王会議:それぞれの戦場

 ルドルフ・レ・ハースブルクは足元に横たわる騎士の遺体を眺める。王会議で大騒動、ホスト国の正規兵を殺したとあってはただでは済まない。普通の立場であれば。彼は普通の立場ではなかった。そしてネーデルクスと言う国家の地力、地理、全てが彼の立ち位置を保証してくれる。ガリアスとて怖くはないのだ。

 無論、それはガリアスにとっても同じことだが。

(ネーデルクスは僕を守るだろう。聖ローレンスと言う高き壁、迂回すればオストベルグ、アルカディア、逆ならばアークランドにエスタード、戦争するのも一苦労だ。互いにとって脅威になり得ないから、ガリアスの圧力も意味を為さない)

 一応、先に攻撃された建前も設けてあるので、多少は言い訳もできるのがミソ。後は普段の素行、国内ですら好き放題やっている己が、存在しないはずの連中を相手に羽目を外したところで、大した問題にはなり得ない。

(正規兵、騎士、成らず者の中に紛れていた貴族。おそらく、ガイウスの狙いはヴァレリーやその腰巾着から何かを引き出すことでしょ? 実力に見合わない地位には必ず裏があるものだから。革新王にとっての本命は、あっち。でも、それじゃあ面白くねえでしょ)

 革新王の思惑が果たされるだけ。掌の上で仲良く社交ダンスを踊った若者たち。それで幕を閉じるには少しばかり演者は捻くれていた。自分が安全地帯にいるからこそ、思いっきりかき回してやる。自分を、ネーデルクスを、舐めた馬鹿どもを嵌め殺すのは当然だが、その先の連中も一泡吹かせて初めて、彼らにとって危険に映る。

 そうせねばならないのだ。これから先、彼らを追いやり自分たちが輝くためには――

「ルドルフ様!」

 紅き青年の声が奔る。同時に身構える三人の俊英。ラインベルカも警戒をあらわにする。

「……さっさと制圧しちまおうってか。ほんとサァ」

 残虐非道な遊興をへらへらと行っていた者たちの顔が引き締まる。

 ガリアスの本命が来たのだ。

「いやはや、聞きしに勝る暴君っぷりだな、神の子は」

「オェ、吐きそう。お姉さまのところに帰る」

「最近の若いのは好き嫌いが多くてなあ。困ったもんだぜ」

 馬蹄の音が耳に届いたと思ったら、すでに彼らの『足』に捉えられたと言ってもいい。ガリアス最速、自他ともに認めるその快速で数多の戦場を荒らした部隊、『疾風』。そしてその二つ名を冠とするは代々一団を率いるリーダーであり、王の左右。

 ガリアス王国軍序列六位、王の右足、『疾風』ランベール・ド・リリューその人である。

「ひでー光景だなあ。お前ら人間を何だと思ってんだ?」

 ランベールは馬を降り、槍を旋回させながら一歩ずつ近づいてくる。

「玩具」

 対するルドルフは笑みのまま揺らがない。

「噂通り、か。噂通り過ぎてよ、何だか裏があるように思っちまうぜ」

「これ以上坊ちゃまに近づけば、殺すぞ」

「死神のラインベルカ、ね。こっちは思ったより、大した事なさそうだッ!」

 ランベールはただの一歩で間合いを詰めた。無駄がなく、動きもコンパクト、其処から放たれる突きの鋭さたるや、警戒してなお想像を上回ってくる。

「ぐっ!?」

 通常状態であれば三貴士の中で最も劣るラインベルカであったが、それでも彼女にはそれを背負う誇りがあった。決して安い名ではない。今でこそ軽く語られるようになったが、巨星と並んでいた時期もあるし、その前は世界最高最強であった。

 だが――『疾風』の快速は過去を置き去りにする。

「俺に苦戦しているようじゃ、話にならねえぞ!」

 ランベールの槍は決して難解ではない。基本に忠実、型通りの面白みに欠ける槍。ただ、基本を極めた。誰よりも型に精通した。ゆえに彼は今の地位に至ったのだ。超大国ガリアスにあって、最も基礎基本に精通する男。王の左右の中で最も、彼がガリアスと言う国を表している。

「おっそ。話になんないんだけどこいつら」

 だからこそ彼に預けられたのだ。傲慢極まる才能の塊、ガリアスにとっての金の卵。すでに槍の技だけであればランベールを上回ると言われる神童、リュテス・ド・キサルピナ。次の『疾風』はほぼ彼女であるともっぱらの噂である。

 たったの三手、『黒』の少女はあっさりと吹き飛ばされ、『赤』の青年は大剣の始動を突かれ轟沈、『白』の少女は何とか捌けども、その差は歴然であった。

「けっこー良い槍使うね。女の子は大歓迎なんだけど、来る?」

 リュテス、余裕の勧誘。白き少女は静かに首を振った。余談だが、ランベールがとある人物から彼女を引き抜くまで、周りをごっそりと女性で固めていた逸話がある。サロモンの苦言とランベールの涙ぐましい教育の甲斐あってようやく落ち着きを見せたが――

「残念。折角、あたしが『疾風』を率いるようになったら優秀な女の子で固めようと思ったのに。副団長に欲しいんだけどなあ。もったいないなあ」

 話しながら、その槍はあまりにも速く、女性特有のしなやかさと小柄な体躯を生かしたリーチの短さを逆手にとって回転数を上げた槍捌きは、ネーデルクスにおける槍使いの総本山、槍術院の秀才と謳われた少女をコテンパンに叩きのめしてみせた。

「つーわけで詰みだぜ青貴子!」

 ラインベルカを抜き去り、ランベールがルドルフに向かって駆け出す。

「させるかァ!」

 一度抜かれてもすぐさま立ち直り追いかけようとするラインベルカ。その足を――

「いくら男でもあれ、『疾風』だから。追いかける形に成った時点で負けだし、そもそもあたしらが追わせないっての」

 リュテスの、他の『疾風』団員の槍が止める。死神の咆哮。されど間に合う道理はない。

「拘束させてもらう!」

 ランベールの快速。そして無駄のない動きから繰り出される槍は――

「ほんとサァ。根本的に、舐めてんだよテメエら」

 ルドルフの眼前、突如として現れたのは騎馬であった。ランベールは咄嗟に槍を止める。突然の遭遇、騎乗した人物も愕然とした表情でランベールを見つめていた。

(何で、こんなところに『疾風』が?)

(何でこんなところに、誰だっけ、確か百将下位の、百将落ちすれすれの連中は覚えても仕方がないから……って、んなことはどうでも良いんだよ! 何でここに、『疾風』、『迅雷』以外の百将がいる? そんな指示をサロモンの爺さんが出すはず――)

 両者困惑の中、戦場の時が止まった。

「フェンケ!」

「あいよアネサン!」

 真っ先に吹き飛ばされ、実力的にも無視して良いとリュテスは黒き少女に注意を払っていなかった。だが、彼女は機を窺っていたのだ。隙を見て己が主を目覚めさせるために。こんな街中で『あれ』を生み出すのは危険極まりないが、ルドルフの眼を見ればやるべきことなどはっきりしている。やれと、あの眼は言っていた。

 黒き少女、フェンケ決死のダイブで被せられたフルフェイスの兜。

 その瞬間、拘束していたはずの『疾風』団員の首が捩じ切れた。呆然とするリュテスたち。あまりにも突然、変じたのだ。それなりの強者から、最凶の怪物へと。

「リュテスッ!」

 ランベールは全ての疑問を放り投げ、守るべき対象目掛けて走り出した。こんな余興で散らせていいモノではない。自分の代わりはガリアスにいくらでもいるが、彼女の代わりはそう出てこない。自分が死んでも彼女を生かす、戦場でも彼はそうしてきた。

 価値を知るがゆえに――

「ギハッ」

 死神もまた彼女を狙った。槍を掴み、無造作に振り回す。信じ難い膂力によって彼女は宙へ舞った。そして、死神は奪った槍を投擲する。狙いは、空中で身動きが取れないリュテス。どうしようもない状況に普段強気を崩さない彼女でさえ青ざめ――

「はい死んだぁ」

 フェンケが嘲笑う。才能ある者の死に様と言うのは彼女にとってとても心地よいモノなのだ。自分では届かないと知るがゆえに。

 しかし、その槍はリュテスに当たることなく背後の民家へ突き立った。死神は首を傾げる。狙いは完璧であった。外す要素は無かった。ならば、外されたのだ。大外から、強烈な矢の一撃によって、槍の軌道がそれた。

「……ありがとうございます。お姉さま」

 九死に一生を得たリュテス。死神はぼうっと遠くを、矢が飛んで来た方を見つめていた。どちらに食いでがあるか考えているようであった。

「俺たちは舐めちゃいねえよ青貴子。トゥラーンでは動かしたのは『疾風』のみだが、実際は『迅雷』も動かしてんのさ。ちゃんと死神って怪物は勘定に入ってるぜ」

 ランベールは死神から眼を離さずに槍を構えていた。何が出てくるかわからない狂気の怪物。警戒は最大限に、最優先はリュテスを守りつつ『迅雷』の、ガリアス最高の弓使いたるエウリュディケの援護をもって死神を征圧すること。

「あっはっはっはっはっは! いや、マジで、ほんと自己評価高いな、お前ら。なあ、お前ら一度でもさ、ストラクレスに、ウェルキンゲトリクスに、勝ったことあるのか? 王の左右を二人出したら勝てたか? バーカ、勝ててねえからテメエらは覇者に成ってねえんだよ。勝てなかったからガイウスは覇王じゃねえんだよ」

 フェンケ以外の団員が死神に向かって大鎌を投げる。これ以上、近づきたくないという意志がありありと伝わってきた。味方ですら畏怖する死神の暴力。

「つーか、引き分けたことすらねえだろ。ガチの巨星に。いつだって物量で誤魔化していただけ。なーにが王の左右だよ。くだらねえ。引き千切ってやれ、ラインベルカッ!」

 死神が歓喜の咆哮を上げた。飛翔する矢を手で掴み、それをへし折る。大鎌を片手で振るい、吊ってあった出来立てほやほやの絞殺死体を両断する。辺り一帯にぶちまけられる鮮血。近くにいた『疾風』団員の眼を潰し――

「ギャハ」

 それらを両断。両断された女性団員は自分が断たれたことに気づく間もなく、死神が断面に手を突っ込み、ようやく悲鳴を上げた。しかし、彼女にとっての悲劇は此処からであった。意識があるにも関わらず、腸を引きずり出され、まるで玩具のように振り回され、敬愛するリュテスにぶつけられたのだ。そうしてようやく意識が途絶えた。

 同時に命も、絶えたが。

「半端もんは近づくな! 無駄に犠牲が増えるだけだ! くそったれ、何だこの化け物。殺すことを心底楽しんでやがる!」

 凄惨な状況についていけていないリュテスを守るため、ランベールは死神の前に立ち塞がった。下卑た笑みを浮かべる死神。ランベールは噴き出す汗を押さえるのに必死であった。とてもではないが、自分ひとりでどうにか出来る相手ではない。

 だが、可愛がっていたお気に入りの部下が目の前で惨たらしく玩ばれ、まともな状態ではないリュテスを戦力として数えることは出来なかった。中途半端では遊ばれて死ぬだけ。

(くそが、エウリュディケの奴、何してやがる? さっきから矢が――)

 援護も無し。状況は悪化の一途を辿っている。

 ようやくランベールは自分たちの目算、その甘さを痛感した。この死神はもちろんのこと、これを市街地に放り出した青貴子も、それを黙認するネーデルクス勢も皆、頭がイカレている。いくら元超大国と言えども、現状はガリアスの方が上。

 普通なら戦争を吹っ掛けるような行動、出来るはずがない。そう思っていた。

(ああ、くそ、そう言うことか。ネーデルクスは、ガリアスに負けるって思ってねえんだ。国力差は武力で、暴力で、天運でねじ伏せる。それが出来ると考えている。こっちと考えてることが真逆じゃ、そりゃあ外すぜ、サロモンの爺さんよお)

 死神の暴力がランベールに襲い来る。ガリアスを体現する男は、覚悟を決めて迎え撃った。


     ○


 エウリュディケが自分の最大射程より遠間から、愛弓ケラウノスで放った矢を射抜いてみせた男の姿を見る。屈辱であった。大事なリュテスの危機すら眼に入らぬほどに。ガリアス最高の弓使い、彼女が其処止まりなのは、彼らの存在があったから。

「噂名高き強弓にして必中たるフェイルノート、ええ、屈辱ね。笑えないほどに」

 笑みの絶えた弓使いは駆ける。最大射程は劣れども、立ち位置次第で、風向き次第で弓使いの優劣など容易く変わる。位置取りもまた彼女たちの勝負所。

「何故、はとりあえず脇に置いておくわ。大事なのは、わたくしが頂点であると証明することでしょう? ごめんなさいね、私の可愛いリュテス」

 だが、その歩みは阻まれてしまう。

「すまないな。これも戦争だ」

 死角からの蹴り、高所から叩き落とされるエウリュディケ。その眼は憤怒に燃えていた。下衆な、野蛮なやり口、それなのに、その男が操る槍は何物よりも美しい。

「白鳥のローエングリンだ。一曲どうだい、お嬢さん」

「……死ね」

 遠間だけが自分の領域ではないとエウリュディケは高速で矢を番えた。精度と連射、さらに女だてら飛距離も彼女は兼ね備えている。人の身長ほどの距離が空いていれば彼女にとっては十分、悠々と矢を放つことが出来る。

「いいね、胸躍る!」

「極西の島国風情がッ!」

 舞い踊るローエングリン。距離を取りながら高速で連射するエウリュディケ。互いにとって決して相性のいい手合いではないが、それでも出会った以上、戦うしかない。

 それが戦士。それが騎士というものなのだから。


     ○


「おいおい、どういう風の吹き回しだい?」

「ねえねえ、僕らはガリアスだってちゃんと理解してるの?」

 双子の騎士、その前に立つはアークランドで二番目に強い女、ユーフェミア・オブ・レオンヴァーンであった。構えるは二対の長剣、ツインブレード。歴戦の勇士でさえ扱うのが困難な重量と形状から一種の浪漫武器とされる剣である。

「我らは侵略者。誰であろうと関係ない。ただ戦うのみ」

「「ひゅー、強気だねえ」」

 双子の騎士は同時に別々のことを考えた。一人は脅威を、一人は嘲笑を、同じ顔、同じ笑みで考える。凛として立つ女性は、とても絵に成る格好であり――

「「やるか」」

 双子の騎士、その巧みな連携を超重量のツインブレードを頑丈なスプール(かかとの鎧)にぶつけて無理やり始動、一度動き出してしまえばユーフェミアの柔軟かつ巧みな動きで止めどない連撃を生む。その破壊力たるや――

「「ッ!?」」

 騎士二人を圧倒する。平均より少し小柄な二人とは言え、そもそも男と女、基本スペックに大きな差がある。にもかかわらず、まともな打ち合いにすらならない。

(重さと速さで攻撃力を出しているのか。こんな剣、見たことがない)

 こんなバカげた武器を自在に操る彼女の技量もさることながら、こんな武器を真面目に極めようと思ったこと自体、普通の発想ではない。

「レオンヴァーンの武人は武芸百般を修めて初めて一人前、だ。覚えておくがいい。獅子候亡くとも私がいる。その後ろには最愛最強の後継がいる。知れ、大陸の者どもよ。獅子の牙が貴様らを打ち砕く!」

 ユーフェミア自体、ほぼ無名の騎士であった。以前の遠征の際、従軍することは叶わず、名を売る機会がなかったのが大きい。しかし、双子の騎士は認識を改める。この女傑の存在はガリアスにとっても大きな危険をはらむ、と。

「退くか、ガリアス?」

「「ハッ、やらいでか!」」

 だからこそ此処で戦い、情報を引き出す必要がある。ゆえに二人はあえて挑発に乗った。どちらか一方でも生き残れば、この女傑の剣を伝えることが出来る。逆に言えば一方が欠けぬ限り、戦い続けることが出来る、そう二人は考える。

 二対一、凄まじい轟音と共に三人の騎士が舞う。


     ○


「ほう、掴みどころの無い剣だ。若き剣士よ」

「いやー、噂に名高きサー・トリストラムと剣を交えられるなんてラッキーだなあ」

 エウリュディケをローエングリンが担当したことにより、空いた手で呆然と立ち尽くすリュテスを狙ってみたのだが、突然現れた若き剣士にその矢は玩ばれるようにそらされてしまった。トリストラムの記憶の中で、自らの矢がこれほど遊ばれたことは一度としてない。底知れぬ才能、おそらく、ガリアスの武人の中であれば――

「面白い。今、私の興味は貴殿に移った」

「こわいなあ」

 ゆらりと構えるその立ち姿は、捉え難き白雲の如し。


     ○


「ぐ、どっちに行くべきだ? ジョスラン様はインビジブルに行けとおっしゃられていたが、ヴァレリー様の方も尋常ならざる様子。俺は、どちらに――」

 迷える騎士、ロジェ・ペルランは苦悩していた。自らが果たすべき責務を考えた場合、命令に従うべきか状況に応じて自らが判断すべきか――

 彼らが自分の良く分からないところで何かを企んでいたのはロジェも理解していた。それがどれほど大きく、どれほどガリアスに影響を与えるかまでは想像の範疇に無いが。

「俺が考えても仕方がない、か。とりあえずは命令通り、に」

 インビジブルの方へ向かおうと振り返ると、そこには先ほどまでいなかった男が立っていた。ロジェの知らぬ男ではない。いや、ガリアスの兵士であれば知らぬ者などいないと言うべき。彼こそが王の左右、ランベールに次ぐ序列七位、ディエース。『蛇蝎』の如しと色んな意味で畏怖され、各方面から嫌われている男であった。それにこの男に関してはあまり序列が当てに成らない。状況次第でよく変動するし、本人もきまぐれ。

 常に笑みを絶やさずにへらへらと斜に構えている男が、ロジェの道を塞ぐ。

「ガリアスの百将なろうって男が、何も考えんとおったらあかんよ、ロジェ」

「俺みたいな末端の名を、御存じとは」

「そら知っとるて。陛下に傭兵団から引き抜かせたん僕やもん。ほんでもあかんかったわ、僕が引き抜いたのバレてもうて、ヴァレリーと愉快な仲間たちにぶっこ抜かれてな。嗚呼、しもーたわー言うてたら、忙しゅうて忘れてもうて」

「……忘れてたって、何すかそれ」

「しゃーないやろ? 激動の世界、たんぽぽみたいにボコボコ生えてくる新星たち。『僕』の大半はそっちの収集がメインでまともに機能出来んかったんやから」

 妙な言い回しのディエース。

「まあ、折角下船しとる間に泥船が沈んでくれるんやから、もうちょいここで大人しゅうしとった方がええと僕は思うんやけど」

「泥船? 何の話ですか?」

「ヴァレリー卿と愉快な仲間たちに決まっとるやろ。折角色々頑張って今の地位手に入れたのに、ほんま残念やねえ。昔はええ騎士になるて期待されとったらしいんやけど、まあ、同期にダルタニアンやエウリュディケ、アルセーヌも入れとこか、そない差は無いけど、その辺と比べられて歪んでもうたんやろねえ。極めつけは、何の因果かアルカディア、あの世代は全員、オストベルグのキモンも含めて全員が、あの男に屈しとるさかい」

 あの世代に自分を含めていないのが彼らしいと言えば彼らしい。実際に、ディエースもロジェと同じ外から引っ張られてきたスカウト組。ロジェとは別に複雑な構図があったらしいが、本人の口から語られることは無いだろう。

「今は、無意識なんか意識しとるんか知らんけど、とかくヴァレリー卿は剣以外での出世を目論み、此処までは来れた。ほんでも此処までや、陛下もそろそろ本腰入れて掃除を始めるやろうし、そうなったら、まあ、ほとんど生き残れんやろね」

「…………」

「丁度ええ機会やし、ここらでスパッと足洗った方がええよ。下もええの育っとるって噂やし、ちょいと待てば居場所も見つかるんやない? でも、今はあかん」

「……えっ?」

 いつの間にかロジェの首元に剣が突き付けられていた。影から湧き出てきたかのような黒衣の人間。男女も、何もわからぬシルエット。気配も凄まじく薄い。

「この王会議でようわかった。危機感が足りんねん、この国のほとんどが。百将も大半が気楽に構えとる。阿呆か? 以前のネーデルクス、その前のアクィタニアと同じや。意味、わかるやろ? それじゃああかんやろ。要るんや、劇物が、正気に戻す毒が」

 ディエースは嗤う。

「新星どもがウルテリオルで暴れ回って、それに振り回されてようやく少しは理解出来るやろ。それでええ。カスみたいな百将なんて半分も要らんわ。半分食われて残りが危機感持つくらいでええねん。そのための餌や、ヴァレリーもインビジブルも」

「……貴方は、お前は、何を」

「王の頭脳直轄、『蛇』の頭や。あえて今回は僕のとこで色々情報止めさせてもらっとるんやけどね。サロモンの爺さんもちょっと旧いし、固いから、報告上げると甘い手打ちよるし、それじゃあ何も変わらん。何より、おもろないやろ、それ」

 ディエースの邪悪な笑みに、ロジェは何故か偉大なるあの男を思い浮かべてしまった。

「せやから、ロジェはここで立ち往生や。ほんまはインビジブル辺りでええ経験させたりたいんやけど、ヴァレリーのお仲間である君があそこにおると色々面倒やし、後に響くさかい、お留守番ちゅうわけで。ほんなら、僕はお散歩いってくるわ」

「ちょ、待て――」

 ギラリと光る白刃。一歩たりとも動くなとその視線は言っていた。

「僕としては此処で一番怖い駒が落ちてくれると助かるんやけどね。陛下は世界をおもろくしたいみたいやけど、僕はガリアスがおもろいならそれでええ。そのためにはたぶん、あの男が一番邪魔や。そう言うのに限って、一度機会を逃すと、ずるずる行くもんやしな」

 市井での噂も馬鹿には出来ない。荒唐無稽と馬鹿にされていた組織、『蛇』が実在するというのだから。その取り纏めにあの蛇のような男を起用した者は、なかなかセンスがあると自画自賛していたそうな。あえて『蛇』を蛇っぽい男に任せるとは思うまい。と、かの革新王は言っていたが、内実を知る一部の百将は一様に首を捻った。

 いくら何でもそのまま過ぎる、と。

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