復讐劇『急』:悪癖の館

 ウィリアムは雪がちらつく裏通りを疾駆する。この時間を縮めれば縮めるほどに完成する偽証。普通の人では考えられない速度で時間を縮めていく。裏道、屋根伝い、路地ひとつを屋根から屋根へ飛び移りカットしていく作業は昔とった杵柄。

「屋敷の方に見張りはいるか?」

「腕利きを五名配置している。警備が遺体発見等動きを見せたら全滅させる手はずだ」

「わかった。だが、燃やすのは此方が火に呑まれてからだ。出来るだけ時間差が要る」

「承知している」

 さすが最強の暗殺者はウィリアムの速度についてきていた。逆に言えば最強以外はついてくる事すら出来ない速度。以前までもこういった動きは早かったが、今の速度は人外のそれ。鎧をまとわねばファヴェーラにも匹敵しかねない速度である。

 小火の煙が数本立ち上る先に目をやる二人。

「妙な気配が……ヘルガだけじゃないのか?」

「ヘルガとヴラド含めて十五名。最近増えていた胡散臭い家人とやらが詰めているな」

 白龍は驚いた顔になる。暗殺者の己でさえ曖昧にしかわからぬ気配。それを全て明確に掴んだと言うのならば、やはり異常な感覚を得ている。先ほどから感じる冷たさ、虚空は徐々に拡がりを見せ、隣に立つ白龍をも飲み込まん勢いで拡大している。

 今まで完璧と思えていた白騎士が児戯に見えるほど、現在の男は進化しつつあった。

「段取り通りでいい。所詮あの女が集められる程度の駒。今の俺でなくとも遅れは取らん」

「御意。俺は一旦、周囲の掃除に赴く」

 白龍は道を逸れた。これもまた計画通り。今日の夜を決行日と設定してあったわけではない。だが、ずっと前から『この夜』は計画されていた。最愛を失うことから始まる『はじまりの夜』。これは覚悟の日である。そしてヴラドは贄でしかない。

「御機嫌よう、ヴラド侯爵。今日は良い日だ」

 ウィリアムは眼下に広がる小さな庭付きの屋敷に声をかけた。そこはヴラド侯爵の別邸、貴族の遊び場であり、凄惨なお人形遊びが繰り広げられる場所。アルレットを、マリアンネをさらった者たちの最愛を、尊厳の欠片も残さず蹂躙した悪意の館。

 ウィリアムはほんの一瞬、背後を見る。其処にできた道を、其処にたたずむ者を見て苦笑した。案ずるな、最高の夜にしてやる、と。ウィリアムは自分にこびりついた雑事を終わらせるため動き出す。ファヴェーラを救うため請け負った仕事。それだけではない感情は、まだ存在している。それもまた王にとって不純物。切り捨てねばならない。

 幼き日に芽生えたはじまりの絶望に決着を。


     ○


 ヘルガの眼前には頭部が圧し潰れた肉の人形が横たわっていた。主人に内緒で仕込んだ部下たちも良い働きをしている。これで屋敷に侵入した愚か者たちは全滅しただろう。彼らはヴラドの悪意を持つ者たちで構成されていた。素人集団、されどその数はかなりのものである。それら全てを死体に変えるにはそこそこ時間を要した。

 被害は数名の部下を失ったこと。それと屋敷に軽い小火が発生したこと。それだけである。五十名を超える集団の成果がそれだけでしかなかった。

「何故この屋敷がバレたのでしょうか?」

「人形を運ぶ時に見られたか、それとも内部からリークがあったか」

「ありえません。私たちはヘルガ様に絶対の忠誠を誓っております」

「お前たちじゃない。テレージアを筆頭とする女共、もしくは――」

 ヘルガの口元が歪む。ヘルガもまた今日という日を待っていた。今、屋敷の至るところで横たわる屍骸を動かした張本人。この屋敷のリーク元など一人しかいない。ようやく因縁に決着をつけることができるのだ。

「殺して、やるぞォ。アルレットの弟ォ」

 ヘルガは左目の眼帯を外した。そこにある眼は己のものではない。光を映すことなく、深淵のみを映す死者の眼。アルレットの眼で終わりを見る。最高の意趣返しである。

 部下の一人が音もなく近づいてくる。

「ヘルガ様、正門から……あの男が現れました」

 その報告にヘルガは満面の笑みを浮かべた。今日、全てが終わる。


     ○


 ウィリアムは堂々と屋敷に入る。当たり前のように門をくぐり、息ひとつ切らせずその場に立った。いくつかの小火はすでに消されているが、濃密な死の気配が此処で起きた惨劇を物語っている。そもそも庭にまだ死体が倒れているのが何よりの証左。

「ウィリアム様、どうしてこちらに?」

 息を切らせて走ってくる使用人。見た目にはただの使用人にしか見えない。

「小火が見えたのでな。急ぎ此方に参った。侯爵は無事か?」

「ヘルガと共に地下通路から脱出されました。隠れていた使用人以外は全員――」

 悲しみに眼を伏せる使用人を見てウィリアムは微笑んだ。

「大変だったな。残党がいないか確かめよう。俺について来い」

 ウィリアムは悲しみにふける使用人を引き連れて歩を進めた。その背後で使用人がほくそ笑んでいることも知らず――

「随分と殺したようだな。なかなか腕の立つ使用人がいたようだ」

「私たちはある程度護身を学ばされておりますので。しかし多勢に無勢で。ウィリアム様も御服が汚れていらっしゃるようですが」

「道中でな。この状況だ、怪しきは切るさ」

 明らかに使用人の死体が少ない。それでも疑う様子も見せずウィリアムはどんどん歩を進める。一番上の階を確かめてから、下へ下へと。

「ウィリアム様、此方の部屋から人の声が」

 地下の一室。確かに其処から人の気配がもれていた。ウィリアムは頷いてドアノブをひねり、扉を開放。そして部屋に立ち入った。使用人は満面の笑みと共に扉を閉めウィリアムを閉じ込めた。此処が殺し間。腕利きが詰める必殺の――

「やりましたヘルガ様。これで……あ、あなた、は、あ、へ?」

 使用人は自分の腹に突き立つ白刃を見る。木の扉を内部から突き破り剣が使用人の腹を捉えていた。すかさず逃げようとするも、剣が跳ね上がり使用人を縦に裂く。

「ヘウあが、ががががざまあああああ!?」

 そのまま絶命する使用人。そして内部でも――

「な、なんだこの化け物は?」

 素手で肉を引き千切る怪物が零度の笑みを愚者たちに向けていた。

「お前たちは俺を逃がさぬために地下を選んだ。想像力の欠如だ。そういった要因は全て貴様らにも跳ね返ってくるというのに。此処は殺し間、貴様らにとっても、俺にとっても同じこと。理解できたか、偽の灯に群がる羽虫ども」

 ウィリアムは自分の内側にみなぎる力を感じていた。ようやく十全に己を引き出せる。代償がこの程度の痛みなら安いもの。普通の者ならば狂うほどの痛みも、最愛を失った痛みに比べれば大したものではない。

「馬鹿が。俺たちが死んでも、この屋敷にはまだ人が潜んでいる。彼らが生き証人だ。俺たちを殺し、復讐者をけし掛け、ヴラド様に弓引こうとした大罪人――」

「この屋敷はすでに包囲してある。生き証人? く、くはははははは! お前ら本当に理解が遅いな! この俺が動いたんだぞ? アルカディア最高にして至高の、王となるべき男が、だ。何で生き延びられるとたかをくくる?」

 ウィリアムの言葉に驚きの目を向ける使用人に扮した暗殺者たち。

「今日という日に俺は大枚を叩いた。俺の財産、商会の利益から幾ばくか……暗殺ギルド総動員だ。お前らも、屋敷に潜む者も、外に配置してある連中も、地下通路から逃げているヴラドやヘルガも、全員逃がさねえんだよ。今日お前らは死ぬ。理解しろ」

 ウィリアムは背後の剣を引き抜き、それを自然な、しかし誰の眼にも映らぬ速さで投擲した。先ほどまで言葉を放っていた暗殺者の頭部が爆ぜる。そのまま壁に剣ごと突き立つ姿は虫の標本のようであった。

「お前らが選べるのは……死に方だけだ。無様に死ぬか、哀れに死ぬか、格好良くなど死なせない。わめき散らせ、死に悶えろ。恐怖せよ、俺が死だ」

 断末魔が吹き荒ぶ。此処は地下、彼らの遊びと同様に、悲鳴は地上に届かない。彼らの業が全て彼らに跳ね返ってくるのだ。ウィリアムは嬉々として新たに手に入れた力を振るった。人の頂点、十全たる真の限界地。十割の世界である。

 肉も骨も鉄すらも、目の前の頂点が操る暴力の前には無力。

 絶対零度の絶望が彼らを塗りつぶした。


     ○


 ヴラドとヘルガは地下通路から逃げていた。ヘルガは懇々と状況を説明して、何とか侯爵の理解を得たのだ。復讐者たちから聞きだした話の中には、ウィリアムの影がちらついていた。未だ半信半疑だが、丸め込める方法はいくらでもある。とにかく自分たちが生き延びたならどう転んでも勝てるのだ。

 ウィリアムが死んでも残党に殺されたとしてよし、ウィリアムが生き延びても使用人たちを殺した罪を着せることが出来る。彼らが腕利きの暗殺者だとヴラドは知らない。知っているのは下賎な者共が全滅後、生き延びた使用人がいたことのみ。彼らが死ねば多少の懸念は発生するだろう。それは種であり、悪意を垂らせばすぐさま咲き誇る悪の華である。

(外にも証人と出来る人員は配置した。これで私の勝ちだ、アルレット)

 ウィリアムの躍進をよしとしない文官は大勢いる。裁判となっても悪い賭けではないだろう。何よりも親代わりであるヴラドを裏切った罪は重い。重くなるよう印象付けてやるとヘルガはほくそ笑む。

「ウィリアムくんが私を裏切るとは思えんよ。何かの間違いではないかね、ヘルガ」

 まだヴラドに揺らぎはない。しかし一時の恐怖が妄信を忘れさせていた。

「その間違いを確認するために今逃げているのです。連中を扇動した人物が白騎士であるならば、その理由はひとつしかありません」

「先ほど言っていた、アルレットの弟、と言う話か? いささか荒唐無稽が過ぎると思うがね。誰にも知られることなくそんなことが出来るはずがない」

 すでにヘルガはこの機とばかりにウィリアムの正体についての推論を語っていた。はじめは一笑に付していたヴラドだが――この状況ゆえいくつかの引っ掛かりがあったのも事実。冷静になれば多少おかしな部分は確かに見受けられた。もちろんそれですぐさま信じられるほどウィリアムへの信頼は安くないが。

「誰にも出来なかったことをやり遂げてきた男です。不思議はないでしょう。それに、ヴラド様を選んだ理由、ヴラド様でなくてはならなかった理由、この推論であれば色々と説明がつくでしょう? まあ、これはすぐ明らかになります。今日は――」

 先導するヘルガは急に足を止めた。後一歩で断崖絶壁があるかのように。

「――今日は、全てに決着がつく日だ。そうだろう? 『握魔』よ」

 眼前に立ち塞がる絶壁、その名は白龍。暗殺ギルドが誇る最強の暗殺者。

「何故、この道を」

「闇の王が知らぬ深淵など存在しない。たとえこのような浅瀬であっても、だ」

 ヘルガは顔を歪める。全盛期であっても十回やって一度勝てる程度。現役ではない自分が容易く抜ける相手ではない。主への想いを糧にして限界を超えてなお分は悪い。

「お逃げくださいヴラド様。屋敷には私の部下が詰めております。此処よりは安全かと」

「お前の部下? 何を言っている? あそこには使用人しか」

「お逃げを!」

 ヘルガの剣幕に圧されてヴラドは後ろへ下がっていく。それを悠々と見逃す白龍。哂う余裕すらあった。

「……余裕のつもりか、『殺鬼』ッ!」

「いや、ただな――」

 何の気なしに踏み出した一歩。ヘルガは警戒を強めた。強めた警戒すら掻い潜り――

「俺は後ろの方が怖い、と思っただけだ」

 白龍の拳がクリーンヒットする。間合いを詰めた様子もなく気づけば距離がゼロと消えていた。「ゴブッ!?」と吹き飛ぶヘルガ。肺の空気が全て大気に放出された。

「まだ俺は拳だ。せめて三本目くらいは使わせてくれよ」

 白龍は拳を鳴らす。己が力によって骨同士が軋む音を奏でる。

「闇の王の犬が……調子に乗りやがってェ」

 ヘルガもまた指を鳴らした。自慢の握力、そして体捌き。頭に浮かべるは愛する己が主の姿。これで良い。これで入れる。暗殺者としての全盛期でさえ入れなかった境地。歪んだ愛が与える力。

「私はヴラド様の盾、あの方をお守りする唯一の存在だ!」

 ヘルガは人外の動きで狭い通路を縦横無尽にはねた。天井、壁、高速で跳ね回りながら膂力のみで重力を超えた動きをする。狭い空間であれば無敵に近い。

「ほう、体捌きは全盛期を超えるな」

 すれ違い様にヘルガは白龍の腿肉をそぎ落とす。硬さと柔軟性が絶妙なハーモニーを奏でる肉。最上級のそれをこねくり回す。やはり愛の使途たる己は強い、と。

「だが、俺もまたお前の知る当時より強い。少しは楽しめそうだ」

 ヘルガの頬の一部が壁に付着していた。白龍は指一本のみを立てた抜き手で肉を穿つ。ヘルガは自分の頬を触る。大事な顔に傷を付けられた。その怒りたるや――

「殺してやる。殺してやるぞ白龍ンッ!」

 憤怒のヘルガは最大の殺意を持って敵に向かう。


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