進化するネーデルクス:剣将軍墜ツ

 その日の夜、アルカディアを追う形となった黒の傭兵団率いるネーデルクス軍は夜営地で身体を休めていた。待ち伏せからの一気呵成に攻め立てる流れは見事であったが、味方軍の消耗も激しかったのだ。明日以降も同様に攻める必要がある。此処はしっかり休むべきところである。

「おせーなヴォルフのやつ」

 ニーカは木の上に座り、足をぶらぶらさせていた。眼に宿る感情の色に心配はないが、それでも気にはなってくるのが乙女心か。木の幹に身体を預けるアナトールは眼を瞑り主の帰還を待っていた。ユリシーズはとっくに寝ている。お子様の就寝時間は誰よりも早かったのだ。

「ヴォルフのが強かったよな?」

 ニーカが感じた彼我の戦力差。諸々込みでヴォルフの圧勝とはいえないものの、負けることはなさそうに感じた。その点はアナトールやユリシーズも同様である。

「ああ、だが相手も命がけ、絶対はない」

 彼我の戦力差が大きくとも、ユーウェインがエル・シドを止めたように人間には限界を超えた先がある。命を賭した行動には補正がかかるのだ。

「ヴォルフは、その絶対になりたいんだと思うぜ」

「……そうだな」

 二人は静寂の闇、その先に眼をやった。

 シュピルチェの方向にほのかな灯りがともる。少しずつ近づいてくるそれは、ゆっくりと着実にニーカたちの表情を軟化させた。黒、赤、青の鎧、最前で待ち構えていたヴォルフ率いる本隊の到着である。

「待たせたなニーカ、アナトール」

「おせーよバーカ。手間取ってんじゃねえよ」

 ヴォルフたちの姿は予想以上にボロボロであった。そして人数も想定以上に減っている。死闘があったのだと容易に想像できる姿。ヴォルフは恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかいた。

「全員まとめて死に物狂いってやつさ。さすが大将とその側近はちげーわ。人数差があれだけあってケツもしっかり蓋してる状態でこの様だぜ」

 ただ、それでも彼らの表情が晴れやかなのは、死闘を経て目的を達成したからであろう。ヴォルフの部下が背負っていた男の身体を投げ捨てる。それは――

「剣将軍の決死を潰せる程度には強くなってたみたいだわ」

 ベルンハルトの死体であった。身体に走る交錯した傷はヴォルフの牙たる証明。さらに他の部下が袋をひっくり返し、ごろごろと転がり出てくるのはいずれも名のあるベルンハルトの側近たち。オスヴァルトの剣を学んだ勇士ばかりであった。

「平時なら敬意を持って埋葬してやりてえところだが、今はこっちも余裕がねえ。出来ればブラウスタットにつくまでに勝負を決めたいんでな。手段は選ばねえよ。これ使って明日は挑発するぞ。軽く準備だけしとけ」

 勝負に手抜かりはないし、しない。それが出来る立場に自分がいないことは、ヴォルフ自身が一番良く知っていたのだ。手痛い敗北を超えた。王会議でライバルの躍進を知った。ガイウスに破格の席を提示された男と、ガイウスに誘われもしなかった男の差。手抜きなどありえない。自分の立ち位置はそんな生易しい場所ではない。

「ま、見えないところは丁重にな。死ねば皆兄弟、優しく扱って損はねえさ」

 ヴォルフはうんと伸びをして首をコキコキと鳴らす。

「あー、しんどー。メシ食って寝るかな」

 ベルンハルト相手に現在の全力に近い力を出したヴォルフ。余裕そうに見えるが、心身ともに相当の疲労があるはず。明日からの追撃に支障は出ないように立ち回るだろうが、少し前ならばここに向かって来れたかも疑問である。

「明日からが本番、掃討戦ってやつだ。しっかり休めとけよ。体力使うぜ」

 ヴォルフは皮肉げに哂った。冬を越える前、自分たちがやられた地獄の掃討戦。それをこれから自分たちがやろうというのだ。なんと言う運命のめぐり合わせか。

 次は自分たちが地獄を作る番なのだから。


     ○


 アルカディア本国にベルンハルトの死亡と黒の傭兵団参戦の報せが伝えられたのは、ベルンハルトを失ってからかなりの日が経った後であった。ブラウスタットよりかなり距離の開いたところで起きた悲劇。伝達のタイムラグと、伝わった後の衝撃はアルカディアに大きな波紋を広げることと成った。

 マルスランを討ち取った報せに嬉々と浮かれていた国民は、一夜にしてどん底まで叩き落される。カスパルに続く大将の崩御に国民が悲観にくれている中、

「――この平民上がりが! この期に及んで援軍は送れないだと? ふざけるな!」

 王も交えた軍会議でも喧々囂々の嵐が巻き起こっていた。

「落ち着いてください。ヘルベルト殿。状況は先の会議の頃と変化しておりません。依然としてラコニアは厳戒態勢。援軍を割いていい状況では――」

「状況が変化していないだと!? 我らが大将を失ったのだぞ! 第一軍大将ベルンハルトを失って、何もせぬのが騎士道か!? それで白騎士などとよくほざけるな」

「呼称を求めた覚えはありません。なんとお呼びいただいても結構、今は騎士道で国を動かす愚を許容できる情勢ではないのです。とにかく皆々様には落ち着いていただきたい」

 鼻息の荒いヘルベルトの眼は本気でこの状況に憤りを見せていた。それほど父を慕っていたのだろう。父に認められたい人生だったのかもしれない。もし、ベルンハルトが生き延びて、彼としっかり向き合うことが出来たならば運命は大きく変貌していた可能性もあった。

「援軍を割かないということはブラウスタットのすべてを放棄すること。戦力も、かの地にかけた金も、あの建造中の大橋も……それは許容出来ぬと思うが」

 第三軍を束ねるロルフの言葉が響く。低く落ち着いた声色だが、それゆえにこの件に関しては退く気はないと強い意志を感じた。ガードナーの忠臣がヒルダを見捨てる決定を許すわけもない。

「しばしお待ちください。すでに手は打ってあります。間に合わぬならばブラウスタットをくれてやればいい。元々はあちらの領土、川を挟んでいる以上そこから先に手が伸びてこようと弾き返すのは容易」

 何十もの反論が議場に飛び交う。勝利への議論は容易い。しかし敗北を何処で区切るか、その議論はとても難しいのだ。しかも状況はとても難しい。ラコニアには依然としてストラクレスの姿は見えてないが、いつ現れてもおかしくはなく、現れたが最後現有戦力では防ぎ切れない目算のほうが高い。ストラクレスがラコニアに出張る以上、相手も総戦力に近い兵力を出してくるだろう。

 ラコニアが抜かれればオルデンガルドまでまた攻め込まれる。ブラウスタットへの援軍がそちらへ間に合うことはない。

 各自の立場もあり、結局この日に何かが決定されることはなかった。


     ○


 カールがブラウスタットに到着して一番驚いたのは、ベルンハルトが討ち死にしたことであった。カールはウィリアムが見せた複雑な表情を思い出す。そして王会議に同行して世界を見てきた自分の楽観を呪った。

 悲しみも嘆きも、後悔も今は置いておく必要がある。カールは顔を叩いて気合をいれ、残っていた者たちから情報をかき集めていった。

「師団長たちはまだ戻っておりません」

 まだギルベルトらが戻っていなかったこと、

「伝聞ですが、ホーエン・シュタットに留まり反撃の機をうかがっているとか」

 ギルベルトらがブラウスタットへ戻らずに、侵攻途中で落とした砦を用いて防衛戦を敢行しているとの情報を得た。それを聞いたカールは天を仰ぎ頭をぐしゃぐしゃになるまで掻き毟る。

「君の我が儘で、兵を殺す気か」

 部下たちは慄いた目でカールを見ていた。これほどの怒りをカールが見せるのは初めてのこと。ベルンハルトの報せを聞いても敵に対する怒りすら見せなかった男が、ギルベルトが取ったであろう行動に対して空前の怒りを見せているのだ。

「早馬を用意しろ! 多少の危険は構わない。最短で向かう」

 カールの眼に宿る熱情、その握った拳に宿る怒りの向かう先は――


     ○


 ウィリアムは連日の不毛な会議を終えて帰路についていた。情報がこちらに到達してからそこそこの日数が経過している。リミットは近い。そもそもブラウスタットまで無事に退けているかもわからないのだ。状況は悪くなる一方であった。

「……賭けに負けたか」

 ウィリアムは遠くに見える山を眺める。そしてため息をついた。南の景色を眺めながらの歩みはあっという間に目的地への到達を果たす。願えども叶わぬ。勝算はあれど運勝負ではやはり敵わぬとウィリアムは再度ため息を重ねた。

「ただいま帰ったぞ」

 自宅のドアノッカーを二度打ちつけ、三度目を叩こうとした瞬間、

「にいちゃんおかえり! 今日はマリアンネもてつだったんだよ!」

 マリアンネがウィリアムの胸めがけて飛び込んできた。幼さゆえの加減のない勢いにウィリアムはうめき声を上げそうになった。さすがにそろそろ叱ろうかと目を向けると、とてもとても幸せそうな笑みに声を失ってしまう。

 姉譲りの愛嬌、なかなかに厄介な資質を備えている、とウィリアムは思う。

「何を手伝ったんだ?」

「ごはん! マリアンネはね、塩まいた」

(塩加減に注意だな。たぶん……しょっぱいんだろうなあ)

 ウィリアムがしばし後の未来を予想し顔を歪めていると、マリアンネは見る見るうちに頬を膨らませて、

「ここはほめるところだよ」

 無理やりにでも褒めさせようと言葉を放った。マリアンネはとても現金に育っていたのだ。ウィリアムとしてはこの娘がどう成長しようと知ったことではないが、将来の旦那はおそらく苦慮するであろうことは容易に想像ができた。

「よしよし、えらいな。上手くできていたらもっとほめてやるぞ」

 絶対に上手くできていない確信。

「かんぺきだったよ。あじみはしてない」

 味見をしなかった。その事実が結果を容易く想像させる。

(それは完璧とは言わないんだぞクソガキ)

 頬をひくつかせながらマリアンネを抱っこしてやるウィリアム。「きゃー」と嬉しそうな嬌声を上げた後、ちょっとした沈黙が舞い降りる。ウィリアムはマリアンネの様子が変じたことに小さな疑問符を浮かべた。

「……ねえにいちゃん」

「なんだおちびちゃん?」

「おやまのてっぺんがもえてる。それとマリアンネは――」

 ウィリアムはマリアンネを落とした。「ぎゃふん」と尻餅をつくマリアンネ。

 ウィリアムは振り返り南の空を見た。山の頂点に輝くは――

「ヴィクトーリア! 用事が出来た。帰りは遅くなる。それと……支度を頼む」

 てててとヴィクトーリアが表に出た頃にはウィリアムの姿は欠片もなかった。残されたのは半泣きのマリアンネだけ。

「マリアンネはちびじゃないもん!」

 マリアンネ、魂の咆哮が空しく春の空に消えていった。


     ○


「いやーツイてたねえ。我ながらほんと運が良いや、とか言わないのですか?」

 ラインベルカがルドルフの真似をする。それは戦勝報告を聞いてなお笑顔のない主を思っての言葉であったが、それに対して一瞥もしないルドルフ。

「まだ等価じゃない。剣将軍は確かに大きいけど、将来性こみならばマルスランの方が上だ。なら、もう少し上積みしてもらわなきゃ割りに合わない」

 ルドルフの瞳に揺らぎはない。

「ヴォルフっちに関してはとても運が良かったけどね。たまたま王会議であったから、たまたま声をかけて、たまたまフリーで、たまたま聖ローレンスによって仲間を回収、そしてこれまたたまたま、シュピルチェの状況を聞きつけて行きがけの駄賃、しっかり大将の首を上げた。うん、やっぱ強いね、彼」

 ルドルフは大きく伸びをする。

「さて、何処まで喰い取れるかな? そして白の騎士はどう動く?」

 ルドルフの試すような笑みが暗がりに浮かぶ。


    ○


 カールは夕暮れのホーエン・シュタットに到着した。到着してすぐに感じたのは濃厚な血の臭い。そしてほのかに薫る腐臭が鼻腔をくすぐる。敗戦の匂いである。この場に広がる光景はまさにあの時のオルデンガルドと同様。カールは眼を見開いて彼らの姿を見ていた。知らぬでは済まない。彼らは己の部下でもあるのだから。

「か、カール師団長! いつこちらにお着きになられたのですか?」

 年若い兵士に声をかけられたカール。カールは声のする方に視線を向けて、にっこりと微笑んだ。彼のことをカールは知っているのだ。否、カールは部下になった者たちすべてを知っていた。もちろん人によって差異はある。それでも出来る限り部下のことは知らねばとカールは思っていた。

 彼らが自分の命令で死んだとき、せめて自分だけは彼らを覚えて、彼らの献身に報いねばと、そう思っているがゆえに――

 カールの登場に顔を伏せていた怪我人や疲れ切った兵士たちが顔を上げる。その瞳に宿る死への恐怖、それを打ち消して欲しいとカールという名の希望に縋らんとする期待もこめられていた。

 カールは彼らの視線をしっかりと受け止める。

「ちょっと前だよ。それよりもギルベルトはどこにいる? 話があるんだ」

「あ、案内いたします!」

 年若い兵士につれられてカールはホーエン・シュタットの地獄を歩いた。いつだって自分は地獄が生まれる前に間に合わない。そのことが歯がゆくて、カールは拳を握り締めていた。血がにじむほどに。


     ○


「失礼するよ」

 カールはノックもせず砦の中心、軍の要人が詰めている部屋に足を踏み入れた。

「貴様、ここを何処だと思って――」

「しゃべるな。師団長命令だ」

 カールはずんずんと足を進める。「カール?」と声をかけたヒルダを無視して、小さな円卓を囲んでいるオスヴァルトの系譜に連なる部下たちを退かし、その中心で眼を爛々と輝かせ地図を見ている男と対面する。

「何をしているんだい?」

「……テイラーか。よく戻ったな。明日以降の作戦を考えている。貴様も知恵を貸せ」

 カールに眼をあわせようともしない。本当にそれだけを考えているのだろう。だからこそ――

「そうか、わかった」

 カールは円卓を蹴り飛ばした。突然のことに誰一人、目の前のギルベルトすら思考が追いついていない。その間隙を縫ってカールはギルベルトに接近、ずっと握っていた拳を、血がにじむほど握り締めた拳を、ギルベルトの頬に叩き込んだ。

「ぐがっ!?」

 優男のカールが殴ったとは思えないほど鈍い音を立ててギルベルトは後ろへ倒れる。ギルベルトはカールが入室して初めてカールの顔を見る。見上げた、見下ろすその眼の熱情を見て、渦巻く怒りの矛先が己であることを理解した。

「き、貴様! いくら師団長で同格とはいえギルベルト様になんという無礼を!」

「少し黙っていてくれないか? 僕はギルベルトに話があるんだ。今、君たちと無駄口を叩く気分じゃない。黙れ、そして下がれ」

 普段温厚なカールを知らぬ者はこの場にいない。そしてカールのこの姿を知る者もまたこの場にはいなかった。

「何の真似だ、テイラー」

 ギルベルトの眼に宿る色を見てカールはため息をついた。

「それはこっちの台詞だよギルベルト。君はこの砦にこもって何をしているんだい? 僕に理解できる言葉で話しておくれ」

「父上の敵を討つ。貴様も知っているだろう、我が父、『剣将軍』ベルンハルトが討たれたことを。その雪辱を果たさずして、何がアルカディアの剣か!」

「敵を討つのはわかった。当然の感情だと思う。でも、やはり理解できない。それが何故ホーエン・シュタットなんだい?」

 ギルベルトはカールの問いを鼻で笑う。

「落とした砦の中で此処が一番堅牢であったからに決まっているだろう。此処でかの黒狼を討ち取ればまたシュピルチェまでの道が開ける。初志を貫徹し、目的を達成してこそ父の無念も晴らせるというものだ」

 カールは腰の剣に手をやった。さすがにこれはギルベルトも反応して自身の剣に手を伸ばす。カールとギルベルト、剣の勝負など目に見えている。

「これは喧嘩じゃ済まないでしょ! 落ち着きなさい!」

 ヒルダがカールの腕を抑えて動きを止めた。カールの顔に浮かぶのは憤怒。

「ふざけるなよお坊ちゃま! 君のそのちっぽけな誇りに、いったいどれだけの部下を巻き込めば気が済むんだ!?」

 カールの怒声が響く。

「兵站も途切れた敵国のど真ん中、確かにホーエン・シュタットはいい砦だよ。だけど状況を考えろよ。どうやったって勝てっこない。黒狼を討ち取る? 明確な策もなく、この期に及んで知恵を貸せ? 呆れて言葉も出ないよ」

 ギルベルトは立ち上がった。剣からは手を離したが、その目は敵意に燃えている。

「ちっぽけな誇りだと? 我が父の死が、アルカディア第一軍大将、『剣将軍』ベルンハルトの死がちっぽけだとでも言うのか? 父が残したオスヴァルトの――」

 カールはヒルダの制止を振り切り、ギルベルトの胸倉を掴んだ。

「それ以上しゃべるな。今の君に、人の上に立つ資格はない。君が頭じゃ大勢死ぬ。死ななくても良かった命も消える。此処からは僕が指揮を執る。今の君ならいない方がマシだ」

 カールは胸倉から手を離してギルベルトから視線をはずす。

「ヒルダ、部下を使って負傷者の数を調べておくれ。助かる者と、そうでない者の区別も頼む。出来るだけ生かして皆をブラウスタットへ連れて帰るぞ!」

 カールの号令にヒルダは頷いて部屋から飛び出していった。カールもまたギルベルトに一瞥もくれず部屋から出て行く。残されたのはギルベルトとその取り巻き。ギルベルトは咆哮する。やり場のない怒りと、止められなかった己の愚行、ない交ぜになった叫びが部屋中に轟いた。

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