王会議:悪意の獣

 ヴォルフはクロードを小脇に抱えながらウルテリオルの街を疾走する。いくつか検問のように通りを見張る一団を吹き飛ばし、その先へと足を向けていた。目的地が分からない以上、相手が警戒している方へ向かうが吉。

(……にしても、昨日の夜中にインビジブルとの境で起きた『小競り合い』。その反撃に対する備えにしちゃあ随分と気合が入ってんな)

 ウィリアムや自分に対する備えではない。そもそも自分が動いたのはクロードを見つけたからで、あの男にしても割に合わないと損切をするような男であろう、通常であれば。あの教会、あの『少女』に見せるかすかな例外感。

 それを知るがゆえにヴォルフはあの男が動かないという選択肢を消していた。だが、それを知らぬ者にとっては、間違いなくバランス感覚を失った暴挙にしか映らない。あの男、白騎士らしくないと感じてしまうだろう。

「やっぱ、どうにも、だな」

「なにが?」

「わかんねえからもやもやするって話だ」

「……?」

 何言ってんだこいつ、と言う視線を向けてくるクロードに軽くデコピンをかましてヴォルフは前を向く。それなりに検問は突破した。それに、匂いも徐々に濃くなっている。

 角を曲がって一気に香りが高まる。つまりは――ご対面。

「動くなよガキ」

「…………」

 クロードでも沈黙してしまう剣呑な雰囲気。一見するとただ警備の人間が立っているだけであるが、外壁の裏、木の影、柱の影、建物の至る所から人の雰囲気が匂い立つ。ヴォルフは此処まで敵を壊滅させながらここまで来た。合図のようなものは出させていない。

 つまり、普通に考えたなら自分たちへの対策ではない。そもそも今日の今日でこれだけの人数を揃えることなど難しいだろう。

(誰に向けての対策だ? あいつが裏で何かしたのか? いや、動くなら下手は打たねえだろ。少なくとも女を奪われるようなへまは無い。ルドルフ? それもねえな。そもそもネーデルクスにガチの喧嘩しかけたなら、そりゃもう戦争だろ。アポロニア? あいつも少数精鋭ながらバケモン揃えてきやがった。この陣容じゃあ受け切れねえ。まあ、あり得るとしたら戦力を見抜けずアポロニアに備えてってのがそれっぽい線だが――)

 接点がない。ヴォルフの知る限り、此処にいるであろう男と騎士女王が絡んだという噂すら耳に入っていない。ここまでの準備をしている以上、相応の因縁があるはずなのだ。隙を見せたならやられる、そう彼らが考える何かが。

(んー、もしかすると、もしかするかも、か? だとしたら、結構やべえ橋だぜ、こりゃあ。ガリアスの内ゲバにテメエから首突っ込んでるって構図じゃねえの?)

 ヴォルフは曲がり角の手前で思案していた。思っていた以上の警戒、いち個人客への出迎えとしてはあまりにも大掛かりであろう。

(ま、関係ねえか。俺の仲間は聖ローレンスでお留守番。俺が約束さえ守ってりゃあ英雄王が揺らぐこともねえ。俺だけせっせとケツ捲っておさらば、それで仕舞いだ)

 どんなやばい橋であろうと逃げ切ってしまえば同じこと。

(それが傭兵の良い所ってね)

 とは言え如何にヴォルフと言えども、遠距離武器まで用意し敵を待ち構えている陣地に飛び込むほど蛮勇ではなかった。一人、二人が増えたところで同じこと。必要なのはそれなりのまとまった数か――

「……お前は此処でじっとしてろよ」

「俺も行く!」

「駄目だっつーのに……まあ、たぶんビビって近寄れねえから良いか」

「ビビらねえし!」

「そうか? 俺はちびりそうだけどな。どうやら奴さん、マジでぶち切れてやがる。何があいつをそうさせるのか……わかんねえがよ。戦場でも、そんなに見れない奴だぜ」

 ヴォルフたちはある程度最短で来ただろう。目的地を知らない状態であれば最善手を指したと言ってもいい。だが、この男は目的地を、敵の居場所を知っていた。その差がこの到着時間に現れている。大きな差があったはずであるが――

「ハッ、それを見るのは二度目だぜ、白騎士さんよォ」

 その男は近隣の屋敷、その屋根に立っていた。風向きは追い風、若干右に流れている。男は仮面をまといてその表情を窺い知ることは出来ない。だが、明らかに雰囲気が荒れていた。いつもの精緻で、怜悧、冷徹な雰囲気は欠片も無い。

「待っていて『姉さん』。今、助けるからね」

 歪んだ笑み。仮面の奥底から湧き出す獣の真性。

 過去のトラウマを刺激された。ウィリアムにとっての最悪がマリアンネを巡っての事件であれば、アルにとっての最悪が今日この日の原型と成った姉を死体を押し付けられた日に他ならない。最悪中の最悪、トラウマの中でも別格。

 別の人格を形成せねば耐えられなかったほどの苦痛を、想起させられた。

 普段の白騎士は、避けているわけではないが弓を用いない。何度か使用している内に、無意識下で気づいてしまったのだ。弓の適性が、天賦の才があることに。神から与えられた『それ』を無意識だが男は避けていた。必要とあらば使うが、必要でないならば使わない。使いたくない。本来、適性からかけ離れているはずの剣を習熟し、結果として今は剣を使った方が様々な面で安定するが――おそらく剣よりは槍、槍よりも弓。

 これこそがこの男の本分。

「楽に死ねると思うなよ、カスどもォ」

 美しき弧を描き、衛兵の利き手に矢が突き立つ。突然の出来事に戸惑う中、今度は逆の手、両腿、それが二人同時に、ほとんど同じタイミングで射抜かれた。何も出来ぬまま、敵を目視する前に倒れ伏す衛兵たち。

「走れ山犬ッ!」

 偉そうな命令口調にヴォルフは心底嫌そうな顔をしながらも、その口の端はかすかに上がっており、クロードがそれを確認する間もなく、狼は爆ぜるように駆け出した。

「外すなよ白猿ッ!」

 衛兵を踏み越え、門扉を蹴飛ばし、ヴォルフは突貫する。近接武器を携えた連中は狼の担当。そこは何の問題も無い。だが、上の階に陣取る弓手までどうにか出来るほど狼の牙は長くない。だからこそ、まとまった数か、遠間を支配する射手が必要であったのだ。

「……どうやったら外れるのか、知りたいくらいだ。胸糞わりい!」

 ウィリアムの雰囲気に、ヴォルフは自分の担当以外を警戒から外した。剣を持っている時よりもよほど怖い雰囲気。自らの目論見を外され、アナトールを踏み越えてきたあの時と同じひりつくような殺気が其処にあった。

 ならば、あれらを視界に入れる意味は無い。あの男は、違えない。

「な、んだよ、くそッ!?」

 窓枠から少し顔を出した。矢を番えた状態でヴォルフ目掛けて矢を射る、それだけの動作の間に、遥か遠間から弦と指を射抜かれた。この時点で弓手としては死亡。これが一度であればただの偶然であったが、二度三度と戦闘不能にされていく弓手を見て、徐々に彼らの顔色が変じていく。最初は運が悪いと笑っていた味方が、もう誰も笑っていない。

 敵は遥か遠方。風向きもあってこちらの矢が届く距離ではない。そんなギリギリの射程から、恐ろしいまでの精度で矢が飛んでくるのだ。弓手としてそれなりに経験を積んでいる者だからわかる。あれは――怪物。

「エウリュディケ様以外で、こんな芸当が出来る奴が」

「畜生!? 耳が飛んだ!」

「耳? 何でだ? もっと狙いやすい場所なんていくらでも、と言うよりかさっきから誰も、死んでいない? そんな、馬鹿な。ありえない」

 痛みにのたうち回る者はいても、死んだ者はゼロ。

「あれは、白騎士だ。弓を使う話なんて聞いたことがない。精度だけなら、エウリュディケ様よりも、ハハ、何だよそれ、何だよ畜生!」

 無理やり身を乗り出して狼を射ろうとする若き弓兵。ガリアス最高の弓使い、エウリュディケに憧れて仕官し、何度か教えを請うた。いずれ轡を並べ、彼女が指揮する『迅雷』の一員として戦うために研鑽を続けていた。今はこうして別の部隊で燻っているが――

 若き弓兵の手に突き立つ矢。指が無残に千切れ飛び、血が噴き出る中、呆然と弓兵であった者は崩れ落ちる。もう二度と、その指が矢を番えることは無いのだから。

「くそ! 上は何をしているんだ、援護を――」

 目の前にぬっと現れる怪物。もはや、反射でしかない。恐怖を振り払うために反射的に剣を振り、それごと断ち切られる。理性ではわかっている。生きる道は戦わないこと。恥も外聞も投げ捨て、無様に逃げ去ること。それだけなのに。

「ハッ、弓手はビビッてもはや顔も出せねえ、か。そうなっちまうと――」

 地上部隊にも矢が降り注ぐ。精確に、無駄なく、相手の戦意を挫く箇所を狙い撃つ。恐ろしいほどの精度と悪意の塊であるやり口。まさに白騎士の真骨頂だと狼は笑う。

「さーて、良い感じで削ったし、そろそろお邪魔しますかねっと」

 ヴォルフは突如、敵の群れから離れるように足を向けた。突然のことで誰もそれに反応できない。もし出来たとしても、もはや単独で彼をどうこうしようと考える無謀さを持つ者はこの場にはいなかった。

「がっはっは! 軽装の俺様は、超凄い!」

 ダン、凄まじい蹴り音と共に、ヴォルフは跳躍した。一瞬、誰もが何をしようとしているのか理解できなかった。それほどに、彼がやろうとしていることは人間離れしており、狂気に呑まれていたウィリアムでさえ「馬鹿じゃねえの、あいつ」と素面に戻るほど――

「ふんがッ!」

 その跳躍は、尋常ならざる高さへヴォルフを運び。外壁の凹凸に指を引っ掛けた狼は、そこから無理やり力づくでさらに自らを上へと運ぶ。悠々と、その男は二階の窓枠に足を下ろした。怪物、その動きは普通の人間ではない。

「どした? ぼーっとしてると、お邪魔しちゃうぜ?」

「う、ウァァァァアアアア!」

 ヴォルフを窓から叩き落とそうと兵士が向かっていく。それをひらりとかわして、自身が屋敷に入る換わりに兵士が受け流されて空を舞った。

「どーもこんにちは」

「あ、ああ、あ、あ」

「さあ、やろうぜ。戦争をよォ」

 ヴォルフは嗤う。

 そして時を同じくしてウィリアムもまた屋根から飛び降り、ヴァレリー卿の屋敷の門を潜る。狂奔する兵士たちを幾人か射抜き、丁度矢が切れたところで弓を投げ捨て剣での応対に切り替わる。狼の残りモノをズタズタに引き裂いていくウィリアム。

 その顔には悪意が張り付いていた。

 手を落とし、足を断ち、戦闘続行を不可能とする。戦場でも良く使う手であったが、今回の白騎士、獣はそれほど深いことを考えてはいなかった。悪意、狂気、それに導かれるままに彼らの未来を奪っているのだ。兵士としての、騎士としての未来を。

 それはある意味で死よりも残酷な終わらせ方であった。

「どこだ、ヴァレリーィィイ」

 今と昔が混在するウィリアムの脳内。歪んだ心が映す歪んだ世界。『姉』を守るために戦う。『姉』を今度こそ救うために戦う。今度こそ、今度こそ、今度こそ――

 その『今度こそ』という想い自体が歪んでいることに、今のウィリアムは気づけない。

 最愛の姉はとっくに死んでおり、今救おうとしているのは姉ではないのだから。

 そんな当然のことすら思慮の外になってしまうほど、最悪の日に似た構図は彼を揺らしてしまったのだ。正気であれば、おそらくクロードを確保した後、別の手を考えていた。戦うなどもってのほか。アルカディアでの地位を失うどころか、ガリアスの法で裁かれ、命すら失いかねない。正気であれば、シスターの想像通り、ヴォルフの想定通り、ウィリアムは損切をしただろう。厳選した子供たちだけを引き取り、拠点は別の場所を新たに探す。あそこに、彼女に、こだわるのは妄執でしかないのだから。

 矛盾を抱えながら狂気の獣は刃を振るう。悪意を撒き散らしながら。

 ただし、悪意と同じ方向性であれば、ほんの一欠けら冷静な部分は残っている。かすかに残った理性がこの悪意を許容しているのは、殺すよりも罪が軽くなるから。ヴォルフの馬鹿げた正当防衛と同じ、言い訳の余地を作っていたのだ。

 その結果がより凄惨な光景に成る、その矛盾が悪意をより際立たせる。


     ○


 ヴァレリーは拘束したミーシャを撫で回していた。気色悪い手つきであったが、ミーシャは猿轡をかませられていなくとも、声を発することは出来なかっただろう。彼女の視界に広がる狂気の産物、人を素材とした人形が所狭しと並べられた光景に、一般人である彼女が恐怖を覚えぬわけがなかった。

「美しい。素晴らしい素材だよ、ミシェル。嗚呼、本当の名前はミーシャだったか。どちらの名前を取るべきか、私はとても悩んでいるのだよ。最高の素材に、これだけの『経験値』を積んだ私の技、二つが合わさり、究極の芸術がこの世に生まれるのだ」

 理解不能。そもそも、この空間は死臭に満ちていた。吐き出しそうなほどの臭い。確かに色々な技法を用いているのだろう。時間が経過しているにもかかわらず、生皮を用いた人形は思ったほど崩れていない。これだけの死体が並んでいると思えば、臭いもそれほどではないのかもしれない。だが、そもそも論としてこの光景を彼女は受け付けられなかった。彼女だけに限らず、大半の人間が受け付けないだろう。

「君の命にはそれだけの価値があるんだ。底辺で生まれた、下賤な君でも、芸術に成れば、その生に意味を得る。私に君は感謝するだろうね、君は」

 貴族、欲望が飽和し、様々な快楽が当たり前と成った彼らは、より尖った方へその性癖を変えていった。一部だと思いたいが、こうしてあらぬ方向へ変化した貴族と言うのは少なくない。これらの残虐行為を嗜み、そう言い切る輩も大勢いる。

 その趣味に理解が及ばぬとも、その行為を咎めぬ貴族が大半なのは、歪んでしまう気持ちが共感できるからである。満たされし者たちの歪み、その一部がこれ。

「良い情報と共に、我が主へは君を披露するつもりだ。王会議中に起きた不祥事、主犯はジョスランにでも成ってもらおう。彼とリエーブルが裏で画策して、教会を襲った。それを私が見咎め、二人を殺害し、その首を王家に捧げる。同時に、何故、リエーブルがそんな暴挙に出たのかが表に出れば、元を正せば王都再編、つまりはガイウスの失態、そう言うシナリオさ。素晴らしいだろう? 私はさらに出世し、我が主たちもご満悦」

 こんなことを自分に話している時点で、この男が自分を生かす気はないのだと知る。

「警戒すべきは蛇どもだが、これだけ屋敷を固めておけば入って来ることなど出来まい。あとは隠し通路から報告を送り、全てを完遂すれば、晴れて私はさらなる地位と最高の芸術を得ることになるのだ。素晴らしいだろう? 光栄に思いたまえ」

 狂気の笑顔が張り付いている。この男には言葉など届かない。

「さあ、そろそろ作業を始めよう。大丈夫だ、存分に暴れてくれたまえ。その姿もまた芸術の途上、それを美しく飾る一ページなのだから」

 理屈など、歪んだ者には意味がない。

「ヴァレリー卿、火急の報告が!」

「……無粋。無粋無粋無粋無粋無粋ィィィィイイ!」

 殺意にも似た苛立ちを見せるヴァレリー。

「つまらん用件であったなら殺してやる」

 激怒しつつ扉越しに報告を聞くヴァレリーの貌が、見る見る変化していく。激昂から驚愕、そして次第に青ざめていった。狂気すら吹き飛ばすほどの何かが起きたのだ。

 それが何かまではミーシャには分からないが――

「何としてでも食い止めろ。いいな、絶対に私の書斎には近づけるな。さっさと行け! くそ、書きかけの報告書が……あれを回収して、この娘も一旦外に出さねば」

 急変する状況。血走った目のヴァレリーを見る限り、ミーシャにとって好転したのかは分からない。ただ、今すぐに死ぬことは無くなった。それが何故かは、やはりミーシャには理解出来なかったが。

「さっさと立て。ふざけやがって、クズどもが。私を誰だと思っている? 百将、序列十八位、ヴァレリー様だぞ。いずれは王の左右に至る男だ。それが、異国のクズどもに邪魔などさせるものかよ。私はまだ先へ――」

 ミーシャを引き摺ってヴァレリーは地下室を出る。大事なのは報告書の回収、そして教会の関係者であるミーシャを屋敷の外に一旦出すこと。此処に彼女がいれば、あの騒ぎをジョスランに押し付けることが出来なくなる。主犯とされ、主からも梯子を外されるだろう。出世レースどころか、下手をすると罪人。それは彼の誇りが許さない。

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