幕間:小国無双Ⅱ

 遥か昔、まだ戦場には浪漫が溢れていた時代。盛んに行われていたのがこの一騎打ちであった。結果的に一騎打ちとなることはあっても、今の時代に最初から一騎打ちで戦の勝敗を決めるなどと言うことはまずありえない。そのありえないが今この場にあった。

 両陣営がずらりと一列に並び睨み合う中、選ばれし決闘者が進み出る。

 アルカディアは『白騎士』ウィリアム・フォン・リウィウスが颯爽と前に出た。コルシカの兵たちがざわつくほどに悠然と、絶対の余裕を持ってこの場に立つ。雰囲気が秀でていた。敵ながらに部下として働いてみたいと思わせるほどに――

「美しい! 美し過ぎる! 美しさが迸るッ!」

 アルカディア側で狂喜乱舞している男を誰もが見て見ぬ振りをしていたことは割愛。

「貴方がウィリアム・フォン・リウィウス殿か。見事な立ち居振る舞い、噂以上のものを感じます」

 コルシカの将はウィリアムに頭を下げた。まじりっ気のない感謝をこめて。

「此方の申し出、受けてくれたことを心から感謝する。ありがとう。その上で、私たちは貴方から勝利を頂戴する!」

 そしてコルシカの将が下がり、その背後からぬっと人影が湧き出てくる。

「ッ!?」

 想像を超える巨躯。あまりにも常識はずれなそれは一瞬にして『白騎士』の雰囲気を吹き飛ばした。物理的に大きい。それだけで人は畏怖を浮かべてしまう。

「コルシカ王国戦士長ゴライアス・エルナハン」

 噂以上であったのは此方も同じであった。コルシカには巨人のような男がいる。そういう噂はあった。しかしその噂を聞いて想像する人の域での巨大さでは、まさに想像不足であり一回りも二回りも大きく感じるだろう。

「アルカディア王国第二軍軍団長ウィリアム・フォン・リウィウス」

 雰囲気がどうとか言う次元ではない。生き物が違う。

 誰もがウィリアムを疑っていなかった。その鉄の信頼が揺らぎを見せた。アンゼルムでさえ絶句し言葉を失っている状況。コルシカが一騎打ちを仕掛けてくるのもわかる。これは自信のある一手なのだ。おそらくコルシカが打てる唯一にして最善の一手。

「楽な相手ではないのは見て取れる。此方にも余裕はない。全力でいかせてもらう」

 ただ大きいだけではない。武人として成熟している。将としての雰囲気がある。

「ああ、そうしてくれるとありがたい」

 ゴライアスは大斧を旋回させる。暴れ出す旋風。その発生源たる怪物は闘志を剥き出しにしてウィリアムに向かう。ウィリアムは剣を抜くことなく柔らかな立ち姿。

「参る!」

 巨漢が豪速で動き出した。誰もが驚愕に目を見張る中、ウィリアムだけは冷静にその動きを見つめている。本当に人体を解していれば、むしろこれだけ動けるのは当たり前のこと。筋肉が力を生み出し、筋肉が速度を生む。

 パワータイプとスピードタイプは相反するものではない。高い次元で両立出来るものなのだ。良質な筋肉が生み出す力と速度、圧倒的加速。

「ヌンッ!」

 重厚なる一撃が敵を破砕する。当たれば、であるが。

「さすがはウィリアム様! 華麗にて優雅ッ!」

 ウィリアムは柄に手を当てながら、半身で大斧の一撃をかわしていた。一歩、足をするりと引く。それだけの所作で半身分の回避行動となる。

 しかしゴライアスの攻撃は一撃に止まらない。一発当たれば殺せる。かすっても致命傷。そういう殺意のこもった連続攻撃。その攻撃に目に見える隙はなかった。甘い攻撃は一撃もない。前評判以上の怪物である。生まれ持った身体能力はもちろん、積んできた鍛錬も相当なものなのだろう。

「コルシカでなく七王国の生まれであれば、ゴライアスは巨星をも喰えたはず。それだけのポテンシャルはある。小国と侮ったツケ、此処で払うがいい!」

 ウィリアムの回避はどれも紙一重。皮一枚は平気で飛ぶ。すぐにでも捉まりそうな様子である。当たるだけで部位問わず致死とする攻撃の数々。降り注ぐ大量の死。

「ウィリアム! 一度間合いを取れ! そのままじゃ死ぬぞ!」

 シュルヴィアの悲鳴にも似た叫び。側近であるシュルヴィアでさえこの状況は不利と感じた。他のものも同様である。しかし――

「……おい、あの足捌き、白騎士ってのはああ動いていたか?」

「いや、私の記憶にない動きだ。違う、何処かで見たことはあるが、ウィリアム様の動きではない。まるで違う。違い過ぎる」

「奇遇だな。俺も見たことがあるんだ。……思い出したぞ。あれは、剣の一族の――」

「ッ!? オスヴァルトの足捌きか!? 確かに似ている。似ているが少し違うような」

「真似しようとして出来る動きじゃない。俺たちの誰もが憧れて、誰もが挫折したオスヴァルトの高み。それを真似した挙句、オリジナルに昇華させたってのか? 天才っていうレベルじゃないぞ、この所業は」

 幼き頃からギルベルトを知っている、オスヴァルトを知っている二人だから勘付いた以前までと異なるウィリアムの動き。最小限の動きで最上の結果を得る。華麗にして無駄のない足捌きこそ、オスヴァルトの基礎である。

「どうなっているのですか、ウィリアム様?」

 すでに二十近い大斧の重撃を掻い潜りながら、クリーンヒットは未だゼロ。少しずつ他の者もこの状況の異常性に勘付き始めてくる。

 この危機的状況の中、ウィリアムは、笑っていた。


     ○


 オスヴァルトの屋敷、そのどでかい庭にて鉄の爆ぜる音が響いた。その中心に立つ男はギルベルト・フォン・オスヴァルト。周りを囲むのはオスヴァルトの家人。皆オスヴァルトの剣を体得した、相当の手練ればかり。

 彼らは一気にギルベルトに詰め寄る。

「うわーすごいやギルベルト!」

「あたりまえだへなちょこ。兄様はさいきょうなのだ」

 カールとギルベルトの妹であるベアトリクスはギルベルトの訓練を観戦していた。

 その手練れの群れをするすると抜き去りながら、抜き去り様に一撃を見舞う余裕すら見受けられる。多数で囲みながら最後に立っていたのはギルベルトただ一人。被弾はゼロ。

「お見事。相変わらず綺麗な動きだね。惚れ惚れしちゃうよ」

「そうでもない。やはり多人数相手だと動きが鈍る。これでは駄目だ」

 ギルベルトの想定する動きの合格ラインは、カールの想定よりも遥か高みなのだろう。まったく持って満足していない表情がギルベルトと言う男のストイックさを表していた。

「申し訳ございませんギルベルト様。我々では練習台にもなれず」

「気にするな。充分やってくれている。ご苦労だったな、各自仕事にもどれ」

 家人たちが仕事に戻った後、ギルベルトとカール、そしてお昼寝モードのベアトリクスの三人は、お昼休憩を取っていた。

「それにしても最近どうしたの? ここひと月ほど追い込み過ぎじゃない?」

 カールは最近のギルベルトに異変を感じていた。確かに両名とも第三軍に編入され、実戦から遠ざかっている生活が続いている。焦る気持ちもわからなくはない。カールも合間合間に勉強出来るよう兵法書を持ち歩いているほどである。

「……ある男が俺を訪ねてきた。そいつと俺は非常に険悪な仲だ。俺が好きでないことをその男は知っているし、認めていないことも知っている」

 突然の独白。ちなみにこの時点でカールは『ある男』がウィリアムであることを察していた。そもそもギルベルトが嫌いと豪語する相手はウィリアムくらいのものである。口に出さない嫌いはいっぱいあるだろうが。

「戦の後だ。アルカスに戻って数日もしないうちに、そいつは俺に頭を下げてきた。剣を教えてくれ、と。そいつは大怪我をしていた。死んでもおかしくない怪我を、だ。なのに剣を教えてくれ、今の俺に必要なことなんだ、そう言った」

 ギルベルトは苦虫を噛み潰したかのような顔になる。

「俺は断った。そんなことをする義理はない、と。そいつは諦めずこう続けた。ならば一騎打ちをしよう。貴方が俺を嫌いなことは知っている。俺を殺す機会を与える。その代わり俺は貴方の剣を見る。生き延びたなら学べたと言うこと、どうだろうか。などとふざけた申し出をしてきた」

 ギルベルトは目を瞑る。

「俺はそれを受けた。殺せと言うのならやぶさかではない。お前も知っている通り、俺は一騎打ちにて無類の強さを発揮する。俺はそいつを圧倒した。縦に一文字、腹に大きな傷も刻み込んだ。だが、そいつは生き延びて見せた。執念を前に、俺は奴を斬れなかった」

 カールはごくりと喉を鳴らす。稽古程度のことかと思いきや、決闘じみたことをやっていたのだ。ギルベルトのこと、手を抜くことはないだろう。全力で、殺す気で、オスヴァルトの剣を披露した。

「そいつは満足そうに帰って行ったよ。ありがとう、とまで言い残して。そいつは命がけで目的を達成したのだ。たかが一度、俺の剣を見るためだけに」

 どういう流れか知る由もないが、ウィリアムは生き残った。オスヴァルトが誇る最高傑作の、最も強い状態でそれを学んだのだ。

「俺は奴を恐れる。そいつは俺よりも遥かに才に乏しく、身体も剣士向きではない。そもそも戦士に向いた体格じゃない。だが、そいつの執念は、それらの劣る部分を消し去るほど図抜けている。剣ひとつ学ぶために命をかけてくるほど、狂っている」

 ギルベルトは身体を震わせた。それは武者震いではない。恐怖そのものである。

「最短をひた走るはずの男がひと月休んだ。政治的にも商業的にも……ならば、そいつが研いでいたのはただひとつだ。傷を癒しながら、オスヴァルトの剣を、動きを自分のものとする作業。武の底上げこそ目的。であればこのひと月、決して安くないぞ」

 カールは戦慄していた。初めて知る事実。ようやく人並みの休暇を取ったと思いきや、其処にも意図があったのだ。ただ武のみにひと月注力するという。

「天才が天才たることと、凡人が天才たることでは積み重ねに大きな差がある。奴は凡人が天才に追いついた稀有な例だ。ただの天才などよりよほど恐ろしい怪物だぞ、あの男は。膨大な基礎、長大な積み重ね、その高きはただの天才では届かぬ頂――」

 もはやその男、天才すら喰らう怪物なり。


     ○


 ゴライアスは息を切らせていた。すでに百を超える手数、攻撃を重ねた。その全てを目の前の男は回避し続けたのだ。剣を使い受けることなく、ただ足捌きひとつで完封してしまう。もはや誰の目にも明らかであった。

「馬鹿な、こんな、こんなはずがない! 『巨人』だぞ! 巨星にも匹敵する才能を持つゴライアスが相手なんだ! なのにこれでは、まるで――」

 どちらが怪物かわからない。ウィリアムは未だ、剣すら抜いていないのだから。

「化け物め。やはり天才か。七王国にて異人として成り上がっただけはある」

 ウィリアムは嗤った。あまりにも目の前の男はずれたことを言っているから。ウィリアムが天才、ウィリアムが化け物、嗤わせてくれる。本当に怪物ならば、本当に天才ならば、お前たちのようにのんびりと適当に生きているさ。それが出来ないからこうして死に物狂いで前に進んでいるのだ。

(お前たちは本当に、怠惰だよ。怪物くん)

 ウィリアムは――

「宣言しよう。次の一手にて、貴様は死ぬ」

 死の宣告を放った。コルシカの兵たちの顔が絶望に染まる。


     ○


 ゴライアスは動けない。呼吸は乱れに乱れている。あまりにも大きな壁があった。あの小さき身体に、どれほどの肉が詰まっているのか。どれほどの実が詰まっているのだろうか。己も修練を怠っていたわけではない。祖国のため腕を磨いていた。天才と驕っていたわけではない。努力はしていたのだ。

「どうした? 来ないのか?」

 構えるウィリアムに隙はない。おそらくただ向かっていっても先の百合にも及ぶ空振りと同じ結果になるだけ。そして抜かれた刃で一剣の下、切り捨てられる未来が見える。

「ならば俺から出向こう」

 構えを解き悠然と歩を進めるウィリアム。ゴライアスは気圧され後ろへ下がる。じわり、じわりと、嫌な汗が額を伝う。掌から汗が滴る。

「戦士長! どうか、どうか祖国の未来を!」

 ゴライアスの背後から湧き上がる悲痛な声。弱き者たちが搾り出した願い。

 ゴライアスにとって、怪物のような己を受け入れてくれた祖国は命よりも重い。自分を、人とは違う己を慕ってくれた部下たち。彼らを守ってこそコルシカの戦士長である。彼らが自分を受け入れてくれたからコルシカの『巨人』は戦士たれたのだ。

「ウォォァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 轟音が敗色を吹き飛ばす。背中に預かる命の重さ。将としての自分を奮い立たせているのだ。怪物としての己は劣るかもしれない。しかし、将として、守護者として折れるわけにはいけないのだ。

「任せろ。祖国は俺が守るッ!」

 目の色が変わった。一歩、前に進み出る。ゴライアスは大斧の持ち手を再確認する。その一歩が正しいかを吟味する。忘れかけていた修練の、基礎の基礎を思い出していく。自分の歩んだ道、訓練に賭けた時間は決して白騎士に劣るものではない。

「いい眼だ。それでいい。それでこそ喰らい甲斐がある。出来れば、もう少し後に、味わいたかったぞ」

 ウィリアムもまた無造作に足を進める。ゴライアスも一歩ずつ、二人の距離が縮まる。

 才能と修練の集積。一騎打ちとはその高さを競うものである。

 互いの身体が、互いの間合いに入った。先んじるのは――


     ○


 マリアンネがすやすやと眠りこける横で、ヴィクトーリアとヴィルヘルミーナが着付けをしていた。大輪の華が浮かび上がってくるような豪奢なドレス。それを「サ、サイズが」「我慢なさい!」と苦しそうに着付けていく。

「……別荘で遊んでばかりいるから太るのよ」

「……ウィリアムがたくさん食べるからついつい真似しちゃって」

 呆れた風にため息をつくヴィルヘルミーナ。「えへへ」といつもの笑顔でごまかすヴィクトーリアの頭をぽかりと叩いた。

「その分だとあの男もなまったんじゃない?」

 ヴィルヘルミーナの言葉にヴィクトーリアが噴き出す。

「あはは、それはないよ。何処に行っても何をしてても、やるべきことをやるのがウィリアムなんだよ。ほんとは少食なのに誰よりもたくさんご飯を食べて、傷が痛んで仕方がないのに毎日の特訓は欠かさない」

 ヴィクトーリアは思い出す。別荘での素晴らしい日々を。今までの人生で最も色づいた、満ち足りていた光景を。その中で、一番好きだった情景を、思い出す。


 私は毎日眺めている。大好きな人が一番キラキラして、一番かっこいいところを。私だけが見ている。この時間を独占している幸せはとても満たされてしまう。きっと『あの娘』もそう思っていたに違いない。

 ウィリアムと別荘に来てすでに二週間が経った。一緒にお風呂に入ったり、ダンスや楽器の練習をしたり、色々やったけど、たぶん『この時間』が一番長くて一番苦しいと思う。

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 ずっとウィリアムは足だけを動かしている。もちろん個別に上半身を鍛えるメニューも設けているけど、大半はこの練習ばかり、毎日毎日ずーっと長い時間よくわからないステップを刻んでいた。

 青々とした芝生は気づけば禿げ上がり全部茶色になっていた。足跡が重なりすぎて、もう何処をどう動いたのかもわからない。ウィリアムの汗が幾多も大地にこぼれる。飲んだ水の大半は此処で落としていっているみたいに――

 私は自作の日時計に目を落とした。そろそろである。私は準備をして時間に合わせる。

「ウィリアム、休憩だよー」

「はっ! ……そんな時間か。すまんな、毎日時間の番などをさせて。退屈だろう?」

「ぜーんぜん。はい、お水と昨日近所の猟師さんが取ってきてくれた鳥の塩茹で」

「ありがとうヴィクトーリア」

 桶にいっぱい入れてある水を一気に半分飲み干し、「ぶはっ」と気持ちのよい声を上げてから鳥のお肉をぱくつく。運動後すぐの間食が身体を大きくするのだと、スパルティーの教本に書いてあったそうだ。

「ね、ね、毎日毎日どうして足ばっかり動かしてるの? しかも毎日ちょっとだけ違う動きだし」

 どうせはぐらかされるとわかっていての質問。私も本気で知りたいわけじゃない。ただ話の取っ掛かりが欲しかっただけ。あまり武の事を私たちにウィリアムは言わないのだ。

 でも、その日は、私が毎日付き合ってたからか、疲れていて気が緩んだのか、

「ん、そうだな」

 話してくれそうな雰囲気を見せてくれた。それはそれで良しなのである。

「一番新しい胸の傷をくれた奴から盗み取った動きと、今までの自分の動きを上手く融和させて、まったく別の動きを、より良い足型を模索している段階だ」

 何を言っているのか良くわからないけれど、とりあえずあの大きな傷にはびっくりした。此処に来る前、アルカスのおうちに血まみれで帰ってきた時は肝が冷えたものである。

「盗んだってことはその人のほうが良い動きだったんでしょ? そのまま真似っこしちゃえばいいのに。私ならそうするなあ」

「全部真似出来るなら苦労はないさ。そいつの動きはとても合理的で参考になる部分は多々あった。だけど、天性の部分も多くあったんだ。あれは真似出来ない。俺が良く練習している居合い切りもそうだ。あれのオリジナルの真似をしてもどうにも上手くいかない。参考になる部分とそうでない部分、分けて捉えなきゃ物真似レベルにもなれない」

 ぽかんとしている私を見て、ウィリアムは苦笑した。

「お菓子作りだって真似から入って、そこから自分の色を出していくだろう? そうやってオリジナルを生み出していくはずだ。それと同じさ」

 なるほど! と私はぽんと手を打った。とてもわかりやすい。

「そいつにはそいつの、俺には俺の最適解がある。身体なんて全員違うんだ。皆と同じ動きをしてもそれは善い動きであって最善じゃない。俺が欲しいのは最善なのさ」

 すごい向上心である。我が愛する人ながらやはりかっこいい。私も負けていられないと頭の中で新しいレシピを模索する。最善のお菓子とは何ぞや――まったく思い浮かばない。

「努力するのも頭を使わなきゃな。ただ剣を振るだけなら猿にでも出来る。人の真似だって芸達者な猿はするだろう? 人間なら、その先を目指すべきだ。試行錯誤の果ての努力、それはきっと裏切らないはずだから」

 最後の部分は自分に言い聞かせているように感じた。その部分は自信が持てないのだろう。だってウィリアムはまだ最善にたどり着いていないから。裏切らないことを信じて前に進むしかないから。とても、凄いことだと私は思う。

「休憩は終わりだ。お前も少し休め」

 ウィリアムは立ち上がってまた同じようにステップを刻む。でも、その話を聞いてからわかった。その動きに何一つ同じものはなく、少しずつ長い時間をかけて最善を探しているのだ。

 その過程は遠回りかもしれない。真似しちゃった方が近道だと思う。でも、ウィリアムが欲しているのは簡単な近道じゃない。難しくとも一番高みまでいける道なのだ。果てしなく根気のいる道をウィリアムは走っている。

「頑張れ、ウィリアム」

 私はこの景色が一番好き。きっとウィリアムはこのひと月を終えたら、苦労の色ひとつ見せずその成果を発揮するだろう。人によってはそれを天才と片付けてしまうかもしれない。だってウィリアムはこの姿を他の誰にも見せようとしないんだもん。

 今、この時間が幸せ。大好きな人が一番かっこいい姿を独占する。そんな贅沢を思う存分満喫出来るのだ。あと二週間、片時も無駄にしない。全部を目に焼き付けるんだ。私はそう心に誓い――気づけばベッドで寝ていた。

「しまった。ぼーっとしてたら寝てしまった」

 私はなかなかストイックに生きられそうにない。


 ぎゅっとコルセットの紐を締め上げられると妄想が消し飛んだ。「グェエ!?」とおよそ淑女の出して良い声ではないものが湧き出して来て、ヴィルヘルミーナの拳骨が飛ぶ。

「まったく、式までには絶対やせること、良いわね」

「ふぁーい。いだだ、いだいよお姉さま」

 気の抜けた返事をしたことで、さらにヴィルヘルミーナの怒気に薪をくべた形となった。

「ほんと貴女は抜けているわね。一応夫となる人が戦場に行っているんだからしおらしくしてなさい。死ぬ可能性もあるのよ」

「んー、でも大丈夫だよ。ウィリアムだもん」

 ヴィクトーリアは自分の夫と成る男の無事を露とも疑っていない。何故なら、きっと彼以上に正しい努力を継続して続けている者はいないから。彼以上に最善を求める者、目指す者がそういるはずがないから。

 きっと大丈夫。それに――


     ○


 ゴライアス。過去の修練から、自分の築き上げた努力の集積から導き出した型。そこに己が才能を加えた一撃。巨星級の才能とたゆまぬ努力が生んだ一級の攻撃。上段からの斬りおとし。最大最高の重量をまとう重撃がウィリアムを襲う。

「見事だ。この一騎打ち、ようやく意味を得たぞ」

 ウィリアムもまたその動きを見てから動く。ゴライアスはそれを遅いと判断する。見てからの動きでは対処できない。させないからこそ最高の一撃。たゆまぬ努力、コルシカの皆が体得する基礎の基礎。

「終わりだッ! 白騎士ィ!」

 ウィリアムの動きはそれを凌駕した。

「ツォ!?」

 白き髪がひと房舞う。仮面の一部が削り取られる。服が、薄皮が、しかし――

 回避する。薄皮一枚切られるも、その身は無事。半身であり、さらに一歩踏み込む。もはやそこは『巨人』の領域にあらず。小さき者、『騎士』の領域である。

「目を凝らせ。未だ最善は遠く、未熟。されど――」

 半身、大地が削れるほどの捻転を抑える軸足。一瞬の煌き、白刃が見えたのはほんの一瞬、ゴライアスの瞳に映ったのは最速に達する手前のみ。其処に至るまでの加速は半身と鞘に隠され見えず、最速は目にも留まらぬ速さ。

「――ただの天才はすでに遥か彼方。堕ちろ、巨人」

 多くの目にはすれ違っただけにしか見えなかった。ウィリアムが剣を抜いたことも見る方向次第で判別できない。アンゼルムやグレゴール、シュルヴィアでようやく抜いたことがわかる程度。最速点は、見ることすらあたわず。

 ウィリアムの居合いはヴォルフ相手に披露した時よりも、さらに発展を見せていた。フィーリィンの絶技からは程遠いが、オスヴァルトの足型を取り入れた斬撃は以前のものよりもほんの少しだけ善くなっている。これが、この一歩が肝要なのだ。

 ウィリアムが剣を鞘に仕舞い込む。その白刃に、一滴の赤もなし。

「く、はは、何が凡人。俺などという怪物よりもよほど――」

 ゴライアスの身体がずれる。真一文字に奔る線。それに沿って、巨人の体躯は滑り落ちていく。綺麗な太刀筋、美し過ぎる死に姿。ウィリアムが振り向いて、ようやく噴き出す鮮血。これで仕舞い。

「さあ、戦後処理と行きましょうか」

 ゴライアスの死を確認して、ウィリアムはコルシカの将たちの方に向き直る。彼らは呆然とその敗北を受け入れ、静かに膝を折った。

 あっさりとひとつ国が堕ちたのである。

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