復讐劇『急』:それぞれの想い

 ウィリアムとの踊りが終わった後、ヴィクトーリアの周りには多くの人が集まってきた。皆、ヴィクトーリアを褒め称え、我も我もとダンスの相手を申し込む。ウィリアムの方を伺うような視線を向けてきたので「ほどほどにな」と言って隣を明け渡した。

 今のヴィクトーリアなら多少の粗相は魅力の上乗せにしかならないはず。音楽が再開し皆がまた動き出す。相方を換え、緩やかな音楽と一緒に全体が揺らめく。ヴィクトーリアも他の者たちとそこそこ上手くやっているようであった。

「隣、良いか?」

 ウィリアムは隅っこでじっとしていたルトガルドの隣に立つ。ルトガルドは無言でこくりと頷いた。懐かしい雰囲気、ほんの一年前はアルカスにいる間、毎朝毎夜何をするでもなくそれはそばにあった。

「すごく綺麗でした」

 ウィリアムはルトガルドの表情をあえて見なかった。女性なら、誰だってあの理不尽の塊に何か言いたくなるだろう。それを押し殺している顔は見て欲しいとは思うまい。

「ありがとう。ルトガルドは踊らないのかい?」

「あまり踊りは得手でないので」

「そうか」

 会話が途切れる。されどこの静寂をウィリアムはとても好ましく思っていた。息苦しい沈黙とは対極の、心地よい静寂の世界。音がどんどん遠くなっていく。華やかなりし世界はすでに彼岸の彼方。

「ご婚約おめでとうございます」

「めでたいのかめでたくないのか……まあそもそもとして一緒に住むことになった時点でこれは規定路線だろう。ただ逃げ切れなくなっただけさ」

「そうでしょうか? とても幸せそうに見えますけれど」

「そう見えるなら君の眼も随分節穴になったものだね」

 ウィリアムは軽口で返し、ルトガルドはくすくすと笑う。

 華やかな世界の隅っこで二人はちびちびと酒を飲み交わす。何処までも自然体、気の使う必要のない間柄。だが――

(今となってはそれが一番恐ろしい)

 それが出来るのは、ルトガルドがウィリアムと言う人間を完全に近いレベルで理解しているから。理解し、絶対に線を踏み越えないが、誰よりも境界線の近くでたゆたうのがルトガルドと言う存在である。

 ずっと、この娘は自分を観察し、ウィリアム自身よりも己を理解していた。

「でも、そうですね。確かに私の目は節穴かもしれません」

 そのルトガルドが、今まで見せたことのない表情を浮かべる。視線の先には――

「私は、最後の最後まであの人を見極めることが出来なかった。どうせ見当違いの方向に踏み込むだけ、理解も、共有も、遠い存在だと、思っていました」

 ウィリアムはぞくりと肌が粟立つ感覚を覚えた。ルトガルドの表情、声色、端々に見えるのは本気の殺意。これを殺意と呼んでいいのかもわからぬほど、凝縮し濃度の高い視線を一人の女性に向けていた。

「でも、違いました。あの人はわかっていて踏み込んだ。理解ではなく、感性だけで正解を掴み取った。そんな人がいるなんて、私は想像すらしていなかった」

 溌剌と舞う彼女はとても輝いている。しかし、先ほどただ一人の男のために舞った時の輝きとは比較にならない。そういうところも、ルトガルドを苛立たせる。

「私は負けたんです。覚悟すら、劣った。それだけが許せない」

 この独白を聞いて、ルトガルドが己を理解しているとウィリアムは確信を持った。どうしても知っておきたかった、自分を理解しているであろうもう一人の女性の真意。ただ、この分だとそれは拝めそうにない。

 たぶん彼女は理解し過ぎているのだから――

「勝ち負けで言えば、君の勝ちだと思うぞ。この世は賢いほうが勝つ」

「いいえ、賢いだけの女には何も掴めない。負けて、それを痛感しました」

 初めて触れる剥き出しのルトガルド。まだ先がある。それが恐ろしい。

「私には踏み込む勇気が、覚悟がなかった。まさか、わかっていて踏み込む愚者がいるとは思っていなかったから。後先とか考えちゃ駄目なんです。私は彼女に教わりました。本当に欲しいものは、無謀であっても手を伸ばさねば届かないのだと」

 ルトガルドはウィリアムに向けて手を伸ばす。ウィリアムとてわかっていた。目の前の少女が自分に寄せる想いを。同時にわかっていなかった。その重さを。

「きっと、あの人には勝てない。でも、私は私の方法で、賢しく欲しいものを手に入れます。待って待って待って待って待って待って――」

 その先は――

「待って?」

 ルトガルドは妖艶に微笑んだ。

「……内緒です」

 くるりと回りいたずらっぽくウィリアムのそばを離れるルトガルド。

「今日は帰ります。ではまた、御機嫌よう」

 ウィリアムは去っていくルトガルドの背中を見ていた。その背に浮かぶ危うさ、今までにない覚悟を見出し警戒を強めた。

 ルトガルドがいなくなっても変わらず世界は華やかなまま。彩を失うことなく煌きの海に溺れる愚者たち。されど彼らは真の愚者ではない。本当に愚かなのは誰か。

 ウィリアムは『上』に挨拶へ赴くべく動き出した。


     ○


 天にて陽光の姫をエスコートする白騎士を一人の男が眺めていた。めくるめく激動する世界の中、ただ一人時が停止したかのような顔つきであった。その貌が何を思うのか、それを知るものはいない。

「おいどうした? 踊らないのか」

 おかしな様子に心配した友が声をかけてくる。それに反応することもなく――

「美しくない」

 きらきらと天上にて輝く己が主。其処は良い。ああやって天上すら利用して駆け上がることこそ主の美しさ。手段は選ばず、倫理や道徳は考慮にも値しない。情の欠片もなく隙など微塵もない、あっても明日にはそれを潰している。

 そんな『完璧』に男は惹かれたのだ。

「美しくない」

 だが、それが一時翳った。『あの女』と踊っている最中、深淵に何かが満ちていくのが見えた。暗く、深く、冷たい、その虚空が、男の嫌いなもので満たされつつある。

 思えば再会してから妙な違和感が付きまとっていた。コルシカでの決闘を昔の白騎士は受けていただろうか。受けた振りをして敵を包囲し油断したところを一気に殲滅。一人として生かさず殺しきり、その上で一騎打ちにて勝利と流布すれば良い。男の敬愛する白騎士ならそうするはず、現に北方ではその策で砦をひとつ落としている。

 戦の間もずっとあった違和感。その元を男はようやく見つけた。

「おい、アンゼルム。お前、血が出てるぞ」

 男は、アンゼルムは、血がにじむほど歯を食い縛り、血がこぼれるほど手を握り締めていた。それほどに男にとっての『完璧』が汚されてしまったことが許せないのだ。『あの男』に次ぐ例外、『あの男』以上に『完璧』にとって致死性の猛毒。

 アンゼルムは許せない。だが、同時に手も出せない。まだ男は主を信じていた。主自身を一片も疑うことなく、真意を理解できぬ己が浅慮と断じる。されど、ほんの一筋、ほんの一点の懸念、これを拭い去ることは出来なかった。


     ○


 新大将となったヤンはまったりと持参の紅茶にて休憩をしていた。ずっと踊りもせず休憩し続けており、時折貴婦人が声をかけてくるもやんわりと断っていた。ふと、ヤンはウィリアムの方を見る。第一王子と談笑する様、隣にはフェリクスの息子の姿も見受けられる。さすがそつのない動き、第二王子が駄目ならそう動くしかないだろう。

(感心感心。良い事だよウィリアム君)

 ウィリアムを見て、ふと用向きを思い出す。たいした用向きではない。あまりにも綺麗で残酷なものを魅せられた後、このような小事忘れても仕方がない。それでも暇つぶしにはいいかと自分に言い聞かせる。

「よいしょっと、あー年だね、何か腰が痛くてさ」

 誰に言うでもなくひとりごちるヤン。そのまま立ち上がりふらふらと歩く。

 ふらふら、ゆらゆら、酒を飲んでいるでもないのに足元がおぼつかない。場に酔っているのか、先ほどの光景に酔っているのか、それとも――

「やー、ヴラド侯爵。僕も挨拶させて頂きたいのですが」

 ずっと前から此の世に酔っているのか。

「お、おい。ヴラド侯爵とヤン大将が向かい合っているぞ」

「確か不仲と聞いているが」

「理由? 知らんよ。まあ誰にでも生理的に苦手な人間はいるものだ」

 ヴラドはヤンに目を向ける。本来なら視線を合わすのも嫌だと言う意思がありありと見受けられた。ヤンは笑い出しそうになる自分をめいいっぱい堪える。自分も意識せねばああいう眼をしてしまうだろう。否、もっと酷い自信がある。

「新大将おめでとうヤン大将殿。これでゼークト家の再興も叶いますな」

「ありがとうございますヴラド侯爵。貴殿もよき駒を手に入れられた。あれは優秀な武人です。僕の保証に何の意味があるかはわかりませんが」

「直属の大将にそう言っていただけるのであれば、息子も本望でしょう」

 ヤンはまたしても噴出しそうになる。

(これはまた……いい感じで仕上げているねえ)

 酷い顔つきである。身に過ぎた欲望に溺れて病人のようやせ細った姿。眼だけがぎらぎらと物欲しそうに輝く。本人は昇っているつもりだろうが、器がついていけていないのは明白であった。

「いえいえ、息子さんには助けられてばかりです。彼の躍進がそのままアルカディアの原動力となっています。僕やヘルベルト程度すぐに抜き去っていきますよ。ご安心を、貴殿は最高の選択を為された。白騎士を内側に取り込むのと言う選択を」

 ヤンはヴラドに握手を求める。ヴラドもそれにあっさりと応じた。不仲の論調も消えかかっていた。固い握手を見た後では、噂話などすぐに消えてもおかしくはない。

「貴方に会えてよかった。では僕はこれで」

 一礼してきびすを返すヤン。ヴラドはすぐさま視線を外し、侯爵になったことで生まれた取り巻きたちと談笑を再開する。

(本当に、貴方に会えてよかった。最後に、ね)

 ヤンは嗤う。このどうしようもない世界に対して――


     ○


 昇進式がつつがなく閉幕し、王宮から華やかさが薄れてきた頃、二人の騎士が王宮内にある練兵所に顔を出していた。こんな時間からこの施設を利用しようとするものはいない。だからこそ二人はこの場を選んだ。

「夫人は良いのか? リウィウス」

「シュルヴィアに送らせた。どちらにしろこっちでやることがあるんでな」

「そうか……なら手短に。俺とテイラーを前線に配置するよう貴様からも手を回してくれ」

 珍しくギルベルトからの誘い。とはいえほぼ想定どおりの理由である。

「第三軍のあり方そのものの話になる。そもそも今の俺に其処までの力はない」

「エアハルト殿下に――」

「頼めるなら苦労はない。あの方はどうにも王会議以降俺を避けている」

「ガイウス王が貴様を勧誘した件か。ならば致し方なし。伝手は頼らん。ただし知恵をくれ」

 此処まで食い下がってくる。しかも本来頼りたくはないウィリアムに対して。その熱情は買いたい。だが、ただの軍団長で男爵、その程度の男に貸せる知恵など限られてくる。

「……しばし待て。どちらにせよこれからは冬だ。戦場はない」

「そうだな。その通りだ。今は研鑽を積むが常道。焦り過ぎたか」

 今焦っても仕方がないと納得している男の表情は、まるで納得していなかった。ギルベルトは場数を求めていた。より多くの戦場で、より多くの勝利を重ねる。自分たちに足りないのは経験量であるとしっかり認識していたのだ。

「テイラーもアルトハウザーも、貴様も、皆道を決めている。俺だけが宙ぶらりんだ」

「アルトハウザー? レオデガーと知り合いなのか?」

「昔馴染みだ。家同士も多少付き合いがある。まさか奴がクラウディア様とは……何とも言えんな」

「そりゃ言えんさ。あの男が決めたのではなく、あくまで政略結婚。それこそ大公家と王家の絆を深めるための生贄でしかない。ただ、確かにクラウディア様は曲者だな」

 昔馴染みを素直に祝福できない一因はクラウディアの存在にあった。彼女の周囲には黒い噂が付きまとい、彼女自身妙な雰囲気を持っている。妖しげな魅力、桁外れの器量、およそ女性が求める全てを兼ね備えた存在だが、どうにもきな臭さはぬぐえない。

「そう言えば式中、貴様もクラウディア様と踊っていたなリウィウス」

「エレオノーラ様と踊った後に誘われた。面識はなかったと思うが……何を考えていたのかはわからん。ただ、触れた瞬間わかった。あれは、怖い女だぞ」

 ギルベルトは腕組みをして唸る。

「怖くない女などいるものか」

 どうやらギルベルトも少し酔っているらしい。先ほどからやたら饒舌だとは思っていたが、犬猿の仲であるウィリアムと軽口を言える程度にはお酒が入っていた。ウィリアムにとっては幸運である。

(今のうち色々聞いておくか。こんな機会そうないだろうしな)

 そんなこんなで式は終われども、王宮の夜はまだ始まったばかりである。

 この後、剣での語らいに移行。多少食い下がるもやはりギルベルトは強くぼこぼこにやられてしまった。それもまた糧に強くなるのがウィリアムである。

 さらにその後、ただ一人執務室に赴き事務作業を一気に終わらせて、事務机でぐっすり就寝した。冬季は家に帰ることすら億劫に成ってしまうのだ。

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