王会議:輝ける者たち

 シスターに仕事を頼まれたミーシャは、しぶしぶ仕事疲れの身体をおしてウルテリオルの街に繰り出していた。普段滅多に来ないウルテリオルでも上等な店が軒を連ねる区画。彼女の稼ぎは一般の市民と比べてもかなり稼いでいる方だが、それでも此処で買い物をするとなれば相応の覚悟が必要になってくる。

 そもそも普段は着飾らない彼女にとって、覚悟のいる買い物に成る時点で選択肢からは外れていたのだが――

「シスターの昔の知り合いって言うからどんな強面の人が出てくるのかと思ったら、凄い優しそうなおじいちゃんでびっくりしたなあ」

 シスター・アンヌからと手紙を一通手渡し、それで依頼完了。やることもないのでさっさと帰ろうとするも、どの道もやたら混雑して帰るに帰れない状況に陥ってしまう。それならばと昔取った杵柄、裏道小道、屋根伝いに歩くミーシャ。

 彼女もまたクロードたちと同じように孤児であり、シスターに拾われるまではこうしてウルテリオルを走り回り悪事に手を染めていたものである。生きていくための小さな悪事、バレたなら鞭打ちか、棒叩きか、それが元で死ぬものもたくさんいた。

 生きているだけで儲けもの。シスターが『利用』してくれなければ、今の自分が生きていたかもわからない。そんなどん底で彼女は生きてきた。

 すいすいと屋根を歩き、そして眼下に収める。自分たち底辺だけの景色。はしたなく、下品で、無教養、だからこそ屋根の上からこうして――

「……あれ」

 そこから見えた景色は――

「……何で、だって、あはは」

 とても美しくて、輝きに満ちていて、見下ろしているはずの自分が酷く醜く思えてしまった。煌びやかな一団だった。その中で、自分とは比べ物に成らないほどの美しさと可憐さを備えた女性と談笑する白い人。どうして、ほんの僅かでも、勘違いしてしまったのか。

 わかっていたはずなのだ。彼は英雄で、自分は商売女。どうしたって釣り合わない。

「わかってた、はずなのに」

 それでも錯覚していた。彼は自分にとても優しくしてくれたから。寝顔が可愛らしかったから。子供たちにも誠意をもって接してくれたから。どん詰まりだった自分たちに道を与えてくれたから。あの優しさが、笑顔が、自分も『同じ』だと言っていた言葉が――

「どうしてっ!?」

 錯覚させてしまった。少し勉強したら、アルカスに自分のお金で行ったら、ほんの少しでも並べるのではないかと、思ってしまった。

 いつの間にか、どうしようもなく、彼女は――

「私は――」

 眼下で輝く一団。その中でも一際輝く麗しの乙女。信じ難いほど整った容姿に、それに見合った、彼女にしか似合わないような可憐なるドレス。完全無欠の王女様、その隣には当たり前のように輝ける騎士。

 遠目でもわかる王女様の熱い視線。それを見たことも無い笑顔で受け止める騎士。今日は仮面を許可されなかったのか、素顔の彼が其処にいた。そして、その表情を見ると胸が締め付けられるのだ。あの教会では一度も見せたことは無い、極上の笑顔。

 あれが彼にとっての本物。自分たちに向けていたのは――

「――馬鹿だ」

 どうしようもなく遠い場所に彼はいた。想いなど簡単に吹き飛んでしまうほどの距離。星に手を伸ばすようなもの。太陽に手を伸ばしたって掴めるはずがない。

 あそこはもう、物語のように遠い場所なのだ。騎士とお姫様。自分の姿を見て、その手を見て、思う。きっとあの御姫様の手は絹のように滑らかなのだろう。自分のそれとは大違い。その手に刻まれた苦労は隠せない。自分は舞台に上がることすら出来ない。

 だって、あんなにも違うのだから。何もかもが――

「痛いよ、誰か、助けて」

 締め付けられる胸を抱き、彼女は力なく崩れ落ちる。決して届かないモノを見て、それでも手を伸ばすことが出来る者は限られている。普通の人は、どれだけ欲しても諦めるしかないのだ。そういうものだと理解している。慣れている。

 それでも彼女にとってこれは初めての気持ちだった。異性を意識していなかった子供時代。異性を敵とみなしていた新人時代。異性を平等に愛していたほんの最近までの自分。初めてだったのだ。誰か一人にここまで心を傾けることが。

 彼女も底辺出身。諦めることには慣れているつもりであった。だが、『それ』だけは、『それ』が届かないことを知ることだけは、耐えられなかった。

 輝ける舞台裏で一人の少女が人知れず砕け散る。


     ○


(……女の買い物ってのはどうしてこう、もっと合理的に動けないのか?)

 ウィリアムは業務用の笑顔でエレオノーラの言葉を聞き流していた。適宜、相槌を打っておけばいい。ウルテリオルは素晴らしい。ここの品ぞろえは最高だ。良いモノが並んでいますね。そんな上擦った会話が繰り広げられる。

「まあ、とても綺麗な指輪」

 金の指輪に真紅のルビーが輝く一品。値段は当然桁違い。

((高ッ!?))

 アルカスの市場価格と原価を知るウィリアムとカールは目玉が飛び出るほどの利益が乗せられた指輪を凝視する。テイラー商会とてこうした高級品には相当利益を乗せているが、そこは世界最大の超大国、乗せている利益もスケールが違った。

「ほほう、ここは忠誠心が試されるところだね、騎士としての」

(ふざっけんなこのクソアマ! こんなもん買ってたらガキを買うどころかウルテリオルから帰れなくなるっての。馬鹿か、阿呆なのかこいつはッ!?)

「つまらない相槌ばかり打ってるからだよ。私は彼女の味方なのさ」

 耳元でリディアーヌが囁く。ぎろりとウィリアムが睨むもにやにやとその場を離れていく。残ったのは少し申し訳なさそうに、それでもちらちらと指輪を見る乙女と窮地に立たされた騎士だけであった。少し離れたところでヴォルフがけたけた笑っている。

「ふむ、私も欲しいぞ白騎士」

 そんな中、好い意味で空気を読まなかったアポロニアが割り込んできた。

「これは一つしかありませんから」

 背中で嫌な汗が滝のように流れる中、ウィリアムは適当な返しをした。

「であれば私か、お姫様か、選ばねばならぬな」

「……む」

 アポロニアとエレオノーラの間で弾ける火花。ウィリアムにとっては愚問な問いかけではあるが、エレオノーラは返答を待たずに睨み合った。睨んでなお可愛らしい生物であるが、そこは同性、一切の容赦なく睨みつけていた。

「だが、私も寛大なのだ。私の髪色にとても似合いそうだが、諦めよう。だから私は白騎士を頂く。嗚呼、私はとても寛大だなあ」

「それはなりません! 彼は我が国の騎士、他国に奪わせはしません!」

「指輪はくれてやると言っておるのに、何が不満なのだ?」

「指輪は女王陛下にお譲りいたします。私には我が騎士だけで充分です!」

「我儘な」

「それはこちらのセリフです!」

 気づかぬうちに指輪か己かと、よくわからぬ天秤にかけられていたウィリアム。どう傾こうとウィリアムにとっては楽しいビジョンが見えないのだが――

「あ、エルンスト陛下。こっちに美味しそうなお菓子が売ってますよ!」

「本当だ美味しそう!」

「エルンストの作ったやつの方がうまい」

「じゃあ食べ比べだね。はいエィヴィングあーんして」

「あーん。んぐんぐ……すまないエルンスト。お店の方が強い」

「し、仕方ないよ。プロの作ったものだからね。うん、すっごく美味しい!」

 ピリピリした場所から離れ、ほのぼの空間が形成されつつあるカールとオストベルグ御一行。遠目で見ているストラクレスはほくほく顔でそれを眺めていた。

 ちなみにこの大将軍、かなり目立っている。

 さらに別の離れた場所では――

「……ご無沙汰しております」

「お、おう。久しぶり、だな」

 ヴォルフと元サンバルトの姫君が複雑な雰囲気を醸し出していた。

「今更、顔を合わせて良い立場ではないと分かっております。ただ、ひと言謝りたくて。謝ったところで、許されるとは思っていません。それでも――」

 重苦しい空気感。だが――

「いや、お前らサンバルトは悪くねえよ。俺らも傭兵だ。その辺は弁えている。国を預かる者として、姫さんは正しい選択をしたと思うぜ? エル・シドの猛威に巻き込まれるにしろ、アポロニアの戦火に呑まれるにしろ、あの時点で、俺をかくまっても、勝てる見込みは無かった。だから、正しい選択だ。俺でもそうする」

「ですが――」

「元々は俺が自分の力を過信して暴れ回ったのがまずかったんだ。焦り過ぎていた。仲間を、守る力すらないのに息巻いてよ。挙句、一心同体みたいなやつらの大半を死なせちまった。俺のせいだ。俺が弱いから、失った。未だに、夢に出るよ、あの日が」

 沈痛なヴォルフの顔を見て、目を伏せるサンバルトの姫君。正しいことだったと彼は言ってくれた。しかし、それに甘えるわけにはいかない。正しいことであっても、彼らを傷つけた一端は自分たちにあるのだから。

「でもよ、まだ全部じゃねえ。全部無くしたわけじゃねえ」

 姫君は顔を上げた。その言葉を放つ男の貌は――

「俺ァ、強く成るぜ。今度こそ全部守れるくらいに強くよ。あの時ああしておけばよかった。こうしておけば良かった。もう二度と、そんな想いはしねえ。させねえ。だから俺は、誰よりも強く成る。世界最強、其処まで行けば、誰も俺の居場所は奪えねえだろ?」

「……ヴォルフ」

 傷だらけの狼。されどその眼は死んでいない。また、もう一度立ち上がろうと闘志を燃やしていた。あれだけの惨劇を乗り越えて、彼はもう一度立とうとしている。

「やってやる。やってやるさ」

 ヴォルフの手は震えていた。自分の行動の結果、また死なせてしまうかもしれない。自分の選択ミスで、仲間を殺してしまうかもしれない。痛みはまだ刻み込まれている。烈日によって刻まれた烙印は、鈍く、じわじわと心を蝕む。

 それでも彼は立つと決めたのだ。ならば、自分は――

「私もまだ、サンバルトを諦めてはいません。あくまでアポロニアにとっては腰掛でしかない以上、いずれ彼女たちは去って行くでしょう。それまで、何とか国体を維持して、復興させて見せます。それが私の、王家として生まれた者の責務だから」

 自分も立って見せる。先行きは不透明、勝者の差配一つで潰える未来。か細い道を、薄氷の上を渡り切ってなお、そこに明日があるとは限らない。それでも彼女は決めたのだ。

「ハハ、相変わらずかっけえな、姫さんは」

 そうしないと、たぶん、もう二度と彼の眼には映らないと思ったから。裏切った身で、あまりにも勝手な言い分だが、それでも彼女はヴォルフを――

「そうしたらもう一度俺を雇ってくれよ。今度は、今度こそは期待に応えてみせるぜ」

「……え?」

 聞き間違えかと思った。そんなことはありえないと思っていたから。罵倒される覚悟であった。それぐらいのことを彼に、彼らにした。取り返しはつかない。人が死んでいる。覆水盆に返らず。それなのに彼は――

「嫌か?」

「いいえ、いいえ、私からも、お願いします。私たちを、弱い私たちを、助けてください。今度は逃げません。生きるも死ぬも、貴方と共に」

 涙を流す姫君の頭を撫でてやるヴォルフ。

「気持ちは分かったよ。でも、そりゃあ言い過ぎだ。俺らは所詮、傭兵。そこまでしてもらうわけにはいかねえさ。気持ちだけで充分――」

「いいえ。私は貴方が、共に在ることを許してくれるのであれば、共に肩を並べても良いと言ってくださるのであれば、在り様を変えてでも、貴方と、貴方方と共に新たなる時代に適応した、新しいサンバルトを築いて見せます。そのサンバルトは、貴方に全てを捧げます。だから、守ってください。私たちを、国民を、貴方の居場所として」

「俺の、居場所」

「もし貴方が許してくれるというのなら、サンバルトは貴方の国です。私たちの王として皆を守ってください。私は、そんな貴方を生涯、支えてみせます。例え伴侶に成れずとも、裏方として、生涯をかけて、それが私の償いだから」

「だから、それやめろって。憎んじゃいねえよ。憎いとしたらそりゃあ俺の弱さだけだ。まあ、何だ。とりあえず、お互い頑張ろうぜ。時間が経てば気持ちがうつろうこともある。別の考えが出てくることだってあるさ。その時が来たら、決めりゃあ良い」

「……そうですね。でも、私は軽口であんなことは言いません。私は、個人的に貴方をお慕いしている一方で、武人ヴォルフが一番であると、一番に成ると信じているのです。だから、頭の片隅にでも置いておいてください。貴方の居場所は此処にもある、と」

「そうか……わかったぜ。覚えておく」

「ありがとう、ヴォルフ」

 ヴォルフに体重を預ける姫君。この時間は長く続かない。もしかするともう二度と会えないかもしれない。『彼女』のことを思うと罪悪感が滲んでくるが――

(許してくださいニーカ。卑怯で弱い私を。ほんの少しだけ、この人を貸してください)

 孤独に耐える勇気が欲しい。いつかまた出会える日まで、戦い続ける覚悟が欲しい。弱い自分を奮い立たせる熱を、少しだけ、分けて欲しい。

 ほんの短い時間だけでも良いから。


     ○


 トゥラーンで最も高き場所、つまり人口の建造物の中で最も高きところに住まう王。

 それが革新王ガイウスである。

「……昇り降りが大変でありましょう」

「うむ。正直悔いておる。が、王が二言するというのも格好がつくまいて」

「で、ありますか」

「ああ。それで、締め付けた結果、炙り出てきたか」

「ドミニク・ド・リエーブル、ヴァレリー・ド・ラヴェル。陛下の見立て通りに」

「裏で糸を引いておる者は尻尾を出さんか」

「これで出してくれるのであれば易い相手なのですが」

「仕方なし。此度は此処で手を打っておこう。で、ディエースの報告はどうだ?」

「白騎士が絡むとは思いませんでしたが、概ね思惑通りかと。あの形で締め付ければ、ぽっかり空いたあの土地を彼らは欲しがる。陛下のご友人であった男であれば、逆に跳ね除けたでしょうが。施しは要らぬ、と」

「白騎士、か」

「上手く嵌めれば、ドミニク、ヴァレリーともども――」

「そうはならんよ。だが、冷汗の一つはかいてもらおう。余の誘いを断ったのだ。少しくらい遊んでも罰は当たるまい」

「……その遊びのせいで付け入る隙を与えてしまっていることをお忘れなきよう」

「許せサロモン。だが、何事も面白い方向に進ませねばならぬ。我が独裁などつまらんし硬直するだけぞ。遊びは必要なのだ。それが必要悪であってもな」

 ガイウスは地上を睥睨する。

「さあ、どう踊る白騎士よ。賽は投げられた。舞台に上がるも上がらぬも貴様次第。上がらぬならばそれで良し。上がったならば――うむ、面白くなってきおった」

 すべては王の掌の上。されど、其処でどう踊るかは演者次第。脚本を超えてくれるか、脚本に踊らされるか、脚本通りにすら踊り切れぬか、見極める良い機会。

 盤上での彼は見た。次は、実戦での彼を見せてもらう。

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