幕間:小国無双

 それは圧巻であった。

 隣に立つリディアーヌは顔をひくつかせたまま苦笑する。笑うしかない強さ。盤上での強さは知っていた。しかし、戦場での強さは知らなかった。知ってたつもりであった。その考えが覆される。

 アルカディアから南西の山岳地帯。此処にはタイヤルという国があった。小さいながらも七王国に接し、強かに生き抜いてきた国である。今まで幾度となく小競り合いが、まれに大戦があった。それでも、この国は揺らがなかった。

「国王は捕らえたな? そのまま拘束し本国へ持ち帰るぞ」

 それが崩壊したのだ。ただ一人、ただの一軍の手によって。

 世界地図からタイヤルという国が消えた。その軍を指揮していたのは――


 アルカディア王国第二軍軍団長ウィリアム・フォン・リウィウス。

 人は彼を『白騎士』と呼ぶ。


 それほどの偉業を成したのに、周りの反応は薄かった。直参の兵たちは当たり前のように勝利し、当たり前のように国を滅ぼし、当たり前のように戦後処理に勤しんでいる。異様な光景であった。いくらなんでも慣れ過ぎている。

「ウィリアム様、こっから南東の山あいに敵軍残党を捕捉致しました」

「シュルヴィアに任せる。殲滅するも生かすも好きにしろと伝えろ」

「了解致しました!」

 軍自体がこの手のことに慣れていなければ不可能な所業。

 リディアーヌは知っている。彼らが何故こうも手馴れているのかを。北方を制覇した経験。かの地での戦で滅ぼした国は数知れず。ほんの半年の間にいったいいくつの国が潰えたか。戦わずして降伏した国を除外しても、十じゃ利かない。

 リディアーヌは知っていた。知識として北方の件は知っていた。それでもなお驚きを隠せない。格下相手の白騎士、その圧倒的なまでの強さに対して。

 抗し難き怒涛の理詰め、最善手の連打。タイヤルの軍は悪手は打たなかったものの、最善手も打てなかった。結果、圧倒的ワンサイドゲームとなる。

 リディアーヌが直接見た白騎士の戦は、黒狼を相手取った大戦しかなかった。そこで見た白騎士も強かったが、今ほど絶対的ではなく戦況も含めて常時揺れていた。比べる対象が黒狼からタイヤルに変わるだけでこれほど印象が変わるのかと、リディアーヌは唖然としたまま笑うしかない。

「そんなに驚くほどのことでもない。貴女でもこれくらいは出来るさ」

「良く言うよ。私にも同じことが出来る。ただし速度が違うってね。そしてそれが違えば何もかもが変わる。勝敗すら、変わる時もある」

「御明察。この早さが出せるのはアルカディア全土でもうちの軍だけだ。国を滅ぼすのにとても慣れているからな。国が滅ぼされた側も含めて、こういった場では強いさ」

 何事も経験。ウィリアムの軍は小国相手、格下相手の戦を多く経験していた。その経験が今活かされているのだ。

「さて、次の準備だ。さらに南西、押すぞ」

 すでにウィリアムの目にタイヤルは映っていなかった。ウィリアムの視線は次なる戦場へ移行していたのだ。まるで急いているかのように――


     ○


 ヴォルフは準七王国と呼ばれていた国をようやくひとつ下した。戦力差に苦しみながらも掴んだ勝利。その味が掻き消えるほど、白騎士の再動は衝撃的だった。

「んで、白騎士の野郎はこの地図で言うとどの辺にいるんだ?」

 ヴォルフは眼帯越しに眼のあった空洞に手を触れる。未だ痛む傷、それは目を失った傷から生まれるものではない。一瞬でも心砕け、一瞬でも白騎士に屈した己が弱さが痛むのだ。あの紅蓮に燃える炎、脳裏に焼きついて離れない化け物の凶貌。

「……アルカディアの南西、ちけーな。いや、近づけてるのか? 狙いは――」

 ヴォルフは地図を覗き込む。白騎士がただ小国と戯れるために動くとは思えない。狙いがあるはずなのだ。なければそもそも軍を興す口実がない。国が軍の指揮を認めている以上、そこには何か狙いがある。建前にしろ、本音にしろ。

「なるほどね。相変わらず飄々と嫌らしい野郎だ」

 ヴォルフは一人得心し、一人上機嫌に椅子に背を預けた。周囲の皆は説明を求める視線を投げつける。ヴォルフは「仕方ないなあ」とニヤニヤしながら皆を見返す。視線が一気に曇った。

「白騎士の、アルカディアの狙いは俺たちへのけん制だ。この位置取りでお互い領土に接する国と暴れ回ってみろ。ほんの一ヶ月そこらでぶつかるだろうぜ。それはあの坊ちゃんの本意じゃねえだろーがな」

 ネーデルクスの戦略は対アルカディアを封殺しつつ放置することであった。比較的楽な相手(ヘルベルトも充分優秀だが)が要衝の守護についたにも拘らず、ブラウスタット近辺で戦が起こっていないのだ。

 ヘルベルトを討てば、大将ウィリアムが誕生してしまう。そしてその矛先が真っ先にネーデルクスに向くであろうことは誰が見ても明らかであった。世間体のためにも白騎士なら

ネーデルクスへの決戦を選ぶ。その上で勝利し、大将ウィリアムの地位を固めようとするだろう。その過程でネーデルクスが滅ぶ可能性も捨てきれないのだ。

「もちろん相手も俺らとやり合いたくねーとは思っている。俺は強いし、あいつを苦しめた実績もある。だから間違いなくけん制とまり、あっちも本気でやるつもりはねえ」

 ヴォルフは地図をなぞる。

「ルーリャ沿いで陣取りゲーム。今回の焦点となるのはこの位置、ネーデルクス側はこう、アルカディア側はこう、二つのルーリャを挟んで睨みあいだ」

 ルーリャ川は進路の途中で二又に分かれてしまう。下流側がどんどん広くなっていく中、二又に分かれたことによって橋をかけることが可能な川幅になっていた。それが二つ、その中心には準七王国が――

「ま、今回は長丁場にならねえよ。そもそも出会った瞬間さいならってのもありうるさ」

 ヴォルフの感覚では今回、白騎士と矛を合わせることはないと踏んでいた。それは奇しくも白騎士、ウィリアムも感じていたことである。まあ理屈で考えたなら、ネーデルクスはエスタードに注力したいため戦いたくない。アルカディアもオストベルグへ本気を向ける以上こんなところで戦うのは無駄。思惑は合致している。

 ヴォルフの動きも、ウィリアムの動きも互いをけん制するもの。しかし今回戦いはない。出来るだけ早く、美味しい部分を取る必要性はあるが。

(それでも急ぐに越したことはねえな)

 戦える姿勢は作っておく。そのためにはやはり速度が肝要なのだ。これもまた白騎士と同じ思考であった。

 ルーリャを挟み両雄またも邂逅するのだろうか――


     ○


「ウィリアム様、ご無沙汰しております。また共に寄り添える日を心待ちにしておりました。何なりとお申し付けください。全身全霊を持って――」

「久方ぶりだな軍団長。微力ながら全力を尽くそう」

 ウィリアムは「よろしく頼む」とグレゴールの言葉に握手で返す。握り合う掌から伝わる情報で互いの研鑽が理解できた。グレゴールは恥ずかしげに顔を伏せ、ウィリアムは「ほう」と感嘆の声を上げる。

「微力、か。随分謙遜するようになったじゃないか。トゥンダー伯爵」

「軍団長殿から見れば微力も微力。この程度の研鑽でやった気になっていた自分を叱責したい気分だ。此処まで堕ちて、それでもこの程度な自分に腹が立つ」

 グレゴールは頭を下げて「失礼する」と立ち去っていった。残されたのはもじもじと自分も握手しようか迷っているアンゼルムのみ。少し離せばマシに成るかと思いきや、より重症になっているのは頭が痛い。

「あれは使えるな」

 そんな醜態をさらすアンゼルムであったが、主の言いたいことは即座に汲み取る。

「ええ、おそらく今のアルカディアで一番伸びている戦士だと思います。才能はご覧の通りあの体躯、元々秀でておりました。中身は凡百でしたが……大きく変わりました」

 掌から伝わる『巌』は以前の軽いものではなかった。重く、深く、大地に突き刺さり、ちょっとやそっとじゃ揺らがぬ土台が生まれている。

「ヤンもいい贈り物をくれた。そっちは大丈夫なのか?」

「グスタフもおりますし、そもそもオストベルグ側も此方に攻めてくる気はないようです。キモンが目を光らせておりますが、あくまで牽制。問題にはならぬかと」

 加えてラコニアも完成を迎えた以上、ヤンならば下手は打たない。ヤンが動かしていいと判断したならば其処に間違いはないだろう。ウィリアムもとりあえず確認しただけである。

「それよりもこれからの戦です。対ネーデルクスのため小国攻め、さすが我が主、目の付け所が素晴らしい! ぜひわたくしめを貴方様の副将に――」

「いや、お前には自身の師団で動いてもらう。グレゴールもお前が使え」

 恍惚の表情から一転、愕然とした面持ちになるアンゼルム。ようやく主と共に戦えると思ったらまたこれである。がっかりもしようというもの。

「……ちなみにですが、副将はあの野蛮人でございますか?」

 口に出すのも憚られると言った風な言い方。野蛮人を指しているのはおそらく犬猿の仲であるシュルヴィアのことであろう。ウィリアムは首を横に振る。

「出来ればあいつに学ばせたかったがな。だが今は契約もある。あのお嬢様には面白い餌を与え続けなければな」

「あのお嬢様?」

 ずっとラコニアにいたアンゼルムはリディアーヌのことを知らなかった。知らないことに気づいたウィリアムは苦笑する。

「ガリアスから留学にきたお嬢様だ。大橋の建造、休暇中の代役と俺の側近として高い能力を発揮してくれた。帰すには惜しい人材だ。紹介しよう、きっと気に入る」

 最後の言葉はウィリアムがそうなって欲しいと言う願望。

「ウィリアム様の……側近? 惜しい、人材?」

 そしてその願望は叶わない。何故なら会う前の時点で、名前すら知らぬ現時点で、アンゼルムにとってリディアーヌは敵となっていたのだ。


 アンゼルム師団長とグレゴール筆頭百人隊長らを加えたアルカディア軍は速力を増す。ただでさえ手のつけられなかった白騎士の軍が強化されたのだ。白騎士のやり方を誰よりも心得ている師団長と『戦槍』に近い制圧力を見せる筆頭百人隊長の加入は大きい。

「ジェノヴァが落ちたか。これでアルカディアとわが国が接したわけだ」

 今日もまた一国が落ちた。ジェノヴァという小国が地図から消えたのだ。大儀もクソもない、目障りだから戦を吹っかけて他国を蹂躙する非道。だが、今は戦の時代である。それがまかり通ってしまうのだ。ルールを強いるべき七王国が率先して他国に攻め入っているのだから性質が悪い。

「戦で勝つのは不可能だろう。わが国の戦力どうこうじゃない。今の白騎士を戦で倒すことが不可能に近いのだ。強過ぎる、ただただ強過ぎる」

 今までの実績を見ればわかる。北方と言う見え辛い環境での戦果では実感できなかった白騎士の強さ。ここひと月の暴れっぷりで世界中の人に実感としての強さを刻み込む。

「戦では勝てない。だが、俺たちは勝たねばならない。祖国のために」

 コルシカという小国の将である男は、背後の巨大な影に振り向く。

「策はある。弱者であることを振りかざして、白騎士を対等の領域に引きずり出す」

 巨大な影が蠢いた。武者震いの如く。

「ああ、勝てるさ。一対一でお前に勝てる人間なんていない。そうだろう――」

 コルシカには怪物がいる。白騎士を打ち倒す切り札があるのだ。


     ○


「コルシカの将が一騎打ちを所望しております」

 アンゼルムは呆れ果てたような仕草で報告する。この申し出はアルカディアにとって何のメリットもない。これだけ充実した軍、たとえ同規模の敵を相手取ったとしても即日蹂躙出来るだろう。受けるメリットはないのだ。だが――

「断り辛いな」

 コルシカ側の出してきた条件は、白騎士が勝てば無条件でコルシカは降伏する。負ければコルシカ攻略から手を引けというものであった。

「仰るとおりです。断ればコルシカ相手に白騎士が逃げたよう世界には映るでしょう。白騎士の輝かしい戦歴に傷がつく。加えて自軍の士気も下がります。コルシカの連中は末端にも浸透するように声高に叫んでいますから」

 白騎士の一騎打ちが両陣営から望まれている。敵方は薄くとも勝てる可能性を拾いに。味方は白騎士が申し出を堂々と受けて、英雄の一騎打ちにて勝つ姿を求めて。

 実利ではなく誇りに訴えかけてくる良い策であった。コルシカを指揮する男は恥も外聞も投げ捨てられる良き将であるようだ。

「それでも私は断るべきと思います」

「同意見だね。コルシカには『巨人』のゴライアスがいる。とてつもない巨躯の武人だ。大きさだけならばかのエル・シド以上の体躯を誇る。一騎打ちならばまず間違いなく彼が出てくるだろう。安易な挑発に乗るべきではない。無理すべき時ではないと思う」

 アンゼルム、リディアーヌ双方から否定の声が上がる。マイナスを理解したうえで、無駄なリスクを背負う必要はないと考えたのだ。

「ビビリどもめ。戦わんなら私が代理で出てやろう」

「黙っていろ野蛮人。お前で勝てるならそもそも議論になっていない」

 シュルヴィアは反論しようとするが、ウィリアムが手を上げてそれを制した。

「俺が出る。これで議論は終了だ。一週間かかるはずだったコルシカ攻略が一日で叶う。これほどのメリットはない」

「しかしゴライアスは――」

「くどい。明日、労せずまたひとつ国が堕ちる。各自先のことのみを考えておけ」

 ウィリアムは無理やり議論を終わらせた。何人か言いたいこともあるだろうが、それらは黙殺する。ウィリアムとて、決して相手を侮っているわけではない。ウィリアムにとって受けるべきメリットがあったから受けただけのこと。普段であれば相手も知らずに一騎打ちなど受けることはない。

(……試すには絶好の相手だ)

 ウィリアムは愛剣の柄をゆっくり撫で付ける。リスクを犯してでも今は前に進みたい。目指すべきところを考えたなら、途上で足踏みするわけにはいかないのだ。

 白騎士が相手の策に乗り、一騎打ちを受けたことは即日両陣営全体に伝わった。

 明日、二人の戦いでコルシカの命運が決まる。

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