もまたガルニア最高の乗り手。そして、姫様は恐怖を持ち合わせていない。必ず追いつく」

 彼らには主への絶対の信頼があった。

「追いつく、おそらくは……ただ、その先がな」

 弱気とも取れる発言に一人の騎士へ視線が集まった。

「何か懸念でもあるというのか。姫様の顔を見ただろう。ああなった姫様は無敵だ。最後には必ず凌駕して見せるさ」

「卿はあの笑顔といつもの笑顔の違いを知らんのだ。姫様が白騎士へ向けるまなざしは、勝者のものではない。あれは挑戦者の眼だ。幼少、陛下に向けられていたものと同じ」

 古参の騎士たちから笑顔が消えていた。その昔、騎士王アークに挑戦し続けていた時と同じ眼を、同じ表情を、白騎士に向けていた。それはつまり――

「感じているのだろう。姫様の感性が、あの男の強さを。剣で優り、馬で優り、それでもなお姫様の顔からあの表情は消えていない」

 己を挑戦者と位置づけている。劣ると、心の奥深くでは感じている。

「この戦場で姫様はずっとおかしかった。いつもは誰が止めても先陣を切って突撃されるお方が、ずっと沈黙を続けていた。力を蓄える、我ら凡人にその感覚はわからぬが、少なくとも姫様はそれを必要だと感じたのだ。今のままでは勝てぬと」

「充分だと感じたから姫様は戦いを選んだ! 不安などない!」

 若い騎士たちに不安はなかった。彼らは知らないのだ。

「とにかく急ごう。可能な限り早く合流せねば」

 騎士たちは全力で馬を走らせる。

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