復讐劇『急』:騒がしき団欒

 冬季と言うのは何処もすることがなくなる。特に雪が降り積もれば、やれることは大幅に限られてくるのだ。今日はアルカスに十年に一度の大雪が降り注いでいた。例年よりも一週間ほど早い冬の訪れは、いきなり強烈な抱擁をぶつけてくることとなる。

 雪かきに勤しむもの以外家から出ている者は皆無。商店など何処もやっていない。

「かんいっぱつだった。ここでねてなかったらしんでた」

(このガキ、狙い澄ましたかのように家に潜り込んでやがった)

 マリアンネは「あぶないあぶない」とわざとらしく汗を拭く真似をしていた。

 昨日学校をサボってウィリアムの家に逃げ込んだマリアンネ。ウィリアムが帰宅後壮絶なかくれんぼの末、ウィリアムの衣装棚に隠れていたマリアンネを発見したのは日暮れ。双方にとって運良く、運悪く、日暮れ前に大雪が降り注いだ結果、帰宅不可能となってしまった。

 ウィリアムがあっちに行けばちょこちょこと着いてくる。こっちに行ってもちょこまかと着いてくる。ウィリアムが椅子に座れば、そのひざの上に登って来て当たり前のようにその懐に収まるのだ。

「……学校は楽しくないか?」

 仕方なく話題を振るウィリアム。することがない、というよりも出来ることがない。

「たのしいよ。クロードはばかだし、ベアトリクスはえらそうだし、しんじんのラファエルはまじめばかだし……イグナーツはこわいけど。メアリーはなかいいな。よくお菓子あげてる。マリアンネもいっしょにたべてる」

 挙げている人物名をウィリアムは頭に思い浮かべる。クロードとメアリーはガリアスで手に入れた孤児で、負けん気の強いクロードと盲目のメアリーは仲が良い。ベアトリクスはオスヴァルトの娘でギルベルトの妹。世間話の中で学校を作っているとベルンハルトに言った際、娘を入れて欲しいと頼まれたことが契機であった。それがウィリアムとの最後の会話であったことも思い出深い。イグナーツはなかなかに苦労しているようである。集めた人材は生命力こそ高いが癖の強い子供ばかり。手懐けるのも一苦労であろう。

 そして最後の一人、ラファエル。彼はある意味で最も厄介な生徒であり、ウィリアムにとって最も重要な存在でもあった。先日の昇進式にて初めて第一王子フェリクスと会話し、その中で何故か王子の耳に入っていた『ウィリアムの学校』へ、自分の息子を入れてくれと打診があったのだ。第一王子の長男という立場は明らかに持て余すこと必至。最初はやんわりと断る姿勢を見せたが、フェリクスが押し込んで入学を決めさせられた。

 皆には立場を伏せている。それを広めることはフェリクスにとっても本意ではなく、暗殺の危険性も増大することとなる。それをイグナーツ一人に守れといっても酷な話であろう。何よりも特別扱いは学校の意味が薄れてしまう。その辺りはフェリクスに了承を得ているし、その保証がなければ怖くて第一王子の息子など預かれない。

「楽しければ良いんだが……よくサボっているらしいからな。詰まらんのかと思っていた」

「あそぶのはたのしいけど、じぎょー中はみんなギラギラしててこわいんだ。とくにクロードがこわい。あのめは、こわいからきらいだなあ」

 マリアンネと他のものでは確かに姿勢が違うだろう。否、おそらくはマリアンネのみならずベアトリクス、ラファエルも同じ気持ちを味わっているはず。それだけ底辺にて生き抜いてきたたくましさと、そこからどうにかして開放されようとする熱情は、彼らの生きてきた世界にはなかったものであろう。

「あいつは必死なのさ。生きるだけじゃ足りない。生きて、這い上がって、自分の価値を証明する。それが生かされた者の務めだと子供ながらに考えている」

「クロードはばかでいいのに。みんなそのままでいいのに。こわい顔つづけてるとつかれるとおもうのに。マリアンネはもっとたのしくいきたいよ」

 ウィリアムはマリアンネの頭を撫でてあげた。くすぐったそうに笑うマリアンネ。彼女には想像もできないだろう。必死でなければ生きることすらかなわぬ世界を。それを知ったところで貴族の娘として生まれた以上、同じ存在には成りえない。

 理解は叶えど、納得は遠い。それは仕方がないことである。

「ウィリアム! マリアンネ! お外で雪遊びをしようよ!」

「……寒いのに冗談だろ?」

「よーし、マリアンネのほんきをみせてやる!」

「嫌だ。寒い。俺は此処で本を読んでいるから――」

「「行くの!」」

 ずるずると引っ張られていく若き英雄、白騎士。彼もまた他の亭主と同様に妻の勢いには勝てなかったのだ。加えて妹まで増えた日には抗うすべもない。

「雪合戦だぁぁあああ!」

「俺はかまくらを作る。何人たりとも邪魔をするな」

 せめてもの抵抗とばかりにかまくら作りと称したトレーニングを行うウィリアム。雪に足を取られることで発生する負荷、大量の雪を持ち上げる負荷、上半身下半身共に鍛えられる全身トレーニングである。

 もちろんそんなことは許されず――

「とっつげきー!」

 雪まみれになったヴィクトーリアとマリアンネが突っ込んできて、製作途中のかまくらごとウィリアムを吹き飛ばした。粉砕されたかまくらを見てちょっとしんみりするウィリアム。製作する中で愛着が生まれていたのかもしれない。

「おい、また太ったか? ちょっと重いぞ」

 仰向けに倒れたウィリアムの上に乗っかるヴィクトーリア。

「マリアンネも乗ってるからだよ。私はむしろ痩せたもん。もう、あ、あのドレスが着れるくらい」

 その顔は少し赤らんでいた。動きすぎて疲れたのか、それとも頭の悪いなりに含みのある言い方をして、気づくかどうか緊張しているのか――

「ドレス、着れるようになったのか?」

「ん、まあ、少し頑張って、入るようになった感じだけど」

「なら、もう少し痩せろ。一週間も要らんな」

「え、と、それって」

「一週間後、式にする。それなりに人を集めるからな。別に礼儀作法をどうこう言うつもりはないが、せめてドレスくらい着こなして見せろ。後は笑っとけばそれでいい」

 ヴィクトーリアはウィリアムの胸の上にことんと頭を乗せる。顔は真っ赤で笑顔が迸る。幸せそうな、本当に満たされた表情。乗っかられているウィリアムもマリアンネに弄られる位には顔を赤らめている。

「一週間後、そっか、覚えていて、くれたんだね」

 それは、初めてヴィクトーリアと対面した日。突如、角から現れて抱きついてきた不届き者。当時、彼女と結ばれるなど露とも思っていなかった。あの日とは景色が違いすぎるが、暦の上では確かに『冬の始まり』。ウィリアムと言う零度が侵され始めた、その日がもうすぐ来る。


     ○


 大雪から六日が経った。すでにほとんどの雪は解けて消え、冬季とは思えない朗らかな陽光が降り注いでいた。ベルンバッハの屋敷では姉たちが大忙しで駆けずり回っている。その中心にいるのはベルンバッハ一の問題児であり、誰よりも愛されている九女、ヴィクトーリアの姿があった。

「……ちゃんと痩せたみたいね」

「えへへ。この一週間はお菓子を抜く覚悟だったからね」

 四女のヴィルヘルミーナはヴィクトーリアの着付けを。長女のテレージアは化粧を担当する。他の姉や妹たちも嫁に行ったものも含めて、手の空いている者たちは全員集っていた。ベルンバッハの家人には極力近寄ろうとしない次女や三女ですら、顔を見せたことがヴィクトーリアへの評価の高さをうかがわせた。

「こらマリアンネ! つまみ食いなんてはしたない! エルネスタお姉さま、しつけがなってないのではなくて?」

 十一女の叱責が飛ぶ。十女のエルネスタよりも早く婚約が決まり家を出た姉妹。規律に厳しくヴィルヘルミーナに似た少女である。当然マリアンネは苦手としていた。

「ふごふごふご」

 お菓子を大量にほおばり戦術的撤退を敢行するマリアンネ。それを悪鬼羅刹の如く追う十一女の姿を見ると、ほんの数年前とはいえ遠い昔にいるような錯覚を覚えてしまうのだ。

「家族みんな揃って、わいわい騒いで、やっぱりにぎやかなのが好きだなぁ」

 ヴィクトーリアはニコニコと久方ぶりに喧騒を取り戻したベルンバッハの屋敷を思う。姉が減り、妹まで嫁に行った。姉妹の残りは三名。ヴラドは最近ほとんどこの屋敷に戻ってきていない。少しばかり、三人にこの屋敷は広すぎたのだ。

「随分と慌しいな。出直した方が良いか?」

 そんな喧騒にまぎれてウィリアムがベルンバッハの屋敷に現れた。混沌としていた屋敷内が一瞬にして静まり返る。テレージアを筆頭にずらりと並ぶベルンバッハの華々。皆優雅に一礼を披露する。優雅にて壮観である。

「にいちゃーん!」

 飛び掛ってくるマリアンネ以外は。その様子に絶句する姉たち。テレージアとエルネスタは頭を抱え、ヴィルヘルミーナは拳を鳴らす。笑っているのは飛びついてきた本人と着付け中のヴィクトーリアだけである。

「こ、この馬鹿マリアンネ! 自分が何をしているのかわかっていますの!?」

 十一女は誰よりも早くウィリアムに向けて頭を下げる。

「愚妹が粗相を致しまして誠に申し訳ございません。まだ幼子ゆえどうかご容赦を」

 ウィリアムは十一女の対応に涙がこぼれそうに成っていた。普段礼節と言う言葉を知らない二人に囲まれて過ごす内に感覚が麻痺していたが、貴族の淑女とはかくあれ、これが普通なのだ。ヴィクトーリアとマリアンネがおかしいのだ。

 それを確認できただけで今日の価値はあった。

「にいちゃんはきにしないもんねー」

「気にする。だから離れろ」

「やだー」

 脅威の跳躍力で首に巻きついたが最後、絶対に放すまいと意地でぶら下がるマリアンネ。それを面倒くさそうに振り回し消極的に落とそうとするも、これでは単なるアトラクションである。遊具で遊んでいる風にしか見えなかった。

 気づけばマリアンネはウィリアムの身体をよじ登り、肩車の体勢になっていた。この状態から振り落とせば遊びで済まないので、マリアンネの根勝ちとウィリアムは諦める。

「し、叱責なされないのですか?」

 その様子に驚き戸惑う他の姉が問うた。

「この二人へ礼節を説く気にはなりませんよ。まあ私自身それを必要と感じてはいませんので。必要となれば人は学ぶものですし、マリアンネがそう感じていないのならば必要ないということ。どちらにせよ私に気を遣っても仕方がないでしょう?」

 マリアンネを首にくくりつけ平然としているウィリアムに普段顔を見せない皆は驚いた。驚くのも無理はない。ウィリアム自身今の言葉が口に出ることへの驚きはあった。たぶん本当の自分はこういうことをしたかったし、される未来を望んでいたのかもしれない。

「だいぶおしゃれさんだね、ウィリアム」

 明日のドレスに袖を通しているヴィクトーリア。純白のそれはとても良く似合っていた。それほどに素晴らしい出来のドレスですら、ヴィクトーリアという人間には敵わない。

「お前は何を着てもヴィクトーリアなんだな」

 ウィリアムの返しに「むー」と口を膨らませるヴィクトーリア。怒っている振りをしているも笑顔が隠せていない。

「……かわいいとか綺麗だとか、こういう時くらい言ってもいいと思うよ」

「俺にとっては最上級の褒め言葉のつもりだったんだがな」

「えへへ、知ってる」

 結局破顔し、いつものヴィクトーリア。それを見るたびあたたかいもので満たされる器。それは溢れんばかりに器の中で波打つ。それを背負い生きるのもまた強さ。最近、そう感じるようになった。なってしまった。

「今日の予定は?」

「お姉さま方はいったんおうちに戻られて、エルネスタはテレージアお姉さまの家に、マリアンネはガブリエーレの家に預かってもらう手筈だよ」

 首に巻きついていたマリアンネはこの世の終わりのような顔をした。背後では十一女ことガブリエーレが猛禽の瞳でマリアンネを射抜く。「しつけをしなきゃ」「あの子のためですわ」とぶつぶつ呟く様は、対象のマリアンネでなくとも恐ろしい思いになる。

「ヴラド侯爵は?」

「さっきまでいたけど、どこかに行っちゃった」

 ヴラドの行方はわかっている。あの場所しかない。ウィリアムを完全に手中に収めることへの昂ぶりが抑え切れなかったのだろう。相変わらずどうしようもない男である。

「となるとヘルガたちも一緒か。参ったな、警護の頭数が足りない」

「白騎士様が一緒だもん。警護なんて要らないよ」

「前夜だから別室だ。まあ王家の結婚でもなし、確かにそれほどの警護はいらない、か。最低限は俺の部下も配置しておこう。これで完璧だ」

 結婚式前夜。ベルンバッハの華々はもちろん。ウィリアムの部下、同僚、大勢が集う結婚式が迫っていた。幸福に上限があるとは限らないが、もしあるとするならば、ウィリアム・リウィウスにとって明日こそが最上の時となろう。幸福が極まり、今までの不幸全てが露と消える黄金の刹那が後一歩のところまで――

 正しき道は何処か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る