進化するネーデルクス:剣聖を超えし者
大盾の隙間から突き出された長槍、そして接敵の直前まで引き寄せてからの矢の雨。どれもセオリー通り。それゆえに間違いのない効果を発揮する。
「おいおい、本当に今日死ぬ気かよ」
ヴォルフが目を見張るのは矢の密度、つまりは打ち込まれてくる矢の本数である。ヴォルフらとて愚かではない。相手の補給に対する見切りは済んでいる。大規模な補給は一度としてさせなかった。ならばこの時点でこの矢の量は明らかに短期決戦を目論んでいる。
大盾隊の粘り、前線が完全に停滞している。必死なのは当然敗戦側であるアルカディア陣営。少し前まではネーデルクス側も復讐に燃えていたが、度重なる勝利によって復讐心は磨耗していた。これでは前に進めない。
「矢の間隙を縫って俺が切り開くとしますか」
誰が決死の覚悟を決めさせたのかわからないが、熱量にこれだけ差がある以上攻めきるには加熱せねばならない。その燃料としてヴォルフがじきじきに動こうというのだ。
「大丈夫か? 昨日までと動きの精度が違う。士気も……少しばかり高まり過ぎている」
アナトールの忠告を聞いてヴォルフも頷く。当然妙なことはヴォルフとて感づいている。だが、優位な状況で退くほどヴォルフは引け腰ではなかった。否、此処で退くようならどの道先はない。
「三大巨星に挑もうって輩が、この状況で退けねえよ」
ヴォルフは軽く伸びをする。その決意の固さにアナトールは微笑み道を譲った。
「おっしゃ往って来いバカヤロウ。ケツは任せとけ」
ニーカもまたヴォルフの背中を叩く。勝てるときに勝つ。勝ちを取りこぼすようではヴォルフの目指す先は無い。これまで磨いた力を、この冬を越えて高まった己を、
「おーし、いっちょギルベルトちゃんの首でも取ってきますか!」
ぶつける時。黒の傭兵団を再始動するために、この戦いは絶対落とせないのだ。
「気をつけろ。ギルベルトは厄介だぞ」
「んなもんわーってるよ。だが、この前感じた一瞬の煌きでも、俺にゃあ届かねえさ」
アナトールを一瞬で破った力。確かに凄まじいものがあった。しかしそれ以降一度としてその冴えは見受けられない。そしてそれが出ても勝てる自信があった。
ヴォルフが動き出した。それを戦場から視認することは出来ない。
「気配もなく音もなく、きっちりお仕事させていただきますよっと」
ヴォルフは今、戦場においてまったく目立っていなかった。空気のような雰囲気、凡百の騎兵と同様。纏っているものは黒の鎧で目立つはずだが、それでも気に留めることが出来ないのだ。雰囲気のコントロールで存在感を、技術で物音を消す。
「矢の継ぎ目、此処だな」
ヴォルフは馬を疾駆させる。後続は黒の傭兵団ではなくネーデルクスが誇る『赤』の精鋭たち。マルスランの側近であった彼らはまだ熱を失っていない。それを生かさない手はないとヴォルフは判断した。
「往くぜ」
自陣中ほどから一気に加速するヴォルフ隊。アルカディアが気づいたときには遅かった。あまりにも速く、強い。長槍が繰り出される。それを無造作に払い、
「ほい喰った」
大盾と大盾の間、その隙間を押し広げるようにヴォルフは剣を振るった。空間が広がる。剣の圧力で圧された二人の間。そこに馬を食い込ませて、あまりにも容易く敵陣に食い込んだ。
「オッラァア!」
人の二倍、左右で同時に血しぶきが舞う。剣や槍で止めようとするも、それらをへし折りながらヴォルフの進撃は止まらない。弾き返すでもなく、受け止めるでもない。鍛え抜かれた狼の牙は相手をへし折り打ち砕いていく。
「あの若さで、あの体格でマルスラン様のような攻め姿、傭兵ながら天晴れだ」
後続の『赤』にヴォルフに対する懸念やわだかまりは失せていた。彼らは強きものを尊ぶ。マルスランのような人外の姿に彼らは惹かれる。だとするならばヴォルフもまた敬意を払う対象なのだ。この怪物は強いのだから。
「もう終わりか? んなわけねえよなァ!」
ヴォルフは往く。まるで無人の野を行くが如く。
○
ヴォルフが敵陣中央に喰らいつき、前へ前へと進んでいくさまは恐怖を抱くに十分であった。死力を尽くして立ちふさがる兵でさえ容易く薙ぎ倒してしまう膂力、どれほどの障害をも越えていく推進力。
だからこそ、今まで止める事は出来なかった。今回も止める気はなかった。
「んあ? 抜けただと」
ヴォルフは敵陣を突破した。それはヴォルフの見立てよりかなり薄い中央軍で、目の前に広がる空間の広さにヴォルフは驚嘆し理解した。
「罠か、しゃらくせえ!」
後続の『赤』も抜けてくる。彼らの技量と熱量をもってすればこの程度朝飯前である。抜けた先、空間の中央に立つのはアルカディア軍を率いるギルベルトただ一人。その背後には弓隊が並ぶ。
「愚かな、この位置取りで我らに矢を放てば自軍にも当たるぞ」
ヴォルフは部下の発言に内心同意した。あの弓隊は見せ掛けと考えるしかない。もし放てばただでさえ薄い中央軍がさらに削れることと成る。
しかし弓隊は一斉に矢を番える動作を始めた。威嚇の割りに宿る殺意。そして彼らの顔に浮かぶのは苦渋の表情。
「……まさか」
ヴォルフは瞬時に背後の敵軍を見る。ヴォルフや『赤』に追いすがろうとしてくるアルカディア兵、彼らの姿を凝視して、そこに浮かぶ笑みの種類を察して、
「冗談じゃねえぞ、この人でなしが!」
刹那、ヴォルフは一気に前進した。ギルベルトに向かい一直線。
矢が放たれる。『赤』の面々の表情が一瞬崩れた。ほぼ水平に近い弧を描いて突き立つ矢。それはネーデルクスの『赤』とアルカディア兵に突き刺さった。
(前線の中央軍後衛はブラウスタットまでもたない、つまりは死ぬ見込みの高い連中。長旅へ連れて行けないから此処で消費する……って鬼畜な策、俺やあいつくらいだろ思いつくの。そんで実行に移せるやつは、いねえはずだったんだがなァ)
ヴォルフが矢に当たらなかったのは、ギルベルトが盾になるよう動いたためである。射線軸にギルベルトを被せることで矢を未然に防いだ。
「なるほどな、士気の高さも頷ける。まァたテメエか、カール・フォン・テイラー!」
弓隊が割れ、その間から進み出てきた青年。その姿はヴォルフが王会議で見た人好きのする青年と重なった。そしてその眼はそれだけに留まらないことを知らしめていた。
「皆の献身、感謝する! さあ、舞台は整ったぞギルベルト!」
唯一加速していたヴォルフと矢で止められた後続との距離は大きく開いていた。ヴォルフはため息をつく。アルカディアで一番厄介なのは間違いなくウィリアムであるとヴォルフは思っている。次いで二番目は攻め戦か守戦かで変化するも、守戦ではカールが厄介な存在だと認識していたのだ。
ウィリアムと根を同じくする守戦の巧みさ。そしてもうひとつウィリアムや自分が持たぬ最強の才能、オストベルグ王エルンストと同質のある意味で毒にも似た能力。
(人たらし。死者を死地に追いやるってんだ。並じゃねえよな)
数十人もの見込みのない者。今はまだ動ける人材、片手失えど、片足失えど、誰かの肩を貸して、動けるものを厳選した。全員とカールは話した。その全員とカールは面識があった。ブラウスタットで蒔いた交流という名の種、師団長であるカールが全員の名を諳んじ、全員の話を覚えていた。その努力と生来の才が結びついたのだ。
生き延びる見込みのある怪我人からも志願者がいた。彼らを後方に逃すための『一日』であったが、志願者はありがたく使わせてもらった。より多くを生かすために、カールは冷酷な決断をしたのだ。その苦渋もまた彼ら全員が知っていた。
怪我人中心の後衛の士気は他より格段に高かった。味方の矢を喰らってなお、矢を免れた『赤』に喰らいつこうと飛び掛るさまは常軌を逸している。敬愛する師団長の頼み、家人のことは任せろと約束した師団長への信頼、そして命がけの撤退を成功させ、必ずブラウスタットにてネーデルクスを粉砕すると誓った師団長の言葉。
死ぬことは怖くない。怖いのはそれが無駄になることである。そしてこの師団長はきっと自分たちの死を無駄にしない。自分たちの死を忘れない。だから捧げられる。
「ここまでの一騎打ちってのは、そうお目にかかれるもんじゃねえな」
背後の死をヴォルフは頭から消した。弓隊が弓を下ろし敵陣中央にぽっかり空いた空間にて動くのはヴォルフとギルベルトのみ。ヴォルフは笑みを浮かべる。この状況でさえ一抹の不安もない。冬を越えて身に着けた自信がほとばしる。
「見せてくれよ、アナトールに見せた底力ってやつを」
ヴォルフとギルベルトが呼応するように馬を走らせる。狙うは敵将の首――
○
(と、見せかけて……四割五分で馬ごといっちゃうぜ!)
ヴォルフは逆手で剣を引き抜く。古来から続く一騎打ちの礼節としては此処ですれ違い様に打ち合うのが慣わしである。だが、ヴォルフにとって此処まで思い通りにされたのは癪であり、どこかでそれを歪めたい願望があった。
(上手く落馬しろよ。んで、俺を引き摺り下ろせたら地上戦でけりつけてやる)
誰もがヴォルフは逆手で引き抜き順手に持ち帰ると思っていた。その動作を加えればタイミングはぴったり打ち合うことになる。しかし、ヴォルフの剣はそのまま動き続け、ほんの少しだけヴォルフは馬を右に寄せる。その僅かの動きで――
「先にセオリーどころか人道ごとへし曲げたんだ! 俺にも曲げさせろよ!」
ヴォルフの刃がギルベルトの馬の首を断ち切った。逆手で馬の首を絶つ膂力はさすが、そしてそのままの勢いでギルベルトの首を狙うのはもはや人外。
「あ――」
その瞬間、ヴォルフは時間が止まったように感じた。薄く薄く引き延ばされた時間の中、ギルベルトの首があったところには空しかなく、それを刃が緩やかに通過する中、まるで羽根のような重みが上から加わった。
「…………」
無言にてその怪物は豪速で動く剣の上にしゃがみ立つ。ひざのクッションを存分に生かして刹那の間、重さを軽減したのだろう。そもそもあまりにも極小の時、乗っているのか触れているだけなのか、ヴォルフでさえ判断がつかない。
(やべえな。こんな感覚初めてだぞ。それにこいつの眼、こんな無機質な――)
ギルベルトはそのまま回転する。否、おそらくはすでに回転を始めていたものが認識に至っただけ。極限まで見せなかった手の内、白の剣が煌く瞬間、ヴォルフは頭の中で叫んだ。全力で生き延びる。『六割』を使い右手を振りぬく前に左手で剣を引き抜く。ギルベルトの剣が到達する刹那、ぎりぎりのタイミングで右手は振りぬき、左手は逆手で抜剣の途上にて剣閃に追いついた。
「こ、のぉ!」
無茶な体勢で受けたためヴォルフは落馬を余儀なくされた。ギルベルトもまた馬を失い落ちる。これは両者とも至った直感であったが、
(落馬で体勢を崩すほど――)
落下、即行動。桁外れの身体能力を誇るヴォルフだから出来る芸当。しかしギルベルトもまた落馬したとは思えぬほどしなやかに地に降り立つ。極めて緩やかな動きである。あまりにも流麗ゆえ、遅く感じるほど卓越した動き。実際はヴォルフの『六割』より少しだけ早かった。ヴォルフは引き伸ばされた時の中、唇をかむ。
(――甘かねえか! だが、力は俺だろ?)
この速さの差なら力で押し切れる。ヴォルフはそう判断した。
互いが落馬直後とは思えぬほど完璧な体勢で地を駆ける。ヴォルフが誇る豪速の剣が奔る。これを受けても二の剣がある。受けても避けても不利がつく双剣使いの強み。力は上だという確信があった。受けは即死。
「…………」
それを憎憎しいほど涼しげにいなして懐に入り込むギルベルト。この距離では左手を使うことなど出来ない。当然ギルベルトもまた剣は使えない。使う気もない。
「跳べ」
身体を折りたたみ、ひねり、入れ替える。足がヴォルフのあごを捉えた。咄嗟にあごを引いて勢いを殺すも間に合わず吹き飛ぶヴォルフ。剣の勝負というのに足が出た。
(おいおい、こりゃあ、どうなってやがる?)
追撃、もちろんヴォルフの体勢は着地前には整っている。追撃を凌ぎながら、目の前の怪物の剣技に見惚れていた。実際、見事としか言いようがない。ベルンハルトの言うとおり、大将を超えている。そもそもとして剣の質が違いすぎるのだ。
(怒りも、悲しみも、何もかもを削ぎ落とした先、こいつにとっては思考すら邪魔なのか。俺らとは求めている力が違いすぎる。ったく、こんなん反則だぜ。なあ、ウィリアムよお)
そこにあるのは目の前の敵を断ち切るだけの純粋なる剣士。戦場というよりも闘技場でこそ花開く才能であろう。感情も思考もない。ただ自らが鍛えた技術と才能のみで戦う一騎打ち専用機、それがギルベルトの真価なのだ。
「ッ!?」
ヴォルフの鎧の継ぎ目を狙った剣がするりと突き立つ。先ほどから防戦一方、すでに限界である六割を出してこの様である。ウィリアムを凌駕してつけた自信が崩れ去る。頭の隅にもなかった。強い将であったが、将としての伸びしろは薄かったと記憶している。まさかこのような才能を持っているとは、ヴォルフの想像を超えていた。
(前の時よりも桁外れに強いな。状況次第で変動幅が尋常じゃねえ。戦場でこれ以上のケースはねえだろうが……就職先を変えたほうがいいんじゃねえかい?)
距離をとるヴォルフ。ギルベルトも深追いはしない。状況は圧倒的にギルベルトが優位であった。そもそも一対一で上手な以上あせる必要はない。
ヴォルフは口の端からこぼれる血を手の甲でぬぐう。ギルベルトの静かな呼吸音のみが響く両者の戦場。絶対の窮地、ヴォルフは――
「ああ、良いね。最高の状況だ」
笑って見せた。ヴォルフの頭によぎるのはエル・シドから受けた敗戦、その絶望の記憶。ユーウェインが盾になってくれねば自分は死んでいた。その地獄に比べれば、目の前の窮地のなんと甘いことか。ほんの少し凌駕されている。ならば――
「出せば良いだけだろ? その先をよォ」
ヴォルフの肉体が悲鳴を上げる。ヴォルフの脳が全力で危険を周知する。それらをすべて無視してヴォルフは歯を剥き出しに微笑む。
「六割五分、限界なんて、超えて何ぼだろうが!」
弾む狼。速度でも上、力でも上――
「…………」
それでも揺らがぬ圧倒的技量。突進をかわされ、カウンターの剣を無茶な体勢で避けるヴォルフ。だというのに復帰はヴォルフのほうが早い。圧倒的身体能力こそヴォルフの持ち味。全身がバネで出来ているかのような動きでギルベルトを攻め立てる。
「マジか!? これでも勝てねえ! 互角、微妙に――」
ヴォルフは驚嘆した。速さ、力で勝ってなお勝てないという感覚。剣の才能に差があった。本来戦場で発揮することのない剣技、一騎打ち専用の儀礼的な技術。戦場での実利を追い求めてきたヴォルフが持ち得ないもの。その差が優ってなお勝てない状況を生んでいた。
追い立てる。いなされる。真正面から剣を受け止めてもらえない。豪剣を軽々といなされ、返しの華麗なる剣で間を作られる。決定打は互いにないが、限界を超えた稼動をしているヴォルフが不利なのは当たり前のこと。
「相手が上。こりゃあ……さすがに分が悪い」
ヴォルフはちらりとカールの方を見る。そこにあるのはギルベルトの強さに対する信頼。この状況ならばギルベルトが勝つ、その信頼が眼に浮かんでいた。
(博打じゃねえな。あの野郎、わかってて俺にぶち当てやがった。ウィリアムとのじゃれ合いか? それとも街での抗争か? とかく俺の力を知った上で絶対勝てる状況を作ったか。ほんと、今日は知らないってことに泣かされる日だぜ)
誤算はカールの登場とギルベルトの本領。どちらも知っていたカールが優るのは当たり前のことであった。
ヴォルフは一呼吸置いて攻め立てて来るギルベルトと身体を入れ替えた。極々自然な体捌き。そこから振り返って追撃するのが先ほどまでの――
「勝てなかったってだけで負けたわけじゃねえからな」
ヴォルフは振り返ることなく全力で逃げの一手を打った。ギルベルトは追撃しようとしない。足でヴォルフが優るのはすでに証明済み。
カールは落ち着いていた。弓隊に合図しギルベルトにも下がるよう指示をする。その間に準備完了。弓が放たれる。その軌跡は一斉にヴォルフへと向かっていた。
「いやはや、カール君。テメエのミスはただひとつ」
ヴォルフは颯爽と前線へ、敵陣のあったほうに転がり込んだ。
「味方の損害を嫌ったことだぜ」
矢が突き立つ。アルカディア軍から拝借した大盾が、殺到する矢からヴォルフを守った。前線は死屍累々の有様。その多くはアルカディア側のものであった。如何に死に物狂いとはいえ彼らは怪我人、死兵に鞭打てど精鋭には届かないのだ。
ヴォルフを守ったのは中央軍をぶち抜いたネーデルクス軍であった。
「俺ならもう一層健全なやつらをも壁にする。あえて横陣で左右の殺したくない兵を浮かせているんだろうが、そりゃあ無駄だろ。そうしてりゃあ俺は矢で殺せていたかもな」
格好をつけるヴォルフの頭をニーカが思いっきり叩く。ずっこけるヴォルフにユリシーズが蹴りを入れる。ついでにアナトールが頭に槍のお尻でぽかりと叩いて終了。
「アホが退くぞ。このままじゃあその浮いた兵に包囲陣形を敷かれんだろうが」
ニーカに再度お尻を蹴飛ばされるヴォルフ。あまりの格好悪さに泣きそうになっていた。
「でかいのは肩かしてやれ。このポンコツはもう動けないとよ」
ヴォルフはいやいやと首を振るも身体が動いてくれないのか、為すがままに連れ去られていった。それを追う事もせずアルカディア軍は見逃す構えを見せる。
「なんで、追ってこねえ?」
ニーカの疑問にへとへとのヴォルフは哂った。
「んなもん決まってるだろ? 最低限の目的は達したからさ」
その笑みは敵か、それとも己に向けてのものか、それはヴォルフのみが知り得ることである。とにかくこの戦場で初めて、アルカディア軍はヴォルフをくじいた形となった。戦死者の数にそこまでの差はないが、アルカディア軍が用いた兵力が元々なかった怪我人と考えたとき、この戦場は大勝であったと言えるだろう。
あまりにも非情な計算であるが――
○
カールの顔に笑みはなかった。目的は達した。犠牲も最小限で済んだ。それでも、この作戦はまたひとつ己を人の道から外したような気がするのだ。おそらく自分はろくな死に方をしないとカールは思う。出来ればその頃には将として失格であると引き摺り下ろされ、何者でもなくなったときに無様に死にたいと願う。
「すまん、あと少しだったのだが」
ギルベルトは口惜しそうに頭を下げた。カールはゆっくりと首を振る。
「良いんだ。正直、この手で黒狼の命を取るのは無理だと思っていた。それこそ死力を尽くして相打ち狙いなら、ヴォルフの言うとおり仕留められたかもしれない。でも、それじゃあ本末転倒だ。僕らの目的はブラウスタットまで退いて、かの都市を防衛すること。黒の傭兵団と相打ちになることじゃない」
カールの言葉にヒルダは首をかしげる。
「ならヴォルフを殺すって言ったのは嘘ってこと? この私に嘘ついたんだ、へー」
白い目をしているヒルダにカールは微笑んだ。
「嘘はついていないよ。ヴォルフは殺した、少なくともこの戦場で、彼は十全に機能しなくなった。そういう意味では殺せたし、目的は果たしたと言える」
カールはおもむろに今日死んだものたちへ頭を下げた。そして顔を上げる。胸を張り、しっかりとその死を見据え、身を翻した。
「明日からは退き戦だ。最小限の荷物をまとめて第一のポイントを目指す。二人ともしっかり休んでくれ。君たちには明日以降、何十人分もの負担を強いることになる」
決断の重さは命の重さ。此処からが勝負である。何としてでもブラウスタットに戻り、反撃に打って出なければ今日の死は無駄となる。それだけは回避せねばならない。彼らの献身を無駄にしてはならないのだ。
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