世界・歴史・幻想:格付け
その日からウィリアムは寝る間も惜しんで効率的に動いた。日に六食の食事と修練は欠かさず、それでいてウラノスでの学びには多くの時間を取った。トゥラーン内ではガイウスが雇った召使と言う体で動き、エレオノーラにも口裏合わせをお願いした。会食やパーティに忙しいエレオノーラの世話はユリウスが喜んで引き受けてくれた。
そのおかげでウィリアムは、尋常ならざる速度で王の空間を吸収していく。知識の厚みが、点と線があらゆる知識へと結びついていくのだ。何故かの国は栄え、滅び、新たな国はどうして栄えることなく消えたのか、隠匿された歴史にこそ価値がある。学びがある。
『彼は君より貪欲だね。まさに貪るように知識を喰らっているよ』
「相当な速読だと聞き及んでおるが?」
『速いね。リディより速い。そして読み込みもすごい』
「目的の違いだ。あれは知識の収集を目的としておる。あくまでコレクターであって実践は二の次。ウィリアムは逆、実践が先立って知識を収集しておる。その差がそのまま今の差になっておるのだ。でかいぞ、意識の差は」
ウィリアムと言う人間はウラノスにとっても好印象であったようである。王であり魔術師でもあったウラノスにとって、異常なまでの勤勉は自分に重なるところもあったのだろう。もはや思い返すことも出来ぬほどかすんだ記憶だが――
『ふふ、リディもきっと成長して帰ってくるよ。彼女は優秀だし、彼の成長する姿を、その背を見たはずだ。以前此処にきた時には僕を認識していなかった彼が、一年後僕を認識するに至った。その過程を、見たならば進化の見込みはあると思うよ』
ガイウスはあごひげをさする。
「ふぅむ。されどあれは女、王には出来ん」
『何故? 僕は良いと思うけど』
「余が推しても通るまい。ガリアスはでかくなり過ぎた。余以外の者も無駄に肥え太ってしまったのだ。これは余の失策、膿を出す手を打たなかった余の、な。遊びが過ぎたわ。この国は鈍重ぞ」
『君と言う存在の影で生まれた俗物と言う名の足枷。死を前にした王にそれを御する力はない、と』
「余が存命であれば何とでもできる。問題は死後、おそらく今任命したとしても、余の死後それはもう一度議論になるであろう。そしてひっくり返される。リディにそれを止める力はない。味方が少な過ぎるのだ」
大きくなり過ぎたガリアスと言う国。足並みを揃えようにも絶対の力なしに揃うことはないだろう。各陣営、己が営利を追及し、結果ガリアスという大御輿が瓦解する。それはもはや必定なのだ。ガイウスという男一人に頼ってきたツケ。
「余の作品は何代持つか。栄華を極めるのは余の代が最初で最後であろうよ」
『欲しかったかい? 白騎士が』
「愚問。今この瞬間も手に入れる方法を考えておるわ。だがな、同時に余の手に納まった白騎士というのも見たくないのだ。あれはアルカディアに生まれ、アルカディアに生き、アルカディアで死す。それが一番輝く生き方であるがゆえ」
ガリアスを頂点に君臨させ続けるためには、自分と同じ地平に立つ『力』が要る。権力を理解し、知恵を尽くし、時には独善を貫く強い力が。ガイウスの持つ力に加えてウィリアムには武力も備わっている。欲しくないわけがないのだ。
(否、揃い過ぎるがゆえに欲さぬ者もおろう。余とて全盛期であれば恐れを為し排除に動いたやもしれぬ。強過ぎる力は恐れを生む。余とて例外にあらず。余の敵としてガリアスに現れる、か。うむ、そうであったら、どれほど色づいた人生であったか。たとえ負けたとて、それは充足にたる人生であっただろう)
ガイウスの願いは遥か彼方。手を伸ばせど届かぬ彼岸の先にある。王として自分を脅かすものは他国にも現れなかった。永遠にも似た孤独、巨星たちには三人いるのに自分は一人ぼっち。不公平だと何度歯噛みしたことか。
『時代が変わるね。革新の時代が終わり、彼は世界に何をもたらすのかな』
「考えるほどに心が軋む。余は、何故これからの時代に生きておらぬのだ」
『後悔を持って死ぬる内が華さ。僕らにはもう、それすら消え去っているのだから』
かつて王であった者と今このときを王として生きる者、その視線の先にはこれからを王として君臨する者がいた。いつだって未来はまぶしい。手の届かぬものであれば在るほどに、狂おしく輝いて見えるのだ。
○
時代のうねり、俗世で巻き起こる戦乱から隔絶された空間。一人世界から取り残されている若き英傑は、そのようなことを歯牙にもかけず知識を貪り喰らっていた。
『知識も貪っているけど、食事も貪っているね。食べるか読むかどっちかにしたら?』
「時短」
修練を終えてすぐに食事、日に六度のルーティンの中にも読書の時間をぶち込む。左手で干し肉をつまみながら右手でページをめくる。食って、読んで、食って、読んでを延々と繰り返していくのだ。
此処に至った王の中でも異質な行動。否、ウラノスがまだ人間であった時でもこのような男はいなかった。
『ガイウスが集めさせた貴重な資料はひと月で読破。まあペースから考えて何となく察しがついていたけど、其処まで気になるものかな?』
「暇つぶし」
干し肉を食い終わったウィリアムは肉からペンへ持ち替え、一気に謎の文様を書き出していく。本に目を通しながら、一字一句違えず羊皮紙に書き込む。横にページ数、挿絵、資料のようなものがあればそれらを併記し、羊皮紙一杯となったらペンを置く。
「…………」
口は不動だが、目は物凄い勢いで羊皮紙の上を何往復もする。羊皮紙上の文様と本の挿絵を見比べ、気づきがあれば随時羊皮紙に書き込みを加えていく。
(本気だね。本気で神話や魔術の時代の文字を解読しようとしている。っていうか慣れてるなあ。……こっちに手をつけ始めて二週間、もうこの時代の文字は攻略されかけている。ほらあの単語、意味がどんぴしゃだ。次も意訳としては間違っていない)
ウラノスは此処最近ずっとウィリアムのそばにいた。歴代の王がやろうともしなかった解読と言う作業。翻訳してくれと乞われたことはあっても、何も言うなと言い含めた上でウラノスを放り、一人楽しそうに解読の作業に没頭する王はいなかった。
「第七法? もう意味がわからん。それを扱う王、が大地ごと虚無……を異なる世界に、閉じ込め、その跡地を真央海と名づけた。この一冊丸々御伽噺だな」
(あー、僕らの時代でも御伽噺扱いされてたなあ。偉大なる魔術の王エル・カイン・インゴッドの英雄譚。ただウラノスに収納された以上、事実、なんだよねえ)
ウラノスの時代ですら御伽噺や伝説としてしか存在しない書物。それを解き明かしていく様は理への挑戦に似ていた。今となっては意味のない書物。学んだところで使えることのない魔術という学問。
(ただ知りたいだけ。まさに手慰み、か)
ウィリアムという人間は、おそらく唯一、知識の収集に興じている時が救いなのだろう。深く深く思考の海に沈み、その中でもがき苦しむことでひと時の安息を得る。生きることが地獄、生き続ける事が逃れられぬ苦しみになるのが王の生き方。
此処は王にとっての楽園なのだ。世俗を忘れ、埃の被った無為に埋もれる為の――
「アークランド方面に詰めておった者どもが帰ってきた。余と共に会食に参加せよ」
「……トール、バァル、竜」
ガイウスは目をぱちくりする。何しろ彼は革新王と呼ばれた大王である。無視された経験などほとんどない。ウラノスはその様子を見てくすくすと笑った。
『彼は今空想の中にいる。引きずり出したければ本を閉じるしかないよ』
「ふむ、ウラノス、卿がやれ」
『嫌だよ。睨まれるの怖いもん』
「うむ、一瞬殺気がぴゅっと飛んでくるやつだな。余もいやだ」
ウィリアムが自発的に本を閉じた。じとっとした目で二人を見る。
「あれは寝不足だっただけです。別に睨んだわけじゃありませんと何度言えば」
ウィリアムは一度ぐっと背筋を伸ばした。凝り固まった筋肉が引き伸ばされていく感覚。あまり硬い筋肉だけをつけても意味がない。柔軟で強靭な密度のある筋肉を、とはいえこの読書漬けではなかなか思うようにいかない面もある。
「私が会食に参加するとはどういう冗談ですか?」
ウィリアムは話を元に戻す。ウィリアムの瞳には冷淡な色が宿っていた。
「む、卿がおることはとうにバレておる。このトゥラーンにおいてさえ間者は幾人も入り込んでおるし、其処からの流出は防ぎようがない。そろそろ頃合と思ったまでだが?」
ウィリアムがガリアスにいることは、アルカディア側にとって隠さねばならない事実。ガリアス側にとってどうでも良いことであっても、アルカディアには死活問題となるのがこの情報。白騎士不在ともなれば、オストベルグはもちろん、今はエスタードに注力しているネーデルクスも全力でアルカディア攻略に乗り出すだろう。
それはガリアスにとって大きなメリットとなる。それこそガイウスがウィリアムを評価すればするほどに、此処で漏洩させてアルカディア包囲網を敷く意義が増す。何よりもウィリアムが此処にいる間に国を滅ぼせば、労せず王は白騎士を得ることとなる。
だからこそ、この部分だけは抜かりなく策を打っている。
「その頃合というのは何の手も打っていない場合でしょう? 私なりの手は打ってあります。まだ、情報は漏れていませんよ。陛下の思惑とは外れるかもしれませんが」
ガイウスの目が薄く引き延ばされる。ウィリアムもまた同じ目つき。
「私が此処にいて本を読み耽っている。この先役に立つかどうかわからぬような書物の解読に精を出している。無為な行動を取っている。ならば陛下はこう考えねばならなかった」
ウィリアムは、口角を歪める。
「有意な行動をすでに終えている。手は、打ち尽くしている、と」
二人の男の対峙をウラノスは興味深い目で見下ろす。ガイウスがこのトゥラーンで、ウルテリオルで見逃すことはそう多くない。そのガイウスの目を掻い潜り王の思惑を外したとなれば二人の格付けは一気に若き方へ傾くことになる。
「陛下は私のことを理解している。ならばその逆もまた然り、ですよ」
ガイウスの頬がぴくりと弾む。その小さな苛立ちが革新王の倦怠を緩やかに崩していく。
王宮にて二冠対峙す。
○
「陛下は私に良くしてくださる。過剰なほど……それでもあえて守ろうとするほど御人好しではない。ガリアスに、有利な情勢を逃すほど愚かではない」
ウィリアムはガイウスという男に大きな信頼を持っていた。自分の目指す先にこの怪物がいる。自分にはやさしく見える。特別扱いしてくれている自覚はある。だからこそ、自分はまだこの怪物と同じ地平に立ててはいないと知る。
「陛下の狙いはオストベルグとネーデルクスを同時にアルカディアを攻めさせること。私が不在の内に……というのは自惚れでしょうか」
それでも、自惚れかも知れないが、自分を呼びつけた裏にほんの少しでも白騎士封じ、アルカディア潰しという思考があれば、かの王ならばこういう手を打つ。本人にとって敵でなくとも、ガリアスにとってほんの少しでも脅威に感じたならば――
「リディアーヌの滞在期間を延長する旨。これを伝えた時点で陛下ならすぐさま答えに辿り着いたはず。残り二年でオストベルグ、ストラクレスの首を狙うのだと」
「うむ。明白であるな。ネーデルクスを小憎らしい手で封じ、小国はある程度平定を終え押さえ込んだ。本命前の準備は万全。むしろ二年と聞いて驚いたくらいよ」
「確実に勝つための準備期間です。私は確実に勝てる戦しかしません。そして、巨星と言う怪物を侮る気もないのです。それでも、本当なら今年の冬前には白黒つける気ではいましたが……予定と言うのは狂うものなので」
ガイウスは目の前の男の冷静さに舌を巻いた。男は強くなった。揺らがぬ心と道を手に入れた。ガイウスはそれを二度の敗北で得たが、彼は己が手で不純物を斬り捨て、得た。受動と能動、望まず望み、王の道を歩む。
それだけの強さを得たにも拘らず驕りがない。
「ガリアスはオストベルグに倒れてもらっては困る。されど表立って助けるわけにはいかないし、する気もない。ガリアスはあくまで影、躍るのはオストベルグと、ネーデルクス」
ガイウスは微笑む。
「オストベルグと話をつけるのは容易い。何しろ最前線に巨星が出張ってくれている。オストベルグの軍はストラクレス次第、ならばそこで不可侵の約定でも交わせばそれでよし。ウィリアムの名を出さずとも、そんなものを交わせば彼らとて気づく。何かあったな、と。その上で選択肢はただ一つ。嗚呼、何と御しやすきかオストベルグ」
この時期に不可侵の約定を結ぶ。アークランド方面、オストベルグ方面、どちらも優位に立っている方から申し出があれば勘繰りもする。勘繰った上でオストベルグの選択肢は一つしかないのだ。約定がある内にアルカディアを弱らせる。それだけしかない。
「オストベルグはガリアスが動かないと約束するだけで動く。問題はネーデルクス、こちらは少々工夫がいる。陛下が動かないと言う工夫が」
ウィリアムはまっさらな羊皮紙に何かを書き込んでいく。それは――
「陛下が動かねば彼らが動く。内通者、間者たちが勝手に情報をネーデルクスにもたらしてくれる。陛下はただ座していればいい。それだけで白騎士がガリアスにいることをネーデルクスは知るのだから」
人名。十名を超える人の名。
「必要であればネーデルクス以外の間者も書き出しましょうか?」
「構わぬ。余もある程度把握しておる」
それを知るということは対策を打ってきたということ。その結果で名を得たのだから。
「陛下が二年の延長で勘付いたように、私は陛下が私をガリアスに招いた時点で思惑を察知したのです。ならば後は対策を打つだけ。トゥラーンに、ウルテリオルに、ガリアスに至る前に……陛下の目の届かぬところで勝機を得る」
ウィリアムは別の羊皮紙を広げる。そこにはガリアスの地図があった。そしてウィリアムはそこに淡々とバツを刻んでいく。国境線、ネーデルクスに向かうあらゆるルートの中から厳選した道。それらをバツで潰していった。
「私兵を持ってきたというのか。余がそれを見逃していたと言うのか」
ガイウスは地図を眺めありえないと斬り捨てる。ある程度絞っているとはいえそれなりに広範囲、しらみつぶしにするにはかなりの手勢がいるはず。それらを見逃すほどガリアスと言う国は甘くない。
「兵ではありません」
ウィリアムは笑顔で否定した。
「俺が新たに手に入れた力。自分の道を、ニュクスの求める王道を行くと決めたことで手に入れた駒。闇の中ならば、私はすでに現王エードゥアルトよりも強い」
ニュクスの名が出てきてウラノスが反応する。
それと同時にガイウスが顔をゆがめた。
「……暗殺者か」
「御明察でございます」
斬り捨てた愛、手に入れた力。闇の王は白の男に微笑んだ。
○
「くそ、何で、何でこんなところに奴がいる!?」
男は『蛇』の一部。闇に生き、闇で糧を得、闇で死ぬ。そんな男でも一人恐れている存在がいた。闇の中で生きるものならば誰もが知っている怪物中の怪物。闇の中でならば、ぶっちぎりの最強にして最高の暗殺者。
喉笛を貫く真紅の抜き手は刃よりも鋭い。闇の中、姿を見せぬまま一手で声を封じ、二手で首を刎ねる。そして血が噴き出る前にその場をあとにする。
(饒舌な。『蛇』も底が知れる)
白龍は連日連夜ガリアスの国境線を駆け回っていた。白龍の選抜した部下たちもあくせく動き回っている。それもこれもウィリアムがガリアスになど来たからこうなったのだと白龍はひとりごちる。
白龍はニュクスが望む望まぬと関わらず、ウィリアムと言う男を観察することに決めた。そのために初めから着いていく気であったが、ニュクスは白龍に加えて十人以上の手練をウィリアムに預けることを一銭も必要とせず了承した。
ウィリアムはあの選択の日を越え、闇の力を手に入れたのだ。
(さあ、仕事の続きだ)
闇、この深淵にて動く者たちを捉えることは出来なかった。
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