復讐劇『急』:さらば愛しき者たちよ

 カイルの剣が止まった。カイルの瞳が宿すのは悲しい光。

「退け、ファヴェーラ。アルを救うには殺すしかない」

 二人の喧嘩を、最後に止めてきたのはいつもファヴェーラだった。今回も同じように割って入る。そして言うのだろう。「仲直り」と言葉短に。だが、今日は今までと違うのだ。二人とも覚悟している。二人とも、止まる気はない。

「こいつは、全てを忘れて投げ出せるほど図太くない。自分の生き方にそぐわぬモノ、あたたかく満ち足りたモノを受け入れ、例外と切り分けられるほど器用じゃない。こいつは、馬鹿で、間抜けで、優しくて潔癖で……不器用なんだ」

 カイルの目からこぼれる弱さ。カイルは手に力をこめる。こうやって先延ばしにするほど、アルと過ごした日々が脳裏を駆け巡るのだ。笑顔満ち溢れた日々を、全てを失い刻苦し始めた頃を、自分の道を歩みながら時折立ち止まり一緒に――

「遅過ぎた。もっと早くに殺してやるべきだったんだ」

 カイルの決意は変わらない。

「そんなこと、知ってる」

 それでもなお、退かないとファヴェーラの目が語る。

「カイルは黙ってて」

「これは二人の問題だ。お前は――」

「違う。三人の問題。私と、貴方と、アルの、ウィリアム・リウィウスの問題」

 カイルは眉をひそめる。かたくなにアルで通してきたファヴェーラが、あえてウィリアムと呼んだその意図が掴めない。

「今この場では俺とカイルの問題だ。もう少ししたら、お前たちだけのことを考えていればいい。カイルほど良い男はいない。そろそろお前も身を固めて――」

 ウィリアムの頬が破裂音を奏でる。昨日、ヴィルヘルミーナにぶたれた場所と同じ部分、今度は貴族の令嬢ほど生易しくない。口の中が切れ、血がこぼれる。

「そうする。だから、斬らせない」

 ファヴェーラの瞳に浮かぶ色はカイルと同じ色を宿していた。悲しみの色、そして別れの色。カイルは――ようやく意図を察した。

「やめろファヴェーラ、それ以上……何も言うな!」

「貴方はカイルを何だと思っているの? 友達? 親友? 剣の師匠? 何でも言うことを聞いてくれる……都合の良い人?」

「やめろ!」

 カイルの静止も空しく、ファヴェーラは言葉を続ける。

「貴方が積み上げたモノを私は知らない。きっとすごく重たいものなんだと思う。本当は誰かに預けたくて、でもその重さに耐えられる人がいなくて、仕方なく背負っている。それが生き方になるほど、重いモノ」

 ウィリアムはきょろきょろと挙動不審に周囲を見る。まるで何かから目をそらすかのように、直視したら、壊れてしまう。逃げたい、逃がして、殺してくれ、と。

「それを貴方は全てカイルに擦り付けようとしている。カイルなら背負えるだろう。カイルなら耐えられるはずだ。貴方の命すら、背負って。カイルはこれからも生きる」

 ウィリアムは乾いた笑みを浮かべた。零度の世界、最後の牙城が崩れ去っていく。三人の世界と言う例外中の例外。絶対的領域だった。離れていても繋がっていると思っていたのはウィリアムも一緒である。むしろウィリアムこそ、その関係に依存していた。

「カイルが貴方を斬って、これからどう生きると思う? 幸せになれると思う? そんなに強いと、思っているの? ねえ、答えて、答えなさいよ! ウィリアム・リウィウス!」

 ファヴェーラは泣いていた。今まで見たことないほど顔を歪ませて、ずっと溜め込んでいた、凍らせていた感情が爆発する。生まれた瞬間から闇の家業、心を凍らせて顔を何重もの無表情で固める。そうして生きてきた。

『ねえ君、怪我してるの?』

『かまわないで。さわったら殺す』

『殺されるのは嫌だよ。でも構う。君は綺麗だし、僕は友達が欲しいんだ』

『……馬鹿?』

『うん、よく言われてる。鞭もよくもらうしね。僕はアル、君は?』

『…………ファヴェーラ』

『よろしくね、ファヴェーラ。ほら、背負うよ? ねえさんに見てもらおう』

 ファヴェーラの例外。この瞬間からファヴェーラの人生に色がつき始めた。ファヴェーラにとって大切な宝物。この出会いも、ここからの付き合いも、全部が全部、一片たりとも忘れたことはない。今後も忘れることはない。でも――

「カイルは弱いよ。貴方が信じるよりずっと弱い。たくさんの重たいものを背負える人がこんな生き方をすると思う? こんなに強くても、彼にはこれしかないの。私たち三人分、これ以上は無理。繊細なのはカイルも同じ。ううん、貴方よりずっと弱いのがカイル」

 だからこそファヴェーラは選択した。アルがいたから自分は幸福でいられた。例外と呼べる存在を、心の底から信じられる相手を、『二人』も見つけることが出来たのだから。

「私は、利己的だから、二人を失うよりも一人を選ぶ。低俗だと笑って良い。でも、私はもう一人じゃ生きていけないの。貴方が、そうさせた。貴方がくれた弱さなの、これは」

 ファヴェーラはにっこりと微笑んだ。嵐が晴れる。曇天の隙間から光が差す。もう誤魔化しようがない。この水はファヴェーラが流す涙で、カイルの瞳からこぼれているのも同じもので、そしてウィリアムの瞳からこぼれるものも――

「だから、ごめんなさい。カイルには殺させない。カイルを殺すことも許さない。それが私の選択。貴方が好きでした。今でも好きです。でも――」

 ファヴェーラは大きく息を吸い込んだ。光差す、明日をつかむために。

「さようなら」

 カイルは剣を落とした。目を伏せて、ただ無力な己を恥じる。今、殺さずに済んだことに心底安堵する自分が嫌になる。己の弱さが憎くて仕方がない。

 最後に終わらせたのは、カイルでもアルでもなく、ファヴェーラだったのだから。

(待ってくれ! 一人にしないでくれ! 俺は、俺だって弱いんだ! なあ頼むよ、俺を救ってくれよ! ファヴェーラでも良い、俺を、俺を俺をおれをおれをおれを――)

 最後の牙城が完全に崩落した。心の何処にも、もはやあたたかなモノは残っていない。深淵がひっそりと大口を開けて待っている。渇き、餓え、喰らえ喰らえと心が叫ぶ。この深淵を、なんでも良い、何かで満たせ。何でも良い。そこに何かが入るなら。

「俺を――」

 ウィリアムは、自分の口から何かがこぼれそうに成るのをぐっと堪えた。最後の痛みをファヴェーラが背負ってくれた。これ以上何を望む。忘れてはならない。これは自分の生きる道なのだ。誰かに強制されたわけじゃない。自分がまいた種、自分が咲かせた花。

「いや、何でもない。最後にひとつ聞いていいか、カイル?」

「ああ、何だ?」

 ウィリアムは大きく息を吸った。この最後の時を、胸に刻み込むように。

「やせっぽっちの俺は、強くなれたかな?」

 カイルは涙をぬぐう。親友が、本当の巣立ちを迎える。きっと、本当の意味で彼が自分たちの元に戻ってくることはないだろう。死してなお、同じところへは辿り着けない。そんな予感がした。

「ああ、強いよ。俺以外の誰よりも強いさ。だから、誰にも負けるなよ」

「そうか。はは、自信がついたよ。ありがとうカイル。……迷惑をかけたな」

 ウィリアムは自分の足で立ち上がった。これから先、自分だけの力で歩む覚悟と共に。最後の甘えが消え、最後の例外が消えた。

「ありがとうファヴェーラ。そして、さようなら」

 ファヴェーラがたまらず顔を伏せた。ウィリアムはそれを見て微笑む。いつだって彼女の強さに助けられた。今日だってそう。結局女々しいのはいつだって男二人であった。心から感謝する。自分を止めてくれて。自分を送り出してくれて。

「この借りはいつか返す。それは友達だからじゃない。俺という人間が借りっ放しを良しとしないからだ。まあ、俺が返す必要もない時を過ごすことを祈るがな」

 ウィリアムは剣を拾う。それを鞘に納め、くるりと二人に背を向けた。

「俺は全てを手に入れるぞ! 富も、地位も、名声も! 全てだ! お前たち二人は精々慎ましやかに暮らしていけば良い! 子供でも作って、そこらの凡人どもと同じように、身の丈にあった生活を送れ! 俺は、世界を手に入れる男、住む世界が違うのだ!」

 決別の言葉。最後くらい、少しでも、虚勢でも良い。立派に立とう。

「俺がお前たち凡人の住む世界を創ってやる。俺はこの国の王になるぞ!」

 そして一歩、また一歩、最後の一線から離れていく。

 それを黙って見送る二人。何度も声をかけようとした。その背が、寂しさに震えていることを知っている。その顔が涙に濡れていることも知っている。何だってわかる。何故なら三人は親友だから。そして親友ゆえに、別れねばならない。

「俺の背を見ていろ。必ず、お前たちを幸せにしてみせる!」

 孤独が身を侵す。今度は逃げ場がない。全て消え失せた。だが、不思議と迷いのない分、その冷たさを自然と受け入れることが出来たのだ。冷たい、寂しい、それでも前へ。ウィリアムが歩んだ道が王道となる。それを皆が歩んで国となる。

 さあ、此処からが始まり――


     ○


「ただいま帰ったよ。明日に備えておめかしは済んだか?」

 ウィリアムはヴィクトーリアに声をかける。冷たく薄暗い部屋、燭台にはひとつの火すら灯っていない。ウィリアムが抱える虚空にも似ていた。

「今日、親友と別れてきたんだ。たぶん、ずっと先延ばしにしていただけだったんだろうね。お前を失った時よりも辛くないよ、本当だ。だから、そんな拗ねた目で見るなよ」

 ウィリアムはヴィクトーリアの髪をなでる。死してなお、透き通るような指ざわり。ずっと撫でていたくなる。

「テレージアはきっと何かを察している。今日も、それを匂わせてきた。はは、そう心配するな。あの人は賢い。感情だけじゃなく、損得で動ける人だ。今この状況でベルンバッハを守れる人間が誰か、彼女はしっかり理解している。お前は俺に全てを与えた。命も、愛も、全部……これ以上は奪わない。お前が俺の次に大事なもの、俺が守るよ」

 ウィリアムはヴィクトーリアに頬を寄せた。ほのかに香る花の薫り。それを胸いっぱいに吸い込む。そして離れ際、おでこに軽く口づけをした。

「俺の道を邪魔しない限りは、彼女たちは皆、愛するお前の家人で、俺の家族になるはずだった人たちだ。安心して眠れ。必要でない死は、お前だけのものだ。俺の最愛と共にな」

 ウィリアムはヴィクトーリアの躯の近くで積んであった本を読み始めた。冷たく、冬が侵食する空間で生者が一人、死者が一人、最後の時を満喫していた。

 明日、葬送と共に永久の別れがやってくるのだ。


     ○


 葬儀はつつがなく終了した。最初に遺体へ土をかける役はマリアンネが務めた。泣きながら土を少しずつ、少しずつかける姿を見て姉たちは悲痛な表情を浮かべる。そんな中、ウィリアムは終始無表情であった。土をかける際も、黙したまま誰とも目を合わせない。

 それを非情だと言う者もいる。涙のひとつでも見せたらどうだと公言する者もいる。

「白騎士には情がないのか」

「いや、噂ではユルゲン侯爵を斬ったらしい。今回の件、どうやら首謀者はユルゲン殿で、証拠を揃えてすぐ屋敷に切り込み、抵抗した者も含めて家人全てを斬ったとか」

「それはまことか? だとしたら恐ろしい話だ」

 声を潜めて噂話に興じる者たち。傷だらけのウィリアムを見て、噂が正しいのだと確信を得る。実際、噂の大枠は当たっていた。元々、マリアンネを誘拐した犯人たちを操っていた者に、この件の罪全てを着せる算段でことが動いていた。

 昨日、カイルとの決闘を前にユルゲン侯爵の屋敷に潜入し、家人全てを斬ったのは事実である。目的は証言の封殺、マリアンネの件は言い逃れできないだろうが、今回の件に関しては当然認めることはないだろう。ゆえに先んじて斬った。

 あとは当時の物的証拠と捏造した今回の証拠、人的物的全て後出しすれば良い。怒りの感情に身を任せたという言い訳が利くのも良い状況。

「お咎めはなし。罪が事実ならば家人の死は正当な罰。侯爵家同士の問題である以上、文句の付けようもないだろう。激情で愛と忠誠心を示したか」

 主への忠誠、妻となるはずだった者への愛、この両方を示した復讐劇。その上で白騎士の恐ろしさも示したのだ。情報収集能力と剣の腕も。

 ウィリアムは涙ひとつ流さない。されど、彼の傷がその愛の深さを語る。本当はカイルに与えられたものだが、こうやって利用するところはやはり抜け目ない。


     ○


 葬儀が終了し、皆が故人を悼む時間、そこからが貴族の醜悪さを表す時間に成った。多くの貴族がウィリアムの前に押し寄せ、皆涙を流しながらウィリアムを励ますのだ。「大変だったねえ」「大丈夫かい?」「いつでも頼ってくれていいよ」と、眼を爛々と輝かせてウィリアムに詰め寄る。

 目的は、フリーになったウィリアムとの関係を深めること。よく見るとほとんどの貴族が娘を連れてきている。妻を失い、表向きの主も失った。その隙間に入り込もうと貴族たちは群れを成す。

「醜悪だな。見るに耐えん」

 参列していたギルベルトは吐き捨てる。隣のヒルダも同じ顔をしている。

「あのような有象無象どもを今更、ウィリアム様が相手をするわけないだろうに」

 アンゼルムは彼らを嘲笑する。その横でグレゴールはため息をついた。

「お前は少し過激が過ぎるぞ。最近酷くなっていないか?」

「ウィリアム欠乏症なんでしょ。信者はこれだから」

 ヒルダはやれやれと首を振る。そんな姿に目を合わせることもなく、アンゼルムはウィリアムを見つめ続けていた。求めていた孤高の王が帰ってきた。出来れば自身の手で戻ってきて欲しかったが、この際贅沢は言わないでおこうとアンゼルムは思う。

 事実は己が手で切り捨てたのだが、アンゼルムだけはそれを知っても歓喜するだけだろう。アンゼルムがウィリアムに求めているものは、まさに王たるその姿なのだから。

「貴族の群れが割れるぞ。天上人が来た」

 ギルベルトの視線の先には、ヘルベルト、ヤン、カールの護衛をつけた三人の天上人が映っていた。第一王子フェリクス、第二王子エアハルト、そして王女であるエレオノーラの三人がウィリアムの前に立つ。ウィリアムは膝を折り流れるような所作で頭を下げた。

「面を上げてください」

 ウィリアムが顔を上げると、悲しげに笑うエレオノーラの姿が映った。

「不幸だったな。如何に白騎士が強くとも、その手の範囲には限りがある。悲しい出来事だった。これに折れずまた立ち上がることを望む」

 フェリクスもぶっきらぼうであるが優しげな言葉を吐く。周囲ではざわつく音が大きくなる。フェリクスがこういう言葉を投げかけること自体珍しく、毛嫌いしている一代二代の成り上がりに対してとなると、聞いたこともないほど珍しい話になる。

「ゆっくり休みたまえ。君がもう一度、戦えるようになるまで、静養し心を休めると良い。冬は長い、まだまだ時間はある。君の再起には私のみならず多くが期待している。そうだろう、皆?」

 エアハルトの言葉に頷く三人の大将。

「ゆっくりと、心を休めてください。そしてまた、一緒に本を読みましょう。貴方の心が癒え、本を読むゆとりが出来たのならば。そう、私は貴方の友なのですから」

 エレオノーラの言葉からにじみ出る悲哀、そして白騎士への友愛。それは二人の関係の深さを表していた。貴族たちは目ざとくそれを見抜く。下手をすると――

「お三方に来ていただいて、妻も喜んでいると思います。改めて感謝を」

 ウィリアムは再度頭を下げる。親族である姉妹たちもあわてて頭を下げた。

「それではな。何度も言うがゆっくり休め」

 エアハルトたちが去っていくのを皮切りに、続々と参列者が立ち去っていく。殿下たちが休めと言った以上、それに反するような行いは王族の意に反することになるのだ。どちらにせよ此処は種まき、内輪のパーティに招いてからが勝負である。

「貴方のおかげで盛大な式になりました。礼を言います」

「俺のせいで家人が悼む暇もなかった。むしろ謝るべきでしょう」

 ウィリアムとテレージアが横並びに立つ。他の姉たちは泣き止む気配を見せないマリアンネやエルネスタをつれて席を外していた。ヴィルヘルミーナが何を言いたそうにこちらを見ていたが、テレージアの一瞥で下がっていった。

「父は殺されてしかるべき男でした。母を失い、狂ってしまった哀れな人」

「その件が表に出ることはありません。それなりの手は尽くしております。貴女方が表の道を歩けぬことにはならないかと」

「そう、何から何まで……感謝いたします」

 テレージアは昨日の嵐が嘘のように晴れ渡った空を見上げる。

「因果応報、私も覚悟しておりました。いつかこの悪意の報いが来るだろう、と。悪意を止められなかった自分たちにも責はあります。でも、何で、あの子が」

 テレージアの視界が曇る。ウィリアムはあえて視線を合わせなかった。

「私たちが生き残り、あの子が死ぬ。そんな不条理が、あって良いのかしら」

「それほど不条理とも思えませんが。あの方の悪意に飲まれた者にとって、ヴィクトーリアもマリアンネも、貴女であっても変わらない。等しく、悪意を返す対象です。あの方を後ろ盾としていた俺も同じでしょう」

「ええ、そうね。その通りだわ」

 テレージアが黙する。彼女はきっとヴラドの悪意、その報いを受けるつもりだったのだろう。だから多くの姉たちが家を離れた後も、顔を出し続けていた。止められなかった自分が生き残り、知らなかった妹が死ぬ。そんな悲劇がやるせない。

「家はヴィルヘルミーナのところに継がせるわ。あの子の尻に敷かれてる弱気な殿方だけど、あの子が見込んだ優しい人だから。それだけで充分」

「わかりました。土地の相続等々、私がアドバイスいたします」

「お願いね。貴方にとっては、もう必要のない家でしょうけど」

「そんなことはありませんよ。私にとっては――」

 テレージアは射抜くような目でウィリアムを覗き込む。此処からが本題と言わんばかりの表情、ウィリアムは一息ついてテレージアに向かい合った。

「どんな答えをお求めですか?」

「まずは貴方がベルンバッハを見限らぬ理由を」

「最近落とした小国、そしてこれから戦にて手に入れるであろう土地、これらを出来るだけ分散させて、かつ自分の手で操作できるようにしたい。ベルンバッハはそうですね、非常に便利な家だと言えます。私に支配されているうちは」

 ウィリアムはあっさりと手の内を見せた。否、此処は見せた上で自分の思うように進めたほうが得であると考えたのだ。そもそもある程度察している相手に対して、無駄にくるんだ言い方をしても仕方がない。

「なるほど。都合の良い隠れ蓑になれと?」

「ええ、その通りです。損はさせませんし、貴女方にはこれしか道はない」

 今のベルンバッハとウィリアムの関係は相互に依存しあっている状態である。どちらが欠けてもそれなりに痛いのが現状、つまり良い関係と言うことであった。

「いいでしょう。この件は私からあの子の夫に伝えます。あとひとつ、貴方には答えて頂きます」

「私に答えられることならばなんなりと」

「ヴィクトーリアを、愛していましたか?」

 テレージアの問い。その目に浮かぶのは懇願にも似た何か。

「無論です。これから先、あれ以上に深く愛する女性は現れない。断言できます」

 ウィリアムは自信を持って答えた。この問いの、この答えだけは裏表なく断言できる。だからこそ、断ち切ったのだから。

「そう、ならよかったわ」

 テレージアは悲しげな笑みを浮かべ、ウィリアムに背を向けた。そして歩き始める。一歩、二歩、ウィリアムはその背を見つめる。

「もし、貴方とあの子、貴方がルシタニアのウィリアムではなく、あの子がベルンバッハの子じゃなければ、幸せになれたかしら?」

 たぶん、これは内に秘めていようと思っていた問い。ウィリアムは確信する。テレージアは気づいているのだ。自分が、ルシタニアのウィリアムではないことを。ヴラドへの復讐のため家に近づいたと推測している。今回の一件も、真の下手人はウィリアムだと思っているのかもしれない。

 アルレットの弟とベルンバッハの娘、そうでなければどうなっていたかと言う問い。ウィリアムは一瞬逡巡する。問いの返しでどう思われるか、それは一度頭の片隅に追いやる。問題は自分がどう思うか、どう考えるか、である。

「俺が俺である限り、あいつがあいつである限り、結末は同じです」

 ベルンバッハであろうとあるまいと変わらない。ヴィクトーリアが最愛たろうとする限り、ウィリアムが王であろうとする限り、逃れられぬ宿命なのである。

「……哀しいわね」

 テレージアが立ち去っていく。墓の前にはウィリアムだけが立つ。

「哀しい、か。どうだ、お前の選択は。これだけの嘆きを見てもまだ、お前の心に一切の迷いはないか? 今日、誰よりも早くこの場に来て、真っ先に俺を殴った男、あいつでも良かったんじゃないか? 良い男だ。深くお前を愛していた」

 ウィリアムは墓の方を見ずに言葉を投げかける。

「お前の大事な家族を、泣かせてまで俺を選ぶことなかったろうに」

 ウィリアムは天を仰ぐ。憎たらしいほどの晴天。

「わかっているさ。それでもお前は俺を選んだ。俺も、お前を求めた。お前に俺の全部をくれてやる。死してなお折れぬ愛ならば持って行け」

 ウィリアムの頬に一筋の雨がこぼれる。天は憎たらしいほどに晴れ渡り、言い訳の余地もない。それでもウィリアムはそれを雨と断じる。

「俺の愛、全てを此処へ置いていく。さらばだヴィクトーリア、我が最愛よ」

 時よ進め。世界は美しい。前へ進もう。それがせめてもの手向けである。

 最後のあたたかさがこぼれる。そして完成する。

 真の王、愚者たる人々を導く存在が――

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