復讐劇『急』:握魔滅ぶ

 ヴラドは逃げ惑う。されどどの道を選んでも暗殺者の影が揺らめき、あわてて元来た道に戻っていく。結局、屋敷に戻る道以外、選択肢はなかったのだ。ヴラドは激しくなる動悸を抑えるので精一杯であった。嫌な予感がする。それをかき消すようヴラドは首を振った。この扉の向こうには、きっと輝かしい未来が待っている。まだ足りない。もっと上に行きたい。

 運命の扉が、開く。

「おお、ウィリアム君か。よかった、君がいるなら安心だ」

 とっくの昔にヴラドから正常な判断力は失われていた。欲望の海で、自らが溺れているとも思わず、自分は上へ昇っていると勘違いをする。本当は沈んでいるのに。

 濃厚な血の匂いがヴラドの鼻腔をくすぐる。周囲に転がる躯はヴラドも面識のある使用人たち。それがわかっていても、もはや最後の希望に縋るしかない。ウィリアムと言う味方がいたから自分は上にいけた。その奇跡を、もう一度。だって自分は――

「安心してください。御義父さん」

 そう、目の前の男の義父なのだから。大事な大事な、大公家に目をかけてもらった娘をあえてこの男にくれてやった。その前とて自分のおかげで騎士位を得た。自分は与えている。恨まれるようなことなど何もしていない。ヘルガの妄言など信ずるにも値しない。

「今日はとても良い日です。明日、私は全てを手に入れるのだから」

 ヴラドは「ひぃ!?」と悲鳴を上げてウィリアムの後ろへ回り込む。ヴラドが戻ってきた地下通路への扉、そこがまたしても開放され、続々と暗殺者が出てきたのだ。地下室の周りをぐるりと囲む暗殺者たち。

「う、ウィリアム君。こいつらを倒してくれ。君ならば勝てる。君はアルカディアの英雄だ。頼むぞ!」

 震えるヴラドを見て、ウィリアムはまさに好青年と言わんばかりの微笑みを向ける。

「お前たち、止まれ」

 暗殺者たちは直立不動の姿勢を取った。ただの一言、ヴラドが頼る男の一言で、止まった。ヴラドはゆっくりと、ウィリアムから距離をとる。

「どうしたんです御義父さん? 私から距離をとって」

 ウィリアムはヴラドに視線を向けぬまま、声でけん制する。ヴラドはこわごわとウィリアムを見る。不思議なほど敵意は感じ取れない。しかし、味方である雰囲気も同じように感じ取れなかった。

「彼らは――」

「私が雇った暗殺者ですよ」

 ヴラドは聞き違いかと思った。あまりにもあっさりと放たれた一言は、真に受けてしまえばヴラドの夢が完全に覚めてしまうものであった。否定する、否定する、聞こえていないとばかりにウィリアムを見るヴラド。

「私が貴方を殺すために雇った暗殺者です」

 今度はより丁寧に、聞き間違いのないように、ウィリアムはようやくヴラドに視線を向けた。この状況を、心底楽しんでいるという愉悦を浮かべて。

 ようやくヴラドも理解に至った。この状況を生んだ元凶が目の前の男であると。

「な、何故だ! 何故私を殺す!? 私は君に多くを与えてきた。娘すら与えようと言っているのだ! 何が不満なのだ。私に出来ることなら何でも――」

 ウィリアムは暗殺者に目で合図してヴラドの口を塞がせる。しゃべり足りないようだが、あまり時間もない。全ては短時間で起きた悲劇、それが今回の脚本である。

「貴方が出来ることで私に出来ぬことがなくなった。貴方から得られるものはもう何もないのです。残念ですが、用済みと言うしかない」

 ウィリアムは口を塞がれながらも絶叫を続けるヴラドの腹を軽く蹴った。ウィリアムが軽く蹴ったつもりでも、生粋の貴族であり文化人であるヴラドにとっては衝撃の痛み。身体を押さえ込まれながら悶絶していた。

「動機の方は……貴方が覚えているかわかりませんが、ずっと昔に遡ります。昔昔のことです。貧民街に二人の姉弟がいました。とても仲が良く、貧しいながらも……聞けよ」

 ウィリアムは悶絶しているヴラドの頭を掴み持ち上げた。「ひい!?」と恐怖をあらわにするヴラド。ウィリアムの声、トーンの変化に痛みも吹き飛んだのだろう。

「き、貴様、やはりヘルガの言ったとおり、あの女の、アルレットのおとう――」

「そうですよ、侯爵。あと、その薄汚い口で姉さんの名を口ずさむな」

 ウィリアムが手の拘束力を強めただけでヴラドは絶叫する。面白いほどに脆弱。ウィリアムは哂った。今の己を生んだ親のような存在が、これほどに虚弱であろうとは。ウィリアムはヴラドを放り投げた。転げるヴラドを哂いながら、ウィリアムは芝居じみた語り口で物語をつむぐ。

「私の名はアル。奴隷に生まれ、姉を失い、絶望の底にて生まれ変わった獣です。ほら、この白い髪を見てくださいよ。これは元々姉さんと同じ、綺麗で滑らかな黒い髪だったんですよ。美しかった、とても綺麗な、良い匂いのする……幸福の世界」

 ウィリアムは演じる。どう語れば最も深く絶望を刻めるか。

「私は復讐のため名を喰らいました。ルシタニアの若者から名を奪い、成り代わった。戦で功を積み上げ、貴方の目に留まるまで成長した」

「わ、私をお前は救った。それは君の良心だろう? 本当は優しい男のはずだ」

 ヴラドは暗殺者が襲撃したあの夜のことを言っているのだろう。確かにウィリアムは甘かった。しかしその甘さは断じて目の前の男に対してのものではない。自分にとって例外である存在を救うために打った芝居でしかないのだ。

 その勘違いは、心底笑える勘違いである。その直前、自分が向けた殺気に気づいていなかったのだから。

「馬鹿だなァ。俺以外に殺されちゃ駄目なんだよ。だから助けた。そのおかげであんたの懐に入るのがずっと容易くなった。まさか、自分から俺に接触してくるとは……そこからはあんたの知るとおりだ。全身全霊でベルンバッハに尽くした。結果はどうだ? ベルンバッハは侯爵家となり、多数の鉱山を所有する誰が見ても隙のない、貴族の中の貴族へと進化を遂げた。もうわかるだろ? 聡明な貴方なら……俺の狙いが」

 ヴラドの顔に、一筋のひびが入った。

「貴様、まさか、私の、私の生涯かけて高めたベルンバッハを」

 ウィリアムは大げさに手を広げた。

「それが私の復讐です。ただ貴方を殺すのではなく、全てを奪いその上で殺す。地位も名誉も伝統も格式も、金も、大公家に見初められた娘も、全部俺のものだ!」

 ウィリアムは嘘を吐いた。ヴィクトーリアはとっくに死んでいる。この状況で驚くほど心が冷め切っているウィリアムだが、この嘘を吐く瞬間だけはじくりと心が痛んだ。

「ふざ、ふざけるなクソガキ! この私が、人生をかけて手に入れた地位を、あの屑どもに頭を下げて、こびへつらって、ようやく侯爵に成ったのだ! それをこともあろうに奴隷の貴様が奪うだと!? そんなことゆるさぁぁぁァん!」

 ヴラドが発狂した。この状況で食って掛かるほど大事な存在。こいつにとっての最愛とは『家』なのだ。いや、本当ならば最初の妻であったのだろう。それを失った代替物として地位を求めた。きらきらと輝くもので己を満たそうと、欲望の獣に堕ちた。その虚ろが代替物で埋まることは決してないというのに――

「ヘルガ! 何をしている! 私を助けろ! このムシケラどもを一人残らず殺せェ!」

 何処までも他力。自らの手で勝ち取る力もなく、ただ弱者に当り散らすだけの小者。それがまかり通る世の中にこそ復讐すべきであり、目の前の男に対して思うことは完全に掻き消えた。愚者の中でも程度の低い、どうしようもない存在である。これに対して仇と思うこと自体が愛すべき者に対する侮辱となるだろう。

 ウィリアムは哂う。これはまさに喜劇なのだ。神の視点から見下ろせば初めからこの未来は確定していた。『ウィリアム』がいなければそもそも『あの時点』で死んでいた命。此処まで生き長らえさせたのは脚本家たるウィリアムなのだ。

「お前の主がそう言っているぞ? 何か答えてやれ」

 喜劇の役者がまた一人舞台へと――

「待たせたな。少々手こずった」

 どさりと音を立て地面に投げつけられる襤褸雑巾にも似た何か。ヴラドの怒気は一瞬にして掻き消え、代わりに浮かぶのは絶望の悲壮感。

 白龍が運んできたのは、ヴラドの業と切っても切り離せぬ存在。

「あ、ぐ、ヴ、ヴラド、さま」

 もう一人の主役、ヘルガであった。

 喜劇の中、道化どもの絶望が加速する。


     ○


「…………」

 自分の信じていた部下がこうも容易く無力化されるのを見て、ヴラドは完全に沈黙してしまった。まだ絶望には遠い、この沈黙はいわば絶望を凌ぐための逃避である。これでは面白くないとウィリアムは考える。クライアントにこれだけ待たせた分、いい仕事をせねばならないのだ。

「……き、さまァ。どれほど増長する! 奴隷のガキが!」

 ヘルガもまた負け惜しみを吐くも、この陣容を見て慄いているのが見て取れた。この部屋に詰めている暗殺者を雇うだけでもそこら中に家が建つレベル。他にも雇っているのだとすれば、もはや個人がどうのこうのという世界ではない。

「何処までもだ。蛆虫」

 ウィリアムはヘルガの頭を踏みつけた。そして地面に擦り付ける。屈辱の姿勢、勝ったと思っていた相手の、幻影を前にして敗れ去る己の惨めさよ。

「俺は王になる男だ。貴様らが下等と嘲り、劣等と罵ったこの俺が天を司る。痛快極まるだろう? 俺が貴様ら上等を導いてやる。この俺の、下等の下でな」

 それでもヘルガは耐えた。勝ったと思ったら負けた。ならばまた裏返せばいい。目の前の男が勝利に酔いしれる隙に、自分が肉も骨も押し潰す。武器は要らない。己の五体こそが最強の武器なのだから。ゆえに今は折れた振りをする。

「くひ、何が王だ。現大将が若返り、しばらく昇進の目のない男が、良くそのような口を利けたものだ。間抜けすぎて反吐が出る」

 ヘルガはさらに負け惜しみを重ねる。その度に目の前の男から膨れ上がる悦楽。強まる靴の感触が、勝利へと近づく凱歌となってヘルガを高揚させる。

「貴様ごときが王になどなれるものか! 薄汚い下卑た計算高いあの売女と血を同じくする、身の程知らずの愚者、それが貴様だ!」

「……姉さんを侮辱したな?」

 ヘルガはほくそ笑む。やはり此処がツボ。此処までその復讐心で這い上がってきた。ならばその復讐心こそ突くべき欠点となり得る。ヘルガは指を蠢かせる。喰らいつけば放さない。折れて千切れて、押し潰すまで――

「私が殺してやった! あの女の泣き叫ぶ声を聞かせてやりたかったよ。痛い、助けて、死にたくないってなァ。そういえばお前の名前なんて一度も出てこなかった。ああ、良くわからん父や母の名は出てきたのに……お前、愛されていなかったんじゃないか? くひ」

 ウィリアムが激昂したのかヘルガの腹を蹴る。頭より、自然と掴める位置。

「図星を突かれて怒っているのか? 実に陳腐ね。貴様ら下賎に愛などない。図々しいのよお前らは! 求めていい人間じゃない。貴様らこそ蛆虫だ! 奴隷のアル!」

 決定的な隙。怒りが高まり警戒を上回った。もはや足を掴むだけ。それだけで終わり。

 ヘルガは迅速に、仕事を果たす。しなやかな指が相手の足首に触れる。その感触が伝わった時点で勝利は確定した。今まで此処から潰せなかったものはない。ファヴェーラの足首をも潰したその手に砕けぬものなど――

「それで? 俺に怒りを与えて隙を作ったつもりか?」

 ヘルガの手首が舞った。「ひぃ!?」と悲鳴を上げるヴラド。白龍たち暗殺者は眉ひとつ動かさない。それはヘルガも同じこと。

「ええ、充分な隙よ!」

 残った左腕。カイルに粉砕され、治療の末復活したそれが切り札。狙うはただ一筋、敵の首。此処を潰せばヘルガが勝つ。右腕ひとつ、犠牲にして得た勝機。やはりウィリアムは怒りで目が曇っていた。そもそもヘルガに近づくべきではなかったのだ。

 残された牙が迫る。ウィリアムは咄嗟に防御のため手を差し出した。

「それでェ、私を止められるつもりかァ!?」

 片手は剣を振りぬいたまま、もう片方をヘルガは掴む。指を絡めとり、その美しさと無骨さを併せ持つ研き抜かれた白騎士の手を破壊――

「何故、貴様だけが特別だと思った? 鍛えているのが貴様だけなどと、どうして錯覚できる? ……『握魔』などと持て囃されても所詮人間、貴様自身も肉と骨で出来ている、赤い血の通ったただの人、だ」

 粉砕されたのはヘルガの左手。原型の欠片もなくぐしゃぐしゃに潰された光景は、まさに自分が重ねてきた多くの業、その光景と完全に合致していた。今度は、己の番。

「ぐ、ぐぎゃぁぁぁああああああああああああああああ!?」

 噴き出る鮮血。痛みにのたうつ敗者。

「限界まで鍛えた者同士、勝負を決めたのは瞬発力。俺の速度が優った。それだけのこと」

 握力はウィリアムの方が劣るだろう。しかし、最大にまで至る速度でウィリアムが優った。ヘルガの力が伝わる前に相手の根本を粉砕していたのだ。所詮、肉と骨、それを破壊できる力があればそれで事足りる。

「今の俺ならば造作もない」

 ヘルガは身体が凍りつくほどの絶望を覚えた。ウィリアムの意図がようやく理解できたのだ。自分が、自分の土俵で、自分の出せる最高をぶつけて、敗れ去る。その最大を狙った。あの表面上の怒りはすべて贋物。本当は遥か高みから――全てを睥睨していた。

「人には格というものがある。どれだけ金を積んでも、貴様らではこれだけの数の暗殺者を、暗殺ギルドそのものを動かすことなどできん。それは現王家とて同じこと。ウィリアム・リウィウスこそ闇の王が認めた唯一にして絶対、真の王だ。もはやそれは確定された未来も同じ……一度は闇に浸かった身のお前ならばわかるだろう?」

 ヘルガは絶望に震える。それは肯定も同じであった。全ての牙を失い、縋るべき光はすでに壊れかけている。自分が支えねばならないのに、支える手を失ってしまった。それが絶望、もはや自分は侯爵の役に立てぬ存在へと成り下がってしまった。

 そこで弱さが芽生えるのをウィリアムは見逃さない。

「さて、侯爵。ご覧になられた通り、私にとって一番憎い敵はこの女なのです。彼女は許せない。しかし、侯爵は別です。私は貴方を憎むと同時に、同じくらい父として慕っている気持ちもある。今、私は揺れています」

 ひとつも揺れる所作も見せず、雑な芝居をするウィリアム。そんな雑な芝居ですら、絶望の一歩手前で壊れた振りをする男には効果を発揮する。

「ど、どういうことかね?」

 ウィリアムは優しく微笑んだ。それは見るものを蕩かす魔性の笑み。

「私は貴方を殺せない、と思います。されどこの胸に宿る怒りを静めるためには、生贄がいる。そこでひとつ提案がございます」

 それは、悪意の笑みである。

「貴方に絶対の忠誠を誓う従者、ヘルガ。彼女は長年貴方に仕えてきた、いわば右腕でしょう。それを貴方の手で殺すか、貴方の命で救うか。一方は生き、一方は死ぬ」

 万全のヘルガであれば此処で自らの死を願い出ただろう。それほどにこの女の独占欲は強い。ヴラドに自分を刻むため喜んで命を差し出したはず。だが、弱った心は別。牙を失い、アイデンティティを喪失したただの女ならば――

「なんだ、簡単ではないか」

 一瞬、ヘルガは期待してしまう。平常心であれば一抹も抱かぬ希望。先の見えない深淵、道の潰えたそこで、ヘルガは夢を見てしまう。

「その女が死ぬ。私が生きる。簡単な話だ。私は貴族で、そいつは召使。とても簡単な話ではないか。主のために尽くすのだヘルガ。嗚呼、私のかわいいヘルガよ」

 どん底近くまで叩き落され、理性をの欠片すら失ったヴラド。よろよろとにやけながらヘルガに近づいていく。ヘルガは、ゆっくりと首を振った。いや、いや、と。

「愛しているぞ、ヘルガ」

 その愛は、決してヘルガの求めるものにはならぬと知る。その愛はヴラドが自身を守る方便で、その愛の形は便利な道具に向けるもの。自分ははさみ、ただのはさみ。理解していたはずだった。しかし土壇場で噴出してきたのは、本当の願い。

「此処にはいくらでも道具が揃っています。さあ、生きるため殺しましょう。仕方がないことです。だってそれは最愛じゃない。守るべきものはいくらでもあります。そいつの替えなどいくらでもいるじゃないですか。そうでしょ、御義父さん」

 ヴラドは「それもそうだ」と壁に立てかけてあった大きなはさみを持つ。明らかに日常の用途ではないそれを、自分に忠誠を誓っていた部下へ向ける。狂った光景である。

「侯爵がやり易いよう押さえつけろ」

 暗殺者たちがヘルガを押さえつける。ヘルガは暴れることをせず、ただ虚ろに自分の最愛に目を向けていた。その最愛はヘルガを容易く殺せると言う。此処まで尽くしてきた。侯爵のためならば何でもやった。

 あの日、傷だらけの自分を拾ってもらったあの日から――

 あの女が死んで、ヴラドの心に付け込む隙が生まれた。自分だけのものとするため、悪意の種をまいた。発芽はすぐであった。欲望の獣に堕ち、その隣にはいつも自分がいる。自分こそ絶対にして唯一の理解者。居心地のいい夢の世界。

 突如現れた女が夢を破壊しかけたが、逆にその女を破壊してやった。ヴラドに諫言を吹き込み、女が貴族の男と会っている現場を押さえさせた。これが決定打、侯爵は完全に自分の側に立った。弱きものの血にまみれる強者の世界へと。

 もう夢は壊れない、はずだった。

「夢は終わりだ。精々、主に尽くせよ」

 ヘルガが呆然としている間に、ヴラドははさみでヘルガの足を切った。血でさびているのかなかなか刃が通らない。「あれ? おかしいなあ」とヴラドは首をひねる。遅れてヘルガの絶叫が部屋にこだました。その声は誰にも届かない。他の者達同様に。

「少々、暴れ過ぎていますね。どうです? 一本いっておきますか?」

 ウィリアムが差し出したものをヴラドは嬉々として受け取った。はさみを投げ捨て、それを両手に持ち、おもいっきりヘルガの身体越しに地面へ叩きつけた。腹に打ちつけられたのは一本の大きな杭。「あがっ!?」とヘルガの身体がはねる。

「もう一本だ。私に任せておきなさい。こういうのは得意なんだ」

 ヴラドは熱に浮かされていた。もはやヘルガのことをヘルガと認識すらしていないだろう。相手はいつもの肉人形。何を想うことがある。いつも通り壊せば、それだけでこれからも末永く生き、喰らえる。きらきらしたものをたくさん。

「アァァァァッルゥゥゥゥウウウ! よぐも、よぐもわだしから、いぢばん、だいじなァ、だいじなものをうばっだなァァァアアア!」

 ヴラドはそれを聞いてすらいない。またひとつ杭を打ち込む。その度に舞う鮮血。刺さった杭がしっかり地面に突き立つよう、ハンマーを念入りに叩きつける。

「ゆるざん、ゆるざん、のろっでやる、のろっでやるぞゾぞゾぞォガァァアア!?」

 弾む身体。杭が骨に引っかかったままハンマーで――

「よし、ここではさみだ。この腹をさばく瞬間がたまらんのだぞ」

 ヴラドは高揚していた。助かった安堵といつもの享楽に溺れて。

 ウィリアムは目の前で繰り広げられる滑稽な喜劇に苦笑していた。きっと、彼らの根っこは自分やヴィクトーリアとそう変わる物ではないのだろう。愛して欲しい、愛されたい、愛したい。違うのはやり方だけ。

 アルとヴラドは似ている。どちらも対象をひたむきに愛し、それを失い狂った。ヴラドはその虚ろを他者に向け、アルはその虚ろを自分に向けた。それは人物の違いではなく、きっと立場の違いなのだろう。アルには他者に向けようともそれだけの力がなかった。

 結果、積み上げた業に大差はない。因果応報にてヴラドが滅ぶなら、ウィリアムもまたいずれ滅ぶだろう。そんなことウィリアムは百も承知である。

 ヴィクトーリアとヘルガは似ている。どちらも愛された記憶は薄く、愛されたいと強く願った。ヘルガもヴィクトーリアも手段を選ぶことをしなかった。ヴィクトーリアは持てる全てを対象に注ぎ、ヘルガは持てる全てを対象のために他のものから奪った。

 結果、どちらもエゴを通して滅ぶ。

(いや、あいつは選んだ相手が悪かっただけ。あいつの手は真っ白だ。俺たちと並べるには美し過ぎる。来世は、少し賢しく生きてみろ。良い人生が送れるはずだ)

 目の前で繰り広げられる惨劇を想う。

 やり方が違えど結果はいつか収束するだろう。ウィリアムは哂う。この光景はいつかの自分なのだと。これが業にまみれたモノのたどり着く未来なのだと。

「あ、い、じで、いま――」

「あーもう、動くでない!」

 杭が突き立つ。左目の虚ろと共に、アルレットの幻影と共に――

 握魔、滅ぶ。

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