王会議:歪み

 勝利を掴み、ウィリアムは小さく息を吐いた。

「お疲れさまでした、ウィリアム様」

 キラキラした笑みで労をねぎらってくれたのはエレオノーラであった。ウィリアムは恭しく頭を下げる。たかがストラチェス、されどストラチェス。国家の代表としてここにいる彼らが勝つこと、負けることには大きな意味があるのだ。

「色々と聞きたいことがあるのだが、これから時間はあるかね? 私の私室に招待しよう」

「いえ、これから行かねばならぬところが――」

「珍しい本もあるぞ」

「……ほう」

 ウィリアムの眼がきらりと光る。ガリアスの王家に連なる者が珍しいという本。一読してみたいと思うのが読者家の性質。加えて、彼女の雰囲気、知識量から察するに相当質の良い知識を詰め込まれている。つまり――良書がたくさん。

「では少しばかり失礼を――」

 あっさりと本で懐柔されるウィリアム。

 だが――

「いけませんウィリアム様! 年頃の男女が一室に二人っきりなど破廉恥です!」

 いつになく勢いづいたエレオノーラがそれを阻んだ。「ぐぬ」とリディアーヌが呻くも、大好きな文通友達に此処まで言われては我を通せない。当然、家臣であるウィリアムは彼女の意のまま。

「ですがせっかくの機会、三人なら破廉恥ではありません」

「いやもっと破廉恥じゃん」

「坊ちゃま!」

 ラインベルカに引き摺られてどこかへ連れ攫われていくルドルフ。その眼は純粋な困惑が浮かんでいた。二人より三人、三人より四人、破廉恥なのは後者であろう、と彼は考える。そもそも彼の頭には、年頃の男女が部屋に入ればやることは一つ、と言う破廉恥がぎっしり詰まっていたのだ。

「ふ、わかるぜ坊ちゃん。ただ、そりゃあ夢の話なんだよ」

 遠い空を眺めるヴォルフ。いつかは俺も、そう考えていたのは遥か昔。合意無きチョメチョメを好まない彼にとって、複数人でのチョメチョメは非常に難易度が高く、届かない夢であったのだ。

「……素晴らしい案だよ。しかし、武人である彼ならともかく、麗しの我が姫を招くには些か中が散らかっている。整理整頓の時間を頂きたい。今宵までには最低限、片づけてみせるよ。どうかな?」

「私は散らかっていても構いませんが……リディがそう言うのであれば待ちます。ウィリアム様は如何ですか?」

「私も所用があるのでそちらの方がありがたいです」

「では今宵、食後にて。案内は適当に見繕っておこう」

「承知致しました」

「あと一点、君、我が姫は大変ご立腹なのだよ。ずっとほったらかしにして一人でさっさと街に出ているなんてずるい。そうおっしゃられていた。頬をぷりぷりさせながらね」

「リディ! ち、違いますよ。ただ、私もせっかくの機会なので皆さまとお出かけしたいな、と思っていただけで。決してそんなぷりぷりなどしておりません!」

「ぷりぷりしてるじゃないか。ふふふ、エレオノーラは世界一可愛いなあ」

「リディ! あんまり言うと怒りますよ!」

「怒っている君も素敵だ」

 ぷりぷり怒っているエレオノーラとそれを楽しんでいるリディアーヌ。ウィリアムとしては身軽で気楽な一人の方が良いが、そう言ってかわせるような状況ではない。エレオノーラを巻き込み否定させなかったことで、ウィリアムは詰まされていたのだ。

「では、明日は私とカールでお二人を護衛致しましょう」

「本当に?」

 エレオノーラの顔がぱあっと華やいだ。リディアーヌはしめしめとほくそ笑む。突如名指しされたカールはびっくりして食べていたクッキーを噴き出した。

「ダルタニアン、君も来るだろう?」

「殿下が来いとおっしゃられるのであれば」

「素直じゃないなあ。来たまえ」

「仰せもままに」

 リディアーヌとダルタニアン。

「水だぞ。飲めカール」

「ぷはっ、びっくりしたあ」

「……明日は王様もお休みらしい。エルンストといっしょにつれてけ」

「うわあ、楽しそうだねえ」

「……もう、エィヴィングは。ごめんね、カール。迷惑じゃない?」

「全然だよ。楽しみだね」

「うん!」

 エルンストとエィヴィング。

「喜べ白騎士。私も参るぞ!」

「陛下、我々も」

「お前たちは日頃出歩いているのだろう? お留守番しておけ」

「そ、そんな」

 アポロニアが。

「俺も行くかあ」

 ヴォルフが――

「…………」

 それを見て元サンバルトの姫君が一つの覚悟を胸に秘める。

 怒涛の勢いで参加者が増えていく中、少し複雑そうな表情を浮かべるエレオノーラと発起人のリディアーヌ。それ以上に、顔にこそ出さないがげんなりしていたのは何を隠そうウィリアム・リウィウスであった。小さな面倒ごとが大きな雪玉と化した。

 受け止める気力は湧かないが、さりとてかわせる状況ではなく、甘んじて受け入れるしかない。必死に笑顔を取り繕っているが、笑顔の仮面を一枚剥ぎ取れば面倒くさくてイライラしている男の貌があった。

 その様子を見てガイウスは――良いこと思いついたとばかりににっこり笑う。

 隣にいるサロモンはその顔を見てげんなりとした表情を浮かべていた。


     ○


 教会で子供たちに勉強と武術を教えた後、時間調整のためにくつろぐウィリアム。ミーシャはすでに仕事へ出かけ、子供たちは夕食の支度をしていた。この場で何もしていないのはシスターとウィリアムだけである。

「暇そうだね」

「貴女にだけは言われたくない」

「それもそうだね」

 日がな一日ぷかぷかパイプを燻らせるだけの生活。怠惰此処に極まれり。

「明日は用事があるんだって?」

「ええ、まあ。街でちょっとした任務がありまして」

「面倒ごとかい?」

「そうなりますね。今日の夜も含めて、ですが」

「偉い人は大変だねえ」

「偉くなれば暇になる。そう思っていたんですが、そんなこともなく日々が過ぎていく。忙しいままに、瞬く間に、振り返る時間すらない」

 シスターは笑う。

「人間だれしも時間には勝てないからね。上手に付き合うしかない。あんたは効率的に時間を使うけど、下手糞さ。たまには抜いてやらないと、潰れるだけさね」

「凡人なので。他の人が抜いている時にこそ、力を尽くさねば」

「勤勉なのは結構だけどねえ。たまにはゆっくり自分を顧みる時間も必要じゃないかい? あんたが思っているほど、あんたが今いる場所は薄氷じゃあないよ」

「現状に甘んじるならそうでしょう。しかし、その先を目指すには、やはり足りませんよ。時間も、努力も、才能も、何もかもが足りない」

 ウィリアムが目指す先、見果てぬ場所を目指しているのはわかる。彼が見ている先はあまりにも遠い。しかし、其処にある空虚を彼女は見逃さなかった。

「その先ってのは何だい? そして、何故そこを目指す?」

「……それは」

 いつもなら容易く回る口。しかし、彼女の視線がそれを押し留めさせた。這い上がるため、見返すため、下賤な血に生まれようとも天を掴めると証明するため、姉を殺した社会への復讐、いくらでも理由はある。この場に適した答えを言うだけでいい。

 それだけのはずなのに――

「…………」

「人は変わる。変わらない奴もいるが、たぶん、あんたは変わるさ。人が変われば、目的も変わる。憎しみが愛に変わることもある」

「愛? 陳腐な言葉だ」

「そうかい? あたしは、それこそが生きる意味だと思うけどねぇ。それ以外は代替品でしかない。本当のそれを知れば、そう思う。あんたも、いつか出会うよ。それがあんたにとっての幸せかどうかは、わからないけれど」

「愛では腹は膨れませんよ」

「心は満たされるさね。胸焼けするほどにねえ」

 価値観の相違。意見がかみ合わないなら仕方がない。これ以上問答しても無意味だろう。

「あんたがそれを知った時、手遅れでないことを祈るよ」

 そう、無意味なのだ。

「……そうですね」

 もし、もし自分がそれを知ったとして、それを心の底から信じられる時が来たとして、とっくの昔に手遅れなのだから。この手は、それを掴むには汚れ過ぎた。

 ゆえに愛などない方が、幻想である方が、この男にとっては――

 だが、目的に即答できない時点で答えは出ているようなもの。すでに救いの無い物語、その下地は完成していた。どうしようもないほど彼は潔癖で、優しく、それゆえに無視できないから。今までの悲劇を。これからの悲劇を。


     ○


 お菓子を食べ過ぎて食欲がわかないまま、何とか夕食を凌いだカールは夜風に当たっていた。キャパシティの限界を超えたお腹を落ち着けるために――

「ぐ、ぐるしい」

 俯くカールはお腹に手を当てて蹲る。

「よう。へたれてんなあ」

 背後から伸びる影。その大きさにカールは一瞬満腹感を忘れてしまう。

「テメエとはあんまり絡みは無かったけどよ。あの時、メタクソにやられたのは忘れてねえからな」

「ご、ごめんなさい」

「謝ってんじゃねえよ。あいつも褒めてたぜ。あの勝負所であれだけの準備ができるのは普通じゃないってよ。俺もそう思う。その後の躍進を考えても、あの時の評価は決して過大じゃなかった。良い風吹かせるようになったじゃねえか、金持ちくん」

「あ、ありがとう」

 ヴォルフはカールの隣に立った。その身長差、体重、骨格の、根本的な体格差にカールは嗤う。どれほど鍛えても、努力しても、隣の男には永遠に届かない。強く、しなやかで、無駄がない身体。どれだけ努力しようとも凡人では得ることが出来ないモノ。

「テメエはあいつが作った最初の作品だ。人の上に立つ適性は最初から持ってたんだろうが、戦う術はあいつから学んだんだろ? 背中から、時には直接教わりながら」

「う、うん。よく知ってるね」

「ただの勘だ。同じことやろうとしてるからな、あいつ」

「あ、学校でしょ? もう建物持ってるもんアルカスに」

「マジかあいつ。その場の出まかせじゃないのかよ。ハハ、たまたま、にしても出来過ぎだぜ。ま、とにかく色々見て思った。やっぱあいつすげえってな」

「でしょ! ウィリアムは凄いんだよ。皆が思っているよりずっと!」

「ああ、本人が思っているよりも、な」

 カールは一瞬、びくりと硬直した。鋭さを増したヴォルフの雰囲気に気圧されたわけではない。ただ、彼も同じことを思っていたのだ。今日の一戦を見て、今日までの立ち居振る舞いを見て、そこに歪みを見た。

「あいつは今日、格好よく勝った。周りは絶賛してたが、本人はギリギリ勝ったって思いが強かっただろう。それは間違いじゃねえんだろ。俺は詳しくないから勘でしかねえけど、それなりに薄い勝負をして勝った。それは事実だ」

「うん。片づけをしている時、あれ? って、思った。ウィリアムの癖、強がっている時、逆に余裕があるように見せるんだ。いっぱいいっぱいだからこそ」

「あいつはギリギリ勝ったと思っている。それこそエルビラと自分にそれほど大きな力の差は無いってな。だがよ、エルビラはそう思ってねえよな。対峙して、分厚い紙一重、出来の悪い羊皮紙かってくらい分厚いもんを感じていたはずだ」

「……うん。僕もそう思う。だって、そうでしょ。同じような新型を出して、片方は未知。初志貫徹って言えば聞こえはいいけど、それしか戦う術を持たなかった」

「対してあいつはそれに応じて、先を読んで勝つための戦術を取った。そら、あの手のゲームだ。どうしても勝負ってのは僅差になる。でも、あれが実戦なら、もっと色んな要素が絡み合っていたら、たぶん、百回やって十回も勝てねえよ、エルビラじゃあ」

「百回やって百回勝てるようにならないと、ウィリアムは安心できないから」

「ケッ、腹立たしい。あいつは自分を過小評価している。ほんの僅かに、俺たち敵が感じている差よりも、小さく認識しちまっている。俺は逆だ、それでクソほど火傷をした。未だにその傷は癒えてねえ。一生癒えることはねえ」

「……大変だったって聞いてるよ」

「あいつと俺は逆だ。気持ち良いくらい逆。つまりよ、これもまた俺の勘だが、同じように火傷するぜ、あいつ。認識のズレがあって、その歪みを修正出来ていない。俺は火傷して気づいた。火傷しなけりゃ何言われても気づけなかった」

「…………」

「傷ついて、失って初めて見えるもんがある。まあ、ただの勘違いであれば良いがな」

「君は敵だ。なのに何で、僕にそれを言うんだい?」

「あいつから俺は、あの戦いも含めてよ、ほんと、阿呆程色々貰ってる。貰いっぱなしってのも癪だろ? どうせ、俺が言ったって、テメエが言ったってあいつは聞かないし、理解しないだろーけど。一応、ま、答え合わせの解答くらいにはなるだろ」

 カールは苦い笑みを浮かべていた。思っていた以上に、隣に立つ男の懐は深い。失ってさらに深まった。あの時の印象では一歩、本気の怪物たちには届かない印象であったが、今もって認識を改める。ずれを修正する。この男は、届き得る男だと。

「お互い頑張ろうぜ。俺はテメエにも期待してるからな。カール・フォン・テイラーがあいつを抑え込めば、その分――」

「楽になる、かい?」

 カールの眼を見てヴォルフは笑う。

「馬鹿が。敵としちゃあ厄介極まるっての。だが、あいつの『急ぎ過ぎ』は抑えられるだろ? あっさりと俺らの時代を終わらせられるのも、つまんねえからなァ」

 厄介な敵の誕生よりも、時代の終わりを危惧する男。もしかすると彼は気づいていたのかもしれない。自分と白騎士の目指す先が異なることに。むしろ、相反することになることを、その眼はどこか察して――


     ○


 どこか気が重いままウィリアムは二人の姫が待つ部屋に向かった。

「……か、片づけてこれか」

「……は、はい。自信満々で招いていたので、おそらくこれで相当綺麗になったのかと」

「ようこそ我が巣へ!」

 其処に広がる本の杜。かろうじて足の踏み場が確保されたそこに招かれた二人は、頬を引くつかせながら手招きに応じた。羊皮紙とインクのにおい、本のにおいが充満するその部屋は彼女の雰囲気そのものであったのだ。

「……この本は!?」

「ふふ、気づいたね。さすがは白騎士」

 しかし、慣れてしまえば何とやら――

「……ふふ」

「嬉しそうですねウィリアム様」

 退出する頃には大量の本を借りてご満悦のウィリアムがいた。

「明日はよろしくお願いしますね」

「ええ、もちろんです。お任せくださいエレオノーラ様」

 明日の予定すら快く引き受けられるほどのゆとりが生まれていた。昼にあった問答などすでに頭の片隅にもない。ただの噛み合わなかった事実として記憶しただけ。そのことを思い出すのはもう少し先の事。いつだって気づきは、手遅れになってから気づくもの。

 先達の言葉は、いつだって本当の意味では届かないのだ。

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