復讐劇『急』:嵐の中の決闘

 嵐を切り裂くように鋼の削れる音が響く。恐ろしい速度と重量感を持って衝突する二筋の剣は、ガギリガギリと耳障りな音を奏でて幾重にも重なる。力はカイル、速度はウィリアム、二人の力はかなり拮抗している。

「どうしてお前は、いつも幸せとは真逆に行く!?」

 カイルの斬りおとしをウィリアムは横から剣を叩きつけそらす。そのまま壁を蹴って最小の動きで背後へと回る。動きの勢いすら剣に乗せるウィリアム。無駄は一切ない。己が力、技量、地形、そして流れ。全てを利用し最強へ追いつこうとしている。

「お前の言う幸せは妥協だ。俺は、それを求めない!」

 それすら凌駕するのが才能。人外の反応速度と一対一の経験値、それがはじき出した答えに沿って、相手の攻撃を見ることもなく背後の攻撃を捌いて見せた。捌ききった瞬間生まれた、針の先のような隙。そこにカイルの蹴りが入る。

「妥協で何が悪い! 三人仲良く暮らすのがそんなに悪いことか!?」

 ウィリアムもまた不完全な姿勢から蹴りを放った。これは攻撃のためのモーションではない。カイルの蹴りを減衰させ、その勢いで距離を取るための蹴りである。

 ウィリアムはどんな窮地でも氷のような冷静さを失わない。

「悪いことじゃないさ。だが、完全でもない!」

 ふわりと宙に浮き民家の屋根に飛び移るウィリアム。カイルも別の段差を利用して上にひょいと登ってきた。どうにも力技な感じはぬぐえない。

「この世に完全なものなどない。何故それが理解できない?」

 そのまま屋根の上で彼らは踊る。力強く、されど繊細に。両者の実力が傍目には拮抗している以上、当然一手のミスも許されない。そして両者とも相手のミスを期待してはいなかった。ならば、ミスを起こさせる。相手を崩さねばならない。

「それが許せぬと言っている!」

 踊る、踊る。平面での動きは完全にカイルが上に立つ。しかし地を利用した立体での戦いはウィリアムにも分がある。しゃがみ、跳び、屋根から屋根へと飛び移り、距離を取って創意工夫の入る余地を生み出していく。これだけやってようやく対等。

「お前の求める完全は、もう二度と手に入らないものだ!」

 やはりこの世は平等ではない。だが、どうしようもないほどではない。

 以前までのウィリアムならば対カイルにおいて創意工夫の割り込む余地すらなかった。力の差がありすぎて、勝負にもなってなかったのだ。それが今、勝負が成立しあまつさえ互角の戦いを繰り広げられている。

「そうでもないさ。俺は姉さんを失った虚を、埋め尽くすほどの愛を得た。わかるか? 俺はお前たち以外の例外を手に入れたんだ。何物にも変えがたい、最愛を!」

 ウィリアムとカイルは勝手知ったるアルカスを戦いながら疾走する。普段ならこのような暴挙考えもつかないが、今日という日は誰も外へ出てこない嵐の日。雪交じりの雨が彼らの音を消してくれる。消しきれずとも誤魔化してくれる。

「満たされた!」

 ウィリアムはカイルの猛攻を掻い潜り、下から切り上げる。カイルはそれを後ろ跳びでかわし、屋根から路地裏に降り立った。

「満たされた満たされた満たされたァ!」

 ウィリアムは壁を一度、二度、蹴りつけ着地点を操作する。カイルの死角から別の死角へ。暗殺者も驚きの超機動でカイルの意表をつく。一度目の死角には喰らいつくも、二度目のほうは完全に凌駕された。

「満たされたなら――」

 だからカイルはあえて防がず、避けず――

「――それでェ、いいだろうガァ!」

 攻撃を打ち込んだ。ウィリアムの一撃も当然入る。だがカイルの一撃もウィリアムの身体を捉えていた。鮮血が両者の間で舞う。そこで、距離を取らず二人とも間を詰めた。そして弾ける無呼吸での連続攻撃。息をすることすら許されぬ領域にて二人は刃をぶつけ合う。最小限の動きでかわし、そらし、それでもなお血が舞う。

「だから奪った! 俺は俺から、俺の最愛を奪ってやった!」

 カイルの一撃がウィリアムの身体に深く突き立つ。手応えがあった。これで――

「あの日、姉を奪われた絶望から俺は生まれた。あの間抜けで弱い、やせっぽっちのガキが飢えと渇きを得て変わった。そして昨日、俺はもう一度変わったのだ」

 ウィリアムは刺さった剣を抜くために後退するのではなく、まさかの前進を選択した。守ることなど考えていない。ただ攻めて奪うだけの、飢えと渇きに満ちた獣がそこにいた。

「あの日と同じように、今度は自分の手で最愛を奪った。俺は俺の求めるモノを捨てて、俺が成るべき虚構の王を選んだ! それが俺だァァアアア!」

 血反吐撒き散らし前進せよ。前へ前へ前へ前へ、狂ったように進み続けよ。立ち止まることなど許さない。立ち止まるには理由が要る。今、己が立ち止まる理由はない。立ち止まり幸せを得る道はすでに彼方。

 進め、堕ちよ、世界の果てまで――

「俺は世界を、時代を、この国を憎む。お前に背負わす全てを……破壊する!」

 背負うモノ、もはやそれは今の世で取り返すことは出来ぬモノ。振り返れば、己がために突き進んでいた跡に道が出来ていた。意図していたわけではない。最初は復讐心、成り上がるにつれて際限のない向上心、つまりは欲望が己を駆り立てただけ。綺麗ごとにする気はない。自分のためのみに突き進んだのだ。

 だが、今は少し違う。生まれた道、そこを歩む愚者の群れ。自分のような男を信望する本物の愚者たちがいた。背負うは彼らの命、今いる者たちも、今は亡き者たちも――彼らが命を喰らわせてくれるというのなら、自分はその代価に何を生む。

「やれるものならやってみろよ、親友!」

 莫大な命に見合うモノ、それを本気で目指すならば、人並みは捨てねばならない。人を超え、獣を超え、神に等しき存在へと成り代わらねばならない。ただの王ですら足りぬ。王の中の王へと――それが男のスタートラインなのだ。

 王は頂点にてひとり立つ。並び立つ者など、連れ添う者など、存在してはならない。


     ○


 ファヴェーラは複雑な気分であった。先日、カイルの家で飲み会に興じていた際、カイルがぽろっとウィリアムが結婚するのだとこぼした。ファヴェーラは初耳である。カイルも本人から聞いたわけではないらしい。カイルは嬉しそうにしていたが、ファヴェーラとしてはさらに減るであろう三人の時間に戦々恐々としていた。

 それと同時に、カイルの気持ちもわかるのだ。ようやく良い方向に落ち着こうとしている親友、とても良いことである。アルの危うさをファヴェーラも感じ取っていた。ファヴェーラが好きだった『弱さ』と、好きではなった『強さ』。二つが揺れ動き続けていたからである。

 あの日からずっと『強さ』に傾いていたアルが結婚するという。それがどちらに傾いた結果か、ファヴェーラが知る由もないが、なんとなく最近の日常を覗き見る中で(ファヴェーラの日課である)、アルの『弱さ』が見て取れて、良い気分であった。

 惜しむらくはそれを引き出したのが自分たちではないと言うこと。

「あいつが身を固める相手だ。きっと良い子なんだろう。それこそ、あの人と同じくらい」

 ファヴェーラが観察した結果、相手はあの人とは似ても似つかぬ馬鹿面であった。器量はいいが常識知らずなファヴェーラよりよっぽど破天荒である。第三者の目でさえ次に何をするかわからない。いつだってアルは振り回されてばかり――

「良い子、それは認める。たぶん、相性も良い。髪の毛一本分は認めても構わない。不服だけど」

 そんな会話をほんの数日前にかわした。三人の中が薄まるのは大変危機的状況ではあるが、ようやく掴んだ幸せならば享受して欲しい。

 そう、思っていた。

「…………え?」

 雪交じりの霙が、完全な雪へと変わった頃、仕事を終えたファヴェーラは自分の仲間が放った言葉に耳を疑った。それは――

「ウィリアム・リウィウスの婚約者が殺されたらしい。あの男と『握魔』もまとめて死んだとよ」

「ヴラドはともかく『握魔』を、か」

「何でも暗殺ギルド総出で出張ったらしいぜ。『殺鬼』まで出したって話だ」

「……それだけ動かせる奴って――」

 ファヴェーラは話を聞き終わる前に駆け出した。仲間たちが止める暇もなく、吹き荒ぶ雪の中へと消えていく。婚約者が死んだ、その事実だけでも驚くに値する。

 アルは喪失を誰よりも恐れていた。だから誰も懐に入れようとしていなかったのだ。最初から懐に入っている二人は遠ざけて、喪失の痛みを避けていた。そのアルが受け入れた相手、たぶんアルは全力で守るはずだ。その痛みを避けようとするならば――

 だが、婚約者は死に、暗殺ギルド総員を動かせる黒幕、二つを繋げてしまうと、それはファヴェーラが最も恐れていた『終わり』と成る。ファヴェーラは首を振った。それは考え違いだと、きっと今は悲しみにくれているに違いないと、隙を見てカイルと二人で慰めてあげなきゃ、今度こそ痛みを三人で分かち合うのだと――

 ファヴェーラは白の世界を全速力で駆け抜ける。


     ○


 ファヴェーラがその場に辿り着くのは容易であった。嵐の中でも響き渡る轟音、あまりにも重厚感に溢れたそれを聞き逃すほど、『風猫』の耳はくたびれていない。市民も聞こえているだろう。しかし、顔を出す者は皆無。皆、感覚でわかっているのだ。生存本能が恐れてしまうのだ。二人の怪物同士の競り合いを。

「アァァァァルゥゥウッ!」

 カイルが斬った。鮮血が舞う。それが遊びでないことを、いつもの修行でないことをファヴェーラは知ってしまう。

「カァァイルッ!」

 アルが斬った。噴き出る紅。カイルに自身と同程度の損傷を与えている。つまりアルはカイルにとうとう追いついてしまったのだ。それもまた終わりの合図と成る。

「もう、やめて」

 声は届かない。二人の修羅は親友を殺すため刃を振るう。一人は友のため、一人は己がため、本当の殺意を刃に乗せているのだ。

 ファヴェーラは一瞬で理解した。声は届かない。彼らが懸けているのは命そのもの。その重みを乗せたものでなくば届くはずもない。だから――

 ファヴェーラは駆け出した。自分がずっと外側であったことはわかっていた。二人とも自分を気遣って――それがすごく痛かった。だからあの時、アルに頼られたあの日はファヴェーラにとっても特別な日になったのだ。私も二人の友達だ、そう胸を張って言える気がしたから。

「ファヴェーラ!?」

 気づいたのはほぼ同時であった。二人の間に割って入ろうとする、大事な人の姿に剣が鈍ったのがカイル。そして、アル、否、ウィリアムは――そのまま斬り込んで行く。ウィリアムがどんな表情を浮かべていたのか、それはカイルには見えない。たぶん、今にも斬られそうなファヴェーラだけが見ていた。

 カイルの体感で時が止まった。どこかで信じていた三人の絆、揺らがないと思っていたものが初めて揺らぐ。アルの道をアルのために止めてやる。その想いすら、吹き飛び、残ったのは――

 純粋な殺意。

 爆発する殺意の波動。圧倒的に先んじ、ほぼ確実にファヴェーラを断つであろう剣の条理すら覆す、戦神の化身、人という生き物の頂点、この世の不条理そのもの――

「覇ァッ!」

 ファヴェーラの身にウィリアムの剣が触れる瞬間、手首を粉砕するかのような衝撃が走った。痛みより先に驚きがウィリアムを襲う。剣が弾かれ、ファヴェーラ越しに見えるのは本当の牙を剥いた『最強』。

「アァァァァアアアアアアアアアアアルッ!」

 ファヴェーラを押しのけ、カイルは歯茎を見せるほど殺意に歪んだ姿で猛進してくる。したたる涎は殺意が溢れたもの。その速力は完全にヴォルフの天性すら上回った。そして力は、ストラクレスの必殺をも超える真の最強。

 型もくそもない。ただ鉄の棒を振り回すだけのような剣、それで最強なのだ。誰も比する者のいない、牙を伏せていた怪物の真性。殺意に身を任せ、己が天性の赴くままに剣を振るう。小賢しい細工など入り込む余地もない。

 連続攻撃。優位な体勢、優位な構え。よほど力の差がなければ決まるはずの『受け』が通じない。受けを構うことなく打ち込んでくる一撃、一撃が破壊的な音を奏でる。呼吸をする間もない。一息どころか瞬きすら即死に繋がる。

(世界を見てきた俺が断言してやる。お前が最強だ、カイル)

 暴力、武力ではない、暴力の嵐がウィリアムを巻き込んでいく。誰も立ち入ることの許されない怪物の領域。この中に矮小な人が存在していいはずがない。

「ア、ル、貴様、よくもファヴェーラをォ! 殺して、やるぞ、望み通りなァ!」

 カイルは激怒していた。信じていた、守るべき者という枠から、アルは自らの選択で外に出た。完全なる決別の証が友を断つという行動を迷いなく選択させた。自分の想いも、ファヴェーラの想いも、全て踏みにじられた。

「亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜ッ!」

 カイルの咆哮。狂ったように剣を振り回す。その全てが一撃必殺。

 その暴力の嵐を前にウィリアムは笑う。この威容を誇りに想う。自分の友が本気を出したら最強になる。それが全て大切なものを守るために振るわれる、または使わない。最強に固執せず、守るために最強に成った、その姿を誇りに想う。

(この怪物を前に、人の浅知恵が何処まで通じるか? 試してやる!)

 ウィリアムはあえて受けを緩め後方へ吹き飛ばされる。そのまま距離を稼ぎ、思考の間を作る。刹那の中、一気にどう戦うかを頭の中で組み上げていく。今までの経験から、会得してきた技術から、最適解を相手にぶつけるのだ。そうしてなお揺らがぬ怪物相手だからこそ、今持てる全てを吐き出すにかなう。

 ウィリアムは十割という現世の誰もが未踏の領域と、オスヴァルトの足捌きを初めとする他者の技術を己が技に昇華したものを用いて、人類を超えた怪物に人類が挑む。自分の努力は正しい方向を向いているか、それを確かめるべく、

 全てを吐き出した。

 フィーリィンの抜剣術から入り、足捌きでの機動力を生かした連続攻撃。相手の攻撃は出来得る限り回避に努め、どうしても受けねば成らない時は、相手の出先を抑えて威力を半減させる。組み合わせは出来た。後は答え合わせだけ――

 その結果――

 全てが打ち砕かれた。通じていないわけではない。時間にして一分少々、持ったほうである。それでも耐え切れなかったのは、身体の強度不足が原因であった。元は貧弱、努力にて可能な限り大きくしたこの身体も、本物相手では足りなかったのだ。

 ウィリアムは笑うしかない。これでも足りないのだ。神は本当に不平等な存在だとウィリアムは再確認する。自分が最愛を二度も失い得た境地、自分の生涯をかけて築き上げてきた努力と技。それら全てが水泡と化した。

 ウィリアムは剣を握れぬほど握力を失った手を見る。耐え切れぬとばかりに自然と落とした己がひざを見る。圧倒的な暴力の前には無力と知る。

(いや、一分弱、しのげたことは収穫だ。もう一度身体を一から作り直そう。この弱い身体をさらに強靭へと仕上げていかなくては)

 ウィリアムの思考を遮るように、カイルはその首へ刃を向けた。

「……何故あの時刃を止めなかった?」

「止める理由がない。俺がお前を殺せば次はファヴェーラだった。言っただろ? もう、例外を残しておく気はないんだ。二人目を排除する手間が省けた、それだけのこと」

 カイルの手に力が入った。ウィリアムは首を差し出したまま動かない。手が上がらず、足もまともに機能していない。この状況で生き延びる道はなかった。

「俺を止めたいなら、俺を殺す以外道はないぞ」

 カイルは剣を上段に振り上げた。後は下ろすだけ、それだけで此処まで築き上げてきた全てを失う。ウィリアムは微笑をたたえたまま、やはり動くことはない。

「何で、何でこうなる!? お前は、何でだ!?」

 カイルの手は震えていた。すでに怒りの効力は消えている。

「たった、たった二日だ。それでこのザマ……笑えるだろ? 自分で奪っておきながら、今この瞬間も後悔し続けている。後悔するたびに世界から熱が消えていくんだ。此処は寒くて、誰もいない。カイル、最後の頼みだ」

 それでもなお、アルの目を見てカイルは覚悟を決めた。今でさえとっくに遅いのだ。本当ならばもっと早くにこうしてやるべきだった。きっとアルはこの先、生きることになれば今日のような弱さは見せないだろう。死を懇願するような視線など送ろうはずもない。

 カイルにだけ向ける視線、自分が例外だから、自分が親友だから、アルは心のどこかで甘えてしまう。この約束はアルが唯一見せた弱さで、カイルへの信頼で、カイルへの甘えでもあった。その甘さが欠片ほど残っている内に――

「寒いよ、カイル」

「ああ、よく頑張ったな。やせっぽっちの……親友!」

 カイルは剣を、振り下ろす。友情へ、信頼へ、甘えへ、報いるために。

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