復讐劇『急』:リウィウスの華

 王宮にて開かれし昇進式は盛大を極めた。冬の到来と共に世界は沈黙し、各地に散る英傑たちが正式に昇進していく様は圧巻の一言。

「――ヤン・フォン・ゼークト。貴殿をアルカディア王国第二軍大将に任命する」

「謹んでお受けいたします」

 ヘルベルトが、ヤンが、そして――

「カール・フォン・テイラー」

「はい!」

 カールもまた大将へと歩を進める。「白騎士のおかげだろ」「あくまで躍進し過ぎている白騎士への抑え、実力ではない」と揶揄する者も多い。事実、カールを推したエアハルトの狙いはそこだろう。

 歴代の大将の中でも特筆して若い青年。ヤンやヘルベルトでさえ若造の部類なのだ。背景を無視してでも反発する者は多かった。第三軍の中にはロルフ殿がなるべきだと声高に言う者もいる。

「多くの死を踏み越え、よくぞ死地から逃げおおせた。その後はブラウスタットにて防衛を指揮し、かの若き怪物、ヴォルフ・ガンク・ストライダーを跳ね返した功績は、歴代の大将と遜色のないものである。よって貴殿をアルカディア王国第三軍、大将に任命する」

「謹んで、お受けいたします」

「その若さゆえ反発もあるだろう。私も手を貸そう。共にアルカディアを盛り立ててゆこうではないか」

 会場が騒然と成る。カールの昇進が異例中の異例なら、こうして大将の任命を第二王子であるエアハルトがするのも異例であった。通例ならば王のする仕事、それを代行するは次期王と名指しされたようなもの。その男から手を貸すと、この場で宣言される意味、言われたカールでさえ唖然となってしまう。

「た、大将の名に恥じぬよう精一杯努めさせていただきます!」

 こう返すので精一杯。エアハルトは満足げな表情。これでカールの後ろ盾が誰か明確になった。そしてそれは――

(エアハルト殿下がテイラーを推した。つまり、白騎士を見限ったと言うことか?)

 エアハルトの姿勢を、ウィリアムとの関係の亀裂を物語っていた。会場の視線がカールからウィリアムへと移る。渦中の本人は誰よりも先んじて拍手を送っていた。柔らかな笑顔、邪推を吹き飛ばすかのような。ただし事実は覆せない。

(今の時期に白騎士を手放す理由がない。殿下躍進の『剣』を自ら捨てたに等しいではないか。とかく白騎士が浮いた状況、これは荒れるぞ)

 昇進式が進むも誰もがその事実に飲まれ上の空であった。ウィリアムが軍団長になった時、エアハルトが「励め」と言った一言も薄っぺらく聞こえてしまう。心がこもっていないのは明らかであった。何よりもウィリアムの背にエアハルトが向ける眼、それは味方に向けるものではなく――

 さまざまな催しも終わり、王宮は会食に移行する。

 白騎士の周りには黒山の人だかりが出来ていた。もちろんこの中にエアハルト派の人間はいない。皆、フェリクス派であったり、派閥に属していなかった者たち。前者は今回の式進行を任せられなかったフェリクスを見限り、後者は次の大将を見据えての種まきと言ったところか。

 カールの周りにはその倍近い人垣が形成されていた。まさに欲望の坩堝、カールに価値ありと見るや否や、飛び掛るようにして人々が押し寄せてくる。全員が眼をぎらぎらさせて「挨拶だけでも」「娘と会ってくれ」などと口走る。

 ヘルベルトの周りにも、ヤンの周りにもそれなりに人は集まっていた。しかし、かの二人に比べれば少々寂しいものがある。露骨に苛立つヘルベルトとさっさと帰りたそうなヤン。それを見てグスタフとロルフは一杯酒を酌み交わす。

 ヒルダは貴族の令嬢たちに囲まれているカールを見て、その度に壁を蹴っていた。一応王宮なので隣に立つギルベルトは自重するように言うも聞き入れられず、後に謎の破壊痕がいくつも発見されることとなる。

「おお、アルカディアの美姫だ!」

 大公家アルトハウザー家の跡取り、レオデガーにエスコートされるのは第一王女クラウディア。そしてガリアス王位継承権五位のリディアーヌが第二王女エレオノーラをエスコートする。ちなみにリディアーヌ、ノリノリで男装していた。

「大陸に名が轟く両美姫、双方とも別方向だが美しさに磨きがかかっておられる」

 会場の視線が全て二人の姫に集まっていた。心に決めた相手がいるカールでさえぽわーっとそれを眺めて――いるところをヒルダに拘束されてどこかに連れ出されてしまう。その蛮行すら眼に入らないほど二人の姫の美しさは卓越していたのだ。

「クラウディア様はおそらくアルトハウザー家が取るだろう。ならばエレオノーラ様を射止める貴公子はいずこか」

 姫の美しさに会場がざわつく中、ウィリアムだけは別の方に目を取られていた。ドレスを着ながら猛スピードで走ってくる影。その背後で馬鹿を止めようと必死になって手を伸ばすも加速についていけず諦めるルトガルド。

 ウィリアムは頭を抱える。ルトガルドの静止を振り切って会場に飛び込んできたのは――

「遅刻しちゃった! えへへ、待った?」

 いつもと違う服装で、いつもと同じ馬鹿面で、ウィリアムに笑顔を向ける女、ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハ。それを見て顎が裂けるほど愕然としているのはヴラド侯爵その人であった。その眼には殺意すら浮かんでいる。新たに戴いた爵位を持って悠々と会食している中、面子を丸つぶれにされる行為を身内が行ったのだ。

「こ、の、大馬鹿が! 状況を見ろ! 姫が入場されている最中だ。お前打ち首になりたいのか!? なら今此処で俺が首を刎ねてやろうか、この馬鹿! アホ! 間抜け!」

 ウィリアムの叱責はどこか白騎士らしくないものであった。ヴィクトーリアを前にすると調子が狂うのはいつものこと。ただし此処で誤るのは致命である。

「申し訳ございません、皆様。この愚か者には後できつく言っておきますので、どうかご容赦を」

 ウィリアムが深々と頭を下げていることで、ようやく事態の重さに気づいたのかヴィクトーリアも隣に並び頭を下げた。深く、深く、ちょっと深すぎる。角度がお辞儀を超え前屈にまでなっていた。そこにウィリアムの割と本気目な拳骨が飛ぶ。「いだいッ!?」と悲鳴を上げるヴィクトーリアは何が悪いのかわかっていなかった。教育不足にも程がある。

「今日は祝いの席です。構いませんよね、お兄様」

 エレオノーラがその場を制する。そう言われては頷くしかないエアハルト。いつもはおどおどしている妹の姿にフェリクスやクラウディアまでもが驚きの目で見ていた。

「お二人とも頭をお上げください。ふふ、ご無沙汰しております、ウィリアム様。そちらの美しいお方をご紹介してくださいますか?」

 エレオノーラは満面の笑顔にて二人を見下ろす。ウィリアムは何も感じなかったが、この場の何人か、ルトガルドやヒルダらの女性連中は肌寒さを感じた。

「ご無沙汰しておりますエレオノーラ様。こちらの愚か者はヴィクトーリア・フォン・ベルン……いえ、ヴィクトーリア・フォン・リウィウス。私の妻になる者です」

 静まり返る会場が一瞬で沸騰する。「白騎士の妻だと!?」「あれがベルンバッハの娘か!」「うちにも婚約の話がきたが一分で破談になった女だぞ」などと騒ぎ立てる外野をよそに、エレオノーラの笑顔にひびが入っていた。その様子を見てリディアーヌはため息をついた。後ろのレオデガーはほんの少しだけ悔しそうに顔をゆがめている。

「ご婚約なされたのですね。おめでとうございます。貴方は我が国の英雄、戦乱の世、この国は貴方無しでは成り立たぬでしょう。その中で異人の貴方が、この地に根付いてくださる選択をしてくれた。そのことを私も嬉しく思います」

 エレオノーラはすぐさま王族としての笑顔を取り戻し、王族としての言葉を投げかける。ウィリアムは再度頭を下げた。エレオノーラが場を治めなければ、もう少し事態は面倒になっていただろう。もちろん今の己をどうこう出来る者などこの国にはいないが――

「さあ皆さん。今から王国随一の音楽隊による演奏が始まります。ここからは地位や階級など気にせず、存分に楽しんでください。この一年で負うた痛み、せめて今宵だけは忘れ、明日への英気を養いましょう!」

 エレオノーラの太陽のような輝きが会場を包んだ。優しく、温かく、皆を照らすただひとつの存在。王も、エアハルトも、誰も及ばない美しきカリスマ。第二王女はいつの間にか開花していた。人を導く存在として。

 最後の欠片、『痛み』を知ったから。

 エレオノーラはウィリアムを見る。ほんの少し前の、一緒に本の話をした、あの日を思い出す。初めてそういう話を他者と交わした。それの何と楽しかったことか。優しくて博識なウィリアム。その声はとても綺麗で――

 ウィリアムはヴィクトーリアと言う女性に怒っていた。そんな姿を、エレオノーラは見たことがない。そのことがちょっぴり悔しかった。


     ○


 これほど大規模で、豪奢で、優雅な光景があるだろうか。貴族の中の貴族、武官の中の武官が一堂に会し、皆踊り、眺め、美食に舌鼓を、美酒を舌にて転がす。アルカディアではこれ以上ない景色。贅を尽くした世界が拡がっている。

 その中でも目立つのは、アルカディアが誇る美姫が二人、エレオノーラとクラウディア。太陽と月が入れ替わり立ち代り光を放つ。リードするリディアーヌは奔放に、レオデガーは堅実に光を導いていく。

「これは現世か……それとも夢想か」

 現実感のない光景。貴族の中の貴族でさえそう思うのだ。成り上がりのテイラーやリウィウス程度には居心地が悪いほどである。

「ほれカール! あたしと踊るわよ!」

 とはいえカールには、貴族の中の貴族であり武官の中の武官であるガードナーのご令嬢がパートナーとして存在している。彼女と一緒なら気後れする心配はない。ずるずると引きずられて行く様は、出荷時の家畜のようであったが。

「……ふむ、俺たちはどうするかな」

 隣でしょんぼりしているヴィクトーリアを横目にウィリアムは思案する。立ち回る方法はいくらでもある。踊る必要はない。酒を片手に雑談の輪に入れば良いだけのこと。

「ごめんねウィリアム。もうじっとしてるね」

 しょぼくれたヴィクトーリアを見る。なんともむず痒い顔をしている。いつもあっけらかんとしているが、根は繊細である。今回の件はヴラドの顔色を見て自分の失敗の大きさに気づいたのだろう。

(そもそも絶対失敗しちゃいけない現場にお前を連れてくるはずがないだろうが。別にいいんだよ。一年前ならいざ知らず、今の俺にとってこの場での失態、大した怪我にはなりえない。エレオノーラも言っていただろうが……俺を欠く事はできない、と)

 武器市場を押さえ、資金的に他の事業をこなす余裕が出来た。リウィウス商会はさらに飛躍するだろう。種まきは遥か前から行っている。ノウハウと人材はある。あとは資金だけ。多くのしがらみなど今のウィリアムには意味がない。

 ウィリアム自身は武を押さえた。ネーデルクスではベルンハルトが、第一軍大将が敗れた相手と渡り合い、オストベルグではヤンの指揮下であったとはいえ、カスパルとバルディアスが敗北直前まで達した相手をはじき返した。

 新大将のヘルベルトやカールにはない実績がウィリアムにはある。ベルンハルトと明確な差があるわけではないヘルベルトと、単独の部隊での価値ある実績がマルスラン撃退しかないカールとでは、実績ベースでさえウィリアムが『上』を行く。不明瞭なのは十年以上前ストラクレスに敗北を喫したものの副将であるベルガーを討ち取りオストベルグの力を大きく削いだヤンのみ。

 戦国の世でなくとも、この世界は武を押さえたものが勝つ。多少のしがらみなど白騎士の名ひとつで吹き飛んでしまうのだ。それだけの実績を積んだ。ガリアスでの一幕を見ただろう。異人一人の処遇に王族が口ごもったのだ。

 それだけの力がある。

(嫁の言葉一つで砕ける薄氷は終わった。むしろうじうじされた方が困る。そうだとも、この俺の名を冠す以上、堂々としてもらわないとな。俺の沽券にかかわる)

 別に嫁が馬鹿でも構わない。阿呆でも間抜けでも、何の問題もない。だが、それだけで終わらせるにはヴィクトーリアという人間はもったいないのだ。ウィリアムの知る中で、この女ほど理不尽を体現している者はいない。その一面をこの世界に刻むのも一興。

「着いてこいヴィクトーリア。踊るぞ」

 ずるずるとウィリアムはヴィクトーリアを引っ張っていく。途中、ウィリアムは近くを通ったアンゼルムに仮面を脱ぎ捨て放った。それを受け取ったアンゼルムは、見えなくなったことを確認してからくんくんと匂いを嗅ぐ。少し離れたところでそれを目撃したグレゴールは蒼い顔をして全速でその場を離れた。

「で、でもウィリアム。私、『上手』に踊れるか自信ない」

 ヴィクトーリアの『上手』とは型通りに動くこと。ヴィクトーリアは何事も感性で動く。踊りも例外ではない。ゆえにヴィクトーリアは貴族的な、ちゃんとした踊りを苦手としていた。

「いつも通りでいい。お前にそういうのは求めていない。俺にいつものよう踏み込んで来い。俺はそれを受け止めてやる。有象無象など気にするな――」

 ヴィクトーリアは格式ばったこういう場で踊ったことがほとんどない。一度それで盛大に失敗しているらしい。だからヴィクトーリアの踊りを知るのは失敗前の彼女を見た者か、身内やベルンバッハに近しい貴族だけ。

「俺だけを見ろ。……得意だろ?」

 誰も知らない。この場で彼女の真価を知るものはほとんどいない。それは少しだけもったいないとウィリアムは思う。これは余興、自分が持つ宝物を他の者に見せびらかす、それだけのこと。

「……それは得意だよ。でも、怒られちゃう」

 ウィリアムとヴィクトーリアが立つのは主賓らが舞う壇より遥か下段。ウィリアムはすっと背筋を伸ばす。さあ踊るぞと言う構え。

「そういうのも気にしなくていい。お前は誰の妻だ? この場の誰が俺に口を出せる? 奴らに出せるのは精々陰口のみ。好きに踊れ。俺が受け止めてやると言っているんだ。馬鹿なお前が気を使ってどうする?」

 ヴィクトーリアはむっとしながらウィリアムの差し出した手に手を重ねる。

「言ったなあ。後悔しても知らないからね」

「後悔させてみろ。出来るもんならな」

 今、この場の誰も二人に視線を向けていない。踊りに集中しているか、姫二人の美しさに酔いしれているか、何であれウィリアムとヴィクトーリアに視線を向ける理由はなかった。場所もよくないだろう。

 だが、

「ん?」「ほお」「あれは、白騎士か」

 ひとつ、またひとつ、少しずつ視線が集まってくる。

「随分大人しいな。俺は淑女を嫁にもらった覚えはないぞ」

「おしとやかは似合わないかな?」

「似合うわけねーだろ」

「……かちんときたよ。もう、ほんとのほんとに知らないからねッ!」

 最初は、珍しく仮面を外した白騎士に奇異の視線が集まっただけ。もちろんウィリアムの踊りは高水準である。超一流ではないが一流の技を習得している。ただ、この場にいるのは全員一流に近い踊りを体得しているし、それだけで目立つことはない。

 だが、現に視線は集まってきていた。そして一度見たが最後、誰もが目を離せなくなる。

「おいおい、美人だとは思ってたが、ここまで美しかったか?」

 アンゼルムのそばから離脱したグレゴールは呆然と二人の踊りを見ていた。最初の印象も美人だと思っていたが、今目の前で踊る女性はその域を超えている。

「誰だ彼女は?」「ベルンバッハの娘? あの問題児か」「しかし問題児といっても、これほどの器量を備えていれば」「確かに、おつりが出るぞ」「何故今まで誰も婚約しなかったのだ? いくら抜けているとはいえ」「わからん。わからんが――」

 ただ、ただ美しい。

 ヴィクトーリアは弾むようにステップを刻む。全身をしならせて、つま先から頭の天辺まで全てが躍動する。活力に満ちた動き。そしてそれを彩る笑顔。もはや其処に固さはない。しょぼくれていた間抜けは消えた。

(こいつは動かなけりゃ美人だ。誰が見ても文句なしの美女)

 ヴィクトーリアはウィリアムしか見ていなかった。頭の中もそれ一色。好きな人と好きなように踊りたい。それだけが彼女の思考全て。

(ただな、溌剌と動く姿は贔屓目抜きに王国随一だ)

 美人揃いのベルンバッハの中で容姿だけならばトップクラス。それがヴィクトーリアの価値である。ヴラドはそう定義付けていたし、ヴィクトーリア自身そうなんだと漫然と理解していた。

 ウィリアムはそれを否定する。動かぬ姿も美人である。しかし動く姿はその比じゃない。卓越した踊りは一つ一つの動作に人間性が出てくる。ヴィクトーリアのそれを貴族の価値観は否定するかもしれない。だが、本当に魅力的なのは何か。建前抜きに美しいと感じる姿は何か。それを問うた時、ヴィクトーリアという女性は実に魅力的に映る。

(こいつは礼儀を知らん。学ぶ意義を見出せないんだろう。そりゃそうだ。ヴィクトーリアという女が本気を出せば、教養、礼節、作法、全てを会得した者を容易くぶち抜けるんだ。生まれ持った愛嬌、それだけで)

 女として理不尽な存在。それがヴィクトーリアだ。礼儀を知らずとも、教養を得ずとも、作法を修めずとも、最後の一線で許されてきたのは、それらを得ずともヴィクトーリアが魅力的だから。エルネスタもヴィルヘルミーナも、テレージアも許されない。ヴィクトーリアだけが許される理由はただひとつ。

 魅力的だから。生まれ持った『華』がその傲慢すら認めさせる。

(誰も俺を見ていない。こちとら作法だなんだって気を使ってこれだぞ? ったく、テメエはつくづく理不尽だ。そんなこと考えもせず、ただ楽しくやってりゃ良い。心の底から楽しんでれば、全てを凌駕できるってんだ。馬鹿らしくなってくるぜ)

 華は美しく咲き誇る。されど華自身はその自覚などないだろう。華はそこであるがままの自分を出して、人はそこに美しさを感じる。それと同じ――

「えへへ、楽しいねウィリアム!」

 歯を見せて笑うヴィクトーリア。ウィリアムは苦笑する。普通の女にとって欠点であっても、ヴィクトーリアがすると美点に見える。あばたもえくぼ。美しいから許される。

 音楽が速度を増す。その分、ヴィクトーリアも躍動する。その動きを、限界ギリギリをウィリアムは要求していた。何も考えさせず生来の感性のみで動かせる。それを御して踊りの形に仕上げるのが自分の仕事。悲しいかなヴィクトーリアと本気で踊って自分が主役になったことはない。

 いつだって、ヴィクトーリアの引き立て役なのだ。

「こんなもんじゃないだろ?」

「もっちろん!」

 大きく、大きく彼らは動く。楽しそうに、本能のままに、剥き出しの魅力が着飾った贋物を蹂躙していく。多くが足を止めた。並び立つことを嫌がり、共に踊り比較されることを拒絶し、見に徹する。

「下々の分際でやるな。下手をすると妹たちも喰われかねん」

 第一王子であるフェリクスもまた踊ることをやめた。見比べているほうが面白いし、『あの男』が苦虫を噛み潰したような顔をしているのを見るのも一興。目立っているのは白騎士ではなくその片割れだが、そんなこと関係ないのだろう。案の定面白い顔をしていた。

 二人の美姫もまた驚いた顔で下を見る。エレオノーラは感嘆と小さな嫉妬、クラウディアは憤怒と小さくない興味を。天が揺らぐ。誰もが天を眺めていた。手の届かぬ美しさに手を延ばしていた。しかし、今はそれに比肩するものが下にいる。

「また貴様か。つくづく気に障る男よのお」

 音楽が佳境に入る。もはや踊っているのは天にて舞う二人の美姫とその従者、そして地には一人の理不尽とそれを御す騎士、それだけである。

 さらに躍動する。ひとつ、またひとつ視線が地に移る。

 今を燃やし尽くすかのような姿。見るからに幸せが伝わってくる。刹那をかみ締めて二人は踊る。踏み込み、受け止め、離れて、互いが近づく。

 距離がゼロに成る。騎士とその妻の唇が重なる。それと同時に演奏が終わった。皆が声を失う。凄まじいものを見たと、この場の誰もが彼らの姿を記憶した。

 世界に刻み込んだ。ヴィクトーリアという華を。王族でさえ記憶から消えることはないだろう。忘れ難きもの。当然、二人にとってもそれは同じ。

 万雷の拍手が降り注いだ。それはアルカディアが誇る二人の美姫、そしてベルンバッハの華、否、リウィウスの華の三組にのみ送られる賛辞。

 ヴィクトーリアは調子に乗って皆に手を振る。普段なら顰蹙ものだが、今となってはそれも魅力の内。誰もそれを咎める者はいなかった。咎めようと思うことすらなかったのだ。

「これで帳消しだな」

「えへへ……何のこと?」

(こいつ、最初にやらかしたこともう忘れてやがる)

 ウィリアムは額に手を当ててため息をついた。

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