世界・歴史・幻想:おべんきょう

 翌日の攻防で完全に分断されたガリアス軍は面白い展開を見せていた。元々本陣としていた方はエウリュディケが臨時に指揮を取り、メドラウトとヴォーティガン、トリストラムの軍に大きく優位を取られる。しかし、もう一方、未だ見えてこない総大将の存在はさておき、リュテスの爆進が止まらなくなっていた。

 リュテスの動きはまるで遊撃隊のそれ。何処からともなく寡兵にて現れ、敵の隙をつき大勢を覆す。言葉にすれば簡単だが、やっていることは困難極まることであった。一日の移動距離、普通の部隊に換算すれば三、四日相当。交戦数も同じくらい跳ね上がっている。

「ふっざけんじゃないわよ! あたしを過労死させる気!?」

「吼える元気があるなら大丈夫だ。今日の動きの意味、明日の動きを叩き込む」

「ちょ、夕餉は?」

「学びながら食え。俺も食いながら教える」

 ウィリアムの要求は今までリュテスが求められてきた内容をゆうに超えていた。最初はふざけていると思った。ありえない要求、これでは早晩潰れてしまう、と。

「……この動きが意味わかんないんだけど」

「ここは相手の攻めを切らすための動きだ。後背に敵の影が見えれば動きも鈍る。襲われた部隊の後ろも前進を躊躇う。結果、この地点での攻防がやりやすくなる」

「じゃあこっちは?」

「何の意味もない。意味があるように見せるだけ。それで充分かく乱になる」

「そのためにこの距離を移動しろっての?」

「君ならできる、そう思っただけだが……難しいか?」

「ま、まあ余裕だけどね。ちょっと気になっただけだし!」

「なら良い。その後はこう展開して――」

 だが、リュテスの潜在能力がその要求に応えてしまう。一度として楽な指令はなかった。時には理不尽とも思える要求があった。それでもこなしていく内に理解してしまう。この男の要求に無理なことはひとつも無いということを。全て、リュテスの力量を見極めて指示を出しているのだと。

 カールやシュルヴィア、ユリアンらと同じような気持ちがリュテスの中にも浮かんでくる。ウィリアムと言う男は誰よりも自分のことをわかってくれているのだ。それは特別な視線ではないけれど、自分を理解してくれることは誰でも嬉しいものである。

 それはリュテスに限らず、この場全てのガリアス兵、将が感じていることであった。噂に違わぬ指し回し、予想を超えた指示から導き出される結果は驚愕の一言。

 ウィリアムという男は厳しい。だが、同時に優しかった。力量ギリギリの指令が成長を促してくれる。他国の兵に対して自国の兵と同様に「伸びよ」とささやく。強くなれ、成長してみろ、俺を、越えてみろ、と。

 気づけばウィリアムとリュテスの勉強会には他の百将、その下でくすぶる若手たちも参加していた。皆、自由に発言し時には静聴し、そして全体が高まっていく。

「陛下が惚れ込むのもわかる。ありゃあ将の器じゃねえよ」

「ああ、すげえや。勉強嫌いの奴まで引き込んじまう。変えちまう。魔術でもかけられたみたいだぜ」

 少し離れたところで話している二人にウィリアムは目を向ける。

「それは違うな。この場に勉強嫌いな者などいない。学び方がわからず、知識を詰め込もうとしても意味が見えてこない。結果腐っていたものはいる。知識と言う点を覚えるのは苦痛だ。だが、点と点を結び理解するのは快感なんだ。快感を知り、腐れが剥がれ、本当の勉強という蜜を覚え、もう一度味わいたいと思ったならばそいつは勉強好きなのさ」

 この場には勉強好きしかいない。そうウィリアムは断言した。

「君たちは皆勉強好きだ。そして勉強好きに教えるのは楽しい。それもまた蜜、だ。いずれ君たちも知ることになるだろう。楽しませてもらっているよ、君たちのおかげで」

 此処は戦場である。戦士は皆疲れ果て、普通なら学ぶ意欲など残っているはずもない。それでも奮い立たせ、楽しく学ばせて力を伸ばす。それは容易いことだろうか。

「さあ、続けよう。明日の勝利のために」

 ウィリアムの引力に、彼らは今まさに飲み込まれつつあった。


     ○


「エウリュディケの方はそろそろカタがつく」

「問題はリュテスのほう。どうなっているあの動きは。ガリアスのそれではない」

 トリストラムとヴォーティガンを中心にエウリュディケの封殺には成功した。本陣に引きこもり得意の弓で応戦してくるが、それ以上突き出してくる様子はなく、警戒には値しない。しっかりと包囲し続けていればいずれ堕ちる。

 問題はリュテス、否――

「リュテスでもサロモンでもない。ここ数週間、また指し回しに変化があった。ガリアスの将じゃないよ。本当に怖いのはそいつだ。そいつが軍そのものを変えてしまった」

 未だ正体の掴めない謎の男であった。リュテスがこれだけ縦横無尽に動き回っている以上、彼女が全体の指揮を取っているとは思えない。それにリュテスだけじゃなく他の将にも変化があった。全体として、もう旧来のガリアスと捉えていては勝てないほどの変化。

「愚かなこととわかっていても、一人、名が浮かんでしまう。ありえないけれど」

 メドラウトが言葉を濁す。正解には辿り着いている。ただ、ありえないのだ。感性は叫んでいるのに、理性はそれを否定している。

「サー・メドラウト。ありえないということはない。思ったままを話せ」

 アポロニアが助け舟を出した。この戦が始まってほとんど動きのない紅蓮の女王。今まで誰よりも先んじて戦場に飛び込んでいた戦好きが動かない。多くの臣下が気にはなっているものの声をかけられる雰囲気でもなかった。

「……白騎士、ウィリアム・フォン・リウィウス」

 場が騒然となった。普段顔色ひとつ変えないトリストラムでさえ眼を見開いている。ヴォーティガンはありえないと一笑に付し、ユーフェミアもそれはありえないと首を振った。だが、自身の主に対して敏感なベイリンと主であるアポロニアだけは――

「ならばそれが真実だ。私も、ずっとそう思っていたのだから」

 アポロニアは笑っていた。普段、戦場で見せるものよりも幾分か暗い笑み。それは相手に対する恐れであり、相手に対する歓喜であり、相手に対する愛でもあった。複雑な感情が絡み合い、どうしようもなく己を縛り付ける。そういう笑み。

「ありえない。普通に考えたならガリアスにあの男がいるはずないだろう」

「常識は捨てよ。いるものをおらんと言っても仕方がない。サー・メドラウト、勝てるか?」

「悔しいけど今は無理だ。ガリアスの打ち方をしていた時は手のつけようがあった。でも、今の彼はそれに縛られていない。むしろガリアスの打ち方に対応した手に嵌め手を打ってくるほどだ。僕じゃ勝てない」

 その返事を聞いてアポロニアの笑みが深まった。

「なれば私が出る。最も手厚いところから奴を燃やし尽くしてくれよう」

 アポロニアの身体から溢れ出す歓喜という名の噴炎。彼女はとっくに理解していたのだ。相手が白騎士であることを。そして力をためていた。深く、深く、自分の深奥に問いかけること数週間、ようやく仕上がった。感性が告げる。

「今がその時だ!」

 女王は開放する。我慢を知らなかった女王は、あえてその身を縛ることで何かを溜め込んでいた。それが何かはアポロニア自身わからない。わからないが感性はそれを必要とした。そして今、感性が告げる。

 女王は天への階段、それをひょいと何段も飛ばして――


     ○


 勉強会が終わった後、ウィリアムは一人剣の稽古に精を出していた。どれだけ疲れていても習慣を途切らせることはないのだ。頂点への道は甘くない。自分が剣に向いていると思ったことはない。だからこそ、ひと時として気を抜かなかった。

「……そろそろ、か」

 ウィリアムはオカルトを否定しない。その思いはウラノスを知り強まった。もちろん理論が先んじる、理屈で当てはまるならそれを優先するだろう。だが、それらがない状態で、ふいに予感のようなものが来た場合。それを否定する気はなかった。

 アポロニアが来る。確信にも似た何かが胸に去来した。

「いつもの習慣?」

 背後から槍の旋回する音が聞こえる。ウィリアムは苦笑する。

「ああ、剣を握ってから十数年、一日として欠かしたことはない」

「ふーん、あたしはよく欠かすけどね」

「天才だから?」

「その通り。……付き合ってあげようか? 天才のあたしが特別に」

「ありがたい話だが今日は遠慮しておこう。もう充分身体は動かした」

 リュテスは断られると思っていなかったのか顔をしかめる。

「あっそ。別にいいけど」

 すねて槍を振り回し始めたリュテス。その槍を見てウィリアムは苦笑するしかなかった。どう見ても投げやりな顔つき、おそらく気分も乗らないのだろう。それでもなお美しく速い槍捌きを見て世の不公平をウィリアムは感じるのだ。

「そうだな、明日、俺が生きていたらその槍でも教えてもらおうかな」

「……生きていたらって、馬ッ鹿じゃないの? あんたが死ぬわけないじゃん」

 ふわりと落ち葉を舞い上げる槍。それら全てを穂先が正確に射抜いていく。

「あたしがいるっての。……安くないわよ、『疾風』の槍は」

 死ぬはずがない。何故なら己が守るから。その自信を裏付けるほど彼女の槍は強い。ウィリアムは微笑んだ。この数週間、最も伸びたのがリュテスである。ガリアスの教本を丸暗記しただけ、それだけで根っこの理解に程遠かった彼女が、今では鋭い意見を言ってくる。勉強会に参加しているものも驚いていた。

 リュテスの成長はアルカディアにとって脅威となるだろう。リュテスは学ぶことの快感を覚えた。此処からさらに飛躍する。だから――

(計画通り)

 ウィリアムは笑った。


     ○


 燦々と降り注ぐ陽光、澄み切った空、初夏の薫りが鼻腔をくすぐる。乙女の胸はときめきに満ちていた。男の胸は期待に満ちていた。王会議で出会ったときから、出会う前から知っていた特別な存在。生まれも育ちも何もかも違う二人だが、ただひとつ共通することがあった。それは――

「姫様、準備の方はよろしい……愚問でしたね」

「今日は良い日だ。我が胸の高鳴り、抑えが利かぬ」

 アポロニア・オブ・アークランドと、

「あれ、あんたあのクソ重そうな鎧はどうしたのよ?」

「もう姿を隠す必要がない。何よりも、自分を偽って勝てる相手でもない」

 ウィリアム・フォン・リウィウス。互いが世界において特別な存在であるということ。戦史に名を刻むことなど決まっている。戦史の中でどういった位置に入るか、選ばれし時代の英傑たちと比較して何処までいけるか、そういう存在である。

 ウィリアムは思い出す。初めて会ったときの鮮烈な印象を。そして王会議の期間中、一度刃を交わしひざを屈したことを。あの時点でアポロニアは完成していた。若き俊英の中でずば抜けて強かった。

 それでも、あの時点での強さなら超えた自信がある。最愛を切り捨て手に入れた虚ろ、そのいてつくような冷たさが掻き立てるのだ。勝利への渇望を。それが力となる。冷たさが痛みを上書きし、相乗し、肉体の限界を超え本当の限界に達してなお痛みより冷たさが勝る。あとは覚悟ひとつ、進むだけのこと。

「……答えになってないんだ、け、ど」

 ウィリアムの瞳にリュテスは映っていなかった。その眼は敵を映す。自分を脅かしかねない本当の意味での敵を。その到来を恐れ、求めている。

 戦闘モードのウィリアム。その充満する雰囲気は今まで見せてきたモノとは比較にならない密度で他を圧する。恐怖、畏怖、絶大の虚が反抗、反発する熱を奪う。依存を強制する冷たい王者。絶対零度の柱が君臨していた。

「今日はどういう日になるか……久しぶりだな。先が見えないってのは」

 その絶対を脅かす大炎が迫る。

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