進化するネーデルクス:剣と盾

 カールがすべての指示を終え、明日への準備を終えたのは、月が天頂にて最も輝き世界が闇に包まれた頃であった。月明かりの下、カールは夜風に当たっていた。明日以降待つのは地獄の延長線、より残酷に、より冷酷に、そして誰よりも優しさをもってそれらを決断せねばならない。今日だけで何十人も切り捨てることを決断した。

 その決断の重さがカールにのしかかる。

「きついなあ」

 人前では絶対に吐かないようにしている弱音。誰もが寝静まるこの世界だからこそカールは弱さをさらけ出せるのだ。武人としての弱さならいくらでも見せていい、しかし人としての弱さは将である以上見せられない。

「馬鹿で間抜けで、へなちょこの自分が運だけで此処まで来た。来てしまったのが間違いだったのかなぁ? 本当はもっと強い人が上に来るべきで、僕が昇進することによってその人の可能性を奪っているんじゃないだろうか?」

 カールは、自分が他者より優れている部分は『出会い』だけであると思っていた。ラコニアでウィリアムと出会っていなければそもそも自分はあそこで死んでいた。ウィリアムに学ばなければ兵法など覚えようともしなかっただろう。ギルベルトやヒルダ、彼らと出会わなかった、好かれることのなかった自分は、やはりこの場にはいなかったと思う。

「だから、僕が偉そうにするのはちょっと違うと思うんだ。地位だけが一人歩きしている僕がさ、運がなかっただけの皆を蔑ろにするのは違うと思う。忘れちゃいけないんだよ。彼ら全員がもしかしたら師団長、軍団長になっていた可能性があって、たまたま先んじた僕らが、彼らの可能性を奪っているんだって。彼らの命を使っているんじゃない。使わせてもらっているんだって。彼らの献身を、当たり前と思っちゃいけない」

 カールは美しく弧を描く月から目を離した。移した視線の先に、ひどい顔つきのギルベルトが一人で立ち尽くしていたのだ。いつからかはわからない。もしかしたらカールが此処にやってきた頃には此処にいたのかもしれない。

「わかっているさ、わかっている。だが、俺の気持ちはどうなる? 家のことなんて、誇りなんて建前だ。俺が辛いんだよテイラー。もっと父上と話したかった。もっと稽古をつけてもらいたかった。今まで父上がずっと多忙で、話すことも会うことも出来なかった。ようやく、会って話すことが出来たんだ。なのに……これじゃああんまりじゃないか!?」

 ギルベルトの弱さをカールは初めて見ていた。鉄の意志で、揺らぐことのない武人の子。子供の頃からそうだったのだ。誰もが彼を目指し、誰もが彼になることを諦めた。強く見えていたのだ。ただ、強くあろうとしていただけの少年だったのに――

「僕も、父が死んだんだ」

 ギルベルトの目が見開かれる。その情報は西の果てであるブラウスタットまで届いていなかったのだ。

「すごくショックだったのがさ、父が病気だって僕は最後まで知らされていなかったんだ。ウィリアムよりも遅かったんだよ? ってか、兄よりもウィリアムの方が早かったらしいけど……結局、最後まで本音で話すことの出来なかった、そういう後悔はあるよ。僕も、父上が自慢だったんだ。君と同じに、強い父上が、すごくかっこよく見えていたんだ。でもね、そんなことはどうでも良いんだよ。僕にとって大事なことであっても」

 カールは眼下に広がるホーエン・シュタットの景色を見下ろす。今は闇の帳がすべてを覆い隠している。しかしその下で眠る彼らの多くは怪我を抱え、何十人もの再起不能者がいる地獄絵図があった。

「僕らは将だ。まかり間違って成ってしまったとしても、成ってしまった以上僕らは将なんだ。彼らに戦えと号令し、時には死ねと言わねばならない。それは、すごく重いことだよ。彼ら一人ひとりに家族がいて、彼ら一人ひとりに歴史がある。その重さはね、僕ら個人のことなど掻き消えてしまうくらい、重いんだ」

 ギルベルトは、カールの表情に。カールの立ち姿に、在りし日の父の姿を見た。家族を蔑ろにしてでも国家のため身を粉にして働いた父の姿。武人としては誇りであり、家族としては歯がゆかった。

「僕と君では父に対する重さが違うのかもしれない。でも、どれほど重くとも、今日死んだ兵士一人分の重さで等価だ。そして今日、いったいどれだけの兵が死んだかな。僕らの決断から始まったこの戦、君の判断から続いているこの戦、この中でどれだけ死んだか。そう考えたとき、僕は私事が掻き消えるほど、怖い思いになる」

 その姿は被る。きっと上に立つ者は、否、立つべき者は、皆こういう思いを抱いているのだろう。重く深く、のしかかる人の重圧。そこから目を背けることは簡単である。ギルベルトのしたように、彼らを見なければいい話だ。多くの為政者はきっとそうしている。下を見ずに、視線を広げようとしないのかもしれない。それはとても辛いことだから。人ひとりの領分を超えることだから。

「でもね、僕はその重みを背負う代償が今の地位だと思っているんだ。思えるようになった。皆がくれた最高の『出会い』、その機会のおかげで」

 真の為政者、上に立つべき者、下にいる者たちが望む理想が此処にあった。滅私奉公の極み、自分を殺してでも自分のために尽くしてくれるものたちを考える。彼らはその背を見て感動し、さらに尽くす。それに報いるために――正の連鎖、そして地獄の連鎖でもある。

「僕は王会議でたくさんの人と話した。それ以上に話を聞いた。色んな人がいて、僕みたいな考え方は少なかったけれど、同じような意見を持って実行している人は、皆例外なく傑物だった。綺羅星瞬く王会議の世界でもひときわ輝く一番星。僕が一番憧れている綺麗な星も、差異はあるけども、根っこは同じだった」

 カールの憧れる星、それはきっと白い星であろうとギルベルトは思う。差異が大きいのか、小さいのか、本当に根っこが同じなのか、疑問符は尽きない。それでもカールがそう感じて、こうあるべきと生き方を定めてきたのは事実。その姿に父を見たのもまた事実。

「僕はこう生きようと思う。少なくとも、僕を将として信じてくれる部下がいる間は。僕が将として失格だと引き摺り下ろされるまでは……僕のことなどどうでもいい」

 嗚呼、なんと美しく残酷な生き方であろうか。狂っている、狂奔し我を忘れていたギルベルトでさえそう思ってしまうのだ。人の上に立つべき者とはかくも狂人なのだろうか――

「お前は、狂っているぞテイラー」

 カールは笑った。にこやかに、晴れやかに、哀しげに――

「僕もそう思う」

 カールは笑って見せた。その強さがまぶしくて、自分の弱さが惨めで、ギルベルトもまた哂ってしまった。覚悟の桁が違った。自分は上に立つべきではない。きっと自分はこうなれないとギルベルトは思う。

 だが、なれずとも、

「見ての通り弱い俺だが、お前の力に成れるだろうか?」

「もちろんさ。弱さに呑まれた君と、弱さを認めた君は別人だよ。今の君は、誰よりも強いと僕は思っている。見せてやろうよ、アルカディアの剣の力を」

「ありがとう……必ず役に立ってみせる。必ずだ」

 ギルベルトの目から焼け付くような怒りは消えた。もちろん静かに燃えているものはある。それはきっと消えないものなのだろう。それを律して、さらに己を高める原動力とする。そうして初めて己が主と定めたものの力に成ることができる。そうしなければならない。それが身体を張って、信ずるがゆえにぶつかってくれた、弱さに呑まれた自分に対しての怒りを抱いてくれた、友に対する唯一のお返しだと思うから。

「それにしても、意外と力がついていたな。まだ頬がひりひりするぞ」

「それだけ君が軟弱に成っていたんだよ。昔の君ならひょいとかわしてぼかーんと僕を殴り返していたさ。そしたら僕は一発で気絶だよ」

「ああ、そうだな」

 ギルベルトは万感の想いをこめて相槌を打った。昔の自分なら聴く耳すら持たなかっただろう。弱者のたわごとだと斬って捨てていたかもしれない。自分が弱いなど夢にも思わなかったはず。

(今は違う)

 ギルベルトは変わった。きっかけは自分すら止め切れなかった獅子候を弱者と断じていたカールが止めて見せたこと。そこで興味を持った。強者になったのだと思い声をかけたが、カールはカールのままで、それがとても理解に苦しんだ。そこから部下として、同格の将として、カールをずっと見続けてきた。

(唯一俺が誇れることは、お前を見出したことだ。お前を主と見定めたこと、その確信こそが俺の誇り。ああ、そうだな、ようやく、わかった)

 ギルベルトは変わった。弱さを隠していた見せ掛けだけの煌びやかな剣から、弱さを認めてその上で泥臭くとも高みを目指す無骨なる剣へと。

(俺はただ一振りの剣となろう)

 主が自己を超えた先にいるならば、己もまた自己を超えよう。主の背負う重みを少しでも減らすために、共有し共に背負わんがために。主とはやり方が異なるが、自らもまた超えるのだ。

 怒りも、悲しみも、絶望も、希望も、何もかもを胸に秘め、物言わぬ剣と成る。敵を討つためのみの刃と成らん。剣を振るう先は主に任せる。自分の信ずるすべてを託すに足る友に任せる。

 ギルベルトは変わった。そして今確信を得た。

 まだ、アルカディアの剣は折れていない。まだ、負けていない。


     ○


 その日は雲ひとつ無い蒼空が天を覆っていた。黒の狼はあまりにも効果的であった大将の死体を使った挑発、その効果から推測できる大将ベルンハルトの人望、それを下した己の強さを再確認する。

「あせる必要はねーわな。そこにいる限り勝機はねえぞ。大事なもん弄繰り回されてキレるのはわかるが、此処まで愚策に溺れるなら大将も死に損だぜ」

 ホーエン・シュタットは悪い砦ではない。事実、守戦がそこまで得意ではないギルベルトでさえ今まで守りぬけたのだ。悪いのは立地である。シュピルチェとブラウスタットの中間に位置するこの場は、兵站を保つには余りに遠かった。ブラウスタットでさえ大橋が建造途中である以上、整っているとは言いがたい。ホーエン・シュタットでは孤立無援にも等しいのだ。

「こいつらの首とった所で成長はねえが、これも仕事なんでな」

 二度と負けない。ヴォルフはそう誓った。大事な友であり、師であり、最高の部下であった男を失って得た喪失感。そこから生まれる後悔の念こそ甘かった狼に徹する心を与えた。隙は見せない。あせる必要もない。

「今日も追い詰める。もちろん補給はさせない。詰んでるよ、テメエら」

 狡猾なる狼に慢心はない。

「布陣はさしたる策もない横陣だったぞ。砦にこもるでもなく野戦を選択するとは。あくまで怒りに任せて団長の首を狙うらしい」

 偵察に向かっていたアナトールが帰還した。持ってきた情報は昨日までと大して変わらない。限界が来ていたのだろう数日は砦にこもっていたが、おそらく限界を超えてしまい破れかぶれの野戦。

「敵さんの雰囲気は多少の興奮状態だな。昨日よりも緊張してるぜ」

 ニーカがくんくんと匂いをかぐような動作を見せる。もちろん匂いをかいでいるわけではない。雰囲気を感じ取るためのルーチンのようなものである。

「そりゃま、緊張するわな。今日が命日かもしれねえんだ」

 昨日まであったホーエン・シュタットの外壁はない。狼の牙に対して剥き出しの状態。

「んじゃ、やりますか。そろそろ後ろから援軍が来る。その前に叩いておきてえ」

「そっちの方が名も上がるってもんだしな」

「その通り」

 黒の傭兵団が動き出す。


     ○


 横陣では緊張が走っていた。カールの命令どおり、何一つ隠す気もなくありありと秘策に対する緊張を見せていた。隠さなくていい、バレた方がいいのだとカールは言った。兵たちはそれをただひたすらに信じ込む。他ならぬカールの命ゆえに。

「うん、いい感じだ。これで騙せる」

 黒の傭兵団が動き出した。その動きは獲物を前にした狼そのもの。俊敏にて冷酷無比、強者の振る舞いは王会議で見たヴォルフの姿そのものである。

「すごい不自然なんだけど……これで騙せるの?」

 ヒルダは露骨なまでに高まった緊張を見て冷や汗をかいた。中にいても感じる絶対に成功させてやるという強い意思。これでは敵に策があると伝えているようなもの。

「どこがだい? 僕には絶体絶命の窮地に、とにかく死んでたまるかって言うやけくそにも似た雰囲気が漂っている風に見えるけど」

 カールは申し訳なさそうに微笑んだ。

「嘘はついていない。でも、隠さずに曝け出すのが匂い消しだ。先日までのギルベルトの動きから考えたなら、絶対に『そう』感じてしまう。あっちは僕がいるのを知らないからね。隠したら逆にバレる。これで良いんだ」

 カールはヴォルフを知っていた。直近なら王会議、遠き日には国境線の山岳で、ヴォルフを知っている。そのアドバンテージを生かす。

「この初手しかない。此処から生き延びるには、一手で大きな戦果がいる。この戦いは生きられる怪我人を逃がすための戦いでもあり、僕らが生き延びるための大事な緒戦なんだ」

 カールは『皆』に策を持たせた。中には非道なものもある。良心に、献身に漬け込んだものもある。それでもカールはやると決断した。負け続けて逃げられる相手じゃない。必ずどこかで潰される。

 此処で、勝たねばならないのだ。

「ヴォルフを殺す。この一手で、黒狼を仕留める」

 カールの用意した手が狼の喉元に届き得るのか。はたまたその決断ごとヴォルフが盾を喰らい千切るのか。この勝負は二つに一つである。

「よく言ったわね。それでこそあたしの王子様だ」

 ヒルダは本人には聞こえない声でつぶやいた。カールが見据えるのは勝利のみ。その横顔の精悍さは、多くの戦場が育んだものであろう。それは決して黒狼に劣るものではない。これは攻めの戦ではない。守りの、ひいては退き戦である。

「大盾構え! がっちり受け止めなさいよ!」

 それは、『無敵』のカール十人隊、百人隊が最も得意とする戦であった。

 戦が始まる。負け戦の中での勝利、果たして掴めるか――

 生死をかけた緒戦にして天王山である。

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