王会議:崩壊する日常

 ウィリアムは愕然とした表情で立ち尽くす。目の前に広がる燦々たる光景。焼け落ちた教会は至る所に焦げ跡が刻まれ、煤にまみれ、昨日までの穏やかな光景が嘘のような状態であった。もはや、この家屋の下で人が住まうことはないだろう。

「……どういうことだ?」

 あらゆる状況に思考を張り巡らせ、それでも最適な解が思いつかない。

「わかってんだろ? リエーブルと素敵な仲間たちさね」

「ありえない。今は王会議中だ。いざこざを、俺も、そこの男も見ている。腐ってもアルカディアの代表とネーデルクスの代表だぞ? 七王国の眼が二つ、奴らの醜態を捉えていた。こんな暴挙に、このタイミングで、ありえん」

 無言で、無表情で、ネーデルクスの代表であるルドルフは哀れなる光景を眺めていた。この王会議中、ずっとそばに置いていたミーシャの同僚の女性も、あまりの光景に声を失って立ち尽くす。

「でもありえた。それが結果さ」

 ウィリアムとて何の策も打たなかったわけではない。リディアーヌとの交流を積極的に行っていたのも、上手く言いくるめて自分の商売の中継地点である『此処』の後見人になってもらおうとしていたが為。王位継承権五位、看板としては十二分であろう。

 ただ、その考えは仲を深めてから、王会議の後半で話を切り出すつもりであったのだ。王会議中は当然動かないはず、そう決めつけて――

「異国のあんたが知り得ないであろう情報がいくつかある」

「……手短に頼む」

「一つ、ガリアスは一枚岩じゃない。問題が起きて、得をする連中もいるのさ。ガイウスの足を引っ張ることばかり考えている連中がねえ」

「それがヴァレリー卿の、本当の後ろ盾、か」

「ああ、さすがだね。ちゃんとあの男の名前は調査済み、か。でもね……二つ、あの男には悪癖がある。公にはしていないが、貴族の、ちょっと過激な嗜みとして、美人の奴隷を収集し、その皮を、骨を、肉を使って、人形を造っているらしいよ」

 ウィリアムは身震いする。取るに足らぬ相手と見切りをつけ、内面の掘り下げまでをしていなかった。いや、ある程度の性格や特徴、家の格などは調べてある。問題は、異国の己に対し言い辛い、言えない情報にまで手が届かなかったこと。

 何よりも、よりにもよって『彼女』がターゲットになっていたことが、ウィリアムの思考を狂わせていた。既視感が、身を侵す。憤怒、絶望、嫌悪、何もかもがない交ぜになって、灼熱と化す。思考が真っ赤に塗り潰される。

「そして三つ。ガリアスはウルテリオルを王会議のために整備するに当たり、かなりの無茶をした。そのあおりを受けたのがインビジブルさ。そこをシノギにしていた連中は、ここを何としても欲しかった。インビジブルの中でも、隔絶したこの土地を、ね」

「リエーブルは其処を仕切るフィクサー、か」

「黒幕って柄じゃないけどねえ。あれは息子の方が切れ者さ。まだ十代だけど――」

「そこはどうでも良い。くそ、抜けていたのはヴァレリーのパーソナルとその後ろ盾。そこを見誤っていたことか。てっきり、奴らは共存関係だとばかりに思っていた」

「ドミニクはそう思っているさ。ヴァレリーもそう見せている。だから、良い隠れ蓑に成るって話さね。余所者のあんたには、全てを調べ切る時間も余裕も無かった。そこを悔いる必要はないよ」

「悔いてなどいない。だがな――」

 ウィリアムはシスターの胸倉を掴む。

「何故その情報を俺に黙っていた? 第三極、ガイウスの足を引っ張る存在が、ヴァレリーの後ろにいる。それだけあれば、俺ならどうとでも出来た」

「確定した情報は無いし、それが誰かもわからない。調べても尻尾を掴ませないからねえ。本当のフィクサーって連中は。それに、これ以上余所者のあんたに頼ってちゃ、いくら何でも罰が当たるさね。こんな形だが、存外信仰が厚くてねぇ」

「ここは俺の道、その拠点と成るべき場所だ! 庇護するのは当然――」

「本当にそれは当然のことかい? 今回の件、いくら切れ者のあんたでも、阻止しようと思えば相当な負担に成る。下手を打てば親であるアルカディアにも迷惑がかかるだろうねえ。そして、こんな場末の教会、代わりなんて世界中どこにでもあるだろ?」

「……それは、だが」

「何かがあんたの琴線に触れたおかげで、ここのガキどもは幾人か救われる。それで良い。それ以上は望み過ぎさね。ここは数あるごみ溜めの一部にしか過ぎない。あんたがこだわる理由なんて、此処にはないよ、アルカディアの英雄、白騎士」

 シスターが先回りして、全ての『理屈』を叩き潰す。そう、いくら理屈を説いても屁理屈でしかない。こんな底辺の子供が集う場所なんて世界にはごまんとある。そのうちの一つに、自らの立場を危ぶめてなお、投資する理由などないのだ。

「お兄さん、助けて。クロードが、ミーシャを追って」

 ウィリアムが救った娘、セリーヌは泣きはらした目でウィリアムに縋った。

「……道理で見ないわけだ。あの馬鹿が」

「あの子も馬鹿だねえ。諦めちまえば済む話だってのに。折角、目の前に底辺を突破するチャンスが転がってきて、それをふいにして死んじまうなんてさ」

「……やめろ」

「良くある話さね。いつだって気の向くままに強い連中は搾取する。弱いあたしらは毟られるまま。救いなんてない。底辺の人間は、そうやって妥協して生きていく生き物なのさ」

 子供たちが泣いている。泣けるならまだ救いがある。問題は、諦めることに慣れ過ぎたシスターのように、泣けない、泣けなくなった者こそが一番の被害者。

 擦り切れて、悲しみすら浮かばなくなった敗北者。戦う術を知らず、戦うことすら奪われた彼女たちの姿は、遠い日の記憶を想起させた。

「わたし、お金貯めてて、少ないですけど、これで、クロードを、ミーシャを、助けてください。目の見えないわたしを、ずっとささえてくれたんです」

 物乞いをして貯めた僅かなお金。それでも必死で貯めていたのだろう、袋に詰まった銅貨の重みを、ウィリアムは感じ取る。お金の多寡は重要ではない。彼女の立場でこれだけ貯めた、そのすべてを彼女は惜しげもなく差し出したのだ。

「わ、わたしも、少しなら!」

 セリーヌも、そして他の子供たちも、わらわらと隠していたモノを集めてくる。お金もあれば、子供にとっての宝物、キラキラしたガラス片だったり、ほとんどが無価値なものばかり。お金も、全部合わせたって大した金額には成らない。

「「「助けてください!」」」

 それでも彼らは身を削った。明日をも知れぬ底辺の子供たちが――

「馬鹿なことを。諦めるってあたしと約束しただろうが! これ以上――」

 ウィリアムはシスターの口を遮った。

「僕には関係ないけど、その選択肢は下手を打つと破滅するよ? わかってるよね? あいては超大国で、君がどう踊ろうと、全ては彼らの掌の上、だ。ガイウスにとって都合よく踊るか、尻尾すら掴ませない狡猾な連中のために踊るか、それだけだぜ?」

 ルドルフの言葉を聞いてなお、男は揺らがなかった。

「知ったことか。『お前ら』も黙れよ。俺は、今日、好き勝手やるために力を付けたんだ! 体制に与し、見て見ぬふりをして、くく、いつの間に俺はそんな上等な人間に成った? ふざけろよ。『お前』は、今日を救うために、人を辞めたんだろうがッ!」

 ウィリアムは正義の味方ではない。悪徳を成すに躊躇は無く、道徳や倫理に反する行いも平気でやってきた。自分は悪であり、狂である。今更何をしたってそれは覆らない。覆す気も無い。だが、これだけ『景色』が重なってしまった。

 あの日に、あの構図に、あまりにも酷似している。そこで何も出来ないなら、あの日の憎しみは、あの日の覚悟は何だったのかと言うことに成る。それもまた言い訳でしかないのかもしれない。結局自分は、彼女を通して姉の幻影を追っているのだろう。

 それでも、それだからこそ、今度こそ否定せねばならない。

「俺が俺のためにする。お前らもお前らのためにそれを使え」

 あの日知った昨日の世界を破壊するために自分は生きている。時には『道』のため、それに恭順する覚悟はあれど、本当の意味で、大事な局面で屈するのであれば、自分の覚悟すら捨て去ることと成る。

 ただの代替行為であろうと――

「俺を虚仮にしやがった連中に泡吹かせてやる!」

 ここで黙って見過ごせるほどお行儀の良い復讐者ではないのだ、この男は。

「……何で、こうなるかねえ」

 一人立ち去って行くウィリアムの背を見て、シスター・アンヌは力なく腰を落とす。自分たちは、あの子たちは本当に運が良い。運が良過ぎて、揺り返しが怖くなるほど、あまりにも彼と言う存在は都合が良過ぎた。今だってそう、言葉は尽くしたけれど――

「……ありがとう」

 またしても救われてしまった。希望が現れてしまった。人生はもっと不条理で、残酷なはずなのに。それを知っているはずの自分ですら、笑みがこぼれるのを止められない。

「あの、おっぱいのお兄ちゃん」

「ん? 僕? あはは。君は人を見る目がないねえ。僕が彼を助けると思った? 僕が、敵国の将であるウィリアム・リウィウスを? 冗談が過ぎるぜ。僕は僕のしたいようにしかしないし、ヴァレリーってのも良い趣味してんなあって思っただけ」

「わ、わたしのおっぱいをもんでもいいから!」

 セリーヌの発言に目を丸くするルドルフ。確かにルドルフはおっぱいが好きである。此処にいる間ずっと隣の女性の胸を揉んでいたし、シスターの胸もしれっと触っていた。それでも、まだまだ小さな女の子に、色を引き合いに出されるとは思わなかったのだ。

 ルドルフは、ふっと笑みを浮かべた。

「良く見ると君、かなり美人さんだね。ただ、おっぱいの将来性は未知数だし、取引には応じられないよ。僕みたいなエロ人間を落としたいなら、たくさんご飯を食べて大きくなることだね。そうしたら、今度は僕が口説きに来よう」

 青貴子、ルドルフ・レ・ハースブルクに情は無い。神の子として生を受け、文字通り神の子のように扱われてきた。だから、そんな人間じみた感情は持ち合わせておらず、彼らを可哀そうだな、などと欠片も思っていない。

「シスターがもう少し若ければ取引に成ったのにね」

「そりゃあ残念だねえ」

「君ももう良いよ。ご苦労さん。僕、飽きっぽいからさ」

 お気に入りの女性も切り捨て、ルドルフはへらへらとこの場を後にする。

「神様がサイコロを振っただけ。僕は、きまぐれなんだ」

 ウィリアムとは別方向にルドルフは足を向けた。


     ○


 小さな少年が剣を引き摺りながらウルテリオルを駆ける。分不相応な剣を引き摺る姿は滑稽で、卑小な身体にどれだけ鞭を入れたところで非力なまま。それでも少年の眼は真っ直ぐに前を向いていた。考えなどない。教会が襲われた際に、隙を見て掏った剣を手に、少年はただ想いのまま走る。

 相手は貴族であり騎士である。勝てるわけがない。それでも彼は『家族』のために、『姉』のために、命を賭けることに躊躇いは無かった。

 ずっと一人だった自分の『姉』になってくれた人。彼女が『姉』になってくれたおかげでたくさんの『兄妹』が出来た。一人だった日々に比べれば、何と満ち足りた日常であったか。たくさんもらった。だから、お返しせねばならない。

「――離せよ! 通してくれよ!」

「駄目だ。剣を持った貧民のガキなんぞ見逃せるか!」

 それなのに現実は残酷で――

「悪いのはお前らじゃないか! 俺たちが、何したって言うんだよ!?」

「何の話か分からんな」

「ガキの言うことに一々耳を貸すな。さっさとぶん縛って転がしときゃ良いんだよ」

「ちくしょう! ちくしょう! はなせよォ!」

 お返しする舞台にすら立たしてもらえない。『姉』を助けるところに辿り着くことすら、少年の力では出来なかった。あまりにも無力、貧民の子供と貴族であり騎士が住まうステージの差は途方もなく巨大で、果てしない地平が広がっていた。

 手を伸ばしたって届かない。子供の手ではあまりにも――

「よォ、無様だなガキんちょ」

 遠過ぎて、涙を流せども埋まることは無い。

「身の丈に合わねえ剣を引き摺って、貴族の領域に踏み入ることすら出来ずに、テメエは此処で終わり、だ。現実ってやつは甘くねえよなあ。本当に、甘くねえ」

 歯を食いしばっても、泣きわめいても、届きはしない。

「ここが、この状況が今のテメエだ。つれーわな、きちーわな。でも、これがテメエ一人の現実ってやつだ。ここを踏み越える力は、テメエにゃねえぜ」

 だから――

「たずげでぐだざい」

 少年はちっぽけな矜持を捨てて泣きじゃくりながら男の足に縋りついた。

 男は静かに微笑む。

「ああ、いいぜ」

 男は少年を、クロードを小脇に抱える。

「おう、お勤めご苦労さん。通るぜ」

「いや、それは――」

「馬鹿、関わるな! こいつは――」

 悠然と領域を跨ぐ男。黒き衣を身にまとい、猛々しい雰囲気を醸し出す若き怪物。

「黒狼のヴォルフだ」

 同じく底辺に生まれた者同士、一番力が必要だった時に力を持たなかった者のシンパシー。ヴォルフが力を貸すのは、この少年を気に入っているからではない。あの日、何も出来なかった自分と同じ気持ちを、味わって欲しくないだけ。

 喪失の苦みを、無力の絶望を知るがゆえに、男は当然の如く立ち上がった。

「ヴォルフは、えらかったんだ」

「バーカ、偉くねえよ。傭兵だぜ俺は」

 ヴォルフはクロードの見当違いに笑った。

「俺は、つえーのさ」

 そう、彼は強さだけで領域を踏み越えた。権力の後ろ盾無くとも巨星に目を付けられ、曲りなりとも同じステージに立った。普通は立てない。たまたま出会うことはあれど、自らの引力で巨星を引き寄せるなど出来るはずもない。

 だが、彼は出来るのだ。彼は引き寄せたのだ。

 自らの強さを証明し続け、領域を踏み越える『力』を身に着けた狼が牙を剥く。

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