幕間:激動の世界、その片隅で

 ウィリアムは一礼をしてとある部屋から出てきた。まだラコニアに詰めているヤンに代わって隠居するはずのバルディアスの部屋。正式には元大将であるが、大将の任命式を行えていない以上バルディアスが実務をせねばならない。ラコニアの仕事も本国に負けず劣らず重要なものなのだ。

 ウィリアムはバルディアスと会っていた。さまざまな事柄の報告、そして現状の説明。バルディアスは顔色一つ変えず聞き入り、最後にウィリアムへひと月ほどの休暇を言い渡した。ウィリアムもそれを柔和な表情を崩さず受け取る。

「……正式に大将を降りた後になるが、茶でもどうだ?」

「喜んで同席させていただきます。では、失礼致します」

 ウィリアムの体調は好転しないままであった。致死と引き換えに得た火傷。必殺を炎で上書きした結果ならば安いもの。とはいえ常時煉獄の炎でいぶられている感覚はなかなかに苦痛であった。

「この時期に、貴様が休暇を望むのか?」

「この時期だからこそ、です」

 激動の世界。


 ウェルキンゲトリクスとエル・シドの激突は、巨星同士の名に恥じない苛烈を極めたものであった。一進一退の攻防。集団戦も個人戦もレベルの高い次元で行われていた。そもそも重箱の隅をつつくような戦術の前に、彼らの兵は根本的に強く、速い。誰よりも強く速い者が率いているのだから当然といえば当然である。

 彼らの戦は二週間続いたらしい。両者傷まみれのボロボロ。英雄王と烈日とは思えぬ姿。それはそのまま戦の激しさを、怪物同士の拮抗を表していた。

 巨星は未だ健在。盤石の構えにて挑戦者を待つ。

「ケリをつけん気か?」

「ここで死力を尽くしても仕方がない。尽くすべき場所と相手がいるだろう?」

 ウェルキンゲトリクスもエル・シドも本気ではあった。だが、命がけではなかったのだ。彼らは命の賭けどころを知っている。

「俺様の刃は、ついぞ貴様には届かなかったということか」

「俺がエル・シド・カンペアドールの限界を引き出せなかっただけ。安心しろ、じきに現れる挑戦者が、お前の全てを引き出してくれる。その上で、超えてくるぞ」

 エル・シドは何を言わず長年の宿敵に背を向けた。それもまたわかっていること。わかった上で、エル・シドは超えたかったのだろう。その気持ちは、ウェルキンゲトリクスもわからないではない。

「さらばだ|宿敵(とも)よ。決着は彼岸の彼方にて」

 英雄王もまた背を向ける。旧時代はその力を研ぎ澄まし新時代を待つ。決して超えさせる気などない。自分たちの時代こそ至高。若き蛮勇を摘んでこそ頂点。

「「来るが良い新時代の申し子よ。俺(様)が磨り潰してくれよう!」」

 時代を捻じ曲げて、新たな世を潰し、揺らがざる三大巨星の時代を飾る。自分たちこそ最強であったと、我らこそ至高であったと、後世に知らしめるために。時代を完成させるのだ。最高至強の時代を。

 彼らが時代となる。


 幾たび打ち合ったであろうか、すでにガロンヌの刃はボロボロであった。自慢の長剣、竜殺しを為した時代を超えし名剣でさえ、黒き鋼を破るには至らない。しかも立ち向かうはアクィタニアが誇る竜殺しだけではない。ガルニア最強の、エル・シドの顔に奔る傷をつけた騎士、ランスロとの共闘である。

「わしゃあオストベルグ大将軍、『黒金』のストラクレスじゃア!」

 怪物。エィヴィングとガレリウスの戦術合戦はガレリウスに軍配が上がった。その差は見た目以上に大きかったはずなのだ。しかし、今、この戦場にその爪あとは無い。

「あいも変わらず化け物だねえ。この二人で止めるのに精一杯なんて悪い冗談だよぉ」

 全てを覆す、ストラクレスの突撃。此処しかないタイミングで、最速最強の一撃をお見舞いする。ヴォルフにも似た嗅覚、そして現状のヴォルフ、黒の傭兵団とは比較にならぬ必殺の重さ。ベルシュロンの群れが、重厚な馬蹄を刻みながら敵を蹂躙する。

 察知した最高戦力の二人でさえ、歩みを止めることすら出来ていないのだ。猛進するストラクレスの力を、その最強にランスロはあの男を重ねる。

「並び立つ、まさに三大巨星か。あの男と同じレベルの怪物がいようとは」

 あの時の執着、あの時の妄執があって傷一つ。その差は、あれから腕を上げたはずの騎士を容易く吹き飛ばした。足りぬと、アークにも言われたあの日以来欠けてしまったものを見せ付けられている気分。

「……面白いッ!」

 ランスロの眼に、ほのかに炎が宿る。それは十数年ぶりの熱情であった。


 アポロニアを退けたガリアスの精鋭。どれほどのカリスマを持とうとも、質と量を併せ持つガリアスには届かなかった。彼らに質はあれど、彼らに量はない。

「嗚呼、とても甘美な戦でしたわ」

 エウリュディケはうっとりと恍惚の笑みを浮かべていた。思い返せば震えるほど超絶の技巧を尽くした技の応酬ばかり。ゼロ距離でケラウノスとフェイルノートを放ち合った衝撃は今も忘れられない。互いに必殺。それが掠めあい軌道をそらした。エウリュディケは腹を大きくそがれ、トリストラムは頬に消えぬ傷を負った。

「……お姉様をときめかせるなんて、許すまじ弓騎士!」

 そういうリュテスもまたアークランドとの戦はまんざらでもなかったのだろう。文句を言いつつもそれほど踏み込んでいかない。平常なら敬愛過ぎるお姉様の想い人など即座に出向き殺しまくるぐらいの気概がある。実際それをして一国を落とした経験もあった。

「いやはや、強かったねボルトース」

 ダルタニアンの言葉に無言で頷くボルトース。ほぼ完勝であった戦だが、出した戦力は、量はともかく質はガリアスの総戦力に近い。これで完勝するのは当たり前。その中でどれだけの動きをしたか、それが問題である。

「あの中で厄介なのは事前の調査どおりだった。トリストラムはエウリュディケと引き分けて、ローエングリンも技有りの痛み分け。アポロニアは相変わらず化け物だし、ベイリンもあの怪物の側近、伊達じゃない」

 もう一人の要注意人物はエスタードの守護に回った。これも想定の範囲内。ユーフェミアの戦歴を見れば攻めるより守る方が強く、得手であることはわかる。問題はそれをぶち抜いた存在がいるということ。その人物をダルタニアンは知らなかった。

(陛下なら知っているのだろうか?)

 おそらく王の左右に比するユーフェミアに完勝した人物。気にならないといえば嘘になる。だが、今はアークランドやオストベルグ、ひいては自分たちの主があれほど高く買った白騎士擁するアルカディアの方が優先度は高い。

「……もう一人いますよ。ってか、たぶんこいつが一番厄介だぜ」

 百将でも上位の一人が声をあげた。四人は人物を見て聞く価値があることを悟る。

「俺ァ別働隊の奇兵を討ち取りにいったんですが、そこにいたチビは伸びるし化ける。すでにその兆しは見えてました。俺ら四人がかりで討ち漏らしたあげく、グランのやつがドサクサで討たれたってんだから……それを俺らの間抜けと取るか、相手の力と見るか、それは四人方の判断次第ですがね」

 百将上位の四人組。遊撃を好みどの戦場でも四人まとまって敵の要を討つ彼らの言葉は重い。しかも武力では王の左右に近いグランが討たれたとあってはただ事ではないのだ。

「名は、なんと言う?」

 ボルトースが問う。これを見逃すこと、おそらくガリアスにとって大きな損失となると踏んだ。それは王の左右の総意でもあった。

「名乗った名は、メドラウト・オブ・ガルニアス。金の髪にアポロニアと瓜二つの顔を持っていた。ただし戦はまるで違うがな。おそらくあの奇兵、発案はあのチビだ。ダルタニアンと俺らがいたから止められたが、どっちかが欠けてても決まっていた策だぜ。決まりゃあ戦局を傾かせることくらい出来たかもな」

 ガルニアス、その名を聞いてこの場の全員が警戒を浮かべた。今はただ一人が背負うはずの名、もはやその国は無くなり、アークランドと名を変えている。メドラウトの名を聞いたことはあったが、その下の名がガルニアスとは知らなかった。

「強いか?」

「強いしもっと強くなる。たぶん意識が変わったのは最近かね。戦も武も手探りに見えた。その割りにまとまっているし、逃げと決めた判断の速度、しんがりで部隊を退かせたセンスはぴかいち。俺の立場だとアポロニアより怖くなり得ると思うがね」

 やはりアークランドの質はガリアスにも比する。あれほどの人物が集う勢力、これからの伸びしろがわからない。結局、完勝したとはいえ、主要の将を一人も討てなかったこともまた事実。この先、ガリアスにとっておそるべき敵となるだろう。

 ガリアスに慢心は無い。あせらず、確実に超大国を脅かす芽をつぶしていく。

「当面はアークランドに力を入れていこう。オストベルグ方面はガレリウスがいるし、何とか持たせてくれるだろうからね」

 戦友であり親友である男への信頼、その部分だけダルタニアンの読みは外れていた。

 彼らは忘れていた、量を凌駕する質と言うものが存在していることを。長くその本領を発揮しなかった怪物が、とうとう自国の危機を察知し牙をむき出し余裕なく暴れまわっていることを。世界の激動が、化け物たちを目覚めさせたことを、彼らは忘れていた。

 時代がうねる。


     ○


 ウィリアムはフランクの葬儀に参列していた。亡骸の無い形だけの儀式、敵国領内で戦死した者の多くは、悲しみと同じくらいの虚しさをもって送られていく。フランクもまた同様であったが、どこか虚しさが勝る感覚を受けた。

(後継ぎじゃなければこんなもの、か。これでは浮かばれんな)

 フランクの家にとって、フランクとはテイラーとの繋がりを強固にする道具で、愛すべき息子ではなかったらしい。この死は利害で見ればむしろ得、テイラーへの忠誠を要らない方の息子で命を買ったようなもの。

(これもまた人)

 どこか白々しい空気。テイラーの縁者でこの場にいるのはアインハルトのみ。テイラー家の商を背負うアインハルト、今テイラーや武器商会を統括するウィリアム、二人への覚えを良くしようと賢しらな連中が集ってくるのもまた下卑た光景である。

 この場にて本気で悲しんでいるのはただ一人だけであろう。男は式中ずっと自分の手を見つめていた。何故あの時、自分は負けたのか。言い出しっぺの自分が生き延びて、巻き込まれただけのフランクが死んだ。

 戦場に出る気のなかった男を導いた自分が生きた。それが許せない。

 凸凹の生き延びた方、イグナーツは静かに泣いていた。もう、自分がフランクの分も働くことすら出来ないのだ。断たれた足の腱、正常に歩くことすらままならぬ足。自分が戦場に舞い戻ることはない。それが、虚しい。

「俺ぁ、これからどう生きればいいんすか?」

 やり場の無い思いがしとしとと零れ落ちる。


 葬儀が終わり、イグナーツは一人足を引きずって歩き去る。これから自分がどう生きるのか、何も考え付かない。折角フランクにもらった命、ただ無為に消耗するにはあまりに重かった。名誉の負傷、金に困ることは無いが、心は途方にくれたまま――

「何処へ向かう、イグナーツ」

 そんなイグナーツに声をかけたのは元上官のウィリアムであった。彼のおかげでイグナーツは生き延びることが出来た。逆に言えば、彼のせいでイグナーツは死ねなかったのだ。

「どこっすかね。今から算術でも学んで家業の手伝いでも――」

「ならば戦場で得たもの、全てが無駄になるな。フランクも無駄死にだったわけだ」

 イグナーツの眼が大きく見開かれる。揺れる瞳の色は行き場を失った亡者と同じ、しかしその奥で揺れるかすかな『熱』をウィリアムは見逃さなかった。

「なら、俺にどうしろって言うんすか!? あいつの分も戦働きしようにも足が動かない。走れない兵が欲しいっすか? 歩くのもままならない兵が必要っすか?」

 イグナーツが吐露する想いは、自身の置かれた絶望にあった。何をしようにもついてくる致命的な負傷。

「必要ないだろうな」

 覚悟があっても今のイグナーツを必要とする戦場は無い。

「俺もそう思うっす。だから放っておいて――」

「戦場では、必要ない。戦場では、な」

 イグナーツはウィリアムの言いたいことを理解する。つまりウィリアムは勧誘に来たのだ。戦場以外のどこかで、イグナーツが学んだことを生かせる場所がある。そこでイグナーツを使いたい、と。それはある意味でイグナーツ自身求めていた答えでもある。

「俺の作る学び舎で教師になれ。次代の兵を作る場所だ。必要なのは上っ面の知識じゃない。それなら書物で充分。経験に基づく根本の感性を根付かせてこそ意味がある。それが出来るのは良い経験を積んだ兵士だけ、お前が最適だ、イグナーツよ」

 自分が教師、考えたことも無かった答え。イグナーツは困惑していた。必死に生き延びることだけを考えてきた自分が、ウィリアムが、カールが敷いた道をただ駆け抜けただけの自分が、いったい何を教えられるというのか。

「お前は自分の価値が理解できていないようだな。いいか、この数年だけで何十戦もこなしてきた経験値、その内容は決して楽な道ばかりではなく、短い間だが大将の側近も務めた、それらの何処に凡なる要素がある? 何よりも、誰の下で戦を学んだと思っている? お前たち二人はカールと違う方向でスペシャルに仕上げた。俺が俺の商品の見立てを誤ると思うか? それが答えだ」

 ウィリアムは一切言葉を包むことなく放った。むき出しの答え、そこには以前と同じように道が出来ていた。イグナーツは苦笑する。たぶん、この道を突き進むのが一番良い選択なのだ。自分が考えるよりも、誰かが作った道筋を外れぬように駆け抜ける。

 ウィリアムは今のイグナーツを欲している。ならばきっとその走り方を教えろというのだろう。凡人極まる自分たちが、それでも何とかモノになった、それを教えろというのだ。

「お前たちのような便利屋が増えれば全体の生存率は跳ね上がる。俺は五年、十年先、俺たちの作った人材で最強の軍を形成しようと思っている。強く、速く、何よりもしぶとい、生き抜く力を持つ軍だ。その人材を、最も重要な部分を、お前に任せたい」

 ウィリアムの作った道。今度は自分一人で駆け抜けねばならない。それはきっと今まで二人で走ってきた何倍も苦しい道だろう。ウィリアムの要求で楽だったものなどないのだ。ふと、背中に熱いものを感じた。走れと、自分とは違う心が叫ぶ。

「……じゃんけんで決めていいっすか? 俺が勝ったら、これから先の人生全てを賭けて教師として生きる」

「お前が負けたら?」

「ウィリアム・フォン・リウィウスの命令に従うっす」

 行きつく答えは同じ。されど志が違う。ウィリアムは「いいだろう」と腕を出す。勝っても負けても自分の思惑は果たされる。むしろイグナーツが負けた方が思惑に沿うかもしれない。彼らは戦場で生きることを厭いながら、それでも生き抜いてきたのだから。ゆえに本意でない方が良い働きをする可能性はある。

 本意のイグナーツはウィリアムにとって未知数。ウィリアムは勝つ気であった。

「最初はグー」

 ウィリアムの運量、決して目の前の凡人に負けるものではない。これから天上と戦おうというものが、運勝負とはいえ凡人に負けるわけにはいかないのだ。

「じゃんけん――」

 しかし、それは相手が凡人であった場合。この勝負への熱量が、ウィリアムの想定内であった場合である。突如焼け付くような妄執がウィリアムを襲った。突き抜けるような鉄の意志、灼熱の長槍がウィリアムを貫く。

「――ほい!」

 ウィリアムは目の前の男を計り間違えていた。ただの凡人、その育成が上手くいったモデルケースと、ウィリアムは考えていたのだ。イグナーツの目に浮かぶ熱量は一人分ではなかった。自らの上質な経験と相棒の死を背負い、覚悟を持って勝負に臨んだイグナーツ。その誤差が――

(この俺を負かすか。やるじゃないか、|凡人(イグナーツ))

 ウィリアムはチョキを、イグナーツは『グー』を出していた。勝ったのはイグナーツ。白騎士を相手取り勝利したのだ。イグナーツの瞳に浮かぶ炎は本物であったということ。

 イグナーツは息を吐いた。ゆっくりと、ゆっくりと、熱を吐き出し、大きく息を吸った。

「それで、俺は何から始めればいいんすか?」

 イグナーツの前に新たなる道が開けた。今度は其処を一人で歩む。全力で駆け抜ける。もう一人が残してくれた生きる熱量と共に――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る