王会議:いい日旅立ち

 ウィリアムは簡素な墓の前に立つ。目の前には先に来ていたのか、シスター・アンヌがぷかぷかと煙遊びに興じていた。墓前であってもこの罰当たりは普段と変わりなく其処にいた。わっかを作ってその間に「ふー」と煙を通しご満悦のシスター。

「意外な人選だったねえ。セリーヌの奴泣いてたよ。何でもそつなくこなす子だし、器量も良いから、選ばれないとは思ってなかったみたいだねえ」

「彼女ならどんな未来でも選べるだろう。泥臭く足掻かずとも、それなりに上手くやる。だからこそ人選から外した。俺に必要なのは、それしかない子たちだからな」

「……泣いてさ、どさくさに紛れてチューしてたよチュー。女の子は早熟ってよく言うけどさァ、ちーと早いから煙吹きかけてやった。クロードに」

「……意外とモテるタイプなんだな、あれで」

「厄介な女に惚れられちまうタイプだね。ご愁傷様。まあ、女は移り気さね。一途な奴なんて希少種。世の中あんまりいないのさ」

「それは良いことを聞いた。飽きるのを待てば良いわけか」

「でもねえ、これまた不思議なことに、そーいうのばっかを引き寄せる男ってのも世の中にいるのさ。誰がそうとは、言わないけどねえ」

 シスターはゲラゲラと下品に笑う。ウィリアムは顔を歪めていた。

「あんたのおかげで道が拓けたよ」

 パイプを横に置き、シスター・アンヌはウィリアムに向かって頭を下げた。

「顔を上げてくれ。当初の予定とは大きく違えた。貴女が受け入れてくれなければ、時間切れに成っていたかもしれない。一番のコネを使えなくなったのは痛かった」

「あっはっは、なぁに、別に確執があろうとなかろうと、利害が一致すりゃあ親兄弟の血に染まった手でも固く握手するのがあたしらさ。逆もまたしかりってね」

 教会、と言うよりも人身売買の中継地点であるが、此処を運営していくに当たり現地のバックボーンを当初、ウィリアムはリディアーヌに頼むつもりであった。しかし、とある理由によりそれが出来なくなり、代わりを探していたところ、手を上げたのが何と、因縁あるドミニク・ド・リエーブルの息子であったのだ。

 これをシスターは快諾し、ウィリアムが子供たちを買った金とリエーブルの金、半分半分で教会の再建が始まったのが昨日のこと。

「ドナシアン・ド・リエーブル。まだ十代、それがああも器用に立ち回り父親とヴァレリーの領分全てを喰らい尽くすとは、末恐ろしい人材だよ」

「あの坊主に言わせりゃあんたを見て夢を見るのは諦めたとさ。とりあえず優秀なケツ持ちが出来てあたしゃあ気楽なもんさね。あとはちょちょいとガキを横流しにすりゃウハウハ。夢の隠居生活第二幕ってね。ほんと、この子も馬鹿だねえ。あとちょっとでさ、ほんのちょっと、何かが違えば、いくらでも未来を選べただろうに」

「……彼女を守れなかったことは俺の弱さだ。済まなかった」

「気にしなさんな。ほんのひと時、一緒にいただけの女。ヤったわけでもないんだろう?」

「……墓前だぞ、品がない」

「情けないねえ。そこに生えてんのは飾りかい。ったく……まあ、たまに思い出してあげりゃあ良いさ。それで、充分。ただし、あの子を思い出してやりなよ。別の誰かに重ねるんじゃなくてさ。インビジブルの、ミーシャって娘を、ね」

「ああ、心得た」

 シスターは再度パイプを手に取り口にくわえた。

「いい天気だね。旅立つにはうってつけの日さ」

「あの子たちは責任をもって俺が育てよう。モノに成るかどうかは彼ら次第だが、投資を惜しむつもりはない」

「あたしゃあただの人買い。親でも何でもないさね。あんたが買ったもんだ。好きに使えばいい。それがビジネスってもんだろう?」

 ウィリアムに背を向け、紫煙を吐き出すシスター。頑としてこちらを向こうとしない彼女の貌に、どんな表情が張り付いているのか、覗きたい気もするが、それはまさに無粋の極みと言うもの。ウィリアムもまた静かに蒼空を見上げる。

「しっかしあのクソガキども、服が全然似合ってなかったねえ」

「窮屈そうにしてたな。しばらくは我慢してもらうさ。一応、王族の随伴、目につく可能性もあるからな。くく、しかし、ああ、本当に、似合ってなかった」

 ケラケラと笑うシスターにつられてウィリアムも笑い出す。二人の笑い声につられて、もう一つ聞こえた気もするが、それは気のせいであろう。

 とにもかくにも、旅立ちの日が来た。


     ○


 ガレリウスはウルテリオルから去り行く人の背を眺める。隣には親友であるダルタニアンとボルトース。アクィタニアの王と王の左腕、右腕という豪華な顔ぶれである。少し離れたところには竜殺しのガロンヌが我関せずと愛剣を磨いていた。

「さて、先の裁判、貴殿らはどう見る?」

 ダルタニアンは苦笑しながら、ボルトースは押し黙りノーコメント。

「まあ、答え辛いか。貴殿らの立場もあろう。だが、此処には戦馬鹿のガロンヌと同じく戦に逃避していた放蕩王子のガレリウスしかいない。そう思ってもらえぬか? 無理を言っているのは承知の上。その上で、だ」

「……あれは裁判ではない。ただの演劇だ。誰一人本音で語っていない。誰一人腹の内を吐露していない。それが実に不愉快だった」

 ボルトースは心中を吐露する。白騎士がどうこうではない。あらゆる思惑が入り混じり、結果としてああ成っただけ。白騎士が火勢を煽っていなければ、ああは成らなかっただろうが。

「俺はエル・シドだけ本音だったと思うけどね」

「どうだろうか? 確かに彼は純然たる武人だ。だが、エルビラをカンペアドールに据えたのは彼自身だし、あの場で騒乱の種を取り除いたのも彼、だ。我々が思うよりも浅い底ではないよ、エル・シド・カンペアドールと言う男は」

 ガレリウスはエル・シドと言う男の底に何かを見た。それをあの巨人が口にすることは無いだろうが、彼なりに革新王の強欲と若き新星たちの野心を抑えるために一芝居打った、そんな気がしたのだ。

「俺は演劇であろうとガリアスにとっては大きなプラスに成ったと思うよ。陛下の狙いは連中の尻尾を掴むこと、じゃない。それは陛下にとって些事だ。一番の病巣は、俺たち自身。自らを巨大と思い込み、人材の宝庫と勘違いした図体ばかりでかい集団。今回、陛下は大義を得た。大きく変革する理由を得たんだ」

「超大国のブランドが汚れてもなお、其処を優先したか。実利主義の革新王らしい差配。自らが汚れることすら厭わないのだから」

「最初から陛下の思うが儘、力づくで成せばよかった。ただ、回り道をしただけではないか。これでは」

 ボルトースは憤慨する。真っ直ぐな彼の意見に二人は苦笑してしまう。

「武王が退き、革新王と後に呼ばれる男が王に成った。だが、即位当初、一番大事な時期に、あの御方は自ら主導の戦で敗戦を重ねてしまった。若きストラクレスを擁する先代の大将軍。そしてまだ無名であった後の英雄王に、だ。海戦では海賊にも手痛い痛手を負わされたそうだ。それによって、現王に戦の才覚無し、とレッテルを張られてしまったのだ。払しょくするには長い時と実績が必要だったろう」

「それを積み上げている内に、連中の影響力が強まってしまった。政治や経済で力を発揮できぬ分、畑違いとは言え其処でなら革新王とて強くは言えない。何しろ自分が当初、負け続けたのだから」

 ゆえに広がった病巣。優秀な腹心であるサロモンが苦心によって編み出した兵法書。今では軍のマニュアルとまで呼ばれているものもあだと成った。当時としては革新的で珠玉の戦術集。それを広く周知することで平均を底上げしたが、本来上がるべきでない人材ですら、それを用いて結果を出してしまった。

 減らせぬ百席の椅子。誤って上がってきた分不相応な人材。それらを上手く使い狸共は自らの影響力を軍に落とし込んだのだ。

「だが、今回の件で革新王は変革の切っ掛けを得た。本番は、『彼女』が戻った後だろうが、革新王ならやるだろう。最低でも其処に手を付ける、それが狙いだ」

「まあ、一番の狙いは果たされなかったようだけどね」

「そればかりは仕方がない。あのまま何事もなく終わってみろ。それこそトゥラーンは何十人、何百人の死体、血の海で満たされていただろう。そも、革新王が抜け駆けする気だった。どう収まりをつけるつもりだったのやら」

「……一人の男を巡って、か。笑えんぞ」

「値段を釣り上げる彼を見て、私とて欲が出たのは事実。自分を作る、大それたことだ。十年、二十年先の話。あの若さで其処まで考えている。その事実だけで垂涎モノだよ。王の器だ。革新王が後継として欲しがるのも理解出来る」

 アクィタニアの王、ガレリウス。かつての栄光に縋るだけだった過去の亡霊を一代で立て直し、属国でありながらも年々国力を右肩上がりさせている名君。そんな男だからこそ、革新王の欲が理解出来る。

 自らの後を託すことが出来る。名君最大の悩みが後継者問題なのだ。特に長く頂点に立ち続けた者の後退は難儀である。自分が何でも出来たから、自分でやってしまう方が手っ取り早いから、それを続ける内に時が経ち、いざ交代と成れど――

 そうならないために器が要る。とびっきり優秀な器に、革新王の経験を注ぎ込む。それが彼の最後の望みなのだろう。ようやく革新王は見つけたのだ。望んでいた最後の欠片を。されどそれは、またしても届かない。

「さあ、世界はどう動くか。ここで目立った彼らは嵐の中心に成る。我々はしのぎ切れるかな? それとも時代の流れに圧し潰されるか、傍観者であれたなら、これほど面白い時代は無いだろうに。楽しめる立場が良かったよ、本当に」

 ガレリウスは苦笑する。誰もいなかったから今の席に座った。誰もやらないから頑張ってそれなりの国に仕立てた。しかし、本来の彼は無責任に戦場を駆け回っているのが本性で、気ままな傭兵暮らしこそ性に合っていると思っていた。

 問題は部下も、此処にいる友も含め、誰一人それが適性だとわかってくれないこと。武人ガレリウスよりも王であることを望まれてしまう。彼にとってはちょっとした悲劇であった。まあ、それほど思い悩んではいないが。

 ガレリウスはうんと背伸びをして――

「とにかく生きねば。それが肝要だよ、いつの時代もね」

 三人は眺める。トゥラーンの高きから去り行く白の国を。


     ○


 トゥラーンの一角にて、二人の騎士が立つ。

「槍を教えて欲しい? 俺が、お前に、か?」

「それ以外何があるってのよ。あんたの強さが見えてなかったのはあたしの未熟。あたしじゃあの死神を留め置くことは出来なかった。だから――」

「いや、でも、もう俺とお前部隊違うし」

「――ハァ!?」

 驚愕のリュテス。それを見て先達たるランベールは苦笑する。

「お前が俺の槍を学んでもただの遠回りだ。そりゃあわかってると思ってたんだけど、まあ、色々あったしな。それでも、俺がお前さんを遠回りさせるわけにもいかん。そもそも今のガリアスにはそれほど余裕はない。だからこそ――」

 ランベールはぽんとリュテスの肩を叩く。

「お前が今日から『疾風』だ。『疾風』の頭として実戦経験を積め。そうすりゃ俺なんか三年もしない内に景色から消えるよ。お前に必要なのは、経験だけだ。わかるな、天才」

 その、肩に宿った重さ。それにリュテスは圧し潰されそうな気分であった。

「あたしに、出来ると思いますか?」

「出来なきゃガリアスは滅ぶ。そのつもりで気張れよ。なぁに、俺も引退するわけじゃねえし、聞きたいことがあったら何でも聞いてくれや。それでも、今日からお前は『疾風』のリュテス、王の右足、だ。無い胸張れよ、リュテス・ド・キサルピナ」

「……はい!」

 颯爽と去って行くランベール。リュテスは双肩に宿った重みを胸に、覚悟を決めた。

 それから数分してはたと、

「無い胸ってセクハラじゃん」

 彼女の中で暴騰していたランベールの価値が急落したのは余談である。


     ○


「リュテスが『疾風』に成ったってね」

「ちょっと荷が重いんじゃないのー?」

 双子の騎士は物陰から続々と去って行く各国の要人たちを見つめていた。

 二人の後ろには蛇のような男、ディエースが苦笑いして佇む。

「僕はええと思ったし、反対意見はエウリュディケだけやったね。これは内緒やよ」

「「あー、やっぱそうかあ」」

 リュテスの強さは認めていても、将としての才能に関してはエウリュディケならずとも疑問符がつく。特に『迅雷』たる彼女の部隊で、使われることによって力を発揮していたリュテスの記憶が色濃く残っていれば、そうなるのも無理はない。

「まあ、今回の件で本格的にお掃除も始まるみたいやし、百将もかなり首が挿げ変わるやろ。なら、ランベールに中堅を引き締めさせて、リュテスを上で鍛えるってのも悪い選択やないんやない?」

「「まあ僕らも良いとは思ってるよ」」

 ちょっと言ってみたかっただけ。彼らは一事が万事こんな感じである。

「ほんなら僕は陛下に御呼ばれしとるから、先行くわ」

「また無理難題?」

「陛下もじっちゃんもちょっとディエースに甘え過ぎだよね」

 双子の騎士、元『蛇』の構成員である二人は心配そうな目でディエースを見つめていた。

「僕もこう見えて愛国者やからね。お偉いさんに頼まれると断れんし」

「「断る気ない癖に」」

「おーこわ、ほなさいなら」

 さっさと話を切り上げて去って行くディエース。

「僕らが言いたいのはさ」

「ディエースが右足で良いじゃんって、はなし」

 その声は誰にも届かない。『蛇』であったからこそディエースがこの国にどれだけ貢献してきたのかわかっていた。表舞台だけで舞台は構成されていない。裏方あっての表舞台。そこをくみ取って欲しいと思うのは、贅沢な考えなのだろうか。


     ○


 ガイウスはさびしそうに下界を眺めていた。トゥラーンの最上、王のみが立ち入ることのできる高みに一人。その孤独は絶対零度、凡百では近づくことすらできない。

「余は世界の変革まで生き延びられるか?」

 王は一人、虚空めがけて問いを発する。誰もいないはずの空間が揺れる。

『難しい。呪の強きはアルカディア、あれは成り立ちからして歪。されども神が宿りしネーデルクス、神話の残り香ケイオスの末裔、何よりも『ヒト』の膨張が留まる所を知らない。もはや神でさえ阻めぬほど、『ヒト』は強くなり過ぎた』

 このガリアスの闇を司る亡霊でさえ知りえぬ先。その中に自分が入っていないことにガイウスはがっかりした気分になった。一番面白い時代に立ち会えぬのだ。

「生きたいのう」

『誰もがそう願う。そしてそうならないのが人生だ。我が王』

 そして陽炎は消えうせた。残ったガイウスは静かに目を閉じる。

「残りわずか、せめて鮮烈に」

 革新王は薄く眼を開けた。

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