進化するネーデルクス:転換期

「――騎士』ゴーヴァン。ようこそ我が国へ。君を歓迎するよ」

 其処はハースブルク家が誇る大御屋敷、グロリエッテ。とてつもなく広い敷地にいくつか宮殿が存在する。その中でもひときわ美しく中枢から離れたところに建てられているのが、ルドルフ・レ・ハースブルクの住まう『星の離宮』。

「……エル・シドと戦わせろ。それ以外に興味はない」

「恨みかい?」

「否だ。あの方を奪われた無念を悔いていいのは、想いを抱く覚悟のあったものだけ。俺はそれを持たん。俺の動機は単純に強き者と戦いたい。俺の力を試してみたい、それだけだ」

「なら大歓迎だ。エル・シドとは限らないけれど、強い奴と戦わせてあげるよ。これからは乱世だからねえ。望まずとも……ね」

 何故、十年地に伏してきた『彼ら』が急に動き出したのか。何故、アーク王の下を離れて他者の下につく気になったのか。ルドルフはあえて尋ねない。気にならないと言えば嘘になるが、問うて意味のある質問になりえないと思ったのだ。

 かの『太陽騎士』が手札に加わる。その事実があればいい。

「この者らも全員雇われか?」

 ゴーヴァンは周囲を囲む気配について問う。

「そうだね。僕の後ろにいるラインベルカを除けば全員が他国の者だ。全員曲者中の曲者だぜ」

「そのようだな。されど、乱世とやらをくぐるには少しばかり粒が小さい」

 ゴーヴァンの率直な言葉に殺気が向けられる。だが、それを平然といなして仁王立つ男に、それ以上踏み込むものはいなかった。

「君と同じ待遇の『二人』にはすでに働いてもらってるよ。彼らなら君の見立てにも適う筈だ。特に、『黒狼』は強いよ。たぶん今でも強くなり続けている」

 黒狼の名を聞いてゴーヴァンは少し微笑んだ。戦友であったユーウェインが主と見定めた男、命を懸けてでも守りたかった未来は、確かに繋がっているようであった。会うのが楽しみだとゴーヴァンは思う。

「とりあえずそろそろヴォルフっち呼び戻そうか。此処まで時間がかかっているってことはブラウスタットは落とせない、フランデレンよさらばってことでしょ」

 ルドルフはラインベルカに命じる。激闘の終戦を一方的に告げた。これが正しい判断かどうか、それはわからない。しかしこれ以上攻めても実りは少ないことは事実。双方とも英雄を磨耗させるだけ。それではもったいないし、面白くない。

「ヴォルフっちが戻ってくる前に、新しいネーデルクスを始めちゃおうか」

 ルドルフはゴーヴァンだけじゃなく、この場にいる全員に視線を向けた。

「父には死んでいただく。父とその周囲、後顧の憂いは残さず平らげちゃおう。僕がハースブルク家の当主になり、この国の未来を司る。今日から始まるんだ。古き時代に固執する元超大国は滅び、何処よりも新しい国を作る。最高に面白い奴をだ」

 傭兵を雇うことすら良い顔されなかったネーデルクス。これからルドルフが敢行しようとしている改革は、それらの比ではない反発を生むだろう。これを断行するには力が要る。最低でもハースブルク家の当主にならねば話にならない。

「新しいを始めようか」

 ネーデルクスは進化しようとしていた。


     ○


 ヴォルフは誰も起きていない早朝に、単身馬を用いて見晴らしのよい丘に陣取っていた。攻めるための動きではない。ただの見物。ただ、見たかったのだ。

「完成したか。これで抜けねえな。これ以上踏ん張るのは、割にあわねえ」

 ヴォルフは身を翻す。見えた景色を背に――


     ○


 この日もウィリアムとヴォルフは互いを潰し合っていた。剣も弓も、何もかもを使い切って、ヴォルフを完全に止めているウィリアム。遠距離、接近戦、上手く複合されたならヴォルフとて容易ではない。下がり過ぎても容易く、近づき過ぎるのは論外。

 ウィリアムはバランス感覚を取り戻していた。攻め過ぎず、守りきる構え。

 そしてヴォルフとしてもこの状況は悪いものではなかった。ウィリアムを自らが抑えていることで、他の味方がウィリアムに食われる状況を防ぐことが出来る。その犠牲を厭わねばやれる選択肢もあっただろうが、この戦場でそこまでする必要も義務もない。

 互いの妥協と利害が一致したがゆえの均衡。それも今日で終わりである。

「白騎士と黒狼がぶつかるぞッ!」

 この戦で幾度も見た光景。がぎぃ、と鉄を削り合うような音が幾度となく響く。

 仮面の上からでもわかる凄絶な表情。自らを炎で焼いた男の狂気が迸る。対する男もまた自らの目玉を喰らった大馬鹿である。誰も近寄れぬ剣撃の嵐。

「橋の周り、完成してたな」

 その中で、ヴォルフはウィリアムに声をかけた。ほんの少し、当事者同士にだけわかる剣の緩み。ウィリアムも意図を察しほんの少しだけ剣を緩めた。

「ああ、これでまた一歩貴様は遠退いたわけだ」

「ハッ、俺を止めた上で、他が優位に運ばれてる時点で勝ちの目なんかねーよ。もうとっくにブラウスタットも、この戦自体も諦めてらぁ」

 ヴォルフの吐いた言葉で、ウィリアムは自身の答え合わせを済ませる。

「俺は退くぜ。そういう命令が今朝、青貴子から届いた。俺もそうすべきと思っている」

「賢明な判断だな。貴様の割には」

「そらどうも。ま、言い訳はしねえよ。今回もテメエの勝ちだ」

「ふん、シュピルチェからブラウスタットまで本隊を押し戻して、大将の首を取った時点で仕事は終わっているだろうが。其処から先は……運がなかっただけだ」

 ヴォルフはやるべき仕事をきっちり果たしている。それも早々に。ウィリアムやロルフという援軍が此方に来れたのは、ストラクレスがガリアスとの戦を選んだため。援軍到着後の戦は、橋が不完全でカバーするために野戦中心とはいえ、難攻不落のブラウスタットを使えるアルカディアが有利なのは当たり前。元々状況は攻め手が不利であった。ヴォルフたちは難攻不落の要塞都市、その裏をかいて橋を潰すしか選択肢はなかったのだ。

 山を越えるという攻め筋は、黒狼も白騎士もほぼ頭から消していた。一応ロルフを置いて守らせていたが、あくまでそれは戦場を広く使うための布石であり、重要度はさほど高くない。そもそも山を越えて橋の裏を取り破壊工作をすると、その後実行した部隊はアルカディア側の領土に取り残されることになる。実行部隊は全滅必至。

「いやあ、運はあったさ。テメエに会えた。それ以上の運があるか?」

 ヴォルフは戦争の結果や状況などすべて脇において、ただ自分の成長のみに観点をおいた場合、自分はとてつもなく成長したと確信を持っていた。もちろん相手も強くすることになったが、今はそんなことどうでも良いのだ。この男との決着は、きっと互いが頂点を喰らった後の話なのだから。

「……気持ちの悪い奴だな」

「同じ気持ちの癖によ。素直じゃねえなあ。つーわけでお別れだ。餞別ってわけでもねえが、一個良い情報をやるよ」

 剣と剣が重なり合う。鍔迫り合いに持ち込むヴォルフ。距離が近づく。

「今日届いた話じゃ、とうとうハースブルク家の当主にお坊ちゃんが就いたらしい」

 ウィリアムは「ほう」とそれほど驚いていない軽いリアクションであった。早晩こうなることは予測できていた。問題はその先、ハースブルク家の長としてどうネーデルクスという国に貢献するか、其処が肝要である。

「お前なら俺が何故雇われて、あの男がネーデルクスをどうしたいのか、何となくわかってるんだろ? それがとうとう本格的に動き出すって話さ」

 ウィリアムはちらりと紅い鎧を纏った若き新鋭に目を向ける。此方に合流してから、ヴォルフの戦の中にいるおかげで飛躍的な成長を遂げている。これが狙いならば――

「三人だ。俺と同格の扱いを受けている三人に、それぞれ赤白黒の若手が部下としてくっついてくる。俺が赤、蛇の奴が白、んで俺も知らないもう一人に黒だ。強くなるぜこの国は……俺たちがお役ごめんになった頃がこえーよな。話は此処までだっと!」

 ヴォルフとウィリアムは弾けるように間合いを取った。少々不自然が過ぎる。これ以上接近戦を続けている体になれば、ヴォルフが手を抜いていると思われてしまうし、ウィリアムとしてもあらぬ疑いをかけられてしまうだろう。

「俺からもひとつだ」

 それでも、ウィリアムはさらに言葉を重ねた。

「アルカディアも変わるぞ。俺はこの戦の後、軍団長への昇進が決まっている。そして此処を守護するのは大将――――だ」

 ヴォルフは目を剥いた。そして大笑いする。

「えっぐいなあ。やっぱえぐいぜほんとによォ。いいぜ、報告しといてやる。あのお坊ちゃんなら当然意図を察してくる。そしたら……準備万端ってことか」

 ヴォルフは頭をかいた。狙いのスケールが違う。そしてこれはおそらく『成る』作戦だ。

「……何のことやら」

 ヴォルフは一息ついた。すでに周りからは変な目で見られている。二人が立ち止まって声をかわしているのだ。

「俺も、すぐに挑戦権を手に入れる。一度は太陽の高さに落とされた。でも、今は違う。今度は俺が太陽を喰らう番だ。一年後、俺は天に立つぞ、ウィリアム!」

 それは無謀な宣言であった。だが、それを否定する言葉をウィリアムは持たなかった。持たないどころか自らもまた、一年後をターゲットとしていた。

「またやろうぜ。その時は、俺もお前も頂点で、だ!」

「ふん、頂点は一人だ。そして其処に立つのは俺だ」

 二つの新鋭はすでに新鋭ではなくなっていた。頂点を狙う成熟した獣。体躯は大きくなり、戦うための知恵もついた。一年前とは見違えるほど強くなった。一年後はさらに高まっているだろう。超えるべき時は近い。超えねば、先へ進めない。

 新たなる時代に旧時代は必要ないのだから。


     ○


 その日、シュピルチェからここまでの二ヶ月を超える大戦は、傍目には何の前触れもなく終わりを告げた。突如、撤退していく黒の傭兵団とネーデルクス軍、その背を追う余力のないアルカディア軍、結果交戦状態は解かれたのであった。

 ブラウスタットには久方ぶりの平穏が訪れていた。未だ戦争状態が抜けていない兵たち、戻って来れていないものも多い。あまりに今回の戦は密度と期間が桁外れ過ぎた。特に撤退戦から参加している者たちにとっては永劫に感じただろう。

「回復するにはもうしばらく時が必要だろう。今回の戦は多くを失ったからな」

 日課の訓練を終えたウィリアムは、それをぼけーっと見物していたカールに話しかける。

「え、ああ、そうだね。うん、皆にはゆっくり休んでもらわなきゃ」

 カールもまた精神力を大きく削りながら戦っていた。本来の自分を殺し、ウィリアムに徹した動きは合理的だが、あまりに冷たい選択の連続。合理的に、合理的に、駒を切ってより多くを得る。切り捨てるウィリアムの戦いはカールと対極のものであった。到達点は同じでも、それはやはり違うものなのだ。ゆえに消耗している。

「ウィリアムの方こそ、もう傷は良いの?」

「ご覧の通り万全だ」

 怪我の度合いから言って治っているはずはない。強がりであることは明白だが、実際良くはなっているのだろう。血色はちょっと前に比べてだいぶ普通の人間に近づいていた。

「ウィリアムのおかげで僕らは生き延びることが出来た。ありがとう」

 カールは生き延びることが出来たと言った。勝ったとは、思っていないのだろう。勝利を喜ぶには犠牲が大き過ぎた。だが敗北とするのも犠牲にとって侮辱である。ならばこそカールはただ生き延びたと表現した。そしてそれを最大限感謝している。

「礼は要らんさ。俺は俺の仕事をしただけ。それに――」

 ウィリアムはほんの少しだけ悔しさをにじませた表情を浮かべる。

「この戦は俺と黒狼以外の要素が勝敗を分けた。あの男と俺は、少なくともあの規模の戦では互角。勝つためにはそれ以外を押し出すしかなかった。不本意だが、むしろ俺の方が助けられた形だな。このブラウスタットという難攻不落の砦に、それを司る蒼の盾に」

 本当ならばウィリアム個人の才覚で難敵を打破したかった。だが、ウィリアムの想像以上にヴォルフと言う男は底なしで、理不尽を極めかけていた。個人戦ではそろそろ食い下がるのも困難となってきている。

「お前はよくやった。このブラウスタットを守った。それは犠牲に見合うものだと俺は思う。この場所が未だアルカディアの手にあることを誇ろう。彼らの犠牲を、悲しむのではなく誇りに思うべきだ。それが俺たちの、お前の義務なのだから」

 対ネーデルクス最大の要衝が守られた。これは今後大きな意味を持つことになるだろう。アルカディアを致命的なまでに跳ね返した新生ネーデルクスの猛攻。変革の先駆者である黒狼でさえ最後の牙城までは届かなかった。

 カールは溢れ出しそうな涙をぬぐった。唇をかみ締め、零れ出しそうな弱音を封じる。

「そうだね、義務を果たさなきゃ。僕がやるべきこと、やらなきゃいけないことはいっぱいある。今日、君が見せてくれた計画書は凄かった。あんな壮大な計画、考えつかなかったよ。長い道のりになるだろうけど、必ず僕が導いて――」

 ブラウスタットをルーリャ川に面した都市とする計画。広さの拡張により、ローレンシアの歴史にも類を見ない巨大な都市を築こうと言うのだ。完成したならばアルカスをしのぐほどの大きさとなる。今日見せたのは計画の一端、まだまだ詰めるべき所はある。

 金に関しては、前もってベルンハルトが余裕を持たせていた予算から出せるもの、ウィリアムのような商人たちが先行投資として金を出してくるのもひとつのターゲット。

 とにかく壮大な計画である。そしてそれが、自分の仕事だとカールは――

「伝えるべき順序が逆だったな。悪いことをした」

 ウィリアムはカールの言葉をさえぎって軽く頭を下げた。突然のことに驚くカール。ウィリアムは顔を上げて、カールをじっと見つめた。

「カール・フォン・テイラー。お前は、ブラウスタット防衛の任から外されることとなった。これは王命だ。わかるな、カール」

 カールの表情が決意の赤から絶望の紫に変じる。

「な、なんで!? そりゃあ確かに僕じゃ力不足かもしれない。他に適任なものがいないと断言できるほど秀でてもいない。でも、やる気はある。やらなきゃいけないんだ! 君だってわかるだろう? それが犠牲に報いることだって」

 カールは否定する。否定して、捻じ曲げようと、カールは初めて編成に関して明確な否を突きつけた。自分こそブラウスタットを一番上手く守れる。ブラウスタットを守り発展させる一番の適任は自分だと、カールの目はそう言っていた。

「落ち着けよカール。もはや何を言っても覆らんし、すでに決まったことだ」

 カールの視線をばっさりと切り捨てて、ウィリアムは首を振った。諦めろ、と。

「じゃあ、ブラウスタットは誰が守るんだい?」

「第一軍大将、ヘルベルト殿が見ることになる。……不服か?」

「大いにね」

 カールが見せる攻撃的な表情の珍しさに、ウィリアムはちょっぴりこのまま引き伸ばして楽しもうと思ってしまった。もちろん相手には気取らせないが。

 それだけ珍しいのだ。カールのこのような自己主張は。

「頭がヘルベルト殿に代わること、そのこと自体文句はないよ。でも、僕がこの場所から外されるのは納得できない。副官でもなんでもいい。僕を――」

「それこそ無理な話だ。言ったろ? これは王命なんだよ、カール・フォン・テイラー。お前はブラウスタットを、第一軍を離れることになった。そして――」

 ウィリアムはいたずらっぽい笑顔でカールの肩をぽんと叩く。

「お前は第三軍の大将になるんだ」

 カールは――

「え、な、何を、君は」

 ぽかんと呆然となった後、先ほどとは別の絶望を顔いっぱいに浮かべていた。

 アルカディアもまた変換期に突入する。

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