世界・歴史・幻想:天蓋王宮ウラノス

 ウィリアムはごとごとと揺れる馬車の中、黙々と読書に勤しんでいた。読んでいるのはガリアスの風習や歴史、ガリアスにまつわる諸々の書かれた本。ガイウスと会う以上最善を尽くさねばならない。受け答えひとつを取っても、あの怪物は必ず意味を持たせてくる。

 気の抜けない旅路となるだろう。ウィリアムは知識を頭に叩き込みながらページをめくる。

「…………」

 ウィリアムはさらにページをめくる。叩き込みながらもそのめくりは早い。

「…………」

 ぱらぱら、ぱらぱらと読み飛ばしているかのようにめくれるページたち。もちろんその全てはしっかり読み込まれている。直近で質問されたなら一字一句違えず答えられるだろう。日々の研鑽、貪欲な学びの姿勢がこの読書力を生んだのだ。

「……エレオノーラ様」

「ひゃい!?」

 対面に座る女性を見て、ウィリアムはため息をついた。素っ頓狂な声をあげ、頬はりんごのように紅く染まっている。以前までも淡い気持ちは感じていたが、最近少々表に出過ぎていた。タガが外れている印象が見受けられる。

「先ほどから一ページも進んでおりませんが、何か気になることでもありましたか?」

「え、え、と、そうですね、その」

 進まない理由などウィリアムとて理解している。ちらちらと此方を伺う視線、その回数を鑑みれば読書に集中できていないことなど明白である。

「その、この本が難しくて、あの」

 ウィリアムは自分が読んでいた本を閉じる。そして自分から席を移動した。

「あっ」

 エレオノーラの隣へと。エレオノーラの朱が深まる。

 ウィリアムは本の中身へと目を移す。確かに難解である。そしてエレオノーラの趣味ではない。これは錬金術、もっと広義に言えば魔術の研究書である。それなりに新しいものなのに中身は前時代的であった。最近の魔術と言えば現代で言うと化学のようなものに変質している。ウィリアムもそちらには興味はあるが、前時代的な魔術、つまりこの書に書かれたような空想には興味がなかった。

「面白そうな本ですが一旦わきに置きましょうか。エレオノーラ様も留学へ参るのです。共にガリアスのことを学びましょう。もちろんエレオノーラ様ならば知っていることばかりだと思いますが、復習にはなるかと思います」

 ウィリアムがリディアーヌの滞在延長と引き換えに、ガリアスへ赴くことになったことからこの旅路は生まれた。エレオノーラが同行しているのにもちゃんと意味がある。それは他国への目くらまし。ウィリアムが赴く情報は伏せ、王女のエレオノーラがガリアスに勉強しに行く、という表向きの理由を作ったのだ。

「は、はい」

 エレオノーラの鼓動が勢いを増す。隣に座るウィリアムが容易く感じ取れるほどに。ウィリアムは思案する。これをどう利用すべきかを。

 その度にちらつく笑顔。ひまわりの匂い――

「まずガリアスでは――」

 少女の笑みと彼女の笑み、同じようで、違い過ぎる。


     ○


「おお! 良くぞ参った、アルカディアの客人よ。ゆっくり休めと言いたいが余はこの日を一日千秋の想いで待った。ゆえに白騎士を借りる!」

 トゥラーンに至り、一番最初に出会ったのが使用人でも奴隷でもなくこの国の王であるなど誰が想像しようか。白亜の宮殿、その入り口で護衛もつけずひとりニコニコと待っていたのだ。

「王女には我が孫をつけよう。気の弱いへなちょこだが地位はある。そして好意もある」

「へ、陛下! 僕はそのようなやましい心をなど」

「一切を任せる。初仕事だ、上手くやれい。さあ、白騎士よ、余について参れ」

 ガイウスの興味は王女にも自分の孫にも存在しなかった。映るのは白騎士、ウィリアム・リウィウスのみ。それもそのはずである。王会議から一年、たったの一年でこれほどの成長を見せていたのだ。武人として、そして王として――

 革新の王が興奮しないわけがない。

「上だ! 余の私室に参るぞ! 何をしておる、走らんか!」

「は、はい。それでは姫様、しばし席を外します」

 勢いそのままに階段を駆け上がっていく超大国の王。王の中の王でありこのローレンシアで唯一大王と名乗ることが出来る覇者。それがこれほどうきうきと、時折スキップを織り交ぜながら階段を駆け上がっていく様は、他国の者から見ると驚きしかなかった。

「すごい人ですね、白騎士という方は」

「え、ええ。我が国の誇りです」

「いえ、そういうことではなく、いや、そういうことなのかな? とにかく白騎士殿は我が祖父、偉大なる革新王に好かれている。それも父たちでさえ見たことがないほどに。だからすごい。すごくなる。少なくとも、ガリアスにいる誰よりも」

 ガイウスへの絶対的な信頼。そのガイウスが何物よりも優先して、公務も全て息子たちに放り投げてこの日を迎えた。有象無象に革新王は笑顔を向けない。有象無象を革新王は愛さない。革新王がこうまでするなら、その人物は見るまでもなく傑物なのだ。

「覚えていらっしゃらないとは思いますが、僕の名はユリウス、ユリウス・ド・ウルテリオルです。リディアーヌの弟に当たります」

「覚えていますよ、ユリウス様。一緒に踊ったではありませんか」

 覚えていてくれたことに喜ぶユリウス。その喜びようを見てエレオノーラは微笑ましくなってしまう。きっと、白騎士を前にする自分はこういう顔をしているのだろう。そう思うとなんだか無性に笑いたくなる。

 この少年と自分の距離が、自分と白騎士の距離のように見えてしまうから。あまりにも遠い、遠すぎる距離。

「僕がトゥラーンを案内します。王会議中は立ち入れなかったところを中心に。退屈はさせません! 我が誇りに誓って」

「よろしくお願いしますね。ユリウス様」

 遠い。あの人と比べると自分が惨めにも思えてしまう。あの人がいなくなって、ほっとした己の醜さを、わかっていながら寄り添おうとする浅ましさを、エレオノーラは恥ずかしく思う。気づかれないで、そう願う。


     ○


 トゥラーンの最上、ガイウスの私室に入った他国の者は数えるほどしかいない。その中の一人にウィリアムの名が刻まれたのだ。

「高いと言うのは良い。それだけで良いものだ」

 ガイウスの背後からウィリアムはウルテリオルの街並みを見下ろす。確かに、これは格別であった。おそらく人工物の中で最高到達点であるこの場に、立つのは二人だけ。

「見せたかったというのはこの景色ですか?」

「うむ、この場に二人っきり、格別であろう?」

 ウィリアムは顔をしかめる。この状況の無為さもあるが、それ以上に気がかりなのはこの場に二人と言う言葉。何故ならこの場には――

「もう一人、いるように見えますが」

 三人目の『少年』がいたのだ。ガイウスと少年は驚きの目でウィリアムを見る。

「驚いたな。亡霊が見えるのか」

 ガイウスの言葉に今度はウィリアムが驚愕する。亡霊、幾度か聞いた言葉、そして幾度も見た存在。自分の後ろ盾でもある闇の王と同質の存在。それがこの少年であると言うのか。

『ガイウス、彼を『上』へ連れて行こう。君の見立てどおり、彼は王だ。君と同質の、時代を先へと進めるヒトの王。君がいなくなる前に此処へ導けたのは運命』

 少年の言葉は頭に直接響いてきた。天より降り注ぐ神言のように、それはシンと胸を打つ。そして理解する、間違いなく目の前の少年はかの亡霊と存在を等しくするモノであると。

「ふはは! ますます気に入ったわ。否、そうであったから何としても欲しかったのだろうなあ。うむ、世界の深淵、覗きたくば余について参れ。面白いものを見せてやろう」

 少年が白亜の壁に触れる。その瞬間、陽炎のように壁が消え天へと上る階段が現れた。ウィリアムはこの光景に似た何かを知っている。闇の王国に紛れ込んだ時の、生理的嫌悪感に触れるような、それでいて新たなる扉に手を触れるような、そんな感覚を得る。

「ただし、知らば後戻りは出来んぞ。真の王はただ一人、余と同じ絶対の孤独に至る。此処は冷たく、そして……刹那とて気を抜けぬのだ」

 ガイウスの目は複雑な色を宿していた。来いと言っているような、来るなと言っているような、そんな二律背反。ウィリアムも半ば理解している。王の宿命、君臨すると言うことの意味。ガイウスはその孤独に半世紀耐えてきた。

「覚悟は出来ております。最愛を、己が手で殺したその日から」

 ガイウスの瞳に優しげな、そして哀しげな色が宿る。ガイウスであれば執着しているウィリアムの情報は逐一集めているだろう。婚約者が死んだ事件もある程度は聞き及んでいるはず。ならば、王ならば、察しがつく。この時期に、あのタイミングで、婚約者が死ぬと言うこと。その意味を、意図を知る。

 王に寄り添おうとした愚者。その末路を敷いた哀れな男の覚悟を。

「なれば来い。この先が頂点だ」

 少年を先頭としてガイウス、ウィリアムが階段を上る。眩暈がするほどの高さを一行は歩む。上へ、上へ、ヒトの性の如し伸びる螺旋階段。

 蒼空の果て、白き雲海を超えて――


『ようこそ、此処が幻想の果て、天蓋王宮ウラノスさ』


 ウィリアムは言葉にならない光景を前に呆然とするしかなかった。ウィリアムの信ずる常識が崩れ落ちていく。天にたゆたう幻想の宮。誰もが一度は夢想し、誰もがいずれは忘れてしまう幻想。ここにはそれが集う。

『君が知る魔術に比べればたいした規模じゃないよ。千年前、この地に住まいし一万の魔術師がその命と引き換えに残した幻想の残り火。君も知っているあれも魔術で生み出された一種の結界、あの地はウラノスの十倍以上の業を背負っているけどね』

 少年の言葉をウィリアムは受け止めきれないでいた。確かに、闇の王国についてウィリアムは検証を先送りにしていた。優先度が低いところもあったが、何よりも触れるべきでないと本能の部分で拒絶していたからである。

「魔術などこの世界に存在しない」

 ウィリアムは常識でもって否定する。

『それは違う。言葉を違えている。正しくは、この世界に魔術を扱えるものはおらず、それを伝達するマナも枯渇した、だ。しかし魔術は存在している。此処にも、アルカディアにも、他にも幾許か、魔術の残滓は残っている。すでに風前の灯ではあるけれど』

 少年の言葉を否定する論理をウィリアムは持たなかった。現にウィリアムはヒトの御技をはるかに超えている場所に立っているのだ。現実は、事実は、実体験は、どのような理論、理屈にも優る。

『僕の名はウラノス。この地を遥か昔、治めていた王だ。生前の名とそこにあった国名は命と共にこの魔術が喰らった。ゆえに僕も彼女も魔術の名を名乗るのさ』

 地に聳える闇の王国。天に連なる光の王宮。

『神話の時代に人は生まれ、魔術の時代に最盛を迎えた。されど人は変わる。天界はとうに滅び、魔界とも完全に断絶した世界において、魔術は過ぎたる力となったのだろう。徐々に力は失われ、時が魔術を風化させた』

 ウラノスはゆっくりと目を瞑った。時代を思い返しているのだろうか。

「失われた力を残すため、大掛かりな仕掛けでこんなものを生み出したのか」

『いいや、それも違う。魔術に依存していた世界、失われたことで滅びる可能性すらあった。その滅びを回避し、人をより良い方向へ導くための魔術がこれさ。歴史の保管庫、過去の集積、僕という導き手の存在、それがウラノス』

「という建前と自分たちが此処にいたという存在の証明、そんなところであろう。人の性などそう変わらん。力を持とうと持つまいと、なァ」

『ふふ、ガイウスには敵わないなあ』

 ウラノスは苦笑する。ガイウスはウィリアムの方を向いた。

「魔術がどうこうなぞ関係なかろう。すでに滅びた力、ウラノスに何かが為せるわけでもない。余が見せたいのはそれではないのだ。その先の、空白の時代、その文献である」

 ガイウスが手招いた先には、膨大な蔵書とそれを収める埒外の本棚があった。壁一面が本棚と化したその空間。ほとんどが神話や魔術の時代のものなのだろう。背表紙に書かれている言語が今存在する言葉のどれとも似ていない。つまり解読するのに莫大な時間と労力がかかると言うこと。そもそも解読したところで意味があるとも思えない。

「ほとんどは元々あったものであるが、一部は余が集めさせた本もある。ガリアスが建国する前、ネーデルクス、エスタード、時代の節目節目が此処にある。秘匿したかった情報、消え去った過去、多くを集めた」

 平静を装っているがウィリアムの内心は穏やかではなかった。餓え、渇き、それを一瞬忘れてしまうほど、この光景はウィリアムにとって充足にたるものであったのだ。優先して学ぶ必要があるのはそれら穴抜けの歴史、隠匿された情報。

(それが終われば魔術の時代や神話も齧ってもいいかもしれんな。暇つぶしになるだろうし、もしかしたら何か有用な情報があるかも……そう、そのために解読するだけだ。決して好奇心などと言うものではない)

 意味はなくとも興味はある。結局、ウィリアムはこの美しき空間に魅了されていたのだ。一生をかけても読み尽くせぬ擦り切れた時代の残り火。それを自分だけが知るという特別感。ここは孤独を癒す手慰みに溢れている。王のみに許された楽園がそこにあった。

「余はこれを卿と共有したいと考えておる。これだけのもの、途切らせるには惜しい」

『ウラノスはガイウスの死と共に消え失せる。この地にかけられた魔術が崩壊するんだ。人の世に革新を与えた王を輩出した。役目を、ようやく終えることが出来る』

 ウラノスの目には悠久を生きた虚ろが宿っていた。人であった頃の記憶ははるか彼方。感情は磨耗し、心は擦り切れ、虚無と共に存在した。ガイウスの誕生は彼にとって救いだったのだろう。此処に至り終われることが望みとなっていたのだ。

「どうだ? 卿にも考えがあってこの地に訪れたことは理解しておる。その合間でよいのだ。この世界の一端でも引き継いでくれたなら、余にとってこれほどの喜びはない」

 ガイウスの目にも虚ろがあった。終われる喜びが見えた。死期が近い、それがわかっている顔つき。ウラノスとの違いは心残りの多さ。虚ろの中で燃える現世への未練。ガイウスの願いは、本当の思いはそこにない。

(この知識を得て、アルカディアの王座に至った俺と、王として戦いたい。同じ地平に立つもの同士、それが革新王の、孤高の男の願い。されど、それが叶う事はなし)

 答えは決まっている。ガイウスが願わぬとも――

「是非、この地にて学ばせてください。此処には、世界がある」

 土下座してでも覗いてみたい深淵が、この王宮には降り積もっているのだから。


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