王会議:足掻き続ける者

(ほお、これはまた、大したもんだな)

 算術の授業、此処で常人ならざる適性を示す子がいた。盲目ゆえ普段は路地で物乞いをしている少女であったが、明らかに突出した理解度と数字に対する適性を見せる。算盤は商人にとって基礎力の一つでしかないが――

「……わ、わからねえ。教えてくれメアリー」

「わ、わたしがクロードにおしえるの?」

 自分に自信がないのは欠点であるが、それが飛翔するための原動力となる可能性もある。コンプレックスは決して、マイナスの要因となるだけではない。その、負の感情が成長を促すことだって多々ある。

「出来た!」

「ああ、全部合ってる。この短期間で大したものだ」

「へへん。どんなもんだい!」

 ミーシャもまた適性を見せた一人であった。そもそも容姿で得をしているとはいえ、接客業であれだけ結果を残している人間の地頭が悪いはずもない。

「じゃあ次はこれだな」

「え、ちょっと桁が多くて難しそう」

「使いこなせば桁数に意味はないよ。さあ頑張って」

 ぽんと励ましの意味を込めて肩を叩くウィリアム。背中越しゆえにウィリアムが彼女の表情を見ることは無かったが、そこには――

「あんまり、良い傾向じゃないねえ」

 シスター・アンヌはその光景を見て、少し、顔をしかめた。

 口の端から紫煙をこぼしながら。


     ○


「あんたはさ、自分が輝いているって理解しているかい?」

 帰り際、シスターがウィリアムに声をかける。

「……まあ、そう見せているので」

 やはり彼は理解していない。

「あんたは、あんたが理解しているよりもずっと、遠くに、高くに来てるんだよ。それこそ、普通の人間じゃ届かないところまで、さ」

「それは正しい研鑽を続けていないからだ。誰だって努力すれば俺ぐらいには成れる。問題はその先、自分と言う壁をどうやって乗り越えるか、だ」

 彼の眼は遠くを見過ぎている。普通の人間は其処まで見ようとも思わない。その途上で満足できてしまうから。充分だと妥協してしまうから。彼は簡単に言う。研鑽を続ければ、と。彼は理解していないのだ。そうしない人間が怠慢なのではない。

 そう在る己が異常なのだと。

 そしてそれを続けた自分が今、何処にいるのかを、彼は理解していない。

 ここの子供たちに、ミーシャに、シンパシーを感じているのがその証拠。何から何までかけ離れている。もし、同じであったとしたら、それは始まりだけだというのに。

「あんたには感謝しているよ。でも、あんたは少し自覚した方が良い。そう見せていない時でさえ、あんたは輝いている。その光は、人を照らすだけとは限らないのさ。陰影を深めるのもまた、光だからねえ」

「御忠告感謝する。安心して良い。人の悪意には敏感な方だ」

 やはり彼は理解していない。シスターは苦笑して紫煙と戯れる。

 願わくばそれが致命と成らぬことを祈りながら――


     ○


 今日も今日とて夕飯時に捕まってしまうウィリアム。されどそこは白騎士、すでに食事を早めに終えていたため、致命的な状況は避けられた。とは言え――

「く、そ、があ」

「うむうむ。まだまだ鍛えが足りんな」

 昨日と同様に膝をつくウィリアム。決して過信していたわけではない。百将下位に勝ったところで、頂点付近では秤にすらならないことをウィリアムとて理解していた。だが、それと同時に一冬の研鑽、その結果がこれかという落胆は多少なりともあったのだ。

(こいつは、限りなく『あいつら』と近い所にいる。持って生まれた才能、生まれた瞬間から英雄に成る運命を背負った怪物。まだ遠い。今の俺では、揺らがせるところすら――)

 まだ遠い。下手をすると永劫届かないかもしれない。

「今日はここまでにしておこう。よい稽古であったぞウィリアム」

 満足げな様子で帰っていくアポロニア。疲れの一つすら見せぬところに、自分が彼女の底を暴けなかったことを知る。まだ足りない。もっと、もっと――

「俺は、まだ――」

 ウィリアムの眼に映るはあくまで頂のみ。


     ○


 その様子を眺めるは三大巨星、エル・シド・カンペアドールであった。決して興味津々と言うわけではない。あくまで目の端に映す程度。

「先を見通す貴様が、また『英雄』を創った、か。皮肉だな」

 あの少女の炎を見て、エル・シドは騎士王と戦乙女の二人を見る。あの戦いはかつての三貴士やスヴェン王らとの死闘を想起させるほどであった。だが、それだけなのだ。あの姿は、あの道の先は、自分が阻んできた時代そのもの。

 もっと言えば自分そのものでしかない。

「あまりお気に召さないか、騎士女王は」

「良い戦いに成る。充足には至るだろう。だが、それだけよ」

 エル・シドが予感する『それ』ではない。むしろ、あそこで膝をついている敗者こそが『それ』に近いのかもしれない。そのことにエル・シドは不満を浮かべていた。

「否応なく、時代は来る。私たちは随分前から迎え撃つ側だ」

「それら全てを砕いてきた。次も同じだ」

「変わらずに傲慢だな。エル・シド・カンペアドール」

「ふん、貴様にだけは言われたくない。ウェルキン・ガンク・ストライダー」

 二人は知っている。その名はすでに意味がないことを。

「導く者の称号、エル。そこにお前は何を見た、シド」

「貴様と同じだストライダー。あるがままに、己が欲するままに戦うのみ」

 幻想の残り火。神話の残滓。そこにもはや意味は無いが――


『すごいな、人間があれと渡り合うなんて』

 黒き森の深奥、そこに一人の男が立つ。満身創痍なれどその眼には強い光があった。

『力を求めてきた。時代を切り拓く力を』

『残念。此処にあるのは、知識だけだ。人が積み重ねた歴史だけが此処にある』

 気づけば男の周囲には幾重にも連なる書物の螺旋があった。途方もない量、見るだけで目眩がしてしまう。だが、其処に男が求めるモノはない。それだけはわかる。

 知りたいのは明日。未来が知りたいのだ。

『そうか。邪魔をしたな』

 男は去る。ここには昨日しかない。それでは意味がない。

『それは寂しいね。ここに興味はないかい?』

『ない。ここに意味を見出すとすればジェドだ。俺では此処に意味を見出すことは出来ん』

『でも、彼では此処に辿り着けない。弱いから』

『確かに武力では俺が勝る。だが、それ以外では全てが――』

『時代に先立つ勇気、胆力。人の頂点と言う山巓に立つ覚悟。君は持っている。彼にはない。だから、君だけが此処にいるんだ。シド・カンペアドール。君の予感は正しい。君の先に道は無い。だが、それは先の話だ。もう少しだけ、先の、ね』

『…………』

『君が立て。そして阻め。世界を正しく導く者が現れるまで、君とは違う道を歩みながら、頂点に立つ覚悟持つ英雄が君を倒すその日まで、君がエルだ』

『エルとは何だ?』

『ただの記号だよ。意味は無い。輝ける者、光差す者、導く者、繋げし者、ただの記号さ。それらの願いが込められた、ね。それを背負って戦うがいい。そして新たなる時代によって倒されたなら、その名は本当の意味で意味を喪失する。人の時代が来るのさ』

 理解が追い付かない。この守り人もまた理解させる気はないのだろう。ただ名を与えるのだと彼は言う。そこに意味は無いけれど――

『良いだろう。受け取った。俺がエル・シドだ』

『いい響きだ。久しぶりに、胸が躍った。ありがとうエル・シド』

 真に意味を喪失させるために、シド・カンペアドールは『エル』を背負う。

 人の時代が到来するまで、戦い続ける宿命を背負いて――


「何を思い出していた?」

「くだらん幻想だ」

「そうか」

 二人は階下で立ち上がった男を見つめていた。脆弱なる体躯に、涙ぐましいほどの努力を積載してあの程度。英雄としてはあまりに弱い。だからこそ、エル・シドは直感する。あれが『エル』を屠る時代なのだと。そして同時に浮かぶ。

 この期に及んで浮かんでしまった。

「最後の最後で欲が出た。時代の相手は貴様らがしろ。俺様は、もう相手を決めている」

「……そうか。ふ、誰に文句が言えようか。時代を支えた巨人が、最後の最後にエゴを出した。君は十分貢献したさ。私など、俺など、最初から最後まで宿命を放りだし、ただ一人に注ぎ続けたというのに。俺は最後までそう在る。終わりのその時まで。最初からその名に込められた意味は、救世の宿命は、我が愛で殺している」

「エゴイストめ。まあ、あれはいい女だ。俺様も、じじい野郎も、面白クソ野郎も、誰も彼もが求め、そして貴様に弾かれた。くく、俺様も、あの時の熱情を取り戻さねばな」

「となると、申し訳ないが立地的にも、彼に任せるしかないね」

「ふん。もとよりあれはそのつもりであろうが。あれも、オストベルグの大将軍と言う業を背負っている。俺たちとは違う意味で、幻想の一欠けらを背負わされている。ならば、戦うしかあるまい。人の時代に、あれを残すわけにもいくまいが」

 積み重なりし英雄の躯。集いて一柱たれ。オストベルグ支えしひと柱。

 人の時代が折って終わらせるか、それとも――

「まったく、そそる顔つきをしよって。いったいどうやってあの弱き小僧があれを倒すというのだ。俺様が喰いたいぐらいだというに」

「ああ、確かにそそる顔だね。彼もまた予感しているのだろう。相手が終わらせるものであることを。それを知りながら、守るために受け入れる気はないときた。嗚呼、確かにこれは上質だ。秘匿すれど香り立つ、真の敵意だ。それほどに大事か、翡翠の王が」

 もう一人の巨星が月明りから伸びる影の中、白き男を睨む。

「時は流れる。否応なく。戦いは、避けられない」

 どれだけ願えど勝者は笑い、敗者は泣く。一方が勝てば、一方は負ける。

 それが理。それがルール。世界は皆が笑えるようには出来ていない。

「だって見たまえよ。彼は、あれだけの差を見せつけられてなお、折れていない」

 眼下で立ち上がり、自問を重ねながらただ一人剣を振り始める男。あまりに脆弱で、か細い才能。膨大な努力をまとってなお、頂点までの道のりは険しい。

「……ふん」

 だが、止まらない。ほんの一瞬たりとも、あの男は止まらない。


     ○


(これで良い。無駄な自負は要らない。今の俺はこの程度だ)

 落胆は一瞬。自分は負け慣れている。いつだってコンプレックスがあった。それを克服し続けてきたからこそ、今がある。這い上がるのは、得意なのだ。

(たぶん俺は、小細工抜きであの領域には届かない。そもそも俺の道にとって、俺自身の武はさほど重要ではない。どれだけ鍛えても、磨いても、元がただの石ころ。あいつらのような宝玉には成れない。それは、わかっている)

 削る。削る。削ぎ落とす。無駄を、出っ張りを、潔癖なまでに、完璧を求め続ける。

(だが、それは、立ち止まる理由にはならない。一位に成れずとも、其処を目指した分、そこで得た力で、他の道が楽になる。なら、止まる理由がない。もっと、もっと、完璧に、最善を尽くせ。もっと、もっと、もっと、もっとッ!)

 多くの視線が降り注いでいる。だが、今はそんなことよりも先ほど得た挫折を活かす方が重要。自分の道にとって、己自身の向上は必ずしも必須ではない。非凡なる男の向上、足掻きは盗み見られたところで痛くもかゆくもないのだ。

 本当に隠したい自分の強さは、今、『此処』にはないのだから。遠く北で脈動するモノ、遥か先の未来にて現れるモノ、それらが現れるまでの繋ぎでしかない。自分の強さなどその程度。一位など遥か彼方。届く気配すらない。

(底の底まで、堕ちろッ!)

 深く、深く、自らの底へ。深淵の先へと足掻く。狂気の獣、世界への復讐心、醜く、腐った無数の躯。世界に対する復讐、世界を破壊し尽くし、どん底から這い上がって自分たちが人間であることを示すためだけにここまで来た。なのに何故――

 切っ先を向けられ、血がにじむ手で刃を握るお前が、底にいる。

(ちらつくな。其処は、底には、利害と悪意、欲望だけがある。人間は、皆そうでなければいけない。そうでなければ、そうじゃなければ――)

 かすかな光、最近ちらつくようになったか細いモノが揺れる。吹けば飛ぶような規模だが、このガリアスで、またしても少し大きさを増した。

(消えろッ! もっと、もっと、もっと、集中しろ! より深く、より高く、堕ちろ!)

 月下、白騎士が剣を振る。何かを振り払うかのように、一心不乱に。


     ○


「負けず嫌いだなあ。ますます欲しくなってしまうよ、エレオノーラ」

 覗き見していたのは巨星たちだけではない。本来、このトゥラーンに住まう者たちも当然の如く見物していた。このリディアーヌもその一人。隣にいるエレオノーラは負けても頑張って立ち上がる騎士の姿に目をキラキラさせていた。

「駄目です。あの御方は、我が国の未来ですから」

「……強い拒絶だね。君は、文でさえそんな言葉は使わなかったというのに」

 泥臭さすら感じるあの姿に彼女たちは何を見る。

「……ふーん」

 百将たちもまた一部始終を見て、各々思いを巡らせる。

 そんな中、ただ一人――

「……醜い」

 目の端で捉えながら妖艶なる美姫はあの姿を切って捨てた。リディアーヌはその反応に苦笑する。それが貴族の、王族の女性として、正しい反応だと思ったから。あれは天に君臨する者とは対極の存在。それに惹かれる方が変わり者なのだ。

 だが、妹であるもう一人の美姫は、姉の視線に何かを見た。

 そう言いながら姉は、まだ眼を背けていなかったから。肉親であるからこそ分かる色合い。冷たく、何の感情も映していない瞳の底に、あの時と同じ色を見た。

 エレオノーラの胸の奥に、暗い何かがのそりと蠢く。


     ○


「ウィリアム・リウィウスッ」

 一人の騎士が壁に手を叩きつけた。足掻く姿ですら、進み続けられない者にとっては目を焼く光景なのだ。どす黒い感情が浮き彫りになる。

 もはやそこに理屈は、ない。

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