幕間:凡人、成る

「……どうなってんのよ」

 ヒルダ、アンゼルム、グレゴールにカール、他にもヤンやグスタフ、シュルヴィアやリディアーヌなどそうそうたる者たちが集う中、全員の視線が一点の攻防に集まっていた。

 鋼の削れる不協和音、飛び散る火花が映しこむ歪な影。踊るように、軽やかに、抉るように、時には重厚に、剣撃の嵐が舞い踊る。

 ウィリアムとギルベルトは完全に拮抗した戦いを繰り広げている。両者とも無言にてただ絶技の限りを尽くすのだ。ギルベルトは無表情にて美しい剣捌き、ウィリアムは微笑みながらそれらを機械的に捌く。どちらにも共通しているのは――冷たさ。

 顔に感情がなく剣に感情が灯るのがギルベルト。顔に感情はあるが剣に感情がないのがウィリアム。どちらも冷たく他を隔絶している。

「美しい、美し過ぎる!」

 アンゼルムはウィリアムの完成された剣に蕩け切っていた。少し見ないうちに変化した、進化した剣、あらゆる技術を吸収しながらひとつの到達点に至ったように見える。もちろん本人は満足していないだろう。これからも試行錯誤は続くはず。

 されど精神は完成を見た。どれだけの窮地でも、死が迫ってなお笑みが崩れない。揺らがぬ鉄の心。それがウィリアムの強さ。絶えず頭を動かし、視野を広く持ち、付け入る隙を生まない。剣の全てに意味がある。一手に多数の思考が宿る。

 ギルベルトは対極。全ての思考を捨て去り、ただ一点に全神経を集中させている。その一点ではまさに最強。黒狼をして勝機を見出せなかっただけはある。その相手と白騎士が互角、にわかには信じがたい光景であった。

「話より強くねえかよっと」

「話した時より強くなっただけさ。いやー、これはちょっと、想像以上だけど」

「両方ばけもんだ。天才と怪物って感じだなっと。はは、笑えねえ」

 天才の剣は天性の頂である。もちろんその剣に努力がないわけではない。それでも常人の努力では追いつけぬほどの天性がそこにはあった。オスヴァルトの剣がその天性を支えている。その天性がオスヴァルトの剣を飛躍させている。

 怪物の剣は努力の頂であった。それはすでに過去形である。人外の努力と人外の精神力。薄皮一枚断たれようと眉ひとつ動かさない鋼の心が、努力する凡人を怪物へと昇華させた。相手を観察し最適な行動を取る。怪物はそれを忠実にこなすだけ。その最適を弾き出す速度と最適解の精度が超人たちの先を行く。

「……あれを追うのかい?」

「私は、諦める気はない」

 見る者の心を折るかのような絶技。それを淡々と当たり前のようにこなす。ギルベルトの息が切れてきた。ウィリアムの息はまだ、切れていない。

「まだ底があるだろう? 殺す気で来いよ、剣聖」

 ウィリアムはギルベルトにまだ先があることを見抜いていた。このギルベルトはあくまで殺さない意志の混じった状態。真には程遠い。とはいってもこれは完全な一騎打ち。戦場に比べて不純物がほとんどない状態で互角ならば――

(黒狼、あの時点のヴォルフよりも、間違いなく強い。いや、桁が違う)

 ギルベルトは距離を取って剣を納めた。この先は修練の先、殺し合いとなる。

「お前らしくないなリウィウス。安い挑発だ」

 ウィリアムも意図を汲み剣を鞘に納めた。

「少し熱くなっていましたかね。申し訳ない」

 ギルベルトは哂う。目の前の男と熱さはとうに対極、かけ離れている。以前までは熱さが残っていた。むしろ誰よりも内に秘めた熱があった。今は、それすら見えない。ギルベルトの目から見ても異常なほど、いてついている。

「いやはや、凄まじいねえ。お見事だったよご両人。こりゃあアルカディアも安泰だね」

 ヤンが拍手する。追従する者はアンゼルム程度のもの。他は、そんな余裕もなかった。

「二人が組めばストラクレスもどうにかなるのではないかね」

 リディアーヌの言葉に「くっく」と笑うウィリアムとばつが悪そうに顔を背けるギルベルト。リディアーヌには何がおかしいのか皆目見当がつかない。

「ギルベルトの本領は一騎打ちなんだ。味方でさえ不純物になっちゃうんだよ」

 カールが笑いの中身を説明する。説明されてなおリディアーヌには理解の外。

「二人がかりならリウィウス一人の方が強い。もちろん俺と『黒金』で一騎打ちが出来るなら俺を使うことも視野に入るだろうが……させてはくれんだろう」

 ギルベルトは張り詰めていた意識をほぐす。ちょっと前、それこそ足捌きを見せてやったときにあった大きな差。それがほんの数ヶ月で埋まった。その事実に笑い出しそうになる。ほんの数週間前にも切り結んだ、その時も追いつかれそうな手応えはなし。技術的に革新があったわけではない。ならば――

(変わったのは心、妻が死んで何かが変化した。それは良い方か、それとも――)

 さまざまな思惑が渦巻く中、ヤンがぱんぱんと手を打つ。

「はいはい静粛に。さて、これで主攻は決まりだ。第二軍軍団長ウィリアム・フォン・リウィウスが中央で全体の指揮を取る。対ストラクレスを考えても、頭はある程度強くないといけない、ってことは僕が前回証明したからね、あっはっは」

 笑うヤン、笑えない周囲。リディアーヌでも知っている有名な敗戦。オストベルグを滅ぼすかのような勢いで攻め込み、ストラクレスによって跳ね返されたかの一戦を皮肉っての一言である。当然笑えない。

「二年後の春、我が第二軍とカール大将率いる第三軍が合同でオストベルグを攻め込むことになった。すでに話は僕とカール君で陛下に直接通してある。やり口としてはあまりよくない。発案がウィリアム君だってのは隠せないだろうし、当然角は立つ。まあ殿下たちにはそれとなく――」

「必要ありません。勝てば、ストラクレスの首を取れば、殿下たちでさえ口をつぐむことになる。私が、三大巨星を超える。誰が文句を言えましょうか、武の頂点に」

 ヤンは少し複雑な表情をする。

「驕りが過ぎるぞ。貴様は殿下、ひいては王族の力をなめ過ぎている。いずれ足元をすくわれるぞ」

 ギルベルトの言葉は決して敵意の介するものではなかった。むしろ心からの忠告である。自分と渡り合える戦士をこの国が欠く事は許されない。必要だとわかっているから進言する。やりすぎるな、と。

 ウィリアムはそれに対し「肝に銘じておきます」と一礼したのみ。この場の誰もが受け止めていないことを感じていた。カールなどとても心配そうに見ている。

「とにかく此処からの一年は力を蓄えることに全力を尽くして欲しい。世界は大きく動くだろうが、我慢の年だと肝に銘じておいてくれ。これを君たちに伝えたのは君たちへの信頼と期待がある。他者への口外は厳禁、その上で飛躍せよ」

 めずらしくヤンは真面目な顔で語る。一年後を見越した生き方をせねばならない。勝つためにはかの巨星を上回る力が要る。七王国で対等の国を滅ぼす覚悟が要る。容易ではない。七王国で中堅の二国だが歴史は互いに長い。その歴史を、破壊すると言うのだ。

「第二次オストベルグ攻略戦。俺たちが歴史に名を刻む戦争の名だ」

 第一次はヤンが行い敗れた戦。これは本気で相手を滅ぼす覚悟、それを継いだことを表してこの名を先んじて決めた。今までの小競り合いとは違う、本当の戦争。生きるか死ぬか、二年後、どちらかが地図から消える。

「それでこの女はどうする? それを知った者をガリアスに返していいのか?」

 シュルヴィアの疑問はもっともであった。

「それに関しては手を打ってある。……少々高くついたがな」

 ウィリアムは困ったような顔を作る。リディアーヌはそれを見て噴出した。

「ふふ、私なら滞在期間を二年延長させてもらったよ。この情報を知って戻るのはフェアじゃない。何よりも、まだ学ぶべきことは多くてね。ま、その結果面白いことになったけれど……すごい面白い顔をしているね君」

 ウィリアムの顔を指差してリディアーヌはくすくすと笑う。

「話自体は俺としても興味深い。だが、殿下たちには気分のよくない話だろう」

 話を知っているヤンは苦笑する。リディアーヌは終始ニヤニヤしていた。

「冬が明ける前に俺がガリアスに赴く。其処から半年と少々、冬に至るまでガリアスで王の相手をしろと封書が届いた。自分からこいつを押し付けておいて、今度はそれを盾に取り俺を脅してきたカタチだ。心底嫌な男だよ、ガイウスという男は」

「あっはっは、最高の褒め言葉だろうね。陛下に言ってあげなよ、とても喜ぶさ」

「勘弁してくれ」

 それを言いたいのは他の者たちであった。ウィリアムが欠けた状態での半年、決して簡単なものではないだろう。別の意味で絶句するアンゼルム以外は信じがたい顔でウィリアムを見ていた。

「この条件は呑むしかない。断ればオストベルグと同盟を結んで攻め込むと言う洒落にならない脅し文句がついていたからね。これも陛下には報告済み。これから僕とウィリアム君、リディアーヌ嬢の三人で殿下たちにも報告してくるよ」

 ヤンはもう一度皆に向き直った。

「いいかい、ウィリアム君が欠ける、これは逆境だ。一応ことは内密に進めるけど、漏れないという保証はどこにもないんだ。知られたなら当然他国は攻めてくるだろう。だけどこれは良い機会でもある。ウィリアム君なしでこの状況を乗り切ったなら、君たちの力は飛躍するだろう。彼が喰らうはずだった経験を、君たちが喰らうのだから」

 皆の顔つきが変わる。そう、これはいい機会なのだ。一年間、力をつけるには最適な環境。この中で研鑽を積めば、きっとその翌年にある大戦の役に立つ。

「ウィリアム君はこの際、ガイウス王から全部学んできなさい。あの人は規格外の王だ。今の君が喰らう存在としては最上だろう。君は最高にツイている。僕はそう思うよ」

 ヤンは大きく手を広げた。

「さあ、まだ冬は長いけれど、此処からの一年、最高の年にしよう! 雌伏の年であり飛躍の年でもある。君たちの努力に期待する! 僕はそれをしっかり、見ていよう!」

 グスタフがヤンの頭を叩いた。

「お前も努力しろよっと」

「たはは、その通りだね。僕も頑張るよ」

 ウィリアムの内心は複雑であった。本当は今年挑戦するつもりだったのだ。巨星と言う壁に。その準備は出来ていた。結局、ガリアスでの一件がまたしても自分を縛ったカタチ。軽挙であった。少なくとも今の自分なら避けられたこと。

(まあいい、精々学んでやるさ。超大国を骨の髄までな。俺に機会を与えたこと、後悔させてやるぞガイウス!)

 ウィリアムもまた思考を切り替え決定した未来に思いを馳せる。


 アルカディアでは春の到来を一年の切り替わりとしているが、ガリアスでは今日、明日を変わり目としている。期の変わり目、一年の締めくくりであり、一年の始まりでもある。ちなみにアクィタニアもそれに倣う。

 戦渦が徐々に拡がりを見せる中、この一年がどうなるのか、そればかりはウィリアムでさえ見通すことは出来ない。だからこそ面白いとウィリアムは思う。

 自分を殺す存在が現れるか、ウィリアムは歪な望みを抱えながら、温かだった年を終えた。来るは新年、依然として戦乱渦巻く世界に、ウィリアムは何を刻むのか。あらゆる国があらゆる意図で動き出す。それを制するのは誰か――


     ○


「どうしたんだい?」

 ゆらゆらと揺れる街灯に照らされたヤンの貌はごくごく普通な表情であった。

「なあ、ヤン。ヴラドを殺したのはお前か?」

 グスタフの貌に刻まれているのは憐憫。深く、遠く、いつだって『あの顔』の下で彼は悩んでいた。飄々としているか能面か、表側の違いだけ。

「いきなりだね。やってたとして、それを僕が言うと思う?」

 すでに時刻は深夜。部下たちと飲んで食べて修行して、気づけばこの時間。周囲に人影はない。何の気配も無い。

「お前がやっていたなら、良い。俺はそうすべきだと思う。だが、そうじゃない場合、お前が目をかけているあの――」

 すう、部下の誰もがお飾りだと思っていたヤンの剣。それが、あまりにも滑らかに、遮る気にもならぬほど美しく、その剣はグスタフの喉元に添えられた。

「詮索無用。いくら君であっても、ね」

「押し付けたにせよ、譲ったにせよ、そりゃあ重荷だろうがよ! 俺だって当時を知らねえわけじゃねえ。こんだけ出揃えば、察しもつく」

「君の思考は浅瀬だ。彼にとってヴラドなど通過点でしかない。だが、同時に通らねばならぬ道でもあった。逆に、僕にとってあの男を殺すのは手慰みでしかなかった。復讐なんてくだらない。自らの手で彼女の価値を落とすに等しい。ならば通過点であっても必ず通らねばならぬ方が為すべきだ」

「お前にとって最後の生きる意味に重荷を背負わせてでも、か?」

「彼にとってヴラドなど重荷ではないよ。本当に重かったのは、彼女だ。そうまでしなければ届かない場所に手を伸ばすために、彼は全てを断ち切った」

 ヤンはため息をつき、剣を納める。グスタフは当時の事件を自分の隣で見ている。何のためにヤンが剣を取り、全身全霊で上を目指したのか、無理を通してでもストラクレスの首を狙ったのか、生者では彼だけが知っている。

「もう、守ってやることも出来ない。彼が行く道を、サポートする程度しか出来ないんだ。僕はいつも遅過ぎる。いつだってこの剣は届かない」

 ヤンは暗殺者ギルドから悲劇の裏側を聞いていた。それを持って長き時を超えた依頼は成ったのだ。北方での倦怠が産んだ手慰み。間違っても色濃くなりつつあった怪物ヴラドを義憤に駆られて殺そうと思ったわけではない。ただ、何となくあれを殺したら退屈しのぎに成るかな、と思って依頼しただけ。

 それがこの結果を生んだとしたら、やはり悲劇ではなく喜劇だろう。

「僕は、アルカスに残り彼を探すべきだった。本屋に勤めていると知った時、会いに行くべきだった。自暴自棄に、卑屈に、なるべきじゃなかった。間に合ったんだよグスタフ。彼女の願いを叶える機会はあったんだ。僕が、それをしなかっただけで。どこまで滑稽なんだろうね、ヤン・フォン・ゼークトって男はさ」

 全てを見通す麒麟児は愛によって盲目に成った。それがゆえに全てを失った。

「そばで支えてやるってのも駄目なのかよっと」

「駄目だ。僕がいれば壁に成る。必要な時に椅子を空けてやるだけでいいんだ。それで彼はことを成す。僕には出来なかった大事を。自分を天才だと信じて疑わなかった僕は、彼女を抱えて飛ぼうとして墜ちたけれど、彼はもう間違えない」

「何でそう言える?」

「くだらない世界のために、一番大事なモノを捨てられるからさ」

 ヤンは少しだけ誇らしげに微笑んだ。

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