王会議:良き光景、そして――
アポロニアが場を荒らしてくれたおかげで辛くも窮地を乗り切った、と言うよりもうやむやにしたウィリアム。国に戻った後、同等品をほぼ身内と化したテイラー商会から安く手に入れて、エレオノーラに渡せば完璧、と彼は皮算用していた。
その夜――
「ハァ、ハァ、ハァ」
「……まだやるかな?」
今宵、アポロニアは見物に回っていた。ウィリアムと対するは彼女の騎士の一人であるメドラウト卿。見かけの割りに確かな実力こそ感じるが――
「白騎士、頼む」
昼間のお願いとは色味が違う言葉。自分にとっては意味が薄くとも、彼女にとって、『彼』にとっては、必要な過程なのかもしれない。
(まあ、ガルニア出身には珍しくインテリジェンスを感じる手合いではある。打ち合いの中に理合いを見出すタイプ。直感で最適を見出すアポロニアとは真逆か)
ウィリアムは余裕をもって構える。実際、かなりのゆとりがあった。どうやっても無理を強要してくるアポロニアやヴォルフのような怪物と違い、彼はあらゆる意味で人間大に収まっていた。ならば、無駄を削りに削ったウィリアムの剣は体力温存の意味でも大きな効果を発揮する。その差が、この構図に現れていた。
(アポロニアを、姉さんを通して、見たつもりになっていた僕が馬鹿だった。こんな人間がいるのか、こんな剣があるのか。全ての動作に意味を持たせ、シンプルで無駄のない動きから無数の剣が出てくる。奴にとって、盤上も実戦も同じ。思考がそのまま剣に乗っている。直感や、センス、そういったモノを極力排した、智の剣)
打ち合う度に伝わってくる思考。小さな体で、皆から劣る身体で、自分も考えてきたつもりだったが、メドラウトの思うより何倍も、何十倍も、この男は考え続けてきたのだろう。やったつもり、善処してきたつもり、この男の前では全てが虚しい。
努力とはかくあれ。凡人が非凡な努力を続けた結果が今。そしてこれは――
(まだ、途上だ。満足などしていない。丁寧に、地道に、築き上げてきた土台。くそったれ、どうして、こんなにおぞましい雰囲気の男が、此処まで美しく積み上げることが出来るんだよ。まだまだ、乗るぞ。この土台の上になら、これだけ綺麗に、丁寧に積めば――)
ようやくメドラウトはアポロニアが固執する理由を理解した。自らとは対極に位置する存在。幼くしてアポロニアと言う至高の型が出来上がっていた彼女にとって、未だ積み上げ続けている男の姿は奇異に映っただろう。そしてそれ以上に、恐ろしく映ったに違いない。何故なら、彼女には、否、この場の誰にも分からないから。
これほど徹底した『努力』の先に何があるのかを――
「まだ、まだァ!」
「振りが大きい。だから無駄に体力を消耗する」
メドラウトの剣を容易く受け止めるウィリアム。
「ぐ、ぉぉぉおおッ!」
「立ち位置、手の位置、刃の位置。無理やり押しても、貴方では押し切れない」
メドラウトの力づくを理合いで征す。
「思ったのですが……貴方は聡明な騎士だ。であるにもかかわらず、剣は大きく見せようとしている。私も同じ劣る者なので憧れる気持ちはわかりますが、それは我ら非力なる者の剣ではありませんよ。もっと大きな騎士が振るうべき剣です」
「僕は誰かの真似をしているつもりなど!」
「ああ、やはりそうか。だから貴方の剣には、貴方がいない。体躯の、特性が異なる者の真似は、真理から遠ざかる道だ。それではいつまで経っても、貴方は何者にも成れない」
何かを抉るつもりはなかった。ウィリアムはただ指摘をしただけ。思ったことをありのままに。だが、良くも悪くも実戦で学んできたガルニアの騎士たちは、若きメドラウトに気づいていたとしても指摘してこなかったのは事実。
いつか戦場で気づく。己が手で見出す。それがガルニアの流儀。どちらにせよ――
「……俺たちの言葉では届かんさ」
「ああ、特性が近く、その上で勝る男の言葉だからこそ届いた」
「陛下の物真似を捨て、羽ばたくか。王の血よ」
騎士たちは若き同僚が粉砕される様を見た。無情なまでに打ち込まれ、崩され、尻餅をつかされる屈辱。もう二度と、かの騎士は憧れ、憎悪し、二律背反の中で剣を模倣することは無いだろう。その道に先は無く、別の道にこそ己が進むべき先を見たのだから。
「白騎士、感謝する」
「……大したことはしていない」
アポロニアの視線は倒れ伏し、立ち上がることも出来ずに悔しがる己が騎士に注がれていた。その視線は、女王のような苛烈さも鮮烈さも鳴りを潜め、どこか柔らかい色を帯びている。
ふと、その光景を見てウィリアムは何かを思い出しそうになった。とても大事なことのような、些細なことのような、ほんの僅かな、引っ掛かり。
「借りは必ず返す」
「貸したつもりはない」
アポロニアの礼をウィリアムは受け流し、その場を去っていった。
○
「何だい、あんたもサボりかい?」
「こんな顔じゃお客さんの前に出れないから」
シスターがパイプを燻らせる横で、泣きはらし酷い顔つきになったミーシャが座る。
「シスターは人を好きにあったこと、ある?」
「そりゃあ、あるよ」
「報われた?」
「そうさねぇ。心は満たされたさ。それこそ胸焼けするほど。でもね、結局あたしは最後まであの人の隣に立つ自信も覚悟も備わらなかった。隣にいるのに、遠いのさ。まあ、分不相応だったんだろうねえ。いくら身体を合わせても、埋まらない」
「……あはは、だから、私にお使いを頼んだの? 身の程を知れって」
「怒ってるかい?」
「うん。すごく。でも、自覚しちゃったから。私は、あの人の周りにいて良い人間じゃない。商売女で、薄汚い底辺の生まれで、何から何まで、違い過ぎるもの」
「……吸うかい?」
「要らない。口に臭いがついちゃうから」
ミーシャは深呼吸を一つ、そして頬をぱんと叩いた。
「大丈夫。諦めるのには慣れてるから。私には、家族がいるもの。ずっと欲しかった家族。あの人のおかげで、維持出来るようになるかもしれない。これ以上は望み過ぎ」
「まあ、今日はゆっくり休むんだね。明日は仕事に行きなよ。何があったって明日が来る。明日が来るから、生きる糧を稼がなきゃいけない。大丈夫、あんたは強いよ」
まるで親のようにシスターはミーシャの頭を抱いた。見ないであげるから、誰にも見せないであげるから、好きなようにして良い。彼女の所作がそう言っていた。
だから、ミーシャは家族を起こさないように、小さな声で泣いた。あれだけ泣いたのに、まだ涙が止まらない。でも、明日はきっと大丈夫。今日、思いっきり泣いて、明日を強く生きる。大丈夫。諦めるのには慣れている。
それが底辺に生まれるということなのだから――
○
「ふむ、筋が良いぞ」
別の子が褒められふくれっ面になるクロード。
「俺のほうがつよいもん」
「現段階での強い弱いなど何の関係も無い。勢い任せの戦い方ではすぐ限界が来る。頭を使え、考えを張り巡らせろ」
「やだ。考えるの苦手」
「だから考える癖を付けろって言ってるんだガキんちょ」
そう言ってウィリアムは他の子を相手取る。クロードだけが引き取る子供ではない。戦士としての適性はもちろん、観察力や学習能力、速度、深度、あらゆる観点から『自分』に向いている子を厳選する。そう言う意味ではクロードは向いていないが――
(センスは抜群だ。明らかに他の子よりも抜けているし、一日おきに成長している。あとは自分への甘さが抜ければ、最高なんだが……まあ、俺みたいに成られても困る、か)
這い上がるためのバイタリティは求めつつも、復讐者の歪みまでは模倣すべきでないとウィリアムは考えていた。復讐心は研鑽における原動力と成ったが、悪意に呑まれて最善から程遠い動きをしたことも事実。それは要らないのだ。不純物でしかない。
そう考えること自体、彼が変わりつつあるという証左であったが、それを指摘できる者は本人含めてこの場にはいない。どれほど徹しても主観は客観にはなり得ないのだ。
「はいはい、そろそろお昼休憩! 何と今日は豪勢に、パンにハムを挟んでみました!」
「やったー! 肉だ!」
「ミーシャ! ミーシャ! ミーシャ!」
「褒め称えるがいい!」
わらわらと子供たちがミーシャに群がっていく。残されたウィリアムはしょんぼりと立ち尽くしていた。剣ではハムに勝てないのだ。
「はい、ウィリアムも食べるでしょ?」
「ああ、丁度小腹が空いたところ、だ、が……少ないぞハムが。欠片しか入ってない」
「育ち盛りの子供が優先なの」
「君よりも少ないが、君は育ち盛りと言うには――」
「育ってますけど? 見る?」
ちらりと胸元をアピールするミーシャ。ウィリアムは目をカッと見開きハムを凝視した。かすかに香る燻製の匂いに、運動後にはたまらない塩っ気たっぷりの見た目。ハムならば色気にも勝てる。大丈夫、己は鉄の男。ハムがあれば大丈夫。
「遠慮しておこう。まずは栄養補給だ。何事も最善を尽くすのが俺流なのでな」
「何それ童貞くさい」
「……それは今関係ないだろ」
「あはははは!」
腹を抱えて笑うミーシャ。苦い笑みを浮かべるウィリアム。それを見て子供たちも興味深そうに集まってくる。「童貞ってなに?」という素朴な疑問に答えようとするミーシャをさりげなく強引に止めようとするウィリアム。子供たちはそれを見て興味を深め――
「……嗚呼、悪くないじゃないか」
シスター・アンヌはパイプを口にくわえながら、深く笑みを浮かべていた。住む世界が違う、まさしくその通りなのだろう。それは自覚すべき事柄で、無視してはならないが、その上で踏み越える覚悟があれば話は別。この光景を見ていると、勝算無しとは思えなかった。ただ、それを彼女が口に出す気は無いが。
「強がって、いつも通りに振舞って、誰にも気づかせない。あんたは大丈夫だよ。諦めるのも、踏み出すのも、あんたの人生。好きにやりな。あたしゃあ知らん」
何かがズレている。それは何となく理解出来るのだが、それでも、今の彼が見せる自然な笑顔を見ていると、ズレていても構わないと思えてくるのだ。もしかするとこのズレが上手くハマって、良い流れを生むかもしれない。
「あの、ハム、一枚なら」
「……メアリー、それは君が食べなさい。俺はクロードの分をもらうから」
「兄ちゃん!? やらないからな! ハムはだめだ!」
「じゃあ特別にミーシャちゃんのをあげましょう。食べかけだけどね」
「頂こう」
「迷いなさいよ! ってか本当に食べてるし」
「このハム美味いな。あとで買いに行きたいから場所を教えてくれ」
「ちょっとは照れなさいよ! 間接キスじゃん!」
「……それが何か?」
「俺にもくれよ!」
「俺も俺も!」
「あーもう、はいはい。あとで場所を教えるから明日の買い出しよろしくね、白騎士様」
「承ろう」
ここはとても静かで、隔絶され、底辺ながら良い空気が流れていた。
だからこそ、海千山千を越えてきたシスター・アンヌでさえ見落としていたのだ。そう言う流れの時こそ気を引き締めるべきであったと。最低限の手は打っていたとしても、警戒を深めるべきだった。
人は時に理屈を超え、感情に走ることもある。
光が影を深めるなど、神話の時代にもあった良くある話なのだから。
○
「自分たちが何をしているのか、本当に理解しているのか!? 今は王会議、各国のトップが集う厳戒態勢の中で、何故このような蛮行をッ!?」
「存在しない空間で何が起きようとも、誰も気にせんさ」
「百将の誇りを、文武の境界を踏み躙りし愚か者どもめ」
「貴様ら底辺が知った風な口を叩くな。ならず者どもに教えてやれ、本当の武とは何かを。総員構え、蹂躙せよッ!」
統制の取れた正規兵が剣を抜く。ひりつくような空気感、此処は天下のウルテリオルであるにもかかわらず、一つの戦場が形成されていた。
「愚かな、あの男の後継を自称するお前が、道化になってどうする、ドミニク坊」
力の差は歴然であった。ここはあくまで通過点、目指すべき場所は――
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